
どこの町にも、ひとつくらいはある話だと思う。
あの駅の下には、もうひとつ駅がある、という類の話だ。
有事の際には、偉い人たちの避難場所になるのだとか。
私の育った西日本のある町にも、その手の話があった。
町でいちばん深い場所にある、地下鉄の駅についての話だ。
駅の名前は、伏せておく。
理由は、最後まで読んでもらえれば分かると思う。
※
私の父は、電気工だった。
昭和四十年代の終わり、その町の地下鉄延伸工事に、下請けで入っていた。
照明と配線が、父の受け持ちだった。
問題の駅は、その工事で造られた駅だ。
工事は足かけ五年に及んだ。
母によると、最後の一年、父は三ヶ月だけ夜勤の組に回されたという。
その三ヶ月、父は帰るとまず風呂に入り、長いこと出てこなかった。
作業服は、他の洗濯物と一緒に洗わせなかった。
洗っても洗っても、匂いが残っとる気がする、と言っていたそうだ。
どんな匂いか、母が聞くと、父は少し考えてから答えた。
「古い、風の匂いや」
風に古いも新しいもあるか、と母は笑った。
父は笑わなかったという。
丘と丘の間の低い土地を避けて、線路が深く潜る場所だった。
ホームは地下四階。
当時としては、破格の深さだったらしい。
エスカレーターを三本乗り継いで、ようやく改札に出る。
子供の頃、父とその駅をよく使った。
日曜に、街の映画館へ連れて行ってもらうときだ。
長いエスカレーターの右側で、私はいつも父の袖を握っていた。
降りても降りても着かない感じが、子供には少しこわかった。
「深いなあ」
と私が言うと、父は決まって同じことを言った。
「深う掘るには、深う掘るだけの銭が要る」
「銭を出す者には、出すだけの訳がある」
当時は、意味など考えもしなかった。
父は、あの駅でだけ、妙な癖があった。
父は、雨の日にあの駅へ入るとき、畳んだ傘を、一度だけ開き直した。
ばさ、と開いて、すぐ畳む。
雫を切っているのだと、ずっと思っていた。
だが父は、ほとんど濡れていない傘でも、必ずそうした。
そして、開いた傘を、少しだけ首を傾げて見るのだった。
※
あの駅はおかしい、と初めて思ったのは、中学生の頃だ。
気付いたのは、風だった。
地下鉄の駅というものは、電車が来るたび、トンネルから風が吹く。
湿った、鉄と埃の匂いのする風だ。
だがあの駅の改札の風は、いつも乾いていた。
外が土砂降りの日でもだ。
びしょ濡れで駅に駆け込むと、改札の手前で、ふっと乾いた風が顔に当たる。
埃の匂いがしない、妙に静かな風だった。
よその駅では、あの風に会ったことがない。
友人に言っても、風に濡れとるも乾いとるもあるか、と笑われた。
だが、あるのだ。
あの駅の風は、外の天気を知らなかった。
もうひとつ、匂いのことも書いておく。
あの乾いた風には、匂いがなかった。
正確に言えば、地下鉄の匂いがなかった。
鉄の匂いも、埃の匂いも、人いきれもない。
強いて言えば、乾いた石の匂いだった。
洞窟に入ったことのある人なら、分かると思う。
深いところの空気は、ああいう匂いがする。
造られてから、まだ十年ほどの駅だった。
あの風だけが、駅より、ずっと古かった。
※
高校生になると、気付くことが増えた。
非常口の緑の看板は、どの駅にもある。
走る人の絵が、出口の方向を指しているやつだ。
あの駅には、それが十七枚あった。
暇に飽かせて数えたから、間違いない。
そのうち一枚だけ、絵の向きがおかしかった。
ホームのいちばん端、階段の裏の一枚。
走る人が、下を向いていた。
矢印も、下を指していた。
その先には、灰色の鉄の扉があるだけだった。
扉には、関係者以外立入禁止、の札と、古い南京錠。
駅員に聞いたことがある。
「あの非常口、下を指してますけど、下に何があるんですか」
若い駅員は、看板を見て、少し黙った。
「取り付けの間違いやと思います」
「直さないんですか」
「上に言うときます」
高校を出るまで、看板はそのままだった。
今もそのままだ。
※
エレベーターにも、妙なところがあった。
改札階からホーム階まで、階数表示は、B1、B3、B4、と灯る。
B2の表示は、ない。
そういう造りの駅は、よそにもある。
おかしいのは、B3とB4の間だった。
下りのとき、B3の灯りが消えてからB4が灯るまで、一拍、間が空くのだ。
上りでは、間は空かない。
下りのときだけ、箱がひと呼吸ぶん、余分に降りている。
友人と二人、ストップウォッチで測ったことがある。
B1からB3までが十一秒。
B3からB4までが、十九秒。
階の高さが同じなら、あり得ない数字だった。
「深う掘っとるだけやろ」
と友人は言った。
「なら、何のためにそんなに深う掘る」
友人は答えず、それきりこの遊びには付き合わなくなった。
後で知ったことだが、エレベーターの点検表は、かごの中に掲示される決まりになっている。
あの駅のかごの点検表には、行先階の欄に、B1からB4までしか書かれていなかった。
ただ、点検実施階の欄だけ、数字が五つ、判で押されていた。
五つ目の判は、他の四つより、少しだけ薄かった。
押す人が、力を入れたくなかったような薄さだった。
※
決定的だったのは、大学生の頃に見た、求人広告だ。
地元の情報誌の隅に、設備点検の募集が出ていた。
勤務地の欄に、あの駅の名前があった。
その後ろに、括弧付きで、こうあった。
B5階機械室。
あの駅は、地下四階までしかない。
案内図にも、そう書いてある。
私は情報誌を持って、掲載元の会社に電話をかけた。
誤植ではないですか、と聞いた。
電話口の女の人は、少し席を外し、戻ってきてこう言った。
「その求人は、終了しました」
誤植かどうかは、答えてもらえなかった。
次の号から、その会社の求人自体が消えた。
※
その頃、一度だけ、終電を逃したことがある。
飲み会の帰りで、最終の一本前がホームを出た直後だった。
次が来るまでの二十分、深夜のホームには、私ひとりだった。
蛍光灯が、一本おきに落とされていた。
私は、ホームの端へ歩いた。
下向きの非常口の看板と、灰色の鉄扉のあるほうの端だ。
近づくにつれ、音に気付いた。
低い、遠い、送風機のような音だった。
線路の向こうからではない。
足の下からだった。
鉄扉の前に立つと、扉の縁の隙間から、風が漏れていた。
乾いた、あの風だった。
風は、規則正しく、強くなったり弱くなったりしていた。
長い、長い、呼吸のようだった。
私は扉に耳を近づけた。
送風機の音の奥に、別の音があった。
何の音かは、今も言葉にできない。
ただ、機械の音ではなかった、とだけ書いておく。
肩を、つかまれた。
制服の駅員だった。
「お客さん、そこは離れてください」
すみません、と私は言った。
駅員は私を改札側へ促しながら、鉄扉のほうを一度も見なかった。
見ないようにしている、という見なさだった。
「あの扉、何なんですか」
「機械室です」
「音がしてますよ」
「機械室ですから」
それ以上は、何を聞いても同じ答えだった。
ただ、別れ際に、駅員は妙なことを言った。
「終電のあとは、あんまり端へ行かんほうがええですよ」
「夜はな、風が強うなるんです」
※
父が定年で現場を退いた年、家で酒を飲みながら、思い切って聞いてみた。
あの駅の下には、何かあるんか、と。
父は猪口を置いて、しばらく黙った。
「わしは、配線しか知らん」
それだけ言って、風呂に立った。
知らん、ではなかった。
配線しか知らん、だった。
その言い方が、ずっと引っ掛かっていた。
母には、もう少しだけ話していたらしい。
ずっと後になって、母がこぼしたことがある。
竣工の年の暮れ、父は一度だけ、酔って帰って、こう言ったという。
「わしらは、ええもんを造ったんかのう」
母が、駅やろ、立派なもんやろ、と返すと、父は黙って寝てしまった。
それきり、二度と言わなかったそうだ。
数年後、父の兄弟子だった浦田さんの家へ、盆の挨拶に行った。
浦田さんは当時、もう八十を過ぎていた。
同じ工事で、父と組んで配線を引いた人だ。
縁側で蚊取り線香を挟んで、その話になった。
浦田さんは、隠さなかった。
年を取ると、抱えとるのが面倒になるんや、と笑っていた。
「あの駅はな、図面が二種類あったんや」
「わしらに渡るんは、駅の図面だけや」
「けどな、幹線を一本、図面の外へ引かされた」
行き先の書いていない、太い幹線だったという。
負荷計算の数字だけが、駅ひとつぶんとは思えん桁やった、と浦田さんは言った。
「わしらが引いた線は、駅のためのもんやなかった」
どこへ繋がるのかは、教えられなかった。
聞いた者から、順に現場を外された。
「親方だけは、下を見とる」
「降りていく日は、朝から誰とも口をきかんかった」
下の工事をしていたのが、どこの会社か、誰も知らなかったという。
「同じ現場におってな、顔を合わせんのや」
下の組は、出入りの坑口が別やった、と浦田さんは言った。
宿舎も別、飯場も別。
朝、坑口の前にバスが着いて、揃いの灰色の作業服が降りて、そのまま下へ消える。
夕方には、また同じバスで帰っていく。
「五年おって、下の者と口をきいた者はおらん」
竣工検査の日には、もう、あの鉄扉が付いとった。
「図面にはない扉や」
「けど、検査の役人はな、あの扉の前だけ、すうっと素通りしよった」
見えていないのではない。
見ないことに、慣れている歩き方だったという。
※
浦田さんは、それから、父の傘の話をした。
私が何も言っていないのに、だ。
「あんたの親父さん、雨の日に傘を開き直しよったやろ」
「見たことあります。癖やと思うてました」
「癖やない。わしらみんな、やっとった」
浦田さんは、湯呑みを置いて、両手で傘を開く真似をした。
「あれはな、風の向きを見とったんや」
あの駅の風は、いつも下から上へ吹く。
乾いた風が、下から、ゆっくり上がってくる。
それが普段や、と浦田さんは言った。
「風が上から下へ変わっとる日はな、下が、吸うとる日や」
「そういう日は、わしらは駅に入らんかった」
それから浦田さんは、声を少し落とした。
「秋口にな、年に何日か、あの風が湿る日がある」
「下が、息を吐いとる日や」
「吸う日と吐く日はな、暦と合わん」
「合わんけどな、雨とも合わんのや」
何と合うのか、浦田さんは言わなかった。
言わないことに決めている、という黙り方だった。
何が吸うのか、とは、私は聞けなかった。
代わりに、ずっと聞きたかったことを聞いた。
下にあるのは、シェルターなんですか、と。
偉い人の避難場所という、例の噂の話だ。
浦田さんは、少し笑った。
年寄りの、乾いた笑い方だった。
「シェルターやったら、ええなあ」
「シェルターいうんはな、人が入るもんやろ」
「人の入るもんならな、換気は人に合わせて作るんや」
「あそこの換気はな、桁が違う」
浦田さんは、蚊取り線香の煙が流れるのを、目で追った。
「駅が本体やないんや。駅のほうが、あれの換気口や」
帰り道、私は駅の入口の前で、しばらく立っていられなかった。
毎日何万人と出入りするあの駅が、何かの息継ぎの穴だとしたら。
乾いた風は、いつも、下から上がってきていた。
※
交通局に、地下五階はない。
市の資料にも、ない。
一度だけ、情報公開請求の真似ごとをしたことがある。
出てきた防災計画の綴りは、九十六頁の次が、九十九頁だった。
落丁ですと言われた。
再交付を頼むと、今度は最初から、九十八頁までしかなかった。
公式には、何もかも、ないことになっている。
ひとつ、書き添えておきたいことがある。
あの求人を見てから十年ほど経った頃、出張先の北のほうの町で、地元の情報誌をめくっていた。
設備点検の募集が、隅に出ていた。
文面が、一言一句、同じだった。
勤務地の駅名だけが、違った。
その町でいちばん深い駅の名前と、括弧付きのB5階機械室。
私はその駅を、わざわざ使ってみた。
改札の風は、乾いていた。
どこの町にも、ひとつくらいはある話。
この文句を、私はもう、笑い話の枕には使えない。
どこの町にも、ひとつくらいは、要るのかもしれないのだ。
浦田さんは数年前に施設へ入り、今はもう、あの夏の話をしても、首をかしげるだけだという。
最後に会ったとき、浦田さんは私の手を取って、ひとつだけ繰り返した。
「風の向きだけは、見とけよ」
職人の挨拶のようでもあり、言い残しのようでもあった。
私は、はい、とだけ答えた。
図面の外へ引いた幹線のことを知る人は、もう、ほとんど残っていない。
父は今も元気だが、あの駅の話は、二度としてくれない。
ただ、父は定年からこちら、一度もあの駅を使っていない。
乗り換えが不便でも、隣の駅まで歩く。
それが、答えのような気がしている。
一度だけ、父と二人で、あの駅の前を通りかかったことがある。
数年前の、法事の帰りだった。
小雨が降っていて、私は無意識に、入口の前で傘を開き直した。
父がそれを、じっと見ていた。
何か言われると思ったが、父は何も言わなかった。
ただ、私の傘の傾きを確かめてから、先に歩き出した。
あれが、父と交わした、いちばん長い会話だったのかもしれない。
※
私は今も、年に何度か、あの駅を使う。
改札の風は、相変わらず乾いている。
非常口の看板は、今日も一枚だけ、下を向いている。
エレベーターは、B3とB4の間で、今日も一拍、間を置く。
そして雨の日、私は駅に入る前に、畳んだ傘を一度だけ開き直す。
父がしていた通りに。
傘の布が、ばさりと鳴って、風をはらむ。
風が下から吹いていれば、私は改札をくぐる。
今のところ、上から吹いた日は、一度もない。
一度もないことが、いちばん、こわい。
その日が来たとき、私はたぶん、駅に入らない。
そして誰にも、理由を説明できない。
説明したところで、駅の下にもうひとつ駅がある、という、どこの町にもある都市伝説の顔をして、笑われるだけだからだ。
そういう顔をして、あの話は、今日も改札の上に立っている。