
これは、同業の先輩から聞いた話として書きはじめたい。
私は古書と古道具の出張買取を仕事にしている。
38歳、独立して6年目になる。
軽バンに緩衝材と台秤を積み、蔵や納戸を片づける依頼を受けて回る。
先輩というのは、同じ組合で三十年やっている人だ。
去年の10月、寄合の帰りに、その人が忠告を一つくれた。
神無の谷に呼ばれたら、座敷で人の名を呼ぶな、と。
理由は言わなかった。
代わりに、桐の名箱という言葉を使った。
あの谷には桐の名箱が祠の土台に納めてある、と先輩は言った。
それが在るうちは何も起きない、とも言った。
私は相槌を打ちながら、半分は聞き流していた。
古い土地には、必ずそういう言い方が残っている。
覗くな。
数えるな。
返事をするな。
買取の現場でそれを真面目に受け取っていたら、仕事にならない。
もっとも、私の仕事は名前を確かめることから始まる。
本を引き取るとき、見返しの右下に鉛筆で符牒を入れる。
祖父の代からの符牒だ。
日付、仕入れ先の頭文字、値の目安。
前の持ち主の名が分かる本には、その名の一字を添える。
蔵書印も署名も貸出票の裏書きもない本には『無記』と書く。
無記の本は、必ず別の箱にまとめる。
名の分からないものを、名のあるものと同じ箱に入れない。
祖父がそうしていたから、私もそうしている。
理屈は聞かなかった。
祖父は戦後にこの商いを始めた人で、符牒のこと以外はほとんど何も教えなかった。
帳面の付け方も、値の決め方も、私は父の手つきを見て覚えた。
覚えていないのは、無記の箱をどこへ流していたか、という一点だけだ。
依頼の電話が入ったのは、11月の頭だった。
県の北の端、神無町の丹生さんという家からだ。
電話に出たのは、90歳になる女性だった。
声は細かったが、言葉の順番がひとつも乱れない人だった。
「蔵の本を、全部引き取ってもらいたいんです」
「量はどのくらいでしょうか」
「目方は分かりません。棚が四つと、奥座敷に箱が積んであります」
「拝見してから、まとめてお値段を出す形になります」
「それで構いません。早いほうがいいんです」
「お急ぎの事情がおありですか」
「事情というほどのことでもありません」
「では、来週の水曜に伺います」
「助かります。お昼をまたぐと思いますから、お茶は用意しておきます」
早いほうがいい、という言い方が少し引っかかった。
蔵を片づける家の理由はだいたい決まっている。
相続、転居、施設への入居。
どれでもない声の張りだった。
私は日取りを決め、後輩の宮原を連れて行くことにした。
宮原は24歳で、買取に入って半年になる。
力があって、本の扱いが丁寧な男だ。
神無へ入る細い道
当日は、朝から薄い雲が出ていた。
高速を降りて一時間、最後の30分は谷に沿った一本道になる。
県境に近づくにつれ、対向車が減っていった。
谷の入口のスタンドで給油をして、店番の男に道を訊いた。
「丹生さんのお宅は、この先でいいですか」
「いちばん奥です。突き当たりまで行けば分かります」
男はノズルを戻しながら、そう答えた。
「古い家だと聞いていますが」
「古いですよ。あの家は、昔の帳場でしたから」
帳場、という言い方が耳に残った。
旅館でも商店でもない家を、そう呼ぶ土地があるのだろうか。
訊き返す前に、男は釣り銭を渡して事務所に入っていった。
谷に入ると、11月の日は驚くほど早く陰った。
川はほとんど水が無く、白い石が背骨のように並んでいた。
道の片側は杉、片側は石垣だ。
石垣の上に家が建ち、どの家も窓が小さい。
「電波、一本になりました」
宮原がスマホを持ち上げて言った。
私はナビを見ずに、看板の地名だけで走った。
神無、という字が白い板に黒で書かれている。
神が無い、と読める土地の名を、私はほかに知らない。
丹生さんの家は、谷のいちばん奥にあった。
門はなく、代わりに石を積んだ低い台がある。
台の上に、屋根だけの小さな祠が乗っていた。
祠の戸は開いており、中には何も入っていなかった。
「空っぽですね」
宮原が言い、私は返事をしなかった。
土台の石には、四角い窪みが残っていた。
縦横が二十センチほどで、底に乾いた土が溜まっている。
何かを抜いた跡だ、とだけ思った。
玄関の戸を引くと、乾いた墨と樟脳の匂いがした。
私の仕事では、いい匂いに分類される。
本が生きている家の匂いだ。
丹生さんは思ったよりも小さく、背筋だけがまっすぐだった。
「遠いところをすみませんね」
「いえ。お電話のとおり、本を見せていただきます」
「奥の座敷です。案内します」
廊下は板が冷えていた。
靴下を通して、冷たさが踵から膝へ上がってくる。
宮原が後ろで、台秤の把手を持ち替える音がした。
奥座敷の障子を開ける手前で、丹生さんが足を止めた。
「一つだけ、お願いがあります」
「はい」
「この部屋では、人の名を呼ばんようにしてください」
私は、先輩の顔を思い出した。
「何かあるんですか」
「何も無いですよ。ただの決まりです」
丹生さんはそう言い、それ以上は説明しなかった。
障子が開くと、思っていたよりも明るい部屋だった。
南に窓があり、庭の柿が一本見えた。
実は取られず、黒くなって枝に残っていた。
枝の下に、落ちた実が潰れずに丸のまま並んでいた。
拾う人がいない家の庭だ、とすぐに分かった。
縁側の雨戸は半分だけ開けられ、桟に埃の線が残っていた。
人が住んでいる家の、使われていない側だ。
棚が四つ、壁に沿って並んでいる。
床には桐箱が七つ、二列に積まれていた。
桐の名箱の蓋の裏
桐箱の一つを開けると、和綴じの本が几帳面に詰まっていた。
郷土史、河川の普請の記録、講の帳、手書きの写本。
高い値が付く類ではないが、資料としては悪くない。
私は一冊ずつ膝に載せ、綴じ糸と虫の入りを確かめた。
紙は思ったより乾いていて、めくる音が軽い。
写本の一冊に、川普請の割り当てを記した綴りがあった。
村ごとの人数と、出せなかった家の名が並んでいる。
その隣の欄に、私の知らない語があった。
名代、と書いてある。
人数の数字の代わりに、その二文字だけが書き込まれた行が幾つもあった。
郷土史の類ではよく見る、土地限りの言い方だろうと思った。
同じ綴りの後ろのほうに、名を書き入れる欄が幾つも空いていた。
書き損じではなく、初めから書かれていない欄だった。
私は付箋を貼って、あとで丹生さんに訊くつもりで脇へ置いた。
「蔵に、もう一つ箱がありませんでしたか」
私は何となく、そう尋ねていた。
「ありました」
丹生さんは即答した。
「祠の土台に、桐の名箱が納まっていたんです」
「名箱」
「名前を書いた紙を入れる箱です。この谷の古い物ですよ」
「今はどこに」
「三年前に、無くなりました」
部屋の温度が下がったように感じたが、窓は閉まっていた。
私は手を止めず、見返しを順に開いていった。
右下に鉛筆を当て、日付と頭文字を書いていく。
三十冊ほど進んだところで、指が止まった。
一冊の見返しの右下に、すでに符牒が入っていた。
日付は三年前の2月。
仕入れ先の頭文字は、ニ。
そして値の目安の下に、『無記』と書かれていた。
私の字だった。
跳ねの癖も、筆圧の抜き方も、私の字だった。
「この本、前に一度、うちで扱ったようです」
私は丹生さんにそう言った。
「そうですか」
丹生さんは驚かなかった。
「前にも来てくれたんでしょう」
「私は、こちらに伺うのは今日が初めてです」
「そうですか」
同じ言い方で、丹生さんは繰り返した。
宮原が縁側から顔を出し、私の手元を覗いた。
「その本、値札の跡がありますね」
見返しの隅に、糊が薄く残っている。
うちの店で、一度は棚に並べた本だ。
並べた本が、売れた先ではなく元の家に戻っている。
そんな回り方をする本は、無いとは言えない。
だが、三年前の符牒を自分が覚えていないのは、初めてだった。私は符牒を入れた本を、必ず日付順に綴りへ写す。
十年分の綴りは、店の机の脇に立ててある。
三年前の2月なら、その綴りの何ページ目かに必ず書いてある。
「帰ったら、控えを見ます」
私は自分に言うようにそう言い、次の箱の蓋を開けた。
はいと応えた台所
作業は昼を挟んで続いた。
宮原が箱を運び、私が値を付ける。
座敷は静かで、柿の葉が落ちる音まで聞こえた。
丹生さんは廊下の端に座り、こちらを見ずに庭を見ていた。
三時を回ったころ、宮原が縁側で手を滑らせた。
箱の角が敷居に当たり、乾いた音が鳴った。
「宮原、支えてから持て」
名を呼んだ、と気づいたのは、口に出したあとだった。
宮原は箱を抱え直し、私を見ていた。
半拍おいて、家の奥から声がした。
「はい」
若い男の声だった。
台所のほうからだ。
私は座敷を出て、廊下を進んだ。
台所には誰もいなかった。
流しの水滴が、等間隔で落ちていた。
勝手口の鍵は、内側から掛かっていた。
土間には長靴が一足だけ置かれ、乾いていた。
冷蔵庫の運転音のほかに、音は何もなかった。
宮原が廊下の角から顔を出し、小さな声で訊いた。
「誰かいましたか」
「いない」
「……そうですよね」
宮原は自分の腕をさすってから、座敷へ戻っていった。
戻ると、丹生さんが廊下に立っていた。
「お願いしましたよね」
声は責めていなかった。
ただ、確認する声だった。
「すみません。癖で」
「癖は、いちばん危ないです」
丹生さんは座敷に入り、桐箱の蓋を一つ閉めた。
それから、私にこう言った。
「あんた、三年前にも来たね」
「いえ」
「来ましたよ。別の名で」
私は、返す言葉を持たなかった。
「名刺は、お渡ししましたか」
「もらいました。まだ持っています」
丹生さんは仏間の引き出しから、一枚の名刺を出してきた。
店の名も、住所も、電話番号も、私のものだった。
名前の欄だけが、私の名ではなかった。
城戸、と書かれていた。
紙も、書体も、私が使っているものだった。
「この人が、箱を持っていったんですね」
「蔵の片づけに来た人が、持っていきました」
丹生さんは、そう言い直した。
その日は、引き取りを途中で切り上げた。
帰る前に、丹生さんが茶を出してくれた。
湯呑みは熱く、指先の感覚が少し戻ってきた。
「神無という字は、当て字ですよ」
丹生さんは唐突にそう言った。
「もとは、仮名の谷と言ったそうです」
「仮の名、ですか」
「よその家の名を借りて、役目を務める人のことです」
私は付箋を貼った綴りを思い出し、鞄から出して見せた。
「この、名代というのが、そうですか」
「そうです。よくお気づきになりましたね」
丹生さんは、私の手元を初めてまっすぐ見た。
仮名の谷という呼び名
明治のころ、この谷には仲立ちの家があったという。
川普請の人足、遠方の代参、届け物の名義。
自分の家から人を出せない家が、代わりの者を買った。
買われた者は、その家の名を借りて役目に立つ。
「名を借りている間、その人の名はどうなるんです」
「紙に書いて、箱に封じるんです」
「それが、名箱」
「そうです。仲立ちの家が預かりました」
役目が終われば、紙を返してもらえる。
名を戻してもらって、その人はまた元の名前になる。
「戻らなかった人もいたわけですね」
「11人です」
丹生さんは、数字だけをはっきり言った。
仲立ちの家が代替わりで潰れ、紙の何枚かが行方知れずになった。
紙を返してもらえないまま、その人たちは戻らなかった。
名が分からないから、法要の席で呼ぶことができない。
呼べない者は、呼ばれた名に応えるようになる。
「だから、この家では名を呼ばんのです」
「昔のことでしょう」
「昔のことです」
丹生さんは頷いて、それから首を振った。
「ただ、寺が空欄の紙を入れてくれました」
「空欄の」
「名が分からないから、白い紙を11枚。誰の名でも入る余白です」
その紙を桐の名箱に納め、祠の土台に埋めたという。
箱が在るうちは、応える先が箱の中にある。
白い紙が、代わりに呼ばれてくれる。
「お寺の名前は」
「それは、申し上げないことになっています」
丹生さんは湯呑みを置き、庭のほうへ目を移した。
「この家が帳場だったころの決まりですから」
「三年前に、その箱が無くなったんですね」
「はい」
「どこの業者が入ったんでしょうか」
「あんたのところです」
湯呑みの中で、茶の面が小さく震えていた。
私の手が震えていたのだと、少し遅れて分かった。
谷を出たのは17時前で、外はもう完全に暗かった。
帰りの車で、宮原はしばらく口を開かなかった。
「さっきの声、聞こえたか」
「はい」
「誰の声だと思った」
「自分の声でした」
それから彼は、窓のほうを向いた。
料金所の灯りが、フロントガラスに二度流れた。
宮原を駅で降ろすとき、彼は一度だけ振り返った。
「来週も、あの家に行くんですか」
「残りがあるからな」
「自分は、別の現場に回してもらえますか」
私は頷いた。
断る理由が、その場では思いつかなかった。
翌週から、小さな取り違えが続いた。
取引先の担当者が、電話で私を城戸さんと呼んだ。
訂正すると、相手はすぐに謝った。
次の電話でも、また城戸さんだった。
組合の名簿を見たら、私の欄が二行あった。
一行は私の名で、もう一行は空白だった。
事務局に問い合わせると、入力の重複だろうと言われた。
空白の行は、その日のうちに消えた。
消えたことを知らせるメールに、名簿の写しが添えられていた。
私の欄の下に、行の高さだけが一段分残っていた。
名刺入れを開くと、束の真ん中に一枚だけ薄い紙があった。
城戸と刷られた名刺だった。
発注した覚えはない。
印刷所に問い合わせると、三年前の伝票が出てきた。
注文者の欄には、私の店の名があった。
妻は最初、笑っていた。
「新しい屋号でも考えてるの」
「まさか」
「じゃあ、この封筒は何」
台所のテーブルに、宛名が城戸になった封筒が置かれていた。
中身は、うちに届くはずの取引明細だった。
封を切ったのは妻で、宛名を見て私に渡してきた。
「知らない人の郵便、開けちゃった」
「いや、それはうちの明細だ」
「でも、名前が違うでしょう」
妻はそれきり、その話をしなくなった。
その夜から、私は自分の名を声に出して確かめるようになった。
風呂場で、鏡に向かって名字と名前を続けて言う。
言い終わるまでに、いつも少し詰まる。
詰まるのは、二つ目の音だ。
三年前の目録
三年前の記録を調べたのは、12月の初めだった。
店の帳簿ではなく、私は目録の控えを見た。
買い取った本を一行ずつ書き出した、手書きの綴りだ。
パソコンに入れる前の、いちばん生の記録になる。
背に年を書いた綴りを、私は上から順に抜いていった。
指が紙の乾きを覚えている。
三年前の綴りだけ、綴じ紐が新しかった。
三年前の2月のページに、丹生の家の分があった。
和綴じの書名が並び、最後の一行に『無記 十一』と書かれていた。
紙十一枚、と読める。
本ではなかった。
引取者の欄に、私の名は無い。
代わりにそこには、城戸という名が、私の字で書かれていた。
その日、私は別の県にいたはずだ。
スマホの写真を遡ると、同じ日付の写真が残っていた。
県境の向こうの団地で、台所の食器棚を撮った写真だ。
撮影時刻は14時12分。
神無の谷までは、車で二時間かかる。
高速を使っても、一時間半は切れない。
目録の引取時刻は、14時30分と書かれていた。
私は、同じ時刻に二か所にいたことになる。
どちらかが、私ではない。
それでも目録の字は、私の字だった。
跳ねの癖も、筆圧の抜き方も、私のものだった。
私は、その綴りを閉じた。
閉じる前に、最後の行をもう一度読んだ。
『無記 十一』の下に、鉛筆で薄く、返却の予定日が書かれていた。
日付は、去年の11月だった。
私が丹生さんの家へ上がった、あの日だ。
桐の名箱がどこへ流れたのかは、今も分からない。
三年前の2月に東京へ送った荷の控えは、一枚だけ欠けていた。
私は同業の何人かに、桐の小箱の話を聞いて回った。
空欄の紙が入った箱を見た者は、一人もいなかった。
先輩にも訊いた。
「だから言ったろう」
先輩はそれだけ言って、話を変えた。
丹生さんには、あれから二度電話をしている。
本の残りを引き取る約束は、まだ果たせていない。
取引先は今も、半分ほどが私を城戸と呼ぶ。
訂正するのをやめたのは、春の前だ。
呼ばれたときに、私の返事が遅れなくなったからだ。
今朝も私は、仕入れた本の見返しの右下に鉛筆を当てた。
そこにはもう、符牒が入っていた。
日付は今日で、仕入れ先の頭文字も合っている。
ただ、値の目安の下に、一字が添えられていた。
名の分かる本にだけ添える、前の持ち主の名の一字だ。
その一字は、私の名の一字だった。