雪の前に立てる一本の竹

雪の前に立てる一本の竹

音の消えていた三分間

子どもの頃にテレビで見たものが、三十年たっても消えないことがあります。

私の場合は、竹でした。

平成三年の二月です。

日曜の朝に、地方の風習を紹介する番組がありました。

毎週ひとつの土地を取り上げて、祭りや暮らしを追っていく番組です。

その回は、東北の雪深い集落でした。

秋田の、阿仁川をずっと遡ったところにある、笛内という集落です。

私は当時、小学四年でした。

炬燵に入って、みかんを剥きながら見ていました。

番組は、雪の前の支度を紹介していました。

薪を積む。

屋根の雪囲いを作る。

そこまでは、よくある内容です。

けれど、最後の場面だけが違いました。

男の人が、長い竹を一本、担いで雪の中を歩いていくのです。

物干し竿より、ずっと長い竹でした。

その人は、家からかなり離れた場所で立ち止まりました。

雪を掘って、竹の根元を差し込みます。

それから、両手で押さえて、しばらくじっとしていました。

ナレーションが、こう言いました。

「雪が積もると、目印がなくなってしまいます」

それだけでした。

何の目印なのかは、言いませんでした。

その場面だけ、テレビから音が消えていました。

風の音も、雪を踏む音も、しないのです。

私は音量のつまみを回しました。

回しても、何も聞こえませんでした。

ナレーションが入る一瞬だけ、音が戻る。

そして、また消える。

子どもの私は、テレビの故障だと思いました。

母に言うと、みかんの皮を集めながら、生返事をしました。

「そうかい」

そのまま、番組は終わりました。

白い雪野原に、竹が一本だけ立っている。

その絵が、いまも頭の中にあります。

放送局に残っていなかったもの

笛内へ行った翌週、私は放送局に問い合わせをしました。

平成三年の、その回の資料が残っていないかと思ったのです。

電話に出た方は、丁寧に調べてくださいました。

「番組表の記録は残っています」

放送日は、平成三年二月十七日でした。

ただ、映像そのものは残っていないと言われました。

当時の地方向けの番組は、上書きして使い回すのが普通だったそうです。

「取材ノートも、担当者が退職しておりまして」

そこで終わるはずでした。

三日後、その方から折り返しの電話がありました。

先輩の職員に聞いてくれたのだそうです。

「あの回のことなら、覚えている者がおりました」

覚えていた理由が、音でした。

編集のとき、その場面だけ、音が録れていなかったというのです。

「機材の不調ということで、そのまま出したそうです」

私は、受話器を持つ手に力が入りました。

「不調というのは、確認されたんですか」

「いえ。前後の場面は、きちんと録れていたそうで」

直前の薪積みの場面には、風の音が入っている。

直後の集落の遠景にも、犬の声が入っている。

その三分間だけが、無音だったのです。

私は、そのとき初めて、自分の記憶が正しかったのだと知りました。

子どものころ、音量のつまみを回していた自分に、教えてやりたくなりました。

あれは、テレビのせいではなかったのだと。

けれど、教えたところで、あの子は喜ばないでしょう。

故障だと思っていられるうちのほうが、たぶん、楽なのです。

三十年後、その川の上流へ

私はいま、測量の仕事をしています。

おととしの十一月、林道の調査で、阿仁川の上流に入りました。

地図を見ていて、笛内という字を見つけたときは、声が出ました。

あの集落です。

すでに集落としては消えていました。

平成の終わりに、最後の一軒が町へ下りたと記録にあります。

それでも、行ってみたくなりました。

仕事の帰りに、林道を三キロほど戻って、車を停めました。

そこは、平らな土地でした。

家の跡は、基礎のコンクリートだけが残っています。

ススキが、腰の高さまで伸びていました。

私は、車を降りて、しばらく立っていました。

風が谷を上ってきて、ススキが一斉に倒れました。

その向こうに、竹が立っていました。

一本です。

新しい竹でした。

青みが、まだ残っていました。

誰も住んでいない土地です。

それなのに、今年の秋に切られた竹が、そこにありました。

私は近づきませんでした。

近づいてはいけない気がしたのです。

理由は説明できません。

車に戻って、ドアを閉めてから、もう一度そちらを見ました。

竹は、わずかに傾いていました。

風下ではなく、私が来た林道のほうへです。

町の借上げ住宅で聞いた話

役場で、笛内の最後の住人のことを聞きました。

佐藤ハルさんという方が、町の借上げ住宅におられました。

八十六歳で、耳は少し遠いものの、話はしっかりしていました。

私は、テレビの話から切り出しました。

ハルさんは、湯呑みを両手で持ったまま、うなずきました。

「あったな、そういうの。東京から来て、三日おったな」

覚えていたのです。

私は、竹のことを聞きました。

「あれは、何の目印なんですか」

ハルさんは、答えませんでした。

そのかわり、こう言いました。

「どこさ立てたかは、言わねぇことになってるんだ」

私は、質問を変えました。

「立てるとき、決まりごとはあるんですか」

ハルさんは、指を三本立てました。

「一軒に、一本。立てる場所は、家の者が決める」

「それから」

「立てるあいだは、口をきかねぇ」

私は、そこで息を呑みました。

「三つ目は」

「春に抜くのは、立てた本人でねぇ。隣の家の者が抜く」

竹を立てるあいだ、笛内では、誰も声を出さないのだそうです。

あの音のなさは、故障ではありませんでした。

撮影の人が音を消したのでもありません。

その三分間、笛内には本当に音がなかったのです。

風まで止まる、とハルさんは言いました。

「あれは、こっちが黙るから止まるんでねぇ。止まるから、黙るんだ」

雪の下に置いてくるもの

ハルさんは、目印そのものについては、最後まで言いませんでした。

私も、途中から聞かなくなりました。

かわりに、こういう話をしてくれました。

「笛内はな、冬になると、道が切れる」

十一月の末から、四月まで。

雪が二階の窓の高さまで来る年もあったそうです。

「そうなると、家と家のあいだが、なくなるんだ」

私は、なくなる、という言い方が気になりました。

「遠くなる、ということですか」

ハルさんは、首を横に振りました。

「なくなるんだ。歩けねぇもの」

雪の下に、道はあります。

でも、上を歩く人にとっては、ないのと同じだといいます。

「んだから、雪の来る前に、置いてくるんだ」

何を、とは言いませんでした。

私は、そのとき、番組の映像を思い出しました。

竹を差し込んだあと、あの人は両手で押さえて、じっとしていました。

あれは、竹が倒れないか確かめていたのだと思っていました。

いまは、そうは思いません。

手を離すのに、時間がかかっていたのです。

ハルさんは、湯呑みのふちを親指でなぞりながら言いました。

「春に、隣の人が抜いてくれるべ」

「はい」

「抜いてもらうと、迎えに行ったことになるんだ」

私は、うまく言葉を返せませんでした。

抜くのが本人ではいけない理由が、そこにありました。

自分で置いてきたものを、自分で迎えに行っては、いけないのです。

誰かが行かないと、そのままになる。

そういう決まりでした。

竹立て帳

ハルさんは、公民館の帳面のことを教えてくれました。

「竹立て帳」というものが、昭和のはじめから残っているそうです。

私は、町の資料室で実物を見せてもらいました。

大学ノートを綴じたようなもので、和紙ではありません。

中を開いて、意外に思いました。

書いてあるのは、日付と、二つの名前だけなのです。

立てた者の名前。

抜いた者の名前。

本数も、場所も、書いてありません。

ページをめくっていくと、名前が少しずつ減っていきます。

昭和三十年代は、十六軒ありました。

昭和の終わりで、七軒です。

平成三年の欄は、四軒でした。

テレビが来た年です。

その四軒のうち、一軒だけ、様子が違いました。

立てた者の欄には、名前が書いてあります。

抜いた者の欄が、空白なのです。

私は、その先のページもめくりました。

平成四年も、五年も、その家の抜いた者の欄は空白でした。

立てた者の欄には、毎年、名前が入っています。

最後の年まで、途切れていません。

抜いた者だけが、一度も埋まらない。

三十年近く、そうなっていました。

あの家の当主

私は、資料室のコピーを持って、もう一度ハルさんに会いに行きました。

平成三年の、その一軒の名前を指差しました。

ハルさんは、老眼鏡をかけて、しばらく見ていました。

それから、こう言いました。

「これは、隣の家の名だな」

私は、意味が分かりませんでした。

「立てた人の名前ですよね」

「んだ。立てたのは、この人だ。けども、竹はこの人の家のでねぇ」

ハルさんは、湯呑みを置きました。

「あの年、あの家には、立てられる者が、もうおらんかった」

私は、テレビの記憶をたどりました。

ナレーションは、はっきりこう言っていました。

「こちらのお宅のご当主です」

竹を担いでいた人を、そう紹介していたのです。

けれど、その家の当主は、その年にはもう、おられなかった。

あの家の竹を立てていたのは、その家の人ではありませんでした。

撮影の人は、それを知らなかったのでしょう。

集落の人も、訂正しなかったのでしょう。

どこに立てたかは言わない、という決まりです。

誰が立てたかも、たぶん、同じでした。

私は、最後にひとつ聞きました。

「立てた家がなくなったら、竹はどうなるんですか」

ハルさんは、少し笑いました。

「隣が立てる」

「隣もいなくなったら」

ハルさんは、笑うのをやめました。

そして、湯呑みの底を見たまま言いました。

「そったら話は、したことがねぇ」

空中写真に写っていた点

測量が仕事なので、古い空中写真を見る手立てがあります。

私は、笛内の写真を年代順に並べてみました。

昭和四十二年、五十一年、六十年、平成八年。

雪のない時期の撮影です。

家の屋根と、畑と、川が写っています。

拡大していくと、家から少し離れたところに、細い影があるのが分かりました。

棒のようなものが、地面に落とす影です。

一軒につき、一つ。

私は、そこで手が止まりました。

雪の前に立てて、春に抜くのなら、夏の写真に写るはずがないのです。

抜いていないのか。

それとも、抜いたあとの穴に、何か別のものが立っているのか。

写真の解像度では、そこまでは分かりませんでした。

影の長さから、高さは二メートル前後と出ました。

竹にしては、短すぎます。

もうひとつ、気づいたことがあります。

影の向きが、どれも同じではありませんでした。

太陽の位置が同じなら、影は同じ方角へ伸びるはずです。

ところが、何本かは、明らかに向きがずれていました。

まっすぐ立っていないのです。

私は、傾きの方角を一本ずつ計算しました。

どれも、集落の外へ出ていく道のほうを向いていました。

この結果を、私はハルさんに言いませんでした。

言えば、確かめに行きたくなるからです。

確かめに行きたくなったら、たぶん、近づいてしまいます。

近づかねがったんなら、いい。

あの言葉を、私は守ることにしました。

いま、あそこに立っているもの

笛内の最後の一軒が下りたのは、平成の終わりです。

その年の竹立て帳の最後の行は、立てた者も、抜いた者も、空白でした。

帳面は、そこで終わっています。

それなのに、おととしの十一月、あの土地には新しい竹が一本立っていました。

誰が切って、誰が担いで、誰が雪を掘ったのか。

役場に聞いても、分かりませんでした。

「山菜採りの人が、目印に立てたんじゃないですか」

担当の方は、そう言いました。

十一月に、山菜は出ません。

私は、それを言いませんでした。

ハルさんは、去年の春に施設へ移られました。

会いに行ったとき、私のことは覚えておられました。

「竹の兄ちゃんだ」

そう呼ばれました。

帰りぎわに、こう言われました。

「あんた、行ったんだべ」

私は、はい、と答えました。

ハルさんは、それ以上、何も聞きませんでした。

ただ、こう付け足しました。

「近づかねがったんなら、いい」

去年の十一月、私は自分の家の玄関脇に、物干し竿を一本立てました。

理由は、自分でもよく分かりません。

妻には、洗濯物を干すためだと言いました。

立てているあいだ、私は一言も口をききませんでした。

それも、自然にそうなったのです。

翌朝、竿は、わずかに傾いていました。

風下ではなく、私が毎朝、家を出ていく方角へです。

春になっても、私はその竿を抜いていません。

抜くのは、立てた本人ではいけないからです。

隣の家の方に頼むという考えは、何度も浮かびました。

そのたびに、やめています。

頼んだら、来年は、その方が立てる側になるような気がするのです。

今年の十一月が、もうすぐ来ます。

今年の十一月が来る前に、私は一度だけ、隣の家のご主人と立ち話をしました。

竿のことを聞かれるかと思っていたのに、何も聞かれませんでした。

そのかわり、去年の暮れに、ご主人の家の庭にも竿が一本、増えていました。

洗濯物は、一度も掛かっていません。

ひとつだけ、まだ書いていないことがあります。

資料室で竹立て帳を見ていたとき、最後のページの裏に、鉛筆の書き込みがありました。

帳面の枠の外です。

字は震えていて、ハルさんの筆跡に似ていました。

「たてる人がおらんくなったら、たてられる側になるだけだ」

それだけでした。

日付はありません。

コピーを取ろうとしたら、係の方に断られました。

帳面の記載ではないから、という理由です。

私は、それを手帳に書き写しました。

いま読み返すと、自分の字なのに、少しだけ震えています。

土地の決まりごとが、人のいなくなったあとも続いていた話として、泥炭を毎晩積み直す家の話と、帳面に日数を書かれない客の話も、あわせてお読みいただけたらと思います。

あの三分間の無音を、私は今も、テレビの故障だったと思うことができません。

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