
音の消えていた三分間
子どもの頃にテレビで見たものが、三十年たっても消えないことがあります。
私の場合は、竹でした。
平成三年の二月です。
日曜の朝に、地方の風習を紹介する番組がありました。
毎週ひとつの土地を取り上げて、祭りや暮らしを追っていく番組です。
その回は、東北の雪深い集落でした。
秋田の、阿仁川をずっと遡ったところにある、笛内という集落です。
私は当時、小学四年でした。
炬燵に入って、みかんを剥きながら見ていました。
※
番組は、雪の前の支度を紹介していました。
薪を積む。
屋根の雪囲いを作る。
そこまでは、よくある内容です。
けれど、最後の場面だけが違いました。
男の人が、長い竹を一本、担いで雪の中を歩いていくのです。
物干し竿より、ずっと長い竹でした。
その人は、家からかなり離れた場所で立ち止まりました。
雪を掘って、竹の根元を差し込みます。
それから、両手で押さえて、しばらくじっとしていました。
ナレーションが、こう言いました。
「雪が積もると、目印がなくなってしまいます」
それだけでした。
何の目印なのかは、言いませんでした。
※
その場面だけ、テレビから音が消えていました。
風の音も、雪を踏む音も、しないのです。
私は音量のつまみを回しました。
回しても、何も聞こえませんでした。
ナレーションが入る一瞬だけ、音が戻る。
そして、また消える。
子どもの私は、テレビの故障だと思いました。
母に言うと、みかんの皮を集めながら、生返事をしました。
「そうかい」
そのまま、番組は終わりました。
白い雪野原に、竹が一本だけ立っている。
その絵が、いまも頭の中にあります。
※
放送局に残っていなかったもの
笛内へ行った翌週、私は放送局に問い合わせをしました。
平成三年の、その回の資料が残っていないかと思ったのです。
電話に出た方は、丁寧に調べてくださいました。
「番組表の記録は残っています」
放送日は、平成三年二月十七日でした。
ただ、映像そのものは残っていないと言われました。
当時の地方向けの番組は、上書きして使い回すのが普通だったそうです。
「取材ノートも、担当者が退職しておりまして」
そこで終わるはずでした。
※
三日後、その方から折り返しの電話がありました。
先輩の職員に聞いてくれたのだそうです。
「あの回のことなら、覚えている者がおりました」
覚えていた理由が、音でした。
編集のとき、その場面だけ、音が録れていなかったというのです。
「機材の不調ということで、そのまま出したそうです」
私は、受話器を持つ手に力が入りました。
「不調というのは、確認されたんですか」
「いえ。前後の場面は、きちんと録れていたそうで」
直前の薪積みの場面には、風の音が入っている。
直後の集落の遠景にも、犬の声が入っている。
その三分間だけが、無音だったのです。
※
私は、そのとき初めて、自分の記憶が正しかったのだと知りました。
子どものころ、音量のつまみを回していた自分に、教えてやりたくなりました。
あれは、テレビのせいではなかったのだと。
けれど、教えたところで、あの子は喜ばないでしょう。
故障だと思っていられるうちのほうが、たぶん、楽なのです。
※
三十年後、その川の上流へ
私はいま、測量の仕事をしています。
おととしの十一月、林道の調査で、阿仁川の上流に入りました。
地図を見ていて、笛内という字を見つけたときは、声が出ました。
あの集落です。
すでに集落としては消えていました。
平成の終わりに、最後の一軒が町へ下りたと記録にあります。
それでも、行ってみたくなりました。
仕事の帰りに、林道を三キロほど戻って、車を停めました。
※
そこは、平らな土地でした。
家の跡は、基礎のコンクリートだけが残っています。
ススキが、腰の高さまで伸びていました。
私は、車を降りて、しばらく立っていました。
風が谷を上ってきて、ススキが一斉に倒れました。
その向こうに、竹が立っていました。
一本です。
新しい竹でした。
青みが、まだ残っていました。
※
誰も住んでいない土地です。
それなのに、今年の秋に切られた竹が、そこにありました。
私は近づきませんでした。
近づいてはいけない気がしたのです。
理由は説明できません。
車に戻って、ドアを閉めてから、もう一度そちらを見ました。
竹は、わずかに傾いていました。
風下ではなく、私が来た林道のほうへです。
※
町の借上げ住宅で聞いた話
役場で、笛内の最後の住人のことを聞きました。
佐藤ハルさんという方が、町の借上げ住宅におられました。
八十六歳で、耳は少し遠いものの、話はしっかりしていました。
私は、テレビの話から切り出しました。
ハルさんは、湯呑みを両手で持ったまま、うなずきました。
「あったな、そういうの。東京から来て、三日おったな」
覚えていたのです。
私は、竹のことを聞きました。
「あれは、何の目印なんですか」
ハルさんは、答えませんでした。
そのかわり、こう言いました。
「どこさ立てたかは、言わねぇことになってるんだ」
※
私は、質問を変えました。
「立てるとき、決まりごとはあるんですか」
ハルさんは、指を三本立てました。
「一軒に、一本。立てる場所は、家の者が決める」
「それから」
「立てるあいだは、口をきかねぇ」
私は、そこで息を呑みました。
「三つ目は」
「春に抜くのは、立てた本人でねぇ。隣の家の者が抜く」
※
竹を立てるあいだ、笛内では、誰も声を出さないのだそうです。
あの音のなさは、故障ではありませんでした。
撮影の人が音を消したのでもありません。
その三分間、笛内には本当に音がなかったのです。
風まで止まる、とハルさんは言いました。
「あれは、こっちが黙るから止まるんでねぇ。止まるから、黙るんだ」
※
雪の下に置いてくるもの
ハルさんは、目印そのものについては、最後まで言いませんでした。
私も、途中から聞かなくなりました。
かわりに、こういう話をしてくれました。
「笛内はな、冬になると、道が切れる」
十一月の末から、四月まで。
雪が二階の窓の高さまで来る年もあったそうです。
「そうなると、家と家のあいだが、なくなるんだ」
私は、なくなる、という言い方が気になりました。
「遠くなる、ということですか」
ハルさんは、首を横に振りました。
「なくなるんだ。歩けねぇもの」
雪の下に、道はあります。
でも、上を歩く人にとっては、ないのと同じだといいます。
「んだから、雪の来る前に、置いてくるんだ」
何を、とは言いませんでした。
※
私は、そのとき、番組の映像を思い出しました。
竹を差し込んだあと、あの人は両手で押さえて、じっとしていました。
あれは、竹が倒れないか確かめていたのだと思っていました。
いまは、そうは思いません。
手を離すのに、時間がかかっていたのです。
※
ハルさんは、湯呑みのふちを親指でなぞりながら言いました。
「春に、隣の人が抜いてくれるべ」
「はい」
「抜いてもらうと、迎えに行ったことになるんだ」
私は、うまく言葉を返せませんでした。
抜くのが本人ではいけない理由が、そこにありました。
自分で置いてきたものを、自分で迎えに行っては、いけないのです。
誰かが行かないと、そのままになる。
そういう決まりでした。
※
竹立て帳
ハルさんは、公民館の帳面のことを教えてくれました。
「竹立て帳」というものが、昭和のはじめから残っているそうです。
私は、町の資料室で実物を見せてもらいました。
大学ノートを綴じたようなもので、和紙ではありません。
中を開いて、意外に思いました。
書いてあるのは、日付と、二つの名前だけなのです。
立てた者の名前。
抜いた者の名前。
本数も、場所も、書いてありません。
※
ページをめくっていくと、名前が少しずつ減っていきます。
昭和三十年代は、十六軒ありました。
昭和の終わりで、七軒です。
平成三年の欄は、四軒でした。
テレビが来た年です。
その四軒のうち、一軒だけ、様子が違いました。
立てた者の欄には、名前が書いてあります。
抜いた者の欄が、空白なのです。
※
私は、その先のページもめくりました。
平成四年も、五年も、その家の抜いた者の欄は空白でした。
立てた者の欄には、毎年、名前が入っています。
最後の年まで、途切れていません。
抜いた者だけが、一度も埋まらない。
三十年近く、そうなっていました。
※
あの家の当主
私は、資料室のコピーを持って、もう一度ハルさんに会いに行きました。
平成三年の、その一軒の名前を指差しました。
ハルさんは、老眼鏡をかけて、しばらく見ていました。
それから、こう言いました。
「これは、隣の家の名だな」
私は、意味が分かりませんでした。
「立てた人の名前ですよね」
「んだ。立てたのは、この人だ。けども、竹はこの人の家のでねぇ」
ハルさんは、湯呑みを置きました。
「あの年、あの家には、立てられる者が、もうおらんかった」
※
私は、テレビの記憶をたどりました。
ナレーションは、はっきりこう言っていました。
「こちらのお宅のご当主です」
竹を担いでいた人を、そう紹介していたのです。
けれど、その家の当主は、その年にはもう、おられなかった。
あの家の竹を立てていたのは、その家の人ではありませんでした。
撮影の人は、それを知らなかったのでしょう。
集落の人も、訂正しなかったのでしょう。
どこに立てたかは言わない、という決まりです。
誰が立てたかも、たぶん、同じでした。
※
私は、最後にひとつ聞きました。
「立てた家がなくなったら、竹はどうなるんですか」
ハルさんは、少し笑いました。
「隣が立てる」
「隣もいなくなったら」
ハルさんは、笑うのをやめました。
そして、湯呑みの底を見たまま言いました。
「そったら話は、したことがねぇ」
※
空中写真に写っていた点
測量が仕事なので、古い空中写真を見る手立てがあります。
私は、笛内の写真を年代順に並べてみました。
昭和四十二年、五十一年、六十年、平成八年。
雪のない時期の撮影です。
家の屋根と、畑と、川が写っています。
拡大していくと、家から少し離れたところに、細い影があるのが分かりました。
棒のようなものが、地面に落とす影です。
一軒につき、一つ。
※
私は、そこで手が止まりました。
雪の前に立てて、春に抜くのなら、夏の写真に写るはずがないのです。
抜いていないのか。
それとも、抜いたあとの穴に、何か別のものが立っているのか。
写真の解像度では、そこまでは分かりませんでした。
影の長さから、高さは二メートル前後と出ました。
竹にしては、短すぎます。
※
もうひとつ、気づいたことがあります。
影の向きが、どれも同じではありませんでした。
太陽の位置が同じなら、影は同じ方角へ伸びるはずです。
ところが、何本かは、明らかに向きがずれていました。
まっすぐ立っていないのです。
私は、傾きの方角を一本ずつ計算しました。
どれも、集落の外へ出ていく道のほうを向いていました。
※
この結果を、私はハルさんに言いませんでした。
言えば、確かめに行きたくなるからです。
確かめに行きたくなったら、たぶん、近づいてしまいます。
近づかねがったんなら、いい。
あの言葉を、私は守ることにしました。
※
いま、あそこに立っているもの
笛内の最後の一軒が下りたのは、平成の終わりです。
その年の竹立て帳の最後の行は、立てた者も、抜いた者も、空白でした。
帳面は、そこで終わっています。
それなのに、おととしの十一月、あの土地には新しい竹が一本立っていました。
誰が切って、誰が担いで、誰が雪を掘ったのか。
役場に聞いても、分かりませんでした。
「山菜採りの人が、目印に立てたんじゃないですか」
担当の方は、そう言いました。
十一月に、山菜は出ません。
私は、それを言いませんでした。
※
ハルさんは、去年の春に施設へ移られました。
会いに行ったとき、私のことは覚えておられました。
「竹の兄ちゃんだ」
そう呼ばれました。
帰りぎわに、こう言われました。
「あんた、行ったんだべ」
私は、はい、と答えました。
ハルさんは、それ以上、何も聞きませんでした。
ただ、こう付け足しました。
「近づかねがったんなら、いい」
※
去年の十一月、私は自分の家の玄関脇に、物干し竿を一本立てました。
理由は、自分でもよく分かりません。
妻には、洗濯物を干すためだと言いました。
立てているあいだ、私は一言も口をききませんでした。
それも、自然にそうなったのです。
翌朝、竿は、わずかに傾いていました。
風下ではなく、私が毎朝、家を出ていく方角へです。
※
春になっても、私はその竿を抜いていません。
抜くのは、立てた本人ではいけないからです。
隣の家の方に頼むという考えは、何度も浮かびました。
そのたびに、やめています。
頼んだら、来年は、その方が立てる側になるような気がするのです。
今年の十一月が、もうすぐ来ます。
今年の十一月が来る前に、私は一度だけ、隣の家のご主人と立ち話をしました。
竿のことを聞かれるかと思っていたのに、何も聞かれませんでした。
そのかわり、去年の暮れに、ご主人の家の庭にも竿が一本、増えていました。
洗濯物は、一度も掛かっていません。
※
ひとつだけ、まだ書いていないことがあります。
資料室で竹立て帳を見ていたとき、最後のページの裏に、鉛筆の書き込みがありました。
帳面の枠の外です。
字は震えていて、ハルさんの筆跡に似ていました。
「たてる人がおらんくなったら、たてられる側になるだけだ」
それだけでした。
日付はありません。
コピーを取ろうとしたら、係の方に断られました。
帳面の記載ではないから、という理由です。
私は、それを手帳に書き写しました。
いま読み返すと、自分の字なのに、少しだけ震えています。
※
土地の決まりごとが、人のいなくなったあとも続いていた話として、泥炭を毎晩積み直す家の話と、帳面に日数を書かれない客の話も、あわせてお読みいただけたらと思います。
あの三分間の無音を、私は今も、テレビの故障だったと思うことができません。