
兵庫の北のほう、生野から谷をひとつ入ったところに、母の生まれた集落があります。
戸数は、いちばん多かった頃で二十軒ほどだったそうです。
昔は鉱山で持っていた土地でした。
いまは、六軒しか残っていません。
私が小学生だった頃は、夏休みのたびに、そこへ預けられていました。
緑の水
集落の裏手に、細い流れがあります。
その途中に、水が溜まっているところがありました。
大人の背丈より少し広いくらいの、浅い窪みです。
その水が、緑色をしていました。
絵の具のような、濁った緑です。
底に石が沈んでいるのが、うっすら見えました。
祖母は、そこを「みどりの水」と呼んでいました。
※
祖母の決まりは、はっきりしていました。
覗いてもよい。
手を入れてもよい。
ただし、名前を呼んではいけない。
「誰の名前を」
「誰のでも」
「自分のは」
「いちばんいかん」
私は、意味がわからないまま、それを守っていました。
子どもというのは、理由のない決まりのほうを、案外きちんと守るものです。
三つになるまでの子
もうひとつ、決まりがありました。
三つになるまでの子は、みどりの水に近づけない。
これは、集落のどの家でも同じでした。
三つを過ぎれば、行ってもよい。
なぜ三つなのかは、誰も説明しませんでした。
「昔からや」
祖母は、いつもそう言って終わりにしました。
※
妹が三つになった年の夏のことです。
私は十五で、高校一年でした。
その年、妹は初めて集落へ連れて行かれました。
母は、三つを過ぎたから大丈夫だと言っていました。
祖母は、何も言いませんでした。
ただ、妹が着いた日の夕方に、土間の履物をぜんぶ並べ直していました。
並べ直したあと、外を向いた一足の位置を、少しだけ動かしました。
それまでは、戸のすぐそばに置いてありました。
その日から、いちばん奥の隅に移されていました。
私は、なぜ動かしたのか聞きませんでした。
聞かないほうがよさそうな空気が、台所のあたりに残っていたからです。
土間の履物
その家の土間には、いつも履物が並んでいました。
長靴、地下足袋、サンダル、下駄。
ほとんどは、鼻緒や爪先を、家の奥のほうへ向けて置いてあります。
土間の履物は、いつも一足だけ、鼻緒を外へ向けて置いてありました。
古い、小さな下駄でした。
子どもの足に合う大きさです。
誰のものかと聞いたことがあります。
「あれは、ええんや」
祖母は、それだけ言いました。
※
集落のよその家にも、行ったことがあります。
どの家の土間にも、外を向いた履物が一足ありました。
大きさは、家によって違いました。
草履のところもあれば、ゴム長のところもありました。
私はそれを、この土地の作法のようなものだと思っていました。
そういう習わしが残っている集落は、珍しくありません。
※
ひとつだけ、腑に落ちないことがありました。
その一足だけ、毎朝、泥がついているのです。
雨の降っていない日でもです。
祖母は、それを拭きませんでした。
ほかの履物は、丁寧に土を落として並べる人でした。
「これは、拭かんでええん」
「拭いたら、また汚れるだけや」
「ほかのは拭いとるやん」
「ほかのは、うちのやからな」
その返し方に、私は黙りました。
拭かないのではなく、拭いてはいけないのだと、そのとき初めて思いました。
妹が言い出した晩
着いて三日目の晩でした。
夕食のあと、妹が縁側で足をぶらぶらさせていました。
外は、もう暗くなっていました。
虫の声が、切れ目なく続いていました。
妹が、ふいに言いました。
「みどりのみずのとこ、いった」
母が、箸を止めました。
「いつ?」
「きょう」
「ひとりで?」
「うん」
母は、妹を叱ろうとしました。
祖母が、それを手で止めました。
※
妹は、続けました。
「まえも、いったことある」
「前?」
「まえ。ずっとまえ」
妹は、この集落に来たのは、その年が初めてです。
母が、そう言いました。
妹は、聞いていませんでした。
縁側の外を見たまま、話しつづけました。
「おっとうが、こどもをつれて、でていった」
私は、背中が冷えました。
三つの子が使う言葉ではありません。
「わたしは、まっとった」
「どこで」
母が、思わず聞きました。
祖母が、また手で止めました。
返事をしてはいけない
妹は、まだ話していました。
「みどりのみずのとこで、まっとった」
「ずっと、まっとった」
「だれも、むかえにこんかった」
声の調子は、いつもの妹のままです。
眠そうな、少し舌っ足らずな声でした。
その声で、そういうことを言うのです。
母は、口を押さえていました。
父は、その夏、仕事で来ていませんでした。
※
祖母は、返事をしませんでした。
妹のほうを見てもいませんでした。
台所のほうを向いたまま、妹の名前を三度、呼びました。
普通の呼び方ではありません。
一度目は小さく、二度目は少し大きく、三度目はまた小さく。
そういう呼び方でした。
それから、妹の手を引いて、土間に下ろしました。
妹の靴を、履かせました。
裸足のまま家の中を歩いていた子に、家の中で靴を履かせたのです。
そして、玄関の戸を開けて、いったん外に出し、また入れました。
妹は、笑っていました。
遊んでもらっていると思ったのでしょう。
戻ってきたときには、もう前の話はしませんでした。
※
その晩から、妹はよく縁側にいるようになりました。
ひとりで、何か話しています。
三つの子が、ぬいぐるみ相手にしゃべるのと同じです。
母は、そう思っていました。
私も、そう思おうとしていました。
ただ、妹は、話すたびに間を置くのです。
自分がしゃべって、少し黙って、それからまたしゃべる。
相手の返事を待っている、あの間でした。
一度、何を話しているのか聞いてみました。
「だれとしゃべっとん」
「わからん」
「わからんの?」
「なまえ、いわんもん」
妹は、そう言って、また外を向きました。
祖母が言ったこと
その晩、私は祖母に聞きました。
眠れなかったからです。
「さっきの、なんなん」
「なんも」
「なんで返事せんかったん」
祖母は、湯呑みを置きました。
「返事したら、こっちの数が動く」
「数?」
「うちの子は、何人や」
「二人。俺と、妹」
「そや。動かしたらいかん」
祖母が返事をしなかったのは、返事をすれば数が動くからでした。
私には、それ以上のことは言いませんでした。
※
そのかわり、履物の話をしてくれました。
外を向けて置いてある一足は、この家の者のものではないのだそうです。
土間の履物は、家の者のぶんは奥を向く。
帰る人のぶんは、外を向く。
外へ向けて置く一足は、うちの誰のものでもありませんでした。
「誰のなん」
「わからん」
「わからんのに、置いとくん」
「置いとかんと、探す」
その言い方が、いちばん怖かったのを覚えています。
常会の名簿
盆の入りに、集落の常会がありました。
公民館に、家ごとの名簿が貼り出されます。
世帯主の名前と、人数が書いてある、簡単なものです。
私は、暇つぶしにそれを眺めていました。
六軒しかないので、すぐ読み終わります。
数えて、あれと思いました。
どの家も、実際に住んでいる人より、一人多いのです。
祖母の家は、祖母ひとりのはずでした。
名簿には、二と書いてありました。
※
公民館にいた近所のおばさんに、聞いてみました。
その人は、少しも驚きませんでした。
「まちごうてへんよ」
「でも、ばあちゃん、ひとりやろ」
「ひとりやけど、二や」
「なんで」
「減らしたら、あかんのや」
おばさんは、それだけ言って、湯茶の用意に戻りました。
あとで気づいたことがあります。
土間の外向きの履物の大きさは、家によって違っていました。
大きい草履のある家は、年寄りだけの家でした。
小さな下駄のある家は、昔、小さい子のいた家でした。
数は合わせてある。
大きさも、合わせてある。
誰も、そのことを言葉にしませんでした。
名前を呼んだ日
その夏の終わりに、私は決まりを破りました。
高校生の意地のようなものです。
妹があんな話をしたのは、この水のせいだと思っていました。
だから、確かめたかったのです。
夕方、ひとりでみどりの水へ行きました。
蝉の声が、山のほうから降ってきていました。
水面には、木の影が落ちていて、緑が黒に近く見えました。
私は、しゃがんで、自分の名前を言いました。
小さな声でした。
何も起きませんでした。
拍子抜けして、立ち上がりました。
※
帰り道で、下駄の音がしました。
からん、からん、と、乾いた音です。
集落の道は、そのころもう舗装されていました。
石の上を歩く音ではありません。
私は、走りませんでした。
走ったら追いつかれる気がしたのです。
ふつうに歩いて、家の戸を開けました。
音は、家に入るまでついてきました。
戸を閉めると、止まりました。
その晩、私は熱を出しました。
祖母は、何も聞きませんでした。
ただ、私の靴を土間で履かせて、いったん外へ出し、また入れました。
妹にしたのと、同じことでした。
その翌朝、外を向いた下駄の泥が、いつもより多くついていました。
閉山の年
あとで調べて、わかったことがあります。
その集落の鉱山が止まったのは、明治の終わりでした。
働き口がなくなって、男衆は町へ下りました。
そのとき、子どもを連れて出た家が多かったそうです。
あとに残ったのは、年寄りと、女の人たちでした。
郷土資料館の年表に、そう書いてありました。
妹が言った言葉と、順番が同じでした。
おっとうが、子どもを連れて、出ていった。
そして、待っていた人がいた。
※
もうひとつ、地図でわかったことがあります。
みどりの水のあるところは、昔の坑口の真上でした。
大正の初めに埋められた、古い入り口です。
埋めても、水は出ます。
坑内の水は、石の成分で緑になることがあるのだそうです。
理屈がついたのに、少しも安心しませんでした。
理屈がついたぶん、あの窪みが、ただの窪みではなくなったからです。
地面の下に、まだ道が残っている。
その入り口に、水が溜まっている。
妹は、その上に立って、まっとった、と言ったのです。
※
資料館には、閉山の頃の写真も残っていました。
坑口の前に、二十人ほどが並んでいる集合写真です。
裏に、名前が書いてありました。
私は、数えました。
名前は十九、写っているのは二十でした。
いちばん端に、小さな子がひとり立っています。
顔は、日に飛んで白くなっていて、わかりません。
足元だけが、はっきり写っていました。
下駄でした。
受付の方に聞くと、その写真のことは記録がないと言われました。
「誰かの子でしょうねえ」
「名前が足りないんですが」
「昔は、そういうのは多いんですよ」
そう言われて、私は引き下がりました。
引き下がるしかありませんでした。
ただ、その日から、写真の端の足元が、ときどき頭に浮かびます。
祖母が最後に言ったこと
祖母が入院したのは、私が三十になった年でした。
見舞いに行くと、集落の話ばかりしました。
誰がどこへ嫁いだとか、どの畑が荒れたとか、そんな話です。
一度だけ、あの話に触れました。
「ばあちゃん、あの下駄、どうしたん」
「置いてある」
「誰もおらんのに」
「おらんことにしたら、探しにくるやろ」
「探しにくる、って」
「うちが子どもの頃にな、一軒だけ、片づけた家があったんや」
祖母は、そこで少し黙りました。
「その家、次の年に、三人になっとった」
「三人?」
「二人しかおらんかった家がな」
私は、それ以上聞けませんでした。
祖母は、天井を見たまま、こう続けました。
「多いぶんには、ええんや。合うとる」
「合うとる」というのが、何と何のことなのかは、わかりませんでした。
聞かないまま、祖母は旅立ちました。
数え直せない
妹は、いま三十を過ぎました。
あの夏のことは、まったく覚えていません。
話しても、笑うだけです。
祖母は、十年ほど前に旅立ちました。
家は空き家になり、去年、取り壊されました。
解体のとき、土間から古い下駄が出てきたと、母が言っていました。
片方だけだったそうです。
もう片方が、どこへ行ったのかはわかりません。
※
解体の前に、私は一度だけ集落へ戻りました。
六軒のうち、住んでいるのは三軒になっていました。
みどりの水は、まだありました。
色は、記憶より薄くなっていました。
柵ができていて、近寄れません。
危険だから、と書いた看板が立っていました。
誰が立てたのかは、書いてありませんでした。
残っている家の土間を、外から覗きました。
どの家にも、外を向いた履物が一足ありました。
三軒とも、変わっていませんでした。
公民館の名簿は、もう貼っていませんでした。
※
集落の作法や、数の話については、三つ数えてから答える集落にも、似た決まりが出てきます。
いなくなった人が、書類の上だけ残る例としては、無人の里に届く出生届のほうが近いかもしれません。
玄関の靴
私はいま、大阪のマンションに住んでいます。
家族は三人です。
玄関は狭く、靴はいつも二、三足しか出していません。
それでも、朝、玄関を出るときに、ふと足が止まることがあります。
数が、合わない気がするのです。
数え直せばいいだけの話です。
ですが、私は数えません。
数えて、合ってしまったら困る。
合わなかったら、もっと困る。
祖母が言った「数が動く」というのが、そういう意味だったのかどうかは、いまも聞けずにいます。
去年、下の子が三つになりました。
その年の夏、妻が実家へ連れて帰ると言い出しました。
私は、行くなとは言えませんでした。
理由を説明できないからです。
説明しようとすると、自分でもおかしなことを言っている気になります。
結局、三人で行きました。
何も起きませんでした。
当たり前です。
妻の実家は、あの集落とは何の関係もありません。
それでも、帰る前の晩に、私は玄関の靴を一足、外へ向けて置きました。
朝、妻が向きを直していました。
私は、また外へ向けました。
何も言われませんでした。
ただ、うちの玄関にも、一足だけ、外を向いた靴があります。
妻が置いたのではありません。
私が、いつのまにか、そうしていました。