
吉野川の南の集落
両親が経験した話を、私の覚えている範囲で書いておきます。
もう二十年以上前のことになります。
実家は奈良の五條で、吉野川から少し南へ上がった斜面にあります。
まわりは柿畑ばかりです。
秋になると、家の裏の斜面が一面、朱色になります。
家は古く、風呂は薪で沸かしていました。
裏に物置があって、その脇に薪と、柿の枝を切ったものを積んでいました。
父が春に一度、積み直します。
子どもの背より高い山になります。
私はその山に登って、よく父に叱られました。
※
ミケという名前ではなかった猫
うちには猫がいました。
名前は、ただ「ねこ」でした。
母が名前をつけなかったのです。
祖母が「名前つけたら、よそへ行かんようになる」と言ったからだそうです。
意味はよくわかりませんでした。
茶色と白の、耳の先が少し欠けた猫でした。
私が生まれる前から家にいて、たぶん十四、五になっていたはずです。
柿の収穫の時期になると、家じゅうが忙しくなります。
父も母も、朝から斜面に出ています。
猫は、決まった木の下で待っていました。
いちばん下の段の、実のつきの悪い古い木です。
そこに座って、母が下りてくるのを見ています。
母が通ると、少し前を歩いて、また止まる。
そういう歩き方をする猫でした。
抱かれるのは嫌がりました。
膝にも乗りません。
ただ、必ず同じ距離を空けて、そばにいました。
母はそれを「ええ距離やわ」と言っていました。
昼はほとんど縁側にいます。
夕方になると、柿畑のほうへ出ていきます。
そして夜のうちに戻ってきます。
それが何年も変わりませんでした。
※
祖父母の家に泊まった夜
その年の夏休み、私と弟は祖父母の家に泊まりに行きました。
祖父母の家は御所のほうで、車で四十分ほどかかります。
三泊の予定でした。
出かける朝、猫は縁側にいました。
私は頭を撫でて、車に乗りました。
それが最後になります。
その日の夕方、猫は柿畑のほうへ出ていったきり、戻ってこなかったそうです。
母は最初、気にしていませんでした。
二晩戻らないこともある猫でした。
父も同じです。
そのうち帰ってくるだろうと言って、二人とも寝てしまいました。
※
薪の山が一度だけ鳴る
これはあとで母から聞いたことです。
あの夏、裏の薪の山は、毎晩一度だけ鳴っていたそうです。
からん、と乾いた木の音がする。
一晩に一度だけです。
父は気づいていませんでした。
母だけが、寝床で数えていたそうです。
音がしたら、猫が乗ったのだと思う。
それで安心して眠る。
そういう夏でした。
私たちが祖父母の家にいた三日のあいだも、音はしていたと母は言います。
※
枕元に座っていた
二日目の深夜、母は目を覚ましました。
気配がした、と言っています。
暗い部屋の中を見ると、枕元に猫が座っていました。
ちょこんと、前足を揃えて座っていたそうです。
母は驚きませんでした。
帰ってきたのだと思ったからです。
そして声をかけました。
「一緒に寝るかい?」
猫は一声だけ返しました。
「ニャ~」
それだけです。
そのあと、猫は立ち上がって、部屋を出ていきました。
母はもう一度声をかけようとして、やめたそうです。
母が声をかけたのは、一度きりでした。
なぜやめたのかは、そのときは説明できなかったと言います。
※
座っていたのは、誰の枕元か
あとになって、母は妙なことに気づきました。
猫が座っていたのは、母の枕元ではなかったのです。
その部屋には布団が四つ敷いてあります。
私と弟がいないので、二つは畳んだままでした。
猫は、畳んである布団のほうに座っていた。
いつも私が寝ている場所です。
母から見れば、確かに枕元に見える位置でした。
ただ、猫が向いていたのは、母ではありませんでした。
誰もいない布団のほうを向いて、座っていたそうです。
※
祖父母の家で目が覚めた
同じ夜、私も一度だけ目を覚ましています。
これははっきり覚えています。
祖父母の家の廊下は、板張りで、歩くと必ず鳴ります。
その廊下を、何かが歩く音がしました。
人の足音ではありませんでした。
四本の足で、ゆっくり歩く音でした。
私は布団の中で、それを聞いていました。
音は、私の寝ている部屋の前で止まりました。
それきり、何も起きませんでした。
朝、祖父に廊下の音の話をしました。
祖父は何も言いませんでした。
ただ、その朝だけ、玄関の三和土に湯呑みが一つ置いてありました。
水が入っていました。
祖父はそれについても、何も言いませんでした。
※
弟は何も聞いていない
祖父母の家の廊下の音について、弟に訊いたことがあります。
弟は同じ部屋で寝ていました。
まったく覚えていないと言われました。
そのかわり、弟は別のことを覚えていました。
翌朝、祖母が卵を三つ焼いたのだそうです。
その家には、祖父、祖母、私、弟の四人がいました。
四人なのに、三つ。
弟はそれが不満で、よく覚えていると言いました。
祖母は「今日は三つでええんや」と言ったそうです。
私はその朝のことを覚えていません。
聞いた者と、食べた者で、覚えていることが違います。
※
柱の低いところに新しい跡
三日目の夕方に、私たちは家へ帰りました。
猫はいませんでした。
母は、その晩に来たのだと私たちに話しました。
父は笑って、夢だろうと言いました。
ところが翌朝、母が茶の間の柱を指さしました。
柱の低いところに、爪を研いだ新しい跡がありました。
木の粉が、下に落ちています。
母は、私たちが出かける前の日にそこを拭いています。
拭いたときには、粉はなかったそうです。
父はそれ以上、夢だとは言いませんでした。
※
薪をひと山崩さない
それから母は、隣のヨシ江さんに相談しました。
集落でいちばん年配の方です。
話を聞いたヨシ江さんは、こう言ったそうです。
「ほな、薪は崩したらあかんで」
五條では、猫がおらんようになった家は、薪をひと山、崩さずに置いておくのやそうです。
母は理由を訊きました。
ヨシ江さんは、湯呑みを置いて答えました。
「崩さんのは、探さんという約束やからです」
探しに出れば、その猫は家の外のものになる。
崩さずに置いておけば、まだ家の内にいることになる。
それだけの決まりだそうです。
ほかにも言われました。
知らせに来た猫には、名前を呼んだらあかん。
返事は一つだけ返す。
二つ返すと、こちらが数に入る。
母は、名前をつけていませんでした。
そして、声をかけたのは一度だけでした。
「あんた、よう知ってはるわ」
ヨシ江さんはそう言って笑ったそうです。
母は知りませんでした。
やめておこう、と思っただけです。
※
ヨシ江さんに残りを訊いた
ヨシ江さんは、いま御所の施設におられます。
九十を越えて、耳は遠くなりましたが、話は通じます。
去年、私は会いに行きました。
薪の決まりのことを、もう少し訊きたかったのです。
ヨシ江さんは、しばらく考えてから言いました。
「あれはな、猫の決まりやない」
私は聞き返しました。
「家の決まりや。おらんようになったもんを、家がどう扱うかの決まり」
猫にかぎった話ではないのだそうです。
人がいなくなった家でも、同じことをした時期があると言われました。
薪をひと山、崩さずに置く。
探しに出ない。
名前を呼ばない。
「探したら、外のもんになってしまうさかい」
ヨシ江さんは、それ以上のことは言いませんでした。
訊いてもよかったのだと思います。
ただ、私は訊きませんでした。
訊けば、こちらが数に入る気がしたからです。
※
父が毎年ひとつ空けていた
その夏、うちは薪を崩しませんでした。
風呂は父が新しく買ったガスの釜で沸かしました。
そのために、父はわざわざ知り合いの水道屋を呼んでいます。
私は当時、ずいぶん無駄なことをすると思っていました。
夏の終わりに、母が薪の山を見に行きました。
山のいちばん下、物置の壁に近いところに、ぽっかりと空いた場所があります。
そこに、猫が静かに丸くなっていました。
眠っているように見えたと、母は言いました。
私はそのとき、その空洞は猫が自分で掘ったのだと思っていました。
違いました。
父に訊いたのは、私が大人になってからです。
父は、薪を積むとき、毎年ひとつだけ穴を空けているのだそうです。
下から二段目の、壁に近いところに。
祖父もそうしていたと言いました。
その空洞のことを、もう少し書いておきます。
父が空ける穴には、決まった大きさがあります。
薪を二本、抜いた分だけです。
それ以上は空けません。
崩れるからだと父は言いますが、たぶん違います。
二本ぶんは、猫が一匹入る大きさです。
三本ぶん空けたら、何が入るのかはわかりません。
父は毎年、二本と決めています。
私の物置の支柱も、数えたら二本ぶんでした。
「なんで」と訊いても、父は答えませんでした。
「そういうもんや」とだけ言いました。
※
父はガスの釜を先に買っていた
あとで気づいたことがあります。
父がガスの釜を入れたのは、猫がいなくなった翌日でした。
ヨシ江さんに相談したのは、そのさらに二日あとです。
つまり父は、誰にも言われる前に薪を使わないと決めていたことになります。
私は大人になってから、そのことを父に訊きました。
父は少し黙って、こう言いました。
「あの音が、あの晩から鳴らんかったからな」
父は気づいていないと母は思っていました。
気づいていたのです。
毎晩一度だけ鳴っていた音を、父も数えていました。
母は音がしたら安心して眠り、父は音がしないことに気づいて釜を買った。
同じ音を、二人が別々に数えていたわけです。
そのことを、二人は二十年、互いに話していませんでした。
※
一月のあいだの裏の音
猫がいなくなってから見つかるまでの一月、母は毎晩、耳を澄ませていたそうです。
音は、あの晩を最後に鳴りませんでした。
それでも母は数えるのをやめませんでした。
鳴らない夜を数えていたことになります。
二十七まで数えて、そこでやめたと言っています。
二十八日目の朝に、母は薪の山を見に行きました。
見に行った理由を、母は説明できません。
「もうええ気がした」とだけ言います。
ヨシ江さんに、あとでその話をしたそうです。
ヨシ江さんは「ええ日に行ったな」と言ったきりでした。
何がよい日なのかは、教えてもらえませんでした。
母はそれ以来、その数を口にしません。
私が二十七という数を知ったのも、去年のことです。
母が急に、台所で話しはじめたのです。
理由を訊くと、私が物置に支柱を積んだ話をしたからだと言われました。
※
集落の人は、みんな知っていた
もう一つ、あとからわかったことがあります。
猫が見つかったのは夏の終わりです。
いなくなってから、一月近く経っていました。
その一月のあいだ、うちの誰も薪の山を見ていません。
見てはいけないと言われたからです。
ところが、隣のヨシ江さんは知っていました。
ずっとそこにいたことを、知っていたのです。
「毎日、声かけとったよ」
そう言われて、母は言葉が出なかったそうです。
ヨシ江さんだけではありません。
向かいの家も、下の家も、みんな知っていました。
誰一人、うちには言いませんでした。
それが決まりだからです。
探さないという約束は、家の外の人が守る約束でもあったのです。
集落じゅうが、うちのかわりに、一月のあいだ番をしていた。
※
名前をつけなかった理由
祖母の言葉のことも、書いておきます。
名前をつけたら、よそへ行かんようになる。
子どもの頃、私はこれを、家に居着くという意味だと思っていました。
ヨシ江さんの話を聞いてから、逆だと気づきました。
名前があると、呼ばれたときに返してしまうのです。
返す相手は、家の者とはかぎりません。
名前がなければ、返す必要がない。
だからうちの猫は、十四年、名前がありませんでした。
祖母は、そこまで説明しませんでした。
五條では、たいていのことが説明されません。
説明すると、聞いた側が数に入るからだと、私は思っています。
※
湯呑みの水
祖父の家の三和土にあった湯呑みのことも、のちに祖母から聞きました。
あれは、祖父が置いたそうです。
知らせに回っているものが通ったときは、水を一杯だけ出す。
飲むためではありません。
「うちは知っとる」という合図なのだそうです。
知っていると伝われば、その家には二度、来ない。
祖父は、私が廊下の音の話をする前から置いていました。
つまり、祖父も同じ夜に聞いていたことになります。
祖父は、それを最後まで私に言いませんでした。
言えば、私が数に入るからだと思います。
※
今も語り草になっています
猫のことは、今でも家の語り草です。
最後に別れを言いに来たのだと、母は言います。
私もそう思っています。
ただ、あの晩、猫が向いていたのが誰もいない布団だったことだけは、少し引っかかっています。
母に知らせに来たのなら、母のほうを向くはずです。
向いていたのは、私と弟の場所でした。
そこにいない者に、先に知らせていたことになります。
似たような話は、ほかにもあるようです。
飼い猫の話を読んだときも、同じ引っかかり方をしました。
三つ数えてから答える集落のように、返す数が決まっている土地は、ほかにもあるのだと思います。
※
私の物置にも
私は今、大阪の郊外に住んでいます。
庭のない家ですが、小さな物置があります。
去年、園芸用の支柱を束ねて、その物置に積みました。
積み終わってから、気がつきました。
下から二段目の、壁に近いところを、一つ空けていました。
教わってはいません。
父は「そういうもんや」としか言いませんでした。
それでも、手が勝手にそう積んでいました。
私は今でも、耳の先が少し欠けた猫を見ると足を止めます。
大阪の路地にも、そういう猫がいます。
近づきはしません。
声もかけません。
一度かけたら、返ってくるかもしれないからです。
返ってきたら、二つ目を言わずにいられる自信がありません。
うちに猫はいません。
それでも、空けたままにしてあります。
崩す気には、どうしてもなれないのです。