水場の柄杓は伏せてなかった
奥秩父の谷にある社では、水場の柄杓を伏せずに椀を上へ向けて置く決まりがある。渓流の解禁日、境内に張られたテントを片づけた私は、その晩、背を向けて立つ少年を見た。…
奥秩父の谷にある社では、水場の柄杓を伏せずに椀を上へ向けて置く決まりがある。渓流の解禁日、境内に張られたテントを片づけた私は、その晩、背を向けて立つ少年を見た。…
中学三年の冬、私は間違えた問題のページだけ、解答冊子の角の右上を爪で折る癖がありました。模範解答の誤りに赤ペンで斜線を入れて夕飯から戻ると、赤い線も折り目も消え…
一人暮らしを始めた部屋で、夜になると下からざわつき声が聞こえるようになりました。苦情に行った階下の住人は、同じ声が上から聞こえると言います。天井裏を調べる日の朝…
秋田・阿仁川の上流にある笛内という集落では、雪が降る前に、一軒につき一本だけ竹を立てるのだそうです。三十年前のテレビで、その場面だけ音が消えていた理由と、抜いた…
青森・黒石のこみせ通りに残る元呉服商の家で、たとう紙の棚と箱段のあいだから子どもがこちらを見ていました。隙は五ミリ。建具屋の帳面には代々「散り 五厘残し」と書か…
十代の頃、十万円の前金と引き換えに、山奥の廃墟でひと晩を明かしました。壁も天井も真っ黒に焦げているのに、地下の浴槽の内側だけが白いタイルのままです。縁には、指の…
夜道で細く開いた戸から手招きされ、お婆さんに差し出されたのは薄黄色の細い蝋燭でした。愛媛・内子の木蝋の町に残る、蝋燭を置いて次へ回すという作法。断ったはずの掌に…
夕方の有線放送で「どう、わかったかな」と問われ、五歳の私はつい返事をしてしまいました。鹿児島・大隅の茶の集落に伝わる、放送に返事をしてはいけないという決まり。そ…
昭和五十八年の冬、北海道日高の国道沿いのガソリンスタンドで、先輩は必ず後ろのガラスから窓を拭いていました。その理由を、私は二年間知りませんでした。カードが不正だ…
敦賀の中学の二年一組には、四月から机が一つ多く並んでいました。苗字のない同級生キミアキは、班にも体育祭のアンカーにもいたのに、記録用紙の欄だけが空いています。卒…
奈良の五條では、猫がいなくなった家は薪をひと山だけ崩さずに置いておくのだそうです。二十年前の夏に母の枕元へ座った猫と、集落の人たちが一月のあいだ黙って守っていた…
兵庫の旧鉱山の集落には、三つになるまでの子をみどりの水に近づけてはいけないという古い決まりがありました。三歳だった妹が縁側で静かに語り出した前世らしき記憶と、残…
アイルランド西部のコネマラ。祖母の家には、寝る前に暖炉脇の泥炭を一度すべて崩してから積み直すという古い決まりがありました。雨が三日続いた晩に階段へ立った人影の忠…
視力〇・〇六の私には、十五メートル先の人の顔なんて見えません。それなのに梅田の泉の広場では、赤い服のあの人だけが、写真のようにはっきり見えました。袖ごと腕をつか…
奄美大島で測量の仕事をする私は、山で一晩明かすことになり、祖父から伝わる作法どおり地面に円を描きました。翌朝、円の外側だけが乾いていた理由と、祖父の野帳に残る丸…
盆地の独身寮に転勤してきた同僚は、窓から煙突が見えると言って四週間ごとに部屋を替えていました。彼の郷里に残る煉瓦の煙突と、その根元に縦に彫られていた名前の列。二…
下関の坂の駄菓子屋の二階から、古い笑い袋が出てきました。中の機械には電池が一本も入っていないのに、階段の下から低い笑い声が聞こえてきたのです。必ず笑い返さねばな…
商店街の奥の椅子に座る年寄りは、通る人を見て食べ物の名を一言だけ呟きました。直前に食べたものを当てているのだと思っていた私は、呟かれた人の記録を追ううちに、この…
雨の晩、堤防の道で前を行く車は追い越すな、鳴らすな。祖母の言いつけを破った夜勤明けの朝、前の軽自動車のワイパーだけが一度も動いていませんでした。その意味を知った…
町でいちばん深い地下駅には、昔から避難場所になるという噂があった。乾いた風、下を向いた非常口、一拍長いエレベーター、地下五階の求人。延伸工事で配線を引いた父は、…