無人島ビデオ

無人島ビデオ

大学の映像研究会には、開けてはいけない棚がある。

正確には、誰も開けないまま放置されている棚だ。

部室の奥、スチール 製のロッカーの上段。

そこに、ラベルのないミニDVテープが一本だけ入っている。

私がそれを知ったのは、三年になった春だった。

うちのサークルは、部員が二十人ほどいる。

年に二本、自主制作の短編を撮って、学園祭で流すだけの、ゆるい集まりだ。

機材は古いが、数だけはある。

棚には歴代の記録テープが何十本も並んでいて、ラベルには年度と場所が書いてある。

ラベルのないテープは、その一本だけだった。

だから余計に目についた。

※

きっかけは、夏の合宿の行き先を決める話し合いだった。

瀬戸内の無人島でロケハンをしよう、と誰かが言った。

その瞬間、四年の先輩の一人が、はっきりと顔色を変えた。

「島はやめとこう」

理由を聞いても答えない。

その場は結局、別の候補に流れた。

飲み会の帰り道で、私はその先輩に食い下がった。

先輩は歩きながら、前を向いたまま言った。

「去年、俺らの代が行ったんだよ。黒神島っていう島に」

「聞いたことないです」

「石切りの島。集落があったけど、四十年前に全員島を出てる」

「その合宿で、何かあったんですか」

先輩は答えなかった。

代わりに、こう言った。

「テープが部室にある。見るのは止めない」

「先輩は、見たんですか」

「一回だけな」

「なんで一回だけなんですか」

「二回目を見る気にならんかったから」

「そんなに怖いんですか」

先輩は、そこで初めて足を止めた。

「怖いというか、数え直したくなるんだよ」

「数え直す」

「見たらわかる」

そう言って、先輩は駅の改札に消えた。

その一回で、あの代の六人は全員サークルを辞めた。

私はあとからそのことを知った。

※

六月の、雨の降る平日の午後だった。

部室には私しかいなかった。

私はロッカーの上段からテープを取り出し、デッキに入れた。

ラベルの糊の跡だけが残っていて、何が書いてあったのかはわからない。

再生を押すと、最初に映ったのは渡船の甲板だった。

晴れている。

海面が白く光って、カメラが露出を合わせるのに手間取っている。

画面の中で、先輩たちが笑っていた。

私の知っている顔が四つと、知らない顔が二つ。

合わせて六人。

船室の中で、船頭らしい老人がカメラのほうを向いた。

日に焼けた、痩せた人だった。

「六人やな」

「はい、六人です」

「島に渡る前に、一つだけ言うとくで」

老人は、指を二本立てた。

「行きと帰りで、数が合わんと出さんよ」

船室が少し笑った。

誰かが冗談だと思って、置いていかれるってことですか、と聞いた。

老人は笑わなかった。

「そうやない。多いときの話をしとる」

船室が静かになった。

カメラを持っている先輩が、老人に聞いた。

「多いときって、あるんですか」

「昔は、あった」

「昔って」

「わしがまだ、石を運びよった頃や」

老人は、それきり口を閉じた。

先輩たちは顔を見合わせて、小さく笑った。

脅かされているのだと思ったのだろう。

私も、最初はそう思った。

そこで、画面が切り替わった。

※

次のカットは、島の砂浜だった。

まだ誰も上陸していない。

船の上から、これから降りる浜をカメラが舐めるように撮っている。

白い砂に、日差しが真上から落ちている。

誰の足跡もない、はずだった。

私は一度、再生を止めた。

巻き戻して、もう一度見た。

砂の上に、点々と足跡が続いていた。

波打ち際から、崖のほうへ向かって、一列に。

画面の中の先輩の一人が、それに気づいて言った。

「誰か先に来てんのかな」

「無人島やろ」

「まあ、釣り人ちゃう」

そこで会話は終わっている。

足跡は、その後のどのカットにも二度と映らない。

上陸してすぐの浜のカットにも、翌朝のカットにも、その足跡はない。

潮が満ちて消えたのだと考えれば、それで済む話だ。

ただ、一つだけ引っかかった。

足跡は、波打ち際から崖のほうへ向かっていた。

島に上がる向きだ。

島から降りてきて船に乗るなら、向きは逆になるはずだった。

※

島の映像は、しばらくのあいだ、ただの合宿記録だった。

船を降りて、荷物を担いで、草の伸びた道を上がっていく。

八月の光が強すぎて、画面はときどき白く飛んでいた。

蝉の声が、割れるほど大きく入っている。

先輩たちは、汗を拭きながら軽口を叩いていた。

「電波、一本も立たへん」

「そら無人島やもん」

「非常時どうすんの」

「船頭さんが明日来る」

今から思えば、この時点で誰も不安がっていないのが、いちばん不思議だった。

崩れた石垣。

井戸の跡に張られた、腐りかけの板。

屋根の落ちた家。

石切り場の跡に残った、四角く抉れた岩肌。

先輩たちは楽しそうだった。

私は、この時点までは、正直に言えば退屈していた。

石切り場の跡だけは、少し面白かった。

山の斜面が、階段状に四角く削り取られている。

切り出した跡が、そのまま巨大な階段になっていて、人の背丈の何倍もあった。

先輩の一人が、その段の上を歩きながらカメラに向かって話していた。

「ここ、昭和三十年代まで採ってたらしいで」

「何人くらい住んでたんですか」

「最盛期で百人ちょっとやって」

その数字を、私はあとで調べ直すことになる。

百人ちょっと、という言い方が、あとで妙に引っかかった。

ちょうど百人、ではない。

島の人たちは、自分たちの数を、はっきりとは言わなかったのかもしれない。

異変に気づいたのは、音のほうだった。

集落跡の細い道を、カメラが後ろから追いかけていくカットがある。

前を歩いているのは五人。

撮っている者を入れて六人。

砂利を踏む音が、規則正しく重なっている。

最初は気のせいだと思った。

足音というのは、砂利の上では特に重なりやすい。

けれど、その道は一列でしか歩けない幅だ。

両側を石垣に挟まれていて、横に並ぶ余地がない。

だから、足音の主は数えられる。

私はヘッドホンの音量を上げた。

そして、指で数えた。

足音は、七つ分あった。

※

私は何度も巻き戻した。

反響ではないかと考えた。

石垣に囲まれた道だから、音が跳ね返っているのかもしれない。

けれど、七つ目の足音だけ、歩幅が違っていた。

他の六人より、わずかに遅い。

そして一定だ。

立ち止まっても、それだけが二歩ぶん先まで続いてから止まる。

その二歩を、私は十回以上聞き返した。

途中で、ヘッドホンを外してみた。

スピーカーから出す音でも、やはり七つ聞こえた。

次に、右チャンネルだけを切った。

七つ目だけが、消えなかった。

中央に定位している。

つまり、カメラのすぐ後ろだ。

聞き返すたびに、部室の空気が冷たくなっていく気がした。

※

夜のカットに変わった。

石切り場の平らな場所に、テントを二つ張っている。

焚き火があって、缶ビールがあって、先輩たちが笑っている。

そこで一人が、ふと言った。

「なあ、さっきから思っとったんやけど」

「なに」

「飯、七つ作ってへんかった」

「作ってへんよ。六つや」

「そうか」

「なんで」

「いや、なんとなく」

その会話は、笑い声にかき消されて終わる。

けれど私は、その直前のカットを覚えていた。

飯盒の脇に、紙皿が並べて置いてある。

数えると、七枚あった。

枚数の写り込みは、ほんの二秒ほどだ。

コマ送りにして、私は三度確かめた。

七枚目は、他より少し離れた場所に置かれていた。

誰かが配ったというより、誰かが自分で取って置いたような位置だった。

※

私はテープを一度止めて、大学の図書館へ行った。

郷土資料の棚に、県内の島嶼をまとめた古い本があった。

黒神島の項目は、半ページしかない。

石材の産地として明治から採掘が続き、昭和三十九年に採石が終わったこと。

翌年、最後の十七世帯が本土へ移り、無人になったこと。

それだけだった。

その下に、小さな注が付いていた。

島の石は、切り出した数を必ず二度数えてから船に積んだ、とある。

一度目は山で、二度目は桟橋で。

数が合わない日は、その日の積み出しを取りやめた。

理由は書かれていない。

ただ、島の言い伝えとして、こんな一文が引いてあった。

島から余分に出してはならぬ。

私はその行を、指でなぞった。

石の話だと思って読んだ。

けれど、注の続きにこうあった。

数えるのは石だけではなく、人も同様であったという。

※

司書の人に頼んで、もう一冊出してもらった。

その島の分校の記念誌だった。

閉校のときに作られたもので、写真が多い。

運動会の写真。

石切り場で働く人たちの、昼休みの写真。

集合写真が何枚もあった。

そのうちの一枚に、私は目を留めた。

下に、人数と名前が書いてある。

十四名、と記されていた。

私は写真を数えた。

十五人いた。

名前は十四しか並んでいない。

並びの端の一人だけ、名前がなかった。

私はページを閉じて、しばらく机を見ていた。

誰かが数え間違えただけだ。

六十年前の記念誌の、ただの誤植だ。

そう思おうとした。

思おうとしたが、私はもう一度ページを開いて、数え直していた。

先輩の言っていた意味が、そのときやっとわかった。

※

翌朝のカットで、カメラのタイムコードが画面の隅に出た。

先輩の誰かが、設定を間違えて表示させたのだろう。

私はそれをメモした。

そして、最初のカットのタイムコードと引き算をした。

合宿は一泊二日だ。

船が出たのが朝の九時、帰りの便は翌日の正午。

二十七時間ほどのはずだった。

けれど記録されていた時間は、五十二時間を超えていた。

撮影の合間に電源を切るのだから、テープの長さと実時間が一致しないのは当たり前だ。

そう思おうとした。

思おうとしたが、タイムコードは撮っていない時間も進み続ける。

あの島で、二日ぶん余分な時間が流れていた。

私はもう一度、映像の中の日付を確認した。

先輩たちの服は、二日目も同じものだった。

髭も伸びていない。

本人たちにとっては、確かに一泊二日だったのだ。

余分な二日を経験したのは、あの人たちではない。

記録のほうだけが、余計に進んでいた。

※

最後の場面は、帰りの船着き場だった。

先輩たちが荷物を担いで、桟橋に並んでいる。

船頭の老人が、船縁に立って、一人ずつ指を差しながら数えていた。

一、二、三、四、五、六。

老人はもう一度、最初から数え直した。

一、二、三、四、五、六。

そして、こう言った。

「合うとる」

誰かが、当たり前でしょう、と笑った。

老人は笑わなかった。

先輩たちが、順に船に乗り込んでいく。

最後の一人が乗ったところで、老人はもう一度だけ桟橋を見た。

誰もいない桟橋を、たっぷり五秒。

それから、目を逸らすように舵のほうへ戻った。

「乗り」

その一言で、映像は終わっている。

※

私は再生を止めて、しばらく動けなかった。

合っている。

行きも六人、帰りも六人。

船頭の言った条件は満たされている。

だから船は出た。

それなら、あの七つ目の足音は何だったのか。

紙皿の七枚目は。

浜の足跡は。

記念誌の十五人目のことが、頭から離れなかった。

名前のない一人。

数えられなかった一人。

島の人たちは、それを知っていて、だから二度数えたのだ。

一度目は山で、二度目は桟橋で。

山で数えるのは、島にいる数を知るため。

桟橋で数えるのは、島から出ていく数を知るため。

二つの数字が合わない日は、船を出さない。

私は、答えに近づきたくなくて、けれど手が勝手にテープを巻き戻していた。

いちばん最初のカットまで。

渡船の甲板だ。

先輩たちが笑っている。

四つの知っている顔と、二つの知らない顔。

私は一時停止して、画面に顔を近づけた。

船室のガラスに、外の景色と一緒に、船内が映り込んでいる。

数えた。

一、二、三、四、五、六。

そして、いちばん右。

そこに、後頭部が七つ並んでいた。

髪の色も、肩の位置も、他の六人と何も変わらない。

変わらないから、誰も気づかなかったのだ。

船に乗る前から、もう七人だった。

※

数が合っていたのは、当たり前だった。

七人目は、行きの船から乗っていて、帰りの船にも乗っている。

老人が数えていたのは、島から余分に連れ出していないかどうかだ。

連れ出してはいない。

最初から一緒に来ていたのだから。

あの人が確かめていたのは、島の側の数ではなかった。

本土の側の数だ。

私はそこまで考えて、椅子から立ち上がった。

テープを取り出して、元の棚に戻した。

ラベルを貼る気にはならなかった。

名前を書くというのは、数に入れるということだ。

あの記念誌の写真で、名前を書かれなかった一人のことを思い出した。

書かなかったのか、書けなかったのか。

どちらにしても、島の人たちはそれを選んだのだと思う。

※

部室を出るとき、廊下は静かだった。

雨はまだ降っていた。

階段を下りながら、私は自分の足音を聞いていた。

コンクリートの踊り場で、一度だけ立ち止まった。

足音が、二歩ぶん先まで続いてから止まった。

私は振り返らなかった。

振り返って数えてしまえば、そこに数が生まれる。

そんな気がしたからだ。

そのまま階段を下りて、傘も差さずに雨の中へ出た。

その夜、私は部室の鍵を返しに行った職員室で、警備の人に聞かれた。

「今日、部室に何人おられました」

「一人です」

「そうですか」

警備の人は、手元の記録を見ていた。

「いや、モニターに二人写っとったように見えたもんで」

私は何も答えられなかった。

「まあ、影でしょうな」

そう言って、その人は記録に判を押した。

家に帰って、私は自分の撮ったロケハンの候補地リストを開いた。

瀬戸内の島は、全部消した。

それでも、夏の合宿は結局、別の場所で無事に済んだ。

何も起きなかった。

ただ、記録係だった後輩が、編集の途中で一度だけ私に聞いてきた。

「先輩、今回って何人で行きましたっけ」

「九人」

「ですよね」

後輩は、それ以上は何も言わなかった。

私も、何も聞かなかった。

私はそれから、あの棚を二度と開けていない。

ただ、去年の合宿の集合写真だけは、卒業アルバムの係に頼んで確認した。

先輩たちが、崩れた石垣の前に並んで撮った一枚だ。

アルバムの係は、ページを開いて私に見せてくれた。

付箋がついていて、下に人数が印刷されていた。

写っていたのは、六人だった。

数は合っている。

合っているのに、いちばん端の一人だけ、影が二つ伸びていた。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。