お婆さんの願い

お婆さんの願い

戸が開いていた一軒

平成八年の六月です。

私は愛媛の内子町の役場に勤めていました。

水道課の二年目で、二十六でした。

その日は残業で、役場を出たのが九時過ぎ。

官舎までは、白壁の通りを抜けて十五分ほど歩きます。

内子は木蝋の町です。

ハゼの実から蝋を搾って、天日で晒して白くする。

いまは観光の看板に書いてあるだけの話ですが、当時はまだ、その匂いを覚えている年寄りがいました。

通りの家は、夜はどこも戸を閉めています。

観光地の顔をした町ですが、暮らしている人はきちんと閉めます。

その晩、戸が開いていたのは、その一軒だけでした。

正確には、細く開いていました。

拳が入るくらいの幅です。

中は暗く、灯りは点いていません。

その隙間から、手だけが出ていました。

私を手招きしていました。

お婆さんの願い

高いところの物でも取ってほしいのだろう、と思いました。

そういう頼まれ方は、田舎の役場にいるとよくあります。

私は近寄って、声をかけました。

「どうしました」

戸がもう少し開いて、中の人が見えました。

小柄なお婆さんでした。

八十は越えていたと思います。

髪はきれいに撫でつけてありました。

その人が、私の顔をじっと見上げてから、言いました。

「お金をあげますけん、これを灯し切ってください」

差し出されたのは、細い蝋燭でした。

長さは指ほど。

色は白ではなく、薄い黄色でした。

表面がざらついていて、機械で作ったものではないと分かりました。

私は意味が分かりませんでした。

「うちで、灯すんじゃいけんのですか」

お婆さんは首を振りました。

「わたしは、もう灯せんのです」

それ以上の説明はありませんでした。

私は断りました。

よその家の火の始末を引き受けるわけにはいきません。

そう言って、頭を下げて、その場を離れました。

十歩ほど歩いて振り返ると、戸はもう閉まっていました。

掌の百円

官舎に着いて、鍵を出そうとしたときです。

右手が握られたままでした。

開くと、百円玉が一枚ありました。

受け取った覚えはありません。

お婆さんは蝋燭を差し出しただけで、金には触れていない。

そのはずでした。

私は玄関でしばらく立っていました。

硬貨は温かくありませんでした。

むしろ、握っていたのに冷たかった。

翌朝、その家の前を通りました。

表札は出ていませんでした。

戸はぴたりと閉まって、蜘蛛の巣が張っていました。

一晩で張る量ではありません。

私は役場に着いてから、検針の台帳を引きました。

水道課ですから、その気になれば調べられます。

その番地の記録は、確かにありました。

使用水量は、十三年間ずっとゼロです。

それなのに、基本料金の請求は毎月続いていました。

そして、毎月きちんと納められていました。

納付は現金で、窓口払い。

誰が払いに来ているのか、担当は覚えていませんでした。

三和土の蝋燭

その週から、妙なものが目につくようになりました。

通りの家の玄関先です。

三和土の隅に、細い蝋燭が一本ずつ置いてある。

どの家にもありました。

色も長さも、あの晩に差し出されたものと同じです。

観光客はまず気づきません。

外から見える位置ではないからです。

私は同僚に訊きました。

水道課の主任で、この町で生まれ育った人です。

「あれ、何かの行事ですか」

主任は書類から目を上げずに答えました。

「晒しの季節はな、戸を細う開けて寝るんよ」

「なんでです」

「置いてもらうためやろ」

それだけでした。

何を置いてもらうのかは言いませんでした。

訊き返そうとしたら、電話が鳴って、話は終わりました。

その日の帰り、私は自分の官舎の三和土を見ました。

何もありませんでした。

少しほっとしました。

そのときは、まだ。

観光案内所の恒子さん

その頃、通りの観光案内所に恒子さんという人がいました。

五十くらいの、よく喋る人です。

観光客に木蝋の説明をするのが仕事でした。

私は昼休みに寄って、遠回しに訊いてみました。

蝋燭を玄関に置く習慣について、です。

恒子さんは、パンフレットを畳む手を止めました。

「あんた、どこの家の子」

役場の官舎です、と答えました。

よその者だ、という意味の質問だと分かりました。

恒子さんは、少し声を落としました。

「あれはね、観光の人には言わんことになっとるんよ」

それでも教えてくれたのは、私が役場の人間だったからだと思います。

恒子さんの家では、母親が毎年六月に戸を細く開けていた。

恒子さんが子どもの頃、一度だけ、置かれた蝋燭を灯し忘れたそうです。

朝になって気づいて、慌てて灯した。

母親は何も言いませんでした。

かわりに、その日から一週間、玄関に塩を盛ったそうです。

「間に合うたんかどうか、いまも分からん」

恒子さんはそう言って、パンフレットを畳み直しました。

「うちは、次の年から二本置かれるようになったけん」

私は、その意味を訊きませんでした。

減らない蝋

六月の終わりに、私はあの蝋燭を手に入れました。

正確には、家に入っていました。

台所の卓の上に、あの薄黄色の一本が置いてあったのです。

鍵はかけていました。

窓も閉めていました。

私は認めたくなくて、それを引き出しにしまいました。

三日ほど、見ないようにしていました。

四日目の晩、灯してみました。

怖かったからではありません。

灯し切れば終わるのなら、それでいいと思ったのです。

火はすぐ点きました。

炎は小さく、まっすぐ立ちました。

蝋の匂いは、獣脂とも石油とも違いました。

青い実を潰したような、渋い匂いでした。

私は卓の前に座って、見ていました。

一時間経ちました。

蝋燭は短くなっていませんでした。

二時間経ちました。

やはり同じ長さです。

ものさしを当てました。

最初に測ったときと、一ミリも変わりません。

かわりに、芯が伸びていました。

燃えた芯は普通、縮んで炭になります。

その芯は、下から押し出されるように、少しずつ長くなっていました。

私は三時間目に吹き消しました。

川原の晒し場跡

翌週の日曜、私は晒し場の跡を見に行きました。

場所は、町史の地図で見当がつきました。

小田川の河原に下りる、細い道の先です。

いまは草地になっています。

石を並べた跡だけが、四角く残っていました。

縦に十間、横に五間ほど。

その四角の内側だけ、草の丈が低いのです。

刈った跡ではありません。

生え方が違いました。

外側は膝まであるのに、内側は足首までしかない。

私はその四角の中に入りました。

入った瞬間、風が止みました。

河原ですから、風はいつでもあります。

その日も、外では葦が鳴っていました。

四角の中だけ、無音でした。

耳が詰まったのとは違います。

川の音は聞こえていました。

風の音だけが、ありませんでした。

足元を見ると、石の隙間に白いものが挟まっていました。

指で掻き出すと、蝋の欠片でした。

四十年以上、雨に打たれてきたはずのものです。

それが、削りたてのように白かった。

私はそれを、その場に戻しました。

四角から出ると、風の音が戻ってきました。

晒し場が閉じた年

七月に入って、私は資料室に籠りました。

町史の編纂で残された、木蝋関係の綴りがあります。

晒し場というのは、蝋を天日に当てて白くする場所です。

川原に近い、風の通る土地に作られました。

内子の晒し場は、昭和三十年に閉じています。

石油や電気の蝋燭に押されて、需要がなくなったからです。

綴りの中に、当時の組合の帳面が挟まっていました。

最後の年の記録に、こんな一行がありました。

「灯し残し 一。次へ回す」

それ以降の頁は、白紙でした。

私は町史の担当をしていた、大野さんという人を訪ねました。

九十近い、耳の遠い人でした。

蝋燭の話をすると、大野さんは急に耳が良くなりました。

「あんた、もろたんか」

私は、断ったと答えました。

大野さんは笑いませんでした。

「断れるもんやない」

そして、こう教えてくれました。

晒し場から帰る者は、必ずどこか一軒の前に蝋燭を一本置いて帰った。

置かれた家の者は、翌朝までにそれを灯し切る。

それが、その日の仕事を終わらせる合図だった。

灯し切れなかった蝋は、次の家へ回る。

「回っとる限りは、終わっとらんいうことよ」

何が終わっていないのか。

それは訊けませんでした。

戸を細く開けて寝る理由

大野さんの話で、主任の言葉の意味が分かりました。

戸を細く開けて寝るのは、蝋燭を置いてもらうためでした。

閉めてしまえば、置けません。

置けなければ、蝋は次へ回れません。

回れなければ、持っている家に留まり続ける。

この町の人は、それを知っていて、毎年六月に戸を開けます。

回してやるためです。

あの晩、通りで戸が開いていたのは一軒だけでした。

私は、それを異常だと思っていました。

逆でした。

開いていたのはあの家だけではなく、あの家だけが「まだ開けていた」のです。

他の家は、その晩すでに置かれ終わって、閉めたあとだった。

最後の一軒が、あのお婆さんの家でした。

そして、私が通りかかった。

お婆さんは、次に回す相手を探していたのです。

「わたしは、もう灯せんのです」

あの言葉は、そのままの意味でした。

芯を切ってみた夜

大野さんの話を聞いた晩、私はもう一度あの蝋燭を灯しました。

そして、芯を切ってみました。

伸びていく芯を、鋏で根元から詰めたのです。

普通なら、火は消えます。

消えませんでした。

切った芯の先が、そのまま燃え続けていました。

切り落としたほうも、卓の上で燃えていました。

二つに増えたのです。

私は慌てて、切ったほうを湯呑みの水に落としました。

じゅう、と音がして、それは消えました。

水の中で、黒い糸のようにほどけていきました。

残ったほうは、まだ立っていました。

私は蝋燭を吹き消して、その晩は灯りをつけたまま寝ました。

翌朝、湯呑みの水は空でした。

蒸発したのだと思いたいのですが、六月です。

湯呑みの底に、黒い糸が沈んでいました。

それは、前の晩より長くなっていました。

以来、私は芯に触っていません。

触れば増えるのだと思います。

百円の意味

大野さんに、百円のことを話しました。

大野さんは、しばらく黙ってから言いました。

「代を払うんは、渡すほうよ」

蝋燭を渡すとき、渡す側が受け取る側に金を渡す。

それが手続きだったのだそうです。

金を受け取れば、引き受けたことになる。

断ったつもりでも、掌に入っていれば同じです。

私は、いつ受け取ったのか、いまだに分かりません。

硬貨は、いまも財布の内側の袋に入れてあります。

使えません。

使ってしまえば、返す先がなくなるからです。

大野さんは、最後にこう言いました。

「あの家の婆さんはな、わしの二つ上や」

「昭和三十年の夏に、もろた人よ」

四十一年です。

四十一年、あのお婆さんは灯し続けようとして、灯し切れなかった。

そして、私に回した。

記録に残したこと

私は役場に報告書を出しました。

空き家の管理と、水道料金の納付者不明について、という形にしました。

蝋燭のことは書けません。

書けば、二年目の職員の頭を疑われます。

報告書は受理され、綴りに入りました。

翌年、別件でその綴りを開きました。

私の報告書の頁だけが、ありません。

目次には残っています。

頁番号も飛んでいません。

差し替えられたのでもなく、最初からその紙が薄いような具合でした。

あの家は、いまも建っています。

表札は出ていません。

水道の請求は、いまも毎月出ています。

そして毎月、誰かが払っています。

一度だけ、納付の日に窓口を見張ったことがあります。

平成十年の八月です。

その番地の納付は、毎月十五日に記録されていました。

私は十五日の朝から、窓口の後ろに座っていました。

昼になっても、それらしい人は来ません。

夕方、窓口を閉めてから、その日の入金を確認しました。

記録には、その番地の納付が入っていました。

時刻は、午前十時四十分。

私はその時刻、確かに窓口を見ていました。

誰も来ていません。

領収の控えを見ました。

受付印は、正しく押されていました。

押した職員の欄には、私の判が入っていました。

いまも六月になると

私は三十年近く、この町にいます。

役場も定年が近くなりました。

引っ越しは、しませんでした。

できませんでした。

六月になると、私は玄関の戸を細く開けて寝ます。

拳が入るくらいの幅です。

そうすると、朝になって三和土に一本置かれていることがあります。

その年は、灯します。

何時間灯しても短くなりませんが、灯します。

置かれていない年もあります。

その年は、私が誰かの家の前に置きます。

誰の家に置いたかは、覚えないようにしています。

覚えると、その家の戸が閉まる音まで数えてしまうからです。

去年、主任だった人の葬儀がありました。

あの日「置いてもらうためやろ」と言った人です。

香典を出しに行って、玄関で足が止まりました。

三和土に、蝋燭が二本ありました。

恒子さんの家の話を、そこで思い出しました。

二本になるのは、灯し忘れた家です。

私はその二本を見ないふりをして、上がらせてもらいました。

帰り際、遺族の方が「一本、持って行きませんか」と言いました。

断り方が分かりませんでした。

結局、持って帰りました。

いまも、引き出しに二本入っています。

どちらが主任のものか、もう分かりません。

並べて置くと、長さが同じになるからです。

測っても、同じでした。

あの晩から、私は百円玉を握ったままです。

私は、あの百円を、まだ返せていません。

返す相手は、たぶんもう、あの通りにはいません。

この話を書き留めたあとで

この土地には、置き場所が決まっている物の話がいくつも残っています。

名前のほうが先に土地から消えていく話として名前を失くした峠のバス停を、返事だけが遅れて届く話として無音のテープに入った返事を、ここに並べて置いておきます。

どれも、受け取ったかどうかを本人が決められない話です。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
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