駅の下にもうひとつの駅

駅の下にもうひとつの駅

どこの町にも、ひとつくらいはある話だと思う。

あの駅の下には、もうひとつ駅がある、という類の話だ。

有事の際には、偉い人たちの避難場所になるのだとか。

私の育った西日本のある町にも、その手の話があった。

町でいちばん深い場所にある、地下鉄の駅についての話だ。

駅の名前は、伏せておく。

理由は、最後まで読んでもらえれば分かると思う。

私の父は、電気工だった。

昭和四十年代の終わり、その町の地下鉄延伸工事に、下請けで入っていた。

照明と配線が、父の受け持ちだった。

問題の駅は、その工事で造られた駅だ。

工事は足かけ五年に及んだ。

母によると、最後の一年、父は三ヶ月だけ夜勤の組に回されたという。

その三ヶ月、父は帰るとまず風呂に入り、長いこと出てこなかった。

作業服は、他の洗濯物と一緒に洗わせなかった。

洗っても洗っても、匂いが残っとる気がする、と言っていたそうだ。

どんな匂いか、母が聞くと、父は少し考えてから答えた。

「古い、風の匂いや」

風に古いも新しいもあるか、と母は笑った。

父は笑わなかったという。

丘と丘の間の低い土地を避けて、線路が深く潜る場所だった。

ホームは地下四階。

当時としては、破格の深さだったらしい。

エスカレーターを三本乗り継いで、ようやく改札に出る。

子供の頃、父とその駅をよく使った。

日曜に、街の映画館へ連れて行ってもらうときだ。

長いエスカレーターの右側で、私はいつも父の袖を握っていた。

降りても降りても着かない感じが、子供には少しこわかった。

「深いなあ」

と私が言うと、父は決まって同じことを言った。

「深う掘るには、深う掘るだけの銭が要る」

「銭を出す者には、出すだけの訳がある」

当時は、意味など考えもしなかった。

父は、あの駅でだけ、妙な癖があった。

父は、雨の日にあの駅へ入るとき、畳んだ傘を、一度だけ開き直した。

ばさ、と開いて、すぐ畳む。

雫を切っているのだと、ずっと思っていた。

だが父は、ほとんど濡れていない傘でも、必ずそうした。

そして、開いた傘を、少しだけ首を傾げて見るのだった。

あの駅はおかしい、と初めて思ったのは、中学生の頃だ。

気付いたのは、風だった。

地下鉄の駅というものは、電車が来るたび、トンネルから風が吹く。

湿った、鉄と埃の匂いのする風だ。

だがあの駅の改札の風は、いつも乾いていた。

外が土砂降りの日でもだ。

びしょ濡れで駅に駆け込むと、改札の手前で、ふっと乾いた風が顔に当たる。

埃の匂いがしない、妙に静かな風だった。

よその駅では、あの風に会ったことがない。

友人に言っても、風に濡れとるも乾いとるもあるか、と笑われた。

だが、あるのだ。

あの駅の風は、外の天気を知らなかった。

もうひとつ、匂いのことも書いておく。

あの乾いた風には、匂いがなかった。

正確に言えば、地下鉄の匂いがなかった。

鉄の匂いも、埃の匂いも、人いきれもない。

強いて言えば、乾いた石の匂いだった。

洞窟に入ったことのある人なら、分かると思う。

深いところの空気は、ああいう匂いがする。

造られてから、まだ十年ほどの駅だった。

あの風だけが、駅より、ずっと古かった。

高校生になると、気付くことが増えた。

非常口の緑の看板は、どの駅にもある。

走る人の絵が、出口の方向を指しているやつだ。

あの駅には、それが十七枚あった。

暇に飽かせて数えたから、間違いない。

そのうち一枚だけ、絵の向きがおかしかった。

ホームのいちばん端、階段の裏の一枚。

走る人が、下を向いていた。

矢印も、下を指していた。

その先には、灰色の鉄の扉があるだけだった。

扉には、関係者以外立入禁止、の札と、古い南京錠。

駅員に聞いたことがある。

「あの非常口、下を指してますけど、下に何があるんですか」

若い駅員は、看板を見て、少し黙った。

「取り付けの間違いやと思います」

「直さないんですか」

「上に言うときます」

高校を出るまで、看板はそのままだった。

今もそのままだ。

エレベーターにも、妙なところがあった。

改札階からホーム階まで、階数表示は、B1、B3、B4、と灯る。

B2の表示は、ない。

そういう造りの駅は、よそにもある。

おかしいのは、B3とB4の間だった。

下りのとき、B3の灯りが消えてからB4が灯るまで、一拍、間が空くのだ。

上りでは、間は空かない。

下りのときだけ、箱がひと呼吸ぶん、余分に降りている。

友人と二人、ストップウォッチで測ったことがある。

B1からB3までが十一秒。

B3からB4までが、十九秒。

階の高さが同じなら、あり得ない数字だった。

「深う掘っとるだけやろ」

と友人は言った。

「なら、何のためにそんなに深う掘る」

友人は答えず、それきりこの遊びには付き合わなくなった。

後で知ったことだが、エレベーターの点検表は、かごの中に掲示される決まりになっている。

あの駅のかごの点検表には、行先階の欄に、B1からB4までしか書かれていなかった。

ただ、点検実施階の欄だけ、数字が五つ、判で押されていた。

五つ目の判は、他の四つより、少しだけ薄かった。

押す人が、力を入れたくなかったような薄さだった。

決定的だったのは、大学生の頃に見た、求人広告だ。

地元の情報誌の隅に、設備点検の募集が出ていた。

勤務地の欄に、あの駅の名前があった。

その後ろに、括弧付きで、こうあった。

B5階機械室。

あの駅は、地下四階までしかない。

案内図にも、そう書いてある。

私は情報誌を持って、掲載元の会社に電話をかけた。

誤植ではないですか、と聞いた。

電話口の女の人は、少し席を外し、戻ってきてこう言った。

「その求人は、終了しました」

誤植かどうかは、答えてもらえなかった。

次の号から、その会社の求人自体が消えた。

その頃、一度だけ、終電を逃したことがある。

飲み会の帰りで、最終の一本前がホームを出た直後だった。

次が来るまでの二十分、深夜のホームには、私ひとりだった。

蛍光灯が、一本おきに落とされていた。

私は、ホームの端へ歩いた。

下向きの非常口の看板と、灰色の鉄扉のあるほうの端だ。

近づくにつれ、音に気付いた。

低い、遠い、送風機のような音だった。

線路の向こうからではない。

足の下からだった。

鉄扉の前に立つと、扉の縁の隙間から、風が漏れていた。

乾いた、あの風だった。

風は、規則正しく、強くなったり弱くなったりしていた。

長い、長い、呼吸のようだった。

私は扉に耳を近づけた。

送風機の音の奥に、別の音があった。

何の音かは、今も言葉にできない。

ただ、機械の音ではなかった、とだけ書いておく。

肩を、つかまれた。

制服の駅員だった。

「お客さん、そこは離れてください」

すみません、と私は言った。

駅員は私を改札側へ促しながら、鉄扉のほうを一度も見なかった。

見ないようにしている、という見なさだった。

「あの扉、何なんですか」

「機械室です」

「音がしてますよ」

「機械室ですから」

それ以上は、何を聞いても同じ答えだった。

ただ、別れ際に、駅員は妙なことを言った。

「終電のあとは、あんまり端へ行かんほうがええですよ」

「夜はな、風が強うなるんです」

父が定年で現場を退いた年、家で酒を飲みながら、思い切って聞いてみた。

あの駅の下には、何かあるんか、と。

父は猪口を置いて、しばらく黙った。

「わしは、配線しか知らん」

それだけ言って、風呂に立った。

知らん、ではなかった。

配線しか知らん、だった。

その言い方が、ずっと引っ掛かっていた。

母には、もう少しだけ話していたらしい。

ずっと後になって、母がこぼしたことがある。

竣工の年の暮れ、父は一度だけ、酔って帰って、こう言ったという。

「わしらは、ええもんを造ったんかのう」

母が、駅やろ、立派なもんやろ、と返すと、父は黙って寝てしまった。

それきり、二度と言わなかったそうだ。

数年後、父の兄弟子だった浦田さんの家へ、盆の挨拶に行った。

浦田さんは当時、もう八十を過ぎていた。

同じ工事で、父と組んで配線を引いた人だ。

縁側で蚊取り線香を挟んで、その話になった。

浦田さんは、隠さなかった。

年を取ると、抱えとるのが面倒になるんや、と笑っていた。

「あの駅はな、図面が二種類あったんや」

「わしらに渡るんは、駅の図面だけや」

「けどな、幹線を一本、図面の外へ引かされた」

行き先の書いていない、太い幹線だったという。

負荷計算の数字だけが、駅ひとつぶんとは思えん桁やった、と浦田さんは言った。

「わしらが引いた線は、駅のためのもんやなかった」

どこへ繋がるのかは、教えられなかった。

聞いた者から、順に現場を外された。

「親方だけは、下を見とる」

「降りていく日は、朝から誰とも口をきかんかった」

下の工事をしていたのが、どこの会社か、誰も知らなかったという。

「同じ現場におってな、顔を合わせんのや」

下の組は、出入りの坑口が別やった、と浦田さんは言った。

宿舎も別、飯場も別。

朝、坑口の前にバスが着いて、揃いの灰色の作業服が降りて、そのまま下へ消える。

夕方には、また同じバスで帰っていく。

「五年おって、下の者と口をきいた者はおらん」

竣工検査の日には、もう、あの鉄扉が付いとった。

「図面にはない扉や」

「けど、検査の役人はな、あの扉の前だけ、すうっと素通りしよった」

見えていないのではない。

見ないことに、慣れている歩き方だったという。

浦田さんは、それから、父の傘の話をした。

私が何も言っていないのに、だ。

「あんたの親父さん、雨の日に傘を開き直しよったやろ」

「見たことあります。癖やと思うてました」

「癖やない。わしらみんな、やっとった」

浦田さんは、湯呑みを置いて、両手で傘を開く真似をした。

「あれはな、風の向きを見とったんや」

あの駅の風は、いつも下から上へ吹く。

乾いた風が、下から、ゆっくり上がってくる。

それが普段や、と浦田さんは言った。

「風が上から下へ変わっとる日はな、下が、吸うとる日や」

「そういう日は、わしらは駅に入らんかった」

それから浦田さんは、声を少し落とした。

「秋口にな、年に何日か、あの風が湿る日がある」

「下が、息を吐いとる日や」

「吸う日と吐く日はな、暦と合わん」

「合わんけどな、雨とも合わんのや」

何と合うのか、浦田さんは言わなかった。

言わないことに決めている、という黙り方だった。

何が吸うのか、とは、私は聞けなかった。

代わりに、ずっと聞きたかったことを聞いた。

下にあるのは、シェルターなんですか、と。

偉い人の避難場所という、例の噂の話だ。

浦田さんは、少し笑った。

年寄りの、乾いた笑い方だった。

「シェルターやったら、ええなあ」

「シェルターいうんはな、人が入るもんやろ」

「人の入るもんならな、換気は人に合わせて作るんや」

「あそこの換気はな、桁が違う」

浦田さんは、蚊取り線香の煙が流れるのを、目で追った。

「駅が本体やないんや。駅のほうが、あれの換気口や」

帰り道、私は駅の入口の前で、しばらく立っていられなかった。

毎日何万人と出入りするあの駅が、何かの息継ぎの穴だとしたら。

乾いた風は、いつも、下から上がってきていた。

交通局に、地下五階はない。

市の資料にも、ない。

一度だけ、情報公開請求の真似ごとをしたことがある。

出てきた防災計画の綴りは、九十六頁の次が、九十九頁だった。

落丁ですと言われた。

再交付を頼むと、今度は最初から、九十八頁までしかなかった。

公式には、何もかも、ないことになっている。

ひとつ、書き添えておきたいことがある。

あの求人を見てから十年ほど経った頃、出張先の北のほうの町で、地元の情報誌をめくっていた。

設備点検の募集が、隅に出ていた。

文面が、一言一句、同じだった。

勤務地の駅名だけが、違った。

その町でいちばん深い駅の名前と、括弧付きのB5階機械室。

私はその駅を、わざわざ使ってみた。

改札の風は、乾いていた。

どこの町にも、ひとつくらいはある話。

この文句を、私はもう、笑い話の枕には使えない。

どこの町にも、ひとつくらいは、要るのかもしれないのだ。

浦田さんは数年前に施設へ入り、今はもう、あの夏の話をしても、首をかしげるだけだという。

最後に会ったとき、浦田さんは私の手を取って、ひとつだけ繰り返した。

「風の向きだけは、見とけよ」

職人の挨拶のようでもあり、言い残しのようでもあった。

私は、はい、とだけ答えた。

図面の外へ引いた幹線のことを知る人は、もう、ほとんど残っていない。

父は今も元気だが、あの駅の話は、二度としてくれない。

ただ、父は定年からこちら、一度もあの駅を使っていない。

乗り換えが不便でも、隣の駅まで歩く。

それが、答えのような気がしている。

一度だけ、父と二人で、あの駅の前を通りかかったことがある。

数年前の、法事の帰りだった。

小雨が降っていて、私は無意識に、入口の前で傘を開き直した。

父がそれを、じっと見ていた。

何か言われると思ったが、父は何も言わなかった。

ただ、私の傘の傾きを確かめてから、先に歩き出した。

あれが、父と交わした、いちばん長い会話だったのかもしれない。

私は今も、年に何度か、あの駅を使う。

改札の風は、相変わらず乾いている。

非常口の看板は、今日も一枚だけ、下を向いている。

エレベーターは、B3とB4の間で、今日も一拍、間を置く。

そして雨の日、私は駅に入る前に、畳んだ傘を一度だけ開き直す。

父がしていた通りに。

傘の布が、ばさりと鳴って、風をはらむ。

風が下から吹いていれば、私は改札をくぐる。

今のところ、上から吹いた日は、一度もない。

一度もないことが、いちばん、こわい。

その日が来たとき、私はたぶん、駅に入らない。

そして誰にも、理由を説明できない。

説明したところで、駅の下にもうひとつ駅がある、という、どこの町にもある都市伝説の顔をして、笑われるだけだからだ。

そういう顔をして、あの話は、今日も改札の上に立っている。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

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