娘の目
駅のホームで起きた出来事から、娘の目だけは守ったはずだった。なのに娘は言った——「上からだと、ぜんぶ見えたもん」。古い木の跨線橋に伝わる「振り返ってはいけない」…
駅のホームで起きた出来事から、娘の目だけは守ったはずだった。なのに娘は言った——「上からだと、ぜんぶ見えたもん」。古い木の跨線橋に伝わる「振り返ってはいけない」…
峠の一軒だけの洋食店。名物は三日火を入れるコンソメ。ある晩、湯気の消えた店で、見知らぬウェイターが告げた——「シェフは、煮詰まっております」。四日後の新聞記事で…
解体を待つ無人の棟に、毎晩ひとつだけ灯りが点いていました。しかもその灯りは、取り壊しの進み具合に合わせて、一週間ごとに正確に一階ずつ下へ降りてくるのです。更地に…
映像研究会の部室に、ラベルのないテープが一本だけ残されていました。瀬戸内の無人島で撮られた合宿の記録です。行きも帰りも六人、数はきちんと合っています。それなのに…
大学写真部の夏合宿で泊まった、外房の網元屋敷の古い民宿。深夜、寝落ちした部員の枕元に、濡れた髪の女が正座していた。誰も動けないまま夜が明け、東京に戻って集合写真…
北関東の盆地の町のはずれに、赤煉瓦の製糸工場の廃墟があった。小学三年の夏、私たちは三人でそこへ入り、闇の奥から聞こえたため息に追われて逃げ出した。三十年後、母は…
その夏だけ、弟が淡々と変なことを言い出しました。上半身だけ起き上がる姉、床から半分出ている人、服の下に座る軍人。房総の古い借家にあった、一畳だけ床の高さが違う窪…
四つの秋と十七の秋、私は妹を別々の場所で同時に見ました。丹波の谷にある祖父の家の、母屋と土蔵。数の増える踏み石、電気の来ていない蔵に点いた灯り、日付だけが五十年…
六月の夕暮れ、蛙の声が消えた道で、頭に包帯を巻いた子供が一輪車で坂を下ってきた。両手には、生きた白いニワトリ。影はあるのに、音がしない。坂の上は行き止まりで、そ…
休職して帰郷する夜、乗り換えるはずのない山中の無人駅に降ろされた。唸り声しか出さない古い制服の駅員。祭囃子の鳴る誰もいない集落。義足の老人が手帳に書いてくれた地…
古い個人医院を改装した学習塾で、私は講師をしていた。奥の教室だけが真夏でも氷のように冷たく、夜の八時を過ぎると、誰もいないその部屋から子どもの咳が聞こえた。ある…
机の天板がすべて液晶になった、八千万円の教室。まばたきの減っていく子どもたち、誰も座っていないはずの一台、そして電源を落とした画面に残る白い像。養護教諭の目を通…
家に伝わる決め役という役目。姪の病で実家が土地を手放そうとした夜、母は私に電話をかけたと言います。しかし私は、その電話を取っていません。発信元は、十六年前に解約…
昭和41年、伊那谷の旧家へ奉公に上がった私が最初に教わった決まりは、五人家族に膳を六つ出すことだった。湿った茶碗の縁、誰もいない部屋の青い畳、毎年育っていく誂え…
甲府盆地の外れで借りた元養蚕農家の納屋から、昭和六年の手書きの見積書が七枚出てきました。家の傷む順番も、下三桁の金額も、六十年前の紙と静かに重なっていきます。順…
閉館の決まった科学館で夜警を始めた私は、モニターに映る人影に気づきます。それは私が見ている画面には決して現れず、目を離した場所にだけ立っていました。観測されるま…
昭和五十三年、内陸の町の磁気テープ工場。名札を外して消磁室に入れという古い規則の意味を、私は隣の寮に住む先輩が皆の記憶から消えた秋に知りました。フィラデルフィア…
雪深い町の古い図書館に勤める私のもとへ、痩せこけた見知らぬ男が毎朝「僕のお母さんですか」と問いかけてきます。不気味な日々の果て、大火事の夜に彼がとった行動と、六…
子どもの頃、私のそばにはいつも、姿の見えない「いたずら好きな何か」がいました。肩を叩き、時計を狂わせ、ときに私を危険から守った、その正体とは——。やがて知ること…
深夜の商業ビルで警備員をしていた私は、午前三時、屋上を映す監視カメラに白い人影を見つけました。天使だと思おうとしたそれは、夜ごと一階ずつ階段を降り、私のいる警備…