
二年一組の教室には、四月の初めから、机が一つ多く並んでいました。
誰も、そのことを不思議に思いませんでした。
敦賀の中学では、よくあることだったからです。
年度の途中で人が増える町でした。
増えるぶんの席を、先に用意しておく。
それだけのことだと、僕たちは思っていました。
机が一つ多い
僕がその中学に通っていたのは、十年ほど前です。
湾に面した坂の上に、校舎が建っていました。
三階の窓からは、フェリーの着く岸壁が見えます。
春先は、風で窓がよく鳴りました。
敦賀は、人の出入りの多い町です。
港の関係、工事の関係、電力の関係。
そういう仕事の家は、年度の途中でも動きます。
僕のクラスも、一年のときに三人が転校していきました。
始業式の日、担任の田渕先生が席順を配りました。
三十七人のクラスに、机が三十八ありました。
いちばん後ろの、廊下側です。
「先生、机が多いですけど」
「あとで来るから」
先生は、それだけ言いました。
誰が来るとも、いつ来るとも言いませんでした。
その日、席順の紙にも、名前が三十八ありました。
いちばん最後の行に、片仮名の名前が一つだけ入っていました。
僕はそれを、まだ配属の決まっていない子の名前だと思いました。
そういう紙を、この町の子は見慣れています。
※
その席には、物を置かない決まりがありました。
誰が決めたのかは分かりません。
ただ、掃除の時間に誰かが雑巾をそこに置くと、必ず誰かがどける。
そういう空気がありました。
先輩たちも、同じようにしていたそうです。
「予備の机には、置かんとけ」
部活の三年生に、そう言われた記憶があります。
理由は、聞きませんでした。
中学生というのは、理由を聞かないものです。
※
いま思えば、その年は転入生の来るのが遅い年でした。
隣の二組には、六月に一人来ています。
三組には、九月に来ました。
どちらのクラスも、予備の机はその日に埋まりました。
そのことに気づいたのは、ずっとあとです。
気づいてから、当時のクラス写真を並べてみました。
二組と三組は、人数と名前の数が合っています。
合っていないのは、一組だけでした。
この町の出入り
敦賀の町のことを、少しだけ書いておきます。
湾があって、港があって、そこから船が出ます。
その周りに、工事や保守の会社がいくつもあります。
働く人は、二年か三年で入れ替わります。
家族ごと動く人も、単身で来る人もいます。
だから、学校の人数は年の途中でよく変わりました。
一年のときも、二学期に一人転校していきました。
朝の会で、先生が「きょうまでです」と言って、それで終わりです。
送る会もありません。
そういうことに、僕たちは慣れていました。
慣れているというより、覚えないようにしていたのだと思います。
覚えても、いなくなるからです。
※
いま、僕はフェリーの乗り場で働いています。
乗船名簿を扱う仕事です。
名簿というのは、人数が合わないと出せません。
一人多くても、一人少なくても、船は出しません。
この仕事に就いてから、僕はあの教室のことをよく思い出すようになりました。
あのとき、数が合っていないことに誰も困らなかったのが、いま考えると妙なのです。
牛乳が一本余り、原稿用紙が一枚多く、身体測定の母数だけが少ない。
それを、僕たちは一年間、じゃんけんで片づけていました。
四班のキミアキ
五月の連休が明けて、席替えと班分けがありました。
模造紙に班の名前を書いて、教室の後ろに貼ります。
四班のところに、見慣れない名前がありました。
キミアキ、と片仮名で書いてありました。
苗字はありません。
「これ、誰が書いたん」
「知らん」
「田渕先生やろ」
そんな話をした覚えがあります。
それきり、誰も気にしませんでした。
おかしいのは、そのあとです。
六月には、キミアキが四班の一員として、当たり前にいました。
給食を運び、掃除の当番をし、昼休みに冗談を言います。
背は僕より少し高くて、髪は短めでした。
声も、はっきり覚えています。
笑うとき、少し肩を落とす癖がありました。
制服は、うちの学校のものでした。
上履きの踵には、二年の色のテープが貼ってありました。
体操着の胸の布に、名前が刺してありました。
片仮名で、キミアキとだけです。
苗字がないことを、僕は一度も変だと思いませんでした。
下の名前で刺している子は、ほかにもいたからです。
兄や姉のお下がりを使う家は、そうします。
※
キミアキのことを、僕は特別に思っていませんでした。
むしろ、話しやすいほうでした。
成績の話も、部活の話もしません。
そのぶん、こちらの話をよく聞きました。
「おまえ、うちどこ」
一度、そう訊いたことがあります。
「このへん」
「このへんて、どこ」
「まだ、決まってないんや」
そのときは、引っ越してきたばかりで仮住まいなのだと思いました。
敦賀には、そういう家が本当にあります。
社宅が空くまで、月ぎめの宿にいる家族です。
だから僕は、それ以上訊きませんでした。
※
部活の三年生に、一度だけその名前を出したことがあります。
「一組のキミアキ、知っとる?」
先輩は、ラケットの手を止めました。
「その名前、うちらのときもおったよ」
「同じ名前で、ですか」
「おう。三組やったかな」
「その人、どうなったんですか」
「知らん。途中でおらんくなった」
先輩は、それきり練習に戻りました。
戻る前に、一言だけ言いました。
「あんまり、呼ばんほうがええぞ」
その言い方が、忠告なのか、からかいなのかは分かりませんでした。
走ったはずのアンカー
九月の体育祭で、クラス対抗のリレーがありました。
アンカーは、キミアキでした。
推薦したのは僕です。
足が速いのを、体育の時間に見ていたからです。
当日、うちのクラスは二位でした。
最後の直線で、一つ抜かれました。
抜かれた瞬間の、周りの声まで覚えています。
白いラインの内側で、砂が跳ねていました。
その日は風が強くて、テントの布が鳴っていました。
母が来ていて、二階の窓のあたりから見ていたはずです。
あとで訊くと、母は一組のアンカーを覚えていませんでした。
「二番やったよね」
「うん」
「最後の子、誰やったっけ」
そのとき僕は、名前を言いませんでした。
言おうとして、口が動かなかったのです。
キミアキは、ゴールのあと、膝に手をついていました。
僕は水筒を持って行きました。
「わりぃ」
「ええって」
それだけの会話でした。
※
おかしいと最初に思ったのは、その次の週です。
体育委員が、記録用紙を掲示板に貼りました。
各クラスの走順と、区間タイムが並んでいます。
二年一組のアンカーの欄だけ、空いていました。
名前も、タイムもありません。
ほかのクラスは、全部埋まっています。
「書き忘れやろ」
「体育委員、誰やっけ」
「谷口」
谷口に訊きに行きました。
谷口は、記録を取ったバインダーを出してきました。
その紙でも、うちのアンカーの欄は空でした。
「おれ、走った人の名前は全部書いたけど」
「うち、誰が走ったか覚えとる?」
谷口は、少し考えてから言いました。
「一組、アンカーおったっけ」
僕は、笑いました。
冗談だと思ったからです。
谷口は、笑いませんでした。
バインダーをめくって、走順の紙をもう一度見ています。
「五走までは書いてある」
「六走が空なんやろ」
「うち、六人で走ったんかな」
「六人やろ」
「五人でも、二位になれるかな」
その話は、そこで終わりました。
終わらせたのは、僕のほうです。
数の合わない冬
冬になると、数の合わないものが増えました。
給食の牛乳は、いつも一本余りました。
余った牛乳は、じゃんけんで誰かが飲みます。
牛乳の本数はクラスの人数で届くので、三十七本のはずです。
それが、毎日三十八本ありました。
誰も、給食室に言いに行きませんでした。
じゃんけんが楽しかったからです。
身体測定の記録も、そうでした。
保健室の前に貼り出される平均身長の下に、母数が書いてあります。
一組だけ、三十七でした。
キミアキは、その日、確かに列に並んでいました。
※
一月に、学級文集の原稿を書きました。
四百字詰めの原稿用紙を、一人一枚です。
集めたのは僕でした。
数えると、三十八枚ありました。
三十八枚目には、何も書いてありませんでした。
名前の欄も、白いままです。
誰かの書き損じだと思って、僕はそれを机の中に入れました。
そのまま、卒業まで入れっぱなしにしていました。
いま、その紙は手元にありません。
教室を出るときに、どうしたのかを覚えていないのです。
三十七か三十八か
十月の修学旅行のときにも、同じことがありました。
宿の部屋割りは、三十七名で組まれていました。
バスの座席表は、三十八でした。
誰も、それを指摘しませんでした。
バスの中で、僕の隣にはキミアキが座っていました。
途中のパーキングで、こういう話をしました。
「おまえ、部屋どこ」
「行けばわかる」
「わかるて」
「余っとるとこに入るし」
笑いながら言うので、僕も笑いました。
宿に着いてから、班ごとに部屋の鍵を受け取りました。
キミアキは、鍵をもらう列に並んでいませんでした。
ロビーの端の、柱のところに立っていました。
荷物は、持っていませんでした。
僕はそのとき、置いてきたのだろうと思いました。
バスの荷物室に、鞄が一つ残っていたかどうかは、覚えていません。
その晩、僕は自分の部屋の布団の数を数えませんでした。
いま思えば、それが唯一の心残りです。
※
十一月の日曜日に、キミアキが僕の家の前まで来ました。
チャイムは鳴らしませんでした。
庭の塀の外に立って、こちらを見ていました。
僕は玄関を開けて、上がっていくように言いました。
「ええわ」
「なんで」
「用事、思い出した」
そう言って、坂を下りていきました。
母が、うしろから訊きました。
「友達?」
「うん」
「どこの子」
僕は、そこで初めて詰まりました。
十一月になっても、僕はその家を知りませんでした。
母は、坂の下を見ていました。
「あんた、誰と喋っとったん」
「だから、友達やって」
「今、外に誰かおったか」
僕は、玄関から首を出しました。
坂には、まだ後ろ姿が見えていました。
母は、同じ方向を見ていました。
それきり、その話はしませんでした。
記入見本
二月の終わりに、僕は事務室の手伝いをしました。
卒業式の名簿の袋詰めです。
紙の束を運んでいるとき、古いファイルが棚から落ちました。
拾い上げると、名簿の書き方の見本でした。
ずいぶん古い紙で、縁が茶色くなっていました。
枠の中に、氏名の書き方の例が印刷してあります。
その例が、こうでした。
敦賀 キミアキ
僕は、しばらくその紙を持ったまま立っていました。
事務の方が、横から覗き込みました。
「ああ、それ古いやつやね」
「これ、なんですか」
「昔の見本。書き方の」
「この名前は」
「例やろ。山田太郎みたいなもんや」
そう言われれば、そうです。
けれど僕は、その紙を返せませんでした。
事務の方は、僕の顔を見て、少しだけ声を落としました。
「毎年ね、名簿を組むときに、仮の名前を入れるんよ」
「仮の、ですか」
「空欄で出すと、市の書類が戻ってくるでな」
「その仮の名前が、これですか」
「昔の人が、この見本のまま入れたんやろね」
その方は、ファイルを棚に戻しました。
「途中で誰か来たら、その場で直す。それだけの話や」
「来なかったら、どうなるんですか」
その方は、少し笑いました。
「来んことは、まあ、ないわ」
※
あとから、田渕先生に一度だけ訊きました。
予備の机のことです。
先生は、廊下の窓のほうを向いたまま答えました。
「この町は、途中で来る子が多いやろ」
「はい」
「来てから席を作ると、班も掃除当番も全部やり直しになる」
「だから、先に作るんですね」
「そう。名前も、先に入れる」
「名前も、ですか」
「空欄やと、書類が通らんのや」
予備の席は、転入生が来た日に名前を書き替えることになっていました。
その決まりを、僕はそのとき初めて知りました。
だから僕は、続けて訊きました。
「うちのクラス、去年、転入生って来ましたか」
先生は、答えませんでした。
廊下の窓が、風で一度鳴りました。
「来る」
やがて、先生はそう言いました。
「来るって、いつですか」
「三月までには、来る」
その言い方は、予定を知っている人の言い方ではありませんでした。
そうであってほしい、と願っている人の言い方でした。
僕は、そこで質問をやめました。
やめたのは、先生の手が、窓枠を握っていたからです。
三月の転入生
三月の初め、二年一組に転入生が来ました。
名前は、ここには書きません。
港のほうの会社に、親が移ってきた子でした。
田渕先生が、その子を教室に連れてきました。
そして、いちばん後ろの廊下側を指しました。
三月に来た転入生が座ったのは、キミアキの席でした。
※
その日から、キミアキは学校に来ていません。
誰かが「転校したらしい」と言いました。
どこへ、とは誰も言いませんでした。
僕は、担任にも事務室にも訊きに行きませんでした。
訊けば、名前を口に出すことになるからです。
予備の席の名前は呼ばない。
その決まりだけは、なぜか、体が覚えていました。
都市伝説のようなものだと言われれば、そうかもしれません。
実際、いまでも卒業生のあいだで、その名前は語り継がれています。
やくざの息子だったという人もいます。
どこかの家の事情のある子だったという人もいます。
先生たちは、この話になると、決まって黙りました。
僕は、そのどれでもないと思っています。
卒業アルバムには、キミアキが写っています。
二列目の右から四番目です。
下の名前の欄は、そこだけ空白のまま印刷されています。
——カヨさんは人の名ではないや、お化け屋敷を読んだときにも、僕は同じ種類の落ち着かなさを覚えました。
いま、僕はフェリーターミナルで働いています。
去年、同窓会の名簿を作る係になりました。
二年一組の欄を、僕はまだ埋めていません。
三十七で刷るか、三十八で刷るかを、決められずにいます。