番組表にない確認用録音

雪夜の川辺と灯る舟屋

去年の11月から、今年の2月までの話です。

深夜2時57分から3時ちょうどまでの三分間に、確認用録音だけが妙な音を拾うようになりました。

私は地方都市のコミュニティFM局で、技術の仕事をしています。

その前は音響設備の施工をしていました。

40を過ぎてから、この局に入りました。

職員は七人です。

昼はスタジオに人がいますが、夜はいません。

深夜の放送は、すべて自動で流れます。

それでも局舎には、毎晩かならず誰か一人が泊まります。

地震のときに自動運行を止めて、割り込みで喋る人間が要るからです。

その泊まりを、うちでは当直と呼んでいます。

局舎は川沿いの古い倉庫を改装した建物です。

外壁は黒く塗った下見板で、屋根の上に細いアンテナが一本立っています。

壁が厚いので、冬は床のほうから冷えます。

夜になると、川の音だけが残ります。

当直室は一階のいちばん奥にあります。

三畳ほどの部屋に、折りたたみの寝台と、机と、小さなスピーカーが一台。

放送はそのスピーカーから、ずっと小さく流れ続けています。

天井では送出用のパソコンのファンが、一定の調子で回っています。

その音に慣れると、あとは何も聞こえません。

当直に入るのは夜の9時です。

朝の8時に、昼の勤務の人と交代します。

当直の仕事は、ほとんどありません。

一晩に一度だけ、決まった作業があります。

前の晩の確認用録音を、頭から終わりまで確かめることです。

放送したものは全部録っておく決まりになっています。

それが確認用録音です。

苦情が来たときに、実際に何を流したのかを確かめるためのものです。

ふだんは誰も聞きません。

私も最初のうちは、早送りにして波形だけを眺めていました。

画面の中を、緑の山が横に流れていきます。

波形を見れば、音の途切れた場所はすぐに分かります。

去年の11月の当直で、その波形に妙な場所を見つけました。

2時57分から3時ちょうどまでの三分間は、番組表の上では何も入っていません。

番組と番組のあいだの、埋め草の時間です。

うちの局はそこに、局名のアナウンスと波の音を流しています。

30秒の音源を、六回繰り返すだけの単純なものです。

繰り返しですから、波形も同じ形が六つ並びます。

ところが、その晩の波形は繰り返しになっていませんでした。

山が六つ並ぶはずの場所に、細かい線がびっしり詰まっています。

拡大すると、その線は上下に細かく震えていました。

再生してみました。

波の音はしていました。

その下に、もうひとつ音が入っていました。

人の声のようでした。

低くて、早口で、言葉としては聞き取れません。

抑揚だけがあって、母音が潰れている。

三分のあいだずっと続いて、3時ちょうどでぷつりと切れました。

機材の不具合だと思いました。

送出のパソコンと、録音用のパソコンは別の系統です。

録音の側にだけノイズが乗ることは、理屈の上ではあり得ます。

朝になって、昼の勤務の堂前さんに聞いてみました。

堂前さんは私より十ほど年上で、この局の立ち上げからいる人です。

機材のことなら、この人に聞けば大抵は片がつきます。

「27分のとこな」

堂前さんはそう言いました。

私はまだ、時刻を言っていませんでした。

「57分です」

「ああ、57分か」

堂前さんは手元の書類から目を上げませんでした。

「昔からたまに入るんだよ。気にしなくていい」

それで話は終わりました。

私も、それで済ませるつもりでいました。

確認用録音の三分

次の当直は、四日後でした。

私はその晩、2時50分から当直室で待っていました。

放送は問題なく流れています。

2時57分、スピーカーからは局名のアナウンスと波の音が出ていました。

耳で聞いているかぎり、何も起きていません。

三分が過ぎ、3時の番組が始まりました。

念のため、送出の画面も見ていました。

椅子を引いて、机に肘をついて、画面をまっすぐ見ていました。

まばたきの回数まで覚えているくらい、何も起きない三分でした。

番組表の通りに、白い文字が一行ずつ送られていきます。

翌朝、確認用録音を開きました。

同じ場所に、同じ細かい線が入っていました。

放送では出ていない音が、録音にだけ入っている。

逆ならまだ分かります。

録音の失敗なら、音は減るはずです。

増えることはありません。

私はその録音を、当直室のスピーカーでもう一度かけました。

音量を上げると、声の速さがよく分かります。

一秒に四つか五つ、何かを言っている。

言葉の粒がそろっていて、息継ぎの場所が同じでした。

機械の雑音は、こういう並び方をしません。

その日、私は堂前さんに引き継ぎをしました。

引き継ぎは当直室の入口でやります。

私が部屋の中に立ち、堂前さんが廊下側に立つ。

堂前さんは私の顔ではなく、壁のほうを向いて「お疲れ」と言いました。

壁には当直の交代表が貼ってあります。

そちらを見ているのだろうと思っていました。

11月の当直は六回ありました。

そのうち四回、同じ三分に声が入っていました。

入る晩と入らない晩の区別はつきません。

天気でもなく、曜日でもありません。

私は自分の当直の晩の分だけ、控えを取ることにしました。

日付と、波形の形と、聞こえ方を書いておく。

紙に書くほうが、あとで並べやすいからです。

文具店で買った薄い方眼のノートを、当直用の鞄に入れました。

その控えを作っているときに、もうひとつ気づいたことがあります。

当直日誌のことです。

うちの当直日誌はいまだに紙で、複写式の綴りになっています。

当直日誌の一行目には、その晩の入館人数を書く欄があります。

当直は一人ですから、いつも1と書きます。

書いた覚えがあります。

ボールペンの先で、欄の左端に寄せて書く癖まで覚えています。

ところが、私の日誌はどれも2になっていました。

私の字でした。

数字の癖まで、私のものです。

一枚だけなら書き間違いです。

六枚ともとなると、そうは言えません。

それでも私は、そう言うことにしました。

翌朝、堂前さんに聞きました。

「日誌の人数の欄、私、2って書いてるみたいなんですけど」

「ああ」

「当直は一人ですよね」

「一人だよ」

「じゃあ1ですよね」

「そうだな」

堂前さんはそれ以上、何も言いませんでした。

書き直しておけ、とも言いませんでした。

綴りを閉じて、棚の元の位置に戻しただけです。

棚には同じ綴りが、十年分ほど並んでいました。

背に年度が貼ってあって、古いものほど表紙が反っています。

私は一冊だけ、前の年の分を抜いてみました。

人数の欄は、どの晩も1でした。

日誌の人数の欄

12月に入って、私はカードの記録を見てみました。

局舎の入口はICカードです。

分厚い引き戸の横に、読み取り機が箱ごと後付けされています。

カードを当てると、短い電子音が一度鳴って錠が外れます。

誰が何時に入って、何時に出たかが、すべて残ります。

事務のパソコンから、一か月ぶんを表にして出せます。

私の当直の晩を、順に見ていきました。

入館が二件、退館が一件。

どの晩も、そうでした。

入館の二件目は、私のカードの番号です。

一件目は、登録されていない番号でした。

番号だけがあって、名前の欄が空になっています。

時刻は毎回、私の一分前でした。

事務の中原さんに聞きました。

中原さんはその春に入ったばかりの、二十代の人です。

「この空欄の番号、誰のですか」

「辞めた人のカードが、たまに残るんですよ」

「消せますか」

「消せます。でも、使われているなら消さないほうがいいです」

「使われている、というのは」

「入館の記録があるということは、誰かが持っているということなので」

中原さんは画面を私のほうへ向けました。

表を上のほうまで遡ってみました。

その番号が出てくるのは、私が当直に入り始めた去年の10月からです。

それより前には、一度も出てきません。

私は印刷して、ノートに挟みました。

紙にすると、二件と一件の差が目に残ります。

入った人数と出た人数が合わない晩が、ひと月に六つ並んでいました。

年末の当直で、もうひとつありました。

私は2時57分に、当直室の時計を見ました。

確認用録音を開くつもりでした。

作業を終えて顔を上げたら、3時1分でした。

四分です。

私は時計の針が止まっていないか、耳を近づけて確かめました。

秒針は普通に動いていました。

ところが、パソコンの作業ログには、開始が3時ちょうどと残っていました。

三分が、どこにも残っていません。

腕時計と局の時計は合っていました。

私はその三分のあいだ、自分が何をしていたのか思い出せませんでした。

思い出せない、という言い方は正しくないかもしれません。

思い出そうとすると、波の音がするのです。

耳の奥で、30秒の音源が繰り返される。

それだけで、先へ進めなくなります。

何度か試して、やめました。

思い出そうとするのをやめると、喉の奥が乾いているのに気づきました。

その晩から、私は当直室のスピーカーの音量を絞るようになりました。

放送を切ったわけではありません。

つまみをいちばん下まで回しただけです。

それでも、壁の向こうで川が鳴っていました。

冬の川は水が減って、石に当たる音が高くなります。

夜通し、その音を聞いていました。

明け方、窓の外が白くなる頃には、川の音は聞こえなくなります。

私はそのころにようやく、少し眠るようになりました。

川沿いの繭倉の話

1月の半ばに、堂前さんと二人で機材の入れ替えをしました。

古い送出用のパソコンを下ろして、新しいものに替える作業です。

配線を一本ずつ札で確かめながら抜いていくので、半日かかりました。

床に膝をついて作業していると、倉庫の冷えが膝から上がってきます。

昼を食べながら、私はもう一度、三分の話をしました。

「高梨さん、去年もその話してたぞ」

堂前さんは箸を置かずに言いました。

「去年、ですか」

「去年の1月。同じこと言ってた」

私が当直に入り始めたのは、去年の10月です。

その前の1月には、当直室に入ったこともありません。

「入ってませんよ、去年の1月は」

「そうか」

堂前さんはそれだけ言って、話を変えました。

午後の作業のあいだ、私はずっとそのことを考えていました。

堂前さんは冗談を言う人ではありません。

勘違いだとしても、なぜ同じ時刻を覚えているのか。

57分という数字は、こちらから言わないかぎり出てこない数字です。

堂前さんは二度とも、私より先にその数字を口にしていました。

その週の休みに、私は市の図書館へ行きました。

局舎の建物について、何か残っていないかと思ったのです。

郷土資料の棚は二階の奥で、日の差さない側にあります。

背の高い書架の一段に、この一帯の産業をまとめた薄い本がありました。

局舎の建っている場所には、昔、繭の乾燥場が並んでいたと書いてあります。

火を落とすと繭が悪くなるので、夜通し火を見る役がいたそうです。

二人一組で入り、片方が眠るときは、もう片方が名前を呼んで起こす。

名前を呼ばれなかった者は、朝の数に入らない。

数に入らない、という言い方が引っかかりました。

居なかったことにする、とは書いていません。

書いてあったのは、それだけです。

写真も、年代も載っていません。

前後の頁は、生糸の出荷量の表でした。

その一行だけが、表の合間に注記のように挟まっていました。

私はその一行だけを手帳に写して、本を棚に戻しました。

帰り道、堤防の上を歩きました。

局舎の屋根とアンテナが、川向こうから見えます。

夜になると、あの建物の中に灯りはひとつしか点きません。

当直室の窓です。

その灯りを外から見たのは、そのときが初めてでした。

局に戻って、当直室の壁を見ました。

交代表は、一人ずつの名前が縦に並んでいます。

その紙は、私が入る前から貼ってありました。

名前の欄は、どの日も一人分です。

けれど日誌の人数は、いつも2でした。

私は交代表の裏も見てみました。

何も書かれていませんでした。

画鋲の穴だけが、紙の四隅に重なって開いていました。

何度も貼り替えられた紙だ、ということだけが分かりました。

穴の数は、数えると三十を超えていました。

半分の速さで流す

1月の終わりに、私は編集ソフトを使ってみました。

確認用録音の三分だけを切り出して、速さを落とすのです。

仕事で使う波形編集のソフトですから、難しい作業ではありません。

ヘッドホンをして、事務所の隅の机でやりました。

夜の事務所は暖房が切れていて、指先から冷えていきます。

半分にすると、声は低くなりました。

言葉としては、まだ分かりません。

ただ、切れ目が見えてきました。

同じくらいの長さの塊が、いくつも並んでいます。

その塊と塊のあいだに、決まった間がある。

四分の一まで落としました。

そこで初めて、それが名前だと分かりました。

名字を読んで、少し間を置いて、下の名前を読む。

そういう読み方でした。

点呼のときの読み方に近いと思いました。

呼ぶほうの声には、抑揚がありません。

返事を待つ間だけが、きちんと空けてあります。

三分のあいだに、七つありました。

私はノートに、聞こえた順に書き出しました。

聞き取れない字は丸を打って、あとから何度も聞き直しました。

七つのうち三つは、知っている名前でした。

一昨年に辞めた前の局長。

去年の春に他県へ移った営業の人。

夏から連絡がつかなくなった、番組の外部スタッフの女の人です。

残りの三つは、知らない名前でした。

最後の一つだけ、はっきり聞こえました。

堂前さんの名前でした。

私はヘッドホンを外して、しばらく画面を見ていました。

波形はただの細かい線に戻っていました。

それから控えを全部、机に並べました。

日付順に、十二枚あります。

私が書いた三か月分の日誌は、その欄がすべて2になっていました。

次の日、私は堂前さんを廊下で捕まえました。

「堂前さん、あの三分の声、名前を読んでます」

「そうか」

「堂前さんの名前も入ってます」

堂前さんは、少しのあいだ黙りました。

それから、こう言いました。

「呼ばれたら、返事はしないほうがいい」

「返事、ですか」

「うん」

「誰が呼んでるんですか」

堂前さんは答えませんでした。

廊下の窓から川が見えます。

冬の水は、色が薄くなります。

堂前さんはその川のほうを向いたまま、もう一度「うん」と言いました。

その日の午後、堂前さんはいつも通りに仕事をしていました。

機材の伝票を書いて、判を押して、棚に戻していました。

2月のはじめに、堂前さんは局を離れました。

系列の親会社に引き上げられた、という話でした。

送別の席はありませんでした。

挨拶も、私にはありませんでした。

机の上は、前の日のうちに片づいていたそうです。

引き出しの中まで何も残っていなかったと、中原さんが言っていました。

中原さんへの引き継ぎ

2月の半ばに、私は当直を外してもらいました。

理由は体調ということにしました。

嘘ではありません。

その頃には、局舎で夜を越すと、朝に喉が痛むようになっていました。

一晩じゅう喋っていたあとのような痛み方です。

水を飲んでも、昼まで残ります。

耳鼻科では、乾燥でしょうと言われました。

代わりに当直へ入ったのが、中原さんでした。

引き継ぎは、当直室の入口でやりました。

説明することは、ほとんどありません。

鍵の場所と、確認用録音の開き方と、割り込みのボタンの位置。

それだけ話して、私は部屋を出ました。

出るときに、気がつくと私も、壁のほうを向いて「お疲れ」と言っていました。

壁には当直の交代表が貼ってあります。

その紙には、私と中原さんの名前が並んでいました。

自分がなぜそちらを向いたのか、うまく説明できません。

廊下に出てから、一度だけ振り返りました。

当直室の入口は、廊下からは奥まって見えません。

中原さんは寝台に鞄を置いて、こちらに背を向けていました。

三日後の朝、中原さんから電話がありました。

「高梨さん、確認用録音、聞いてもらえませんか」

声が平らでした。

用件をそれ以上言わないので、私も聞きませんでした。

私は自転車で局へ行きました。

川沿いの道は、朝のうちは霜が残っています。

堤防の上から局舎を見ると、窓の灯りはもう消えていました。

中原さんは、私より先に来て、ずっと待っていたのだと思います。

当直室の小さなスピーカーで、中原さんが再生しました。

2時57分からの三分です。

波の音の下に、低い声が続いていました。

中原さんは速さを四分の一に落としました。

名前を読んでいました。

今度は一つだけです。

中原さんの名前でした。

中原さんは再生を止めませんでした。

三分が終わるまで、二人で黙って聞いていました。

音が切れてから、中原さんが私のほうを見ました。

顔色は変わっていませんでした。

声の主が誰か、もう分かっている人の顔でした。

「高梨さん」

「はい」

「これ、高梨さんの声ですよね」

その声は、私の声でした。

その晩、私は局にいませんでした。

鍵も持っていませんでした。

番組表の上では、その三分は今も何も入っていません。

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