折られていない解答冊子の角

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私はいま、都内の小さな会社で校正の仕事をしています。

文字の誤りを見つけて、赤を入れる。それだけの仕事です。

この仕事を選んだ理由を聞かれると、私はいつも言葉を濁します。

中学三年の冬に、解答冊子の角のことがあったからだ、とは言えません。

あれは、千葉の市川にいたころの話です。

江戸川の土手が見える、五号棟の四階でした。

冬は北向きの部屋が冷えて、足もとに湯たんぽを置いていました。

母は夜勤のある仕事で、その時間、家には私ひとりです。

隣の部屋のテレビの音が、壁を通してかすかに聞こえていました。

団地の四階で、私は高校受験の勉強をしていました。

使っていたのは、駅前の書店で買った市販の問題集です。

本体と、薄い解答冊子が別になっている型でした。

私には、昔から妙な癖がありました。

間違えた問題のページだけ、解答冊子の角を折るのです。

それも必ず、右上の角を、爪でしっかり押さえて折る。

左上は折りません。理由はありません。ただ、そうしていました。

折った角の数が、そのまま自分の弱点の数でした。

塾の先生に教わったやり方ではありません。

小学生のころ、図書室の本にやって叱られてから、自分の本にだけやるようになりました。

折り目を戻して、また折り直すと、そこだけ紙が薄くなります。

何度も間違えた問題は、角がやわらかくなって、白くけば立ちました。

そのけば立ち具合で、どこを直せばいいかが、開かなくても分かるのです。

冬になるころには、冊子の右上だけが、もこもこと膨らんでいました。

十二月のある晩のことです。

数学の一問だけ、どうしても解答と合いませんでした。

何度計算しても、私の答えはAになります。

解答冊子には、Bと印刷されていました。

解説を読んでも、途中式の二行目が、どう見てもおかしいのです。

分母の符号が、途中で入れ替わっていました。

そこを直して最後まで進めると、やはりAになります。

私は三度、別の紙に書き直して確かめました。

しばらく考えて、私は気づきました。

これは、問題集の模範解答のほうが間違っている。

市販の問題集にも、誤植くらいはあります。

少しいらっとして、私は赤ペンでBに斜線を引きました。

横の余白に、大きくAと書き足しました。

そして、いつもどおり、そのページの右上の角を折りました。

折ってから、階下へ降りて夕飯を食べました。

その日の夕飯は、母が作り置きしていった肉じゃがでした。

温め直して、テレビの天気予報を見ながら食べました。

翌日の降水確率は、四十パーセントでした。

どうでもいいことばかり、妙にはっきり覚えています。

赤ペンで引いた斜線

三十分ほどで、部屋に戻りました。

机の上の解答冊子は、開いたままでした。

私は、続きから始めようとして、手を止めました。

Bに引いた赤い斜線が、ありません。

余白に書いたAも、ありません。

消しゴムで消した跡も、インクの染みもありませんでした。

そして、印刷された解答が、Aになっていました。

正しいほうの、Aです。

私はページをめくり直し、問題番号を三度確かめました。

間違いなく、さっきの問題でした。

記憶違いだろうか、と最初は思いました。

確かにBだったものが、いつのまにかAになっていた。

そんな思い違いは、誰にでもあるはずです。

けれど、赤ペンの跡が残っていないのは、おかしいのです。

ボールペンの赤は、紙に溝を残します。

光にかざせば、消したあとでも筋が見えるはずでした。

かざしてみましたが、紙は平らでした。

蛍光灯の下でも、窓に向けても、同じでした。

指の腹で撫でても、引っかかりがありません。

書いた紙ではなく、書いていない紙の手触りでした。

そして、もうひとつ。

折ったはずの右上の角が、折られていませんでした。

爪で押さえた跡さえ、ついていないのです。

間違えた、という事実そのものが、なくなっていました。

私は机の下のごみ箱を覗きました。

消しゴムのかすも、破った紙もありません。

筆立ての赤ペンを取って、試しに余白に線を引いてみました。

線は、ふつうに残りました。

ペンが壊れているわけでもないのです。

その夜は、それ以上考えるのをやめました。

受験前に、余計なことを考えたくなかったのです。

それでも、寝る前にもう一度だけ冊子を開きました。

Aの活字は、ほかの文字と同じ濃さでした。

あとから刷り足した文字なら、少しは浮くはずです。

浮いていないということは、最初からそこにあったということでした。

私は電気を消して、布団の中で天井を見ていました。

壁の向こうのテレビが、十一時ちょうどに消えました。

その音だけが、いつもと同じでした。

解答冊子の角の癖

次にそれが起きたのは、年が明けてからでした。

一月の第二週、私は英語の長文問題に取りかかっていました。

解答冊子を開いて、ぱらぱらとめくったときです。

右上の角が、ひとつ折れていました。

私は、その日はまだ一問も答え合わせをしていません。

折れているのは、第七章の、かなり先のページでした。

私が解いていたのは、第五章です。

つまり、まだ解いていないページの角が、折られていたことになります。

最初は、自分の記憶を疑いました。

寝ぼけて折ったのかもしれない。

けれど、解答冊子の角の折り方には、癖が出ます。

人は、自分がいつもやる動作を、細かいところまで揃えます。

揃っているかどうかは、他人には見えなくても、本人には見えるのです。

私は爪で押さえるので、折り目の内側に、白い線が入るのです。

そのページの折り目には、白い線が入っていました。

私と同じ折り方でした。

角度まで同じでした。

私は、折るときに冊子をやや斜めに持ちます。

だから折り目は、紙の端に対してわずかに傾きます。

その傾きも、ぴたりと同じでした。

私は、その第七章のページを開かないまま、冊子を閉じました。

開かなければ、何も起きない気がしたのです。

翌日、私はその折り目の位置だけを、ノートの隅に書き写しました。

第七章の、八十四ページ。

日付も入れておきました。一月十一日。

あとで確かめるための、私なりの証拠です。

一週間後に見ると、ノートの数字は八十四のままでした。

冊子の折り目も、八十四ページのままでした。

どちらも動いていません。

動いていないことに、私は少し安心しました。

安心してから、なぜ安心したのかが分からなくなりました。

けれど、勉強を進めれば、いつかそのページに着きます。

逃げ切ることはできません。

受験まで、あと四十日しかないのです。

私はその晩、第七章のページ数だけを数えました。

折り目までは、あと十八ページありました。

二週間後、私は第七章まで進みました。

折り目のついたページの問題を、私は慎重に解きました。

三回、計算し直しました。

それでも、私は間違えました。

角は、私が間違える前から、折られていたのです。

答え合わせをしたあと、私はその角を一度開いて、また折り直しました。

折り直した折り目は、二重になります。

二重になった角は、翌朝も二重のままでした。

消えたのは、私が書いたものだけで、私が折ったものは残る。

その違いが、どこから来るのかは分かりませんでした。

友人の同じ問題集

それから私は、折り目を先に確認するようになりました。

朝、机に向かう前に、解答冊子の小口を眺めます。

膨らんでいる位置が、昨日と同じかどうかを見るのです。

増えていることが、月に二、三回ありました。

増えた先のページを、私は必ず間違えました。

当たるから安心する、という話ではありません。

当たるということは、私が間違えるのは決まっている、ということです。

何日か、私はわざと折り目のあるページを飛ばしてみました。

飛ばした問題は、模試のほうに出ました。

そして、やはり間違えました。

三月の私立の入試でも、同じことがありました。

試験の一週間前に増えた折り目が、二か所ありました。

どちらの単元からも、本番で出ました。

私は、そのうちの一つだけ、前の晩に解き直しました。

解き直したほうは、当日、正解できました。

折り目は、決まりごとではなく、知らせだったのかもしれません。

それとも、解き直したこと自体が、もう書き込まれていたのか。

そこから先は、考えても切りがありませんでした。

塾の自習室で、同じ問題集を使っている友人がいました。

内藤という、無駄に理屈っぽいやつです。

関西から越してきた子で、しゃべり方だけが東京に馴染んでいませんでした。

折り目の話をすると笑われそうだったので、しませんでした。

私は、例の数学の問題のことだけを話しました。

「解答が書き換わったんや」

「書き換わるわけないやろ」

「せやけど、最初はBやってん」

内藤は自分の冊子を開いて、その問題を指差しました。

「Aやで。最初からAや」

「お前の、いつ買うた」

「十月」

私が買ったのは、九月の終わりでした。

内藤は、私の冊子の奥付を指で叩きました。

「刷次、見てみ」

奥付には、第三刷と書いてありました。

私は、買ったときに第一刷だったことを、はっきり覚えています。

棚の一番奥から引き抜いた、少し日に焼けた一冊でした。

内藤の冊子の奥付は、第二刷でした。

あとから買ったほうが、刷次が若いのです。

「刷り直したら、直すやろ。誤植やったんやろ」

「誤植やったら、俺の冊子にも最初はBで入っとるはずやろ」

「入ってへんのやから、最初からAやったんちゃうか」

「俺は見たんや。Bやった」

「見た、はなあ」

内藤は、鉛筆の後ろで自分のこめかみを叩きました。

「そこが一番あてにならんやん」

内藤はそう言って、それ以上は取り合いませんでした。

私は、刷次の数字を何度も見ました。

本というのは、買ったあとに刷り直されるものではありません。

刷り直されるのは、これから刷る本のほうです。

私の手のなかにある一冊が、あとから第三刷になることはありません。

その晩、私は奥付の写真を撮ろうとして、やめました。

撮ったものまで書き換わっていたら、確かめる手立てがなくなるからです。

受験が終わってから、私は出版社に電話をかけました。

高校生になったばかりの春です。

問題集の名前と、奥付の数字を伝えました。

電話口の男性は、少し待ってから答えました。

「その年度版は、第二刷までしか出ておりませんが」

「手元にあるのは、第三刷なんです」

「……おかしいですね。うちの記録にはありません」

それから、こうも言われました。

「その巻の正誤表なら、お送りできますよ」

「お願いします」

「学校のご住所でよろしいですか」

「家でお願いします」

六か所の正誤表

届いた正誤表には、六か所の訂正が載っていました。

私が赤ペンを入れた問題は、その六か所に入っていませんでした。

つまり、出版社はその誤りを、誤りだと認識していないのです。

最初からAだったのだから、訂正する必要がない。

向こうの世界では、それで筋が通っています。

私は、自分の冊子の折り目を、もう一度ぜんぶ数えました。

右上の折り目は、四十一か所ありました。

ところが、そのうち三か所だけ、左上が折れていました。

左上は、私が絶対に折らない角です。

その三か所を開いてみました。

どれも、私が一度も間違えなかった問題でした。

一問目は、二次関数の基本問題です。

二問目は、英語の並べ替え。

三問目は、理科の、てこのつり合いでした。

難しい問題ではありません。

私が、最初から最後まで一度も落とさなかった三問です。

念のため、私は三問とも解き直しました。

三問とも、また正解しました。

正解しても、左上の折り目は増えませんでした。

すでに折ってあるからだ、と考えるのが自然です。

では、誰が、いつ折ったのか。

私が最初にその三問を正解したのは、十一月です。

左上の折り目に気づいたのは、三月でした。

四か月のあいだ、私は一度もその角に触れていません。

正解しつづけた問題にだけ、別の角が折ってあったのです。

そのとき、私はようやく考えを逆にしてみました。

右上を数えていたから、右上しか見ていなかったのです。

自分の癖のある側だけを見て、反対側を見ていませんでした。

冊子の小口を、私は指で押さえて左に傾けました。

傾けると、右上の膨らみの陰に隠れて、左上がわずかに立っていました。

最初から、ずっとそこにあったのだと思います。

折っているのが私だとは限らない。

右上を折るのが私で、左上を折るのが誰かだとしたら。

誰かは、私が間違える前に、間違えるページを知っている。

そして、私が正解したページを、あとから左上に印していく。

角が折ってあったのは、私がまだ解いていないページでした。

あの数学の問題も、たぶん同じです。

私が「間違えた」と書き込んだから、書き換えられた。

分岐したのではなく、上書きされたのだと思います。

世界の線は一本しかなくて、過去のほうが書き直される。

分岐していると思っているのは、こちら側の勘違いです。

私たちがそれに気づかないのは、気づく手がかりを持っていないからです。

私はたまたま、角を折る癖を持っていました。

紙の折り目だけは、書き換えの手が及ばなかったのだと思います。

インクは、紙に載っているだけです。

折り目は、紙そのものの形です。

形まで戻すには、もう一度その紙を漉き直すしかありません。

そこまではできなかったのだと、私は勝手に思っています。

理屈で説明しようとした話なら、廃診療所でポラロイドを撮った友人の話もあります。時間そのものが抜け落ちた話は、松林の平屋の話に書き残しました。

あの問題集は、いまも実家の押し入れに入れてあります。

高校に上がってから、一度も開いていません。

開けば、折り目が増えているような気がするからです。

押し入れの段ボールには、油性ペンで「受験」とだけ書いてあります。

帰省のたび、その箱の上に、母が何か別のものを積んでいきます。

去年は扇風機でした。今年は、使っていない炊飯器でした。

私は毎年それを見て、そのまま襖を閉めます。

いま、私は校正の仕事をしています。

赤を入れた箇所が、翌朝、直っていることがあります。

自分で直した記憶がないのに、もう直っている。

同僚は、寝ぼけて直したんだろうと笑います。

私は笑い返して、その日はもう、ゲラの角を折りません。

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