写してはならぬ顔
民俗学のゼミの手伝いで、地図にない山あいの集落にひと夏を過ごした。写してはならぬ顔という言い伝えを、私は鉛筆一本で試した。鏡をすべて外した家、白く塗りつぶされた…
民俗学のゼミの手伝いで、地図にない山あいの集落にひと夏を過ごした。写してはならぬ顔という言い伝えを、私は鉛筆一本で試した。鏡をすべて外した家、白く塗りつぶされた…
丘の上の療養病棟。金曜の夕方になると、玄関の前に灰色のセダンが停まりました。娘が迎えに来るのだとKさんは言います。けれど面会名簿の欄はいつも空白で、防犯カメラの…
持つ者に天下を与え、手放す者の命を取るという黒い穂先「禍鉾」。戦国、幕末、大正と、その持ち主はみな栄華の果てに、手放した刹那に命を落とした。京の古美術商が、みず…
凪いだ海へ出た漁船が、無人のまま漂って戻ってきた。船室には湯気の立つ膳が四つ、いや五つ。舳先で途切れる幼子の足跡と、日誌の最後の一行、過去帳に増えた名も知れぬ戒…
祖父から継いだ宿場町の旅籠には、帳場の椅子が一脚あり、俺が生まれる前から白い布がかぶせてあった。布を取るな、動かすな、座らせるな。祖父の最期の言葉の意味を、俺は…
終戦間際に消息を絶った一機を、祖父は五十三年間、旧滑走路の端で待ち続けました。霧の夜に響いた発動機の音と若いままの声、残された航空時計の針が指す時刻。整備員だっ…
記録的な大雨で半鐘が鳴った晩のことです。藍色の着物を着た裸足の猫を抱えた子が、百段の石段を誰よりも速く駆け上がっていきました。町じゅうの者がその姿を見ているのに…
火山の噴火で地中に沈んだ村の跡で、井戸を掘っていた私の祖先が、古い屋根の下から響く音を聞いた話です。三十三年ぶりに掘り出された二人の生き残り、記録と合わない人数…
塾帰りの歩道橋で、突然すべての車も鳥も枯れ葉さえも静止し、時間が止まりました。目の前に現れた継ぎ目のない灰色の男女は、私を見て「あ」とつぶやき——。小学五年の秋…
高熱の地下鉄で記憶が途切れ、気づくと一年後の見知らぬ街に立っていました。染めた髪、知らない服、一文字だけの連絡先、そして見知らぬ鍵。失われた一年をめぐる、この不…
古い文化住宅の共同玄関に置かれた、一台の古い乳母車。眠る赤ん坊の目には、白目がありませんでした。数十年後、母の記憶とまるで食い違う、この不思議な話を、当時のまま…
雨宿りの軒先で出会った、傘も持たない上品な紳士。別れぎわ、彼はわたしに不可解な予言と、片方だけのイヤリング、そして奇妙な紙きれを託しました。Quale は物質に…
小学三年生の夏の夕方、いちばん仲のよかった親友のみおちゃんが言いました。今日の私はほんとうは四十歳なの、と。意味も分からず別れて四十年、自分が四十歳になった朝に…
最終電車で眠り込み、目を覚ますと、終点は、真っ白なドームの駅でした。読めない駅名、灰色の人々、橙色の空。家にも、電話が、つながりません。私が、その異空間から持ち…
築四十五年の学生アパートで金縛りに遭い、窓一面を埋め尽くす無数の顔と目が合った夜。幽霊の知識がない私がとっさにした「あるお願い」で、顔たちは揃って呆れ顔になり消…
占い師に「長くは生きられない」と告げられました。左手を握る、日本のものではない何か。動かないはずの左手でチェロを弾く夢と、肩にそっと置かれる手。予言の年月を越え…
不思議な話。底なし沼を埋めた土地に建つ団地、その裏手の古い防風林には、踏み込むと時間が狂い、人の姿が消える暗がりが点在していました。肝試しで消えた少年が見たもの…
高校の中庭で、世界がぴたりと止まった、あの十秒間。視覚以外の五感がすべて消えたその時を境に、親友との関係も、座席も、自分の記憶までもが、少しずつずれ始めました。…
中学時代、変わった口癖を持つ友達がいました。ある夏の日、私の部屋に、見知らぬ故人の古い自伝が、ひとりでに現れます。そこに記されていた故人の口癖は、なぜか、その友…
仕事帰りに電車で寝過ごし、降りた駅は「ゆやみ」という見知らぬ無人駅でした。鳥居、濁った目の老婆、山に灯る提灯、そして手を引く男の子。帰宅後にいくら調べても、その…