曳いた家の跡に残る畳の目
昭和四十二年、越中の常願寺川で堤を下げる工事があり、私は曳き家の職人として蓑輪という在の十一戸を建ったまま動かした。更地には畳の目が乾いたまま残り、曳いた先の家…
昭和四十二年、越中の常願寺川で堤を下げる工事があり、私は曳き家の職人として蓑輪という在の十一戸を建ったまま動かした。更地には畳の目が乾いたまま残り、曳いた先の家…
六年前の秋、記録的な渇水でダム湖の水位が二十メートル下がり、沈んだ村の旧道と渡し場の三十七段の石段が湖底から現れました。渇いた年を彫り継ぐ石の標柱、欄干に固結び…
昭和三十九年の夏、東京の場末で映画看板を描いていた私に起きた怖い話。下絵に見覚えのない顔が混じり、白く塗り潰すたび、その顔の人が町から姿を消していく。旅一座の書…
昭和三十四年、中国山地の三国越えには、名を書いた板だけが掛かっていない停留所があった。乗合バスの運転手だった私と、峠と読み上げるたび一度つっかえる十七の車掌。雪…
昭和五十一年、城下町の電話局で度数計の数字を読み写す仕事に就いた。誰も加入していない空き番号の計器だけが、毎月七ずつ増えていく。更衣室のロッカーは一つ減り、記念…
昭和四十三年の夏の終わり、蜂を追って分水嶺を越えた養蜂家が迷い込んだのは、菜の花と藤と蕎麦が同時に咲く谷だった。異世界に行った話として書き残しておく。灰色の蜜は…
昭和七年の六月、上州の蚕の町で白い麻に名を一つ縫った和裁士の怖い話。雨も降らぬ夜に屋根裏で桑を食む音がして、朝ごとに針目が二寸進み、七十七段の石段が帰りは六十九…
駅の地下二階にある遺失物取扱所を舞台にした怖い話。どの駅からも届いていない番号札のない鼠色の包みに、彫られた名前が毎日入れ替わる真鍮の札が入っていた。規定どおり…
昭和三十三年の秋、巡回映写技師の私は干拓が完工したばかりの有明の集落で野外映写会を開いた。癖で客の頭を数えると、村の人数より三つ多い。潮入れをやめた土地で、幕の…
山あいの時計店では霧の朝の四時十九分、二十の柱時計の音がぴたりと揃った。恩師の手帳に残る耳澄ましの手順どおり音を数えた私は、墨流しの渦巻く異世界に迷い込み、恩師…
昭和四十四年の秋、信州の山村に保健婦として赴任した私は、柿の木に実が一つも残らぬことに気づいた。木守りを絶やした村に伝わる怖い話。水を落としたはずの棚田に人が立…
ダムに沈む谷の底、朽ちた坑道の奥に、赤茶けた巨大な鉄の輪が縦に据えられていた。霧のいちばん濃い晩、肝だめしにその輪をくぐった先で、私は名前も、顔も、生まれた国さ…
昭和の終わり、測量助手の私は山を案内する老人に従い、忘れられた墓を拾い歩いていた。だが帰りの風の無い窪地で、宙にぶら下がる人型のものと、土の下から湧く得体の知れ…
古道具の出張買取で訪れた、旧街道沿いの在郷町。蔵の奥から出てきたのは、赤い糸で厳重に巻かれた古い人形だった。糸がひとりでに解けた夜から、首の伸びる異形が、夜ごと…
昭和五十二年の夏、都会の勤めを辞めて行き場をなくした私は、半島の先の漁村・鵜ノ首の浦で大伯母フミの家にひと月を過ごした。窓のない網蔵に籠るもの、沖の離れ岩から還…
平成のはじめ、消えゆく山あいの集落で子守唄を集めていた学芸員が、霧降りの森の奥で出会った怖い話。還された子らの泣き声が霧のなかから人を招き、帰り道を惑わせる。土…
昭和の遠洋漁船で夜の見張りに立っていた俺は、凪の霧の晩、気づくと異世界の浜辺にいた。潮を力に栄えた並行世界の日本が黙した理由、意識から切り離されて勝手に動く身体…
三十年同じ机で書いてきた私の前に、夜ごと増える原稿が現れる。誰も書いていないはずの一枚は、私の筆跡で、まだ来ていない明日の出来事を綴っていた。かつてこの部屋で筆…
昭和の城下町で区画整理の測量をしていた私は、公図にだけ残る十三番目の区画に気づく。日が暮れる境の時刻に北のはずれの角を曲がると、表とそっくりの裏の町が広がってい…
異世界の駅で出会ったのは、もういないはずの親方だった。昭和の終わりの冬、雪深い山あいの無人駅で最終の汽車を逃した若き建築職人が、時刻表にない真夜中の一両汽車に乗…