市役所で公共の時計を合わせて回っていた頃、広場の時計塔だけが二分進む時計だった。何度直しても翌月には必ず同じだけ先を指している。明治の頃まで町中に時を配っていた…
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昭和五十八年、市役所の宿直室で夜間の代表電話を受けていた私に、毎月十三日の同じ時刻だけ、同じ声が橋のたもとの街灯の不具合を告げました。番地を辿ると、そこは区画整…
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昭和五十七年、国鉄の保線区で私が受け持った十四キロには用地境界の柵があり、その外側だけ草が伸びなかった怖い話。刈る者はいない。境界杭の外に残る内向きの素足の跡と…
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平成六年の秋、山陰の港町で私は拓本を採っていた。堂の壁には墨を二百年重ねた黒い板があり、堂守は拓本だけはいかんと言う。その禁を破った夜の怖い話。紙に白く抜けて出…
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昭和三十四年、九州の炭鉱町で札場の番をしていた私が六十年黙っていた怖い話。坑内へ降りた者の数を木札で数える板壁に、番号のない釘が一本だけあった。数が合わない夜、…
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二百年続いた変化朝顔の選抜を代行した夏の怖い話。平成八年、遠州の旧家では毎年数百株を蒔き、一株だけを残して残りを畑の隅の捨て地に返していた。抜くときは一声かける…
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平成八年の秋、越後の谷にある十一戸の在で、私はどの家の薬箱の底にも同じ白い包みを見つけた。開けた者は八十年ひとりもいないという。分析のため一つ持ち帰ると、包みは…
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買い取った蔵書から抜いたはずの古書の紙片が、翌朝また同じ頁に挟まっている。鉛筆の数字は、私が抜いた回数と同じだけ減っていった。四分遅れの柱時計と、いないはずの人…
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神田の古書店に、同じ一冊が三度持ち込まれた。臙脂の布装、貼られた貸出票、十七の罫のうち十三の行だけが白い。借りた覚えのない本の、その行に自分の字があった日から、…
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平成十二年の冬、奥会津の在に預けられた十四歳の私は、雪が積もらない湯屋の跡へ連れて行かれた。傷を引き取る湯にまつわる怖い話。叔父が足を負い従兄弟と二人で残った晩…
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昭和四十六年の秋、出羽の山あいの在に電話線を引いた外線工手が体験した怖い話。谷の者は受話器を取ってから必ず三つ数えて答え、たがいを名で呼ばなかった。全戸開通の日…
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昭和二十六年の上州の山あいにあった製糸場で検番をしていた女性が語る怖い話。その日の糸は工場で切ってはならず、夕方に蛹塚まで運んで切り口を土に返す作法があった。機…
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能登半島の先端近くにある無人の入江で海底調査を行った潜水士が、深度計も時計も狂う海域で人の手による石段を発見する。石段を十段上った先に広がっていたのは、潮の止ま…
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埼玉北部の分譲地に建つ空き家の錠を、私は錠前技師として二日がかりで十一箇所すべて交換した。前の持ち主は施設へ移るとき、鍵を一本だけ持って行ったという。作業を終え…
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船頭から聞いた海の怖い話。紀伊半島の南、瀬渡し船でしか上がれない独立磯で、上がりを知らせる汽笛は二度鳴る。一度目で立つなと言われた午後、暦にない干潮が始まり、対…
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存在しないはずの京都の路地が、雨の日に一度だけ口を開ける。蔵書目録を編む仕事をしていた私が、平成三年の西陣で見つけた一冊の細見図。その見返しには、どの地図にも載…
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平成五年の台風のあと、損害調査員の女性が丹後の在で体験した不思議な話です。十九戸のはずの集落で、三人が三つの違う屋号で同じ一軒を指し、段丘の下の草には二十枚の軒…
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昭和四十二年、越中の常願寺川で堤を下げる工事があり、私は曳き家の職人として蓑輪という在の十一戸を建ったまま動かした。更地には畳の目が乾いたまま残り、曳いた先の家…
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六年前の秋、記録的な渇水でダム湖の水位が二十メートル下がり、沈んだ村の旧道と渡し場の三十七段の石段が湖底から現れました。渇いた年を彫り継ぐ石の標柱、欄干に固結び…
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昭和四十四年の日向の山あいで飯場の賄いをしていた私は、夜神楽の晩に番付のない三十四枚目の面が舞われるのを見た。田舎の怖い話として残る椎ノ迫の留の正体と、握り飯が…
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