
ばあさんは、誰もおらん店の奥で、ときどき声を上げて笑いよった。
相手はおらん。
それを不思議に思わんかったのは、私がまだ十一で、大人はそういうものだと思うとったからだ。
昭和五十九年の、下関の話をする。
造船所の裏手に、社宅と借家がごちゃごちゃ建て込んだ一角があった。
坂の途中に、駄菓子屋が一軒。
間口は一間半しかなくて、ガラス戸を引くと、いつも線香みたいな匂いがした。
店番をしとったのは、七十くらいの婆さんだった。
みんな「たかのばあちゃん」と呼んどった。
店の奥は畳の間になっていて、その奥に急な階段があった。
二階は物置で、景品の箱が積んである。
くじの当たりが出ると、ばあちゃんが階段を上がって、箱から何か持ってくる。
それが楽しみで、私らは十円玉を握って通っていた。
「ばあちゃん、一等出た」
「ほんまか。見せてみ」
「ほら」
「ふん。ほな、上がって取ってきちゃる」
ばあちゃんは、いつも階段の下でいったん立ち止まってから上がった。
三つ数えるくらい、じっとしとった。
膝が悪いのだと、私は思うとった。
店の品物は、二十円のもんじゃと、十円のくじが中心だった。
くじは箱に入った紙をめくる方式で、当たりが出る確率は、いま思えばずいぶん甘かった。
ばあちゃんは、はずれを引いた子にも、たいてい何か渡していた。
「これは、はずれの人だけがもらえるやつ」
「そんなんある?」
「ある。今つくった」
そう言って、飴玉を一個くれる。
造船所の町だから、親はたいてい交代勤務で、夕方に家に誰もおらん子が多かった。
私もそうだった。
だから、あの店は溜まり場というより、待合所に近かった。
ばあちゃんは、私らが何時まで居ても、追い出さんかった。
ただ、日が暮れると必ず同じことを言った。
「暗うなったら、うしろで音がしても振り向くな」
「なんで」
「振り向いたら、返事したことになるけ」
そのころは、田舎の年寄りが言う縁起担ぎだと思うとった。
※
その冬、大雪が降った。
下関で膝まで積もるのは珍しい。
学校が午前で終わって、私と近所の三人は、行くところがなくてばあちゃんの店に転がり込んだ。
「濡れた足で上がるな」
「靴下しぼった」
「しぼった水はどこ捨てた」
「そこ」
「そこはうちの土間じゃ」
そんなことを言い合いながら、私らは畳の間に座り込んだ。
ばあちゃんは、火鉢に炭を足して、湯を沸かしてくれた。
甘酒が出た。
あんまり甘くなくて、みんな半分残した。
その日、ばあちゃんが妙なことを言った。
「二階、片づけるけ、手伝え」
「ええけど、なんか出る?」
「古い景品が出る。好きなもん持って帰ってええ」
その一言で、私らは飛び上がった。
※
二階は、思ったより広かった。
天井が低くて、大人は腰をかがめんと歩けん。
段ボールが十いくつ積んであって、上のほうは埃で灰色になっとった。
中身は、ほとんど昭和四十年代のものだった。
セルロイドの人形、ブリキの笛、糸の切れたヨーヨー。
私らは大騒ぎしながら、順番に箱を開けていった。
一時間ほどして、いちばん奥の箱の底から、それが出てきた。
巾着袋だった。
白っぽい布に、ピエロの顔がプリントしてある。
口の紐がきつく縛ってあって、ほどくのに苦労した。
「なんじゃこれ」
「笑い袋やろ」
友達の一人が言った。
握ると、中の機械が笑い声を出す玩具だ。
当時でも、もう古い部類のおもちゃだった。
布は、思ったより重かった。
握ると、中でこつんと硬いものが動く。
ピエロの絵は、目のところだけ色が濃く残っていた。
ほかは陽に灼けて、ほとんど白くなっとった。
私は袋を握ってみた。
鳴らない。
何度握っても、うんともすんとも言わん。
「電池切れとるんじゃ」
「換えたら鳴るんかいね」
そう言いながら、私は袋の口から中の機械を引き出した。
手のひらに載るくらいの、白い箱だった。
裏に、電池を入れる蓋がある。
爪を掛けて開けた。
空だった。
電池は、一本も入っとらんかった。
※
そのとき、下から声がした。
「うっ……ふ……うっ……ふ・ふ・ふ」
低い、男の声だった。
私らは四人とも、手を止めた。
笑い袋の声ではない。
あの玩具の声は、もっと甲高くて、機械じみている。
いま聞こえたのは、喉のある声だった。
「……ふ……うっ……ふ・ふ・ふ」
今度は、階段の下からだった。
誰かが、笑いをこらえきれずに漏らしているような笑い方だ。
「ばあちゃん?」
返事はない。
私は機械を握ったまま、階段のほうへ寄った。
下を覗くと、ばあちゃんが階段の下に立っていた。
いつものように、三つ数えるくらいの間、じっとしている。
それから、ゆっくり上がってきた。
「開けたな」
「え」
「その蓋、開けたじゃろ」
私はうなずいた。
ばあちゃんは、私の手から機械を取り上げて、蓋を閉めた。
それから、袋に戻して、口の紐をきつく縛った。
結び方が独特だった。
紐を二重に回して、最後にもう一度、上から縛る。
「これはな、鳴らんのやない」
「ほな、なんですか」
「鳴っとる。ずっと鳴っとる」
「聞こえんけど」
「聞こえた者が、開けたけよ」
友達の一人が、後ろから言った。
「ばあちゃん、それ捨てたらええやん」
「捨てたら、拾うた人が開ける」
「燃やしたら」
「燃やした煙を、誰かが吸う」
誰も、次の言葉が出んかった。
ばあちゃんは、袋を膝に置いたまま、階段のほうを見ていた。
※
その日、私らは景品をひとつずつもらって帰された。
笑い袋は、ばあちゃんが自分の膝の上に置いたままだった。
帰りぎわ、ばあちゃんが土間まで出てきて、私にだけ言った。
「よう聞き」
「はい」
「笑うもんが聞こえたら、必ず笑い返せ」
「笑い返す」
「黙って聞いとったら、こっちの声を持っていかれる」
私は意味が分からんかった。
それでも、雪の坂を下りながら、なんとなく背中がむずむずした。
家に帰って、その晩は普通に眠った。
異変は、次の日からだった。
いや、正確に言えば、その晩から始まっていた。
私は寝る前に、机の上に置いた消しゴムの位置を直す癖がある。
その晩も直して寝た。
朝、消しゴムは机の反対側にあった。
それだけなら、寝ぼけたのだと思えた。
おかしいのは、机の上の埃だった。
消しゴムが元あった場所に、四角い跡が残っていない。
移した跡だけがあって、置いてあった跡がない。
私は、その机をしばらく使わんかった。
※
翌朝、私は声が出にくかった。
風邪ではない。
喉は痛くないのに、大きな声が出ん。
教室で名前を呼ばれて返事をしたら、隣の席の子に「聞こえん」と言われた。
三日ほどで戻ったが、その三日のあいだ、私は妙なことに気がついた。
自分が笑うときの息の音が、聞き覚えのあるものになっていた。
「うっ、ふ、ふ」
あの階段の下で聞いたのと、同じ刻みだった。
私は怖くなって、放課後、ばあちゃんの店へ行った。
店は開いていた。
ばあちゃんは、いつもの場所に座って、湯呑みを持っていた。
「ばあちゃん、あの袋」
「うん」
「あれ、なんなん」
ばあちゃんは、湯呑みを置いた。
そして、店の帳面を出してきた。
景品の出入りを書いた、古い大学ノートだ。
ばあちゃんは、指で三か所を差した。
昭和三十六年、昭和四十五年、昭和五十四年。
どの行にも、同じ文字が書いてあった。
「笑い袋 返品」
「入荷は」
「一度もない」
私はノートを覗き込んだ。
入荷の記録がないものが、三度返ってきている。
「誰が返しに来たん」
「三人とも、うちの店に来よった子じゃ」
「その人らは」
「町を出た」
ばあちゃんは、それ以上言わんかった。
私は帳面をもう一度見た。
三つの行の日付を、指で追った。
昭和三十六年から四十五年まで、九年。
四十五年から五十四年まで、九年。
五十四年から、その年で五年目だった。
「ばあちゃん。あと四年ある」
ばあちゃんは、湯呑みを持ったまま、こちらを見た。
「数えたか」
「数えた」
「賢い子じゃ」
褒められた気は、まったくせんかった。
※
その週の土曜に、私は母に笑い袋の話をした。
母は洗い物の手を止めずに聞いていたが、途中で振り返った。
「たかのさんとこの二階に上がったん」
「うん」
「あんた、あそこは上がったらいけん言うたやろ」
「聞いてない」
「言うた」
言われた覚えは、本当になかった。
母は流しの縁を握ったまま、しばらく黙っていた。
「お母さんも、子どものころ行きよったんよ」
「あの店に」
「うん。中学のときに、一回だけ二階に上がった」
「なんかあったん」
「友達が、袋を開けたん」
私は箸を置いた。
「その子は」
「引っ越した。中三の夏に、急に」
母は、それきり何も言わんかった。
ただ、その晩から、家の中で母がよく笑うようになった。
テレビを見ながら、ひとりで。
私は、母も返しとるのだと思った。
※
私はその冬から、笑い声に敏感になった。
そのころ、もうひとつ確かめたことがある。
あの日の翌週、私は店に寄って、袋の口を見せてもらった。
ばあちゃんが縛った結び目のはずだった。
けれど、紐は一重にほどけて、口が指一本ぶんだけ開いていた。
「ばあちゃん、これ開いとる」
「開くんじゃ」
「なんで」
「息をするけよ」
ばあちゃんは、また二重に縛り直した。
その手つきが、あまりに慣れていた。
何千回もやってきた人の手だった。
風呂場の換気扇、体育館の裏、路地の突き当たり。
低い笑い声が聞こえるたび、私は小さく笑い返した。
馬鹿みたいだと思いながら、やめられんかった。
やめられん理由が、ひとつあった。
あの三日のあいだに録った、家のカセットテープだ。
当時、私はラジオを録音するのが好きで、部屋にカセットデッキを置いていた。
声が出にくかった日に、自分の声を試しに録っていた。
その日の分を、しばらくしてから再生した。
自分の声のうしろに、低い笑い声が入っていた。
私は巻き戻して、五回聞いた。
その中に、私の笑い方が、一つだけ混じっとった。
間の取り方も、息の切り方も、私のものだった。
けれど、私はその日、一度も笑っていない。
笑えるような日ではなかった。
※
テープの話を、私はばあちゃんにした。
ばあちゃんは、驚かんかった。
「ほうか。もう入ったか」
「入った、いうて」
「あんたの笑い方が、あっちに一つ渡ったんじゃ」
「返してもらえるん」
「返せんよ。じゃけ、笑い返すんじゃ」
「笑い返したら、どうなるん」
「一つ渡したぶん、一つ返る。行って来いじゃ」
「昭和三十六年に、なにがあったん」
ばあちゃんは、しばらく黙っていた。
火鉢の炭が、ひとつ崩れた。
「うちの人が、船に乗っとってな」
「造船所の」
「乗るほうじゃ。遠洋の」
「はい」
「二年、帰らんかった年があった」
ばあちゃんは、そこで少しだけ笑った。
「その二年、うちは誰とも喋らんかった。喋る相手がおらんかったけ」
「ほんで」
「ある晩、押入れから笑い声がした」
「開けたん」
「開けた。嬉しかったんじゃ」
私は、その一言で背中が冷えた。
怖い話として聞いとったのに、急に別のものになった。
「ばあちゃん、それ」
「あんたにはまだ分からんでええ」
私は、そのときやっと分かった。
ばあちゃんは、誰かと笑うとったんやない。
四十年、笑い返し続けとったんじゃ。
階段の下で三つ数えていたのも、膝のせいやなかった。
上がる前に、いちど笑いを返しとったのだ。
「ばあちゃんは、いつ開けたん」
「昭和三十六年」
「ほな、あの帳面の一回目は」
「わしが返品に来た側じゃ」
ばあちゃんは、そう言って笑った。
その笑い方が、テープに入っていたものと、少し似ていた。
※
中学に上がってから、私は店へ行く回数が減った。
部活があったし、駄菓子屋に通う年でもなくなった。
それでも、年に何度かは寄った。
寄ると、ばあちゃんは必ず同じことを聞いた。
「返しよるか」
「返しよる」
「よし」
それだけの会話で、私は少し安心して帰った。
いま思えば、あれは確認ではなく、点呼だったのかもしれない。
※
ばあちゃんの店は、平成のはじめに閉まった。
坂の一帯は造成されて、いまはもう当時の家は一軒も残っていない。
店じまいの日、私は大学生になっていた。
荷物を運ぶのを手伝いに行った。
二階の箱は、ほとんど処分された。
最後に、ばあちゃんが私に紙袋をひとつ寄越した。
中身は見んでも分かった。
「持って帰れ」
「嫌じゃ」
「置いていくわけにいかんのじゃ」
「なんで」
「入荷しとらんものは、返すしかないけ」
「ばあちゃんは、なんで町を出んかったん」
「出た者は、返せんようになる」
「返す、いうのは」
「笑い返すことよ。よその土地では、笑い声が違うけ」
「違う」
「土地ごとに、笑い方が違うんじゃ。合わんもんを返しても、届かん」
帳面の三人が町を出たと言ったのは、そういう意味だったのだ。
出たのではなく、出るしかなかった。
そして、返せんようになった。
私は、その先を聞かんかった。
私は結局、その袋を受け取った。
紐の結び方だけ、ばあちゃんに教わった。
二重に回して、上からもう一度縛る。
「ほどくなよ」
「ほどかん」
「ほどくときはな」
ばあちゃんは、そこで少し笑った。
「次の子が、聞こえた時じゃ」
※
それから三十年以上になる。
袋は、いまも私の家の押入れの上段にある。
一度も開けていない。
年に何度か、夜中に低い笑い声が聞こえる。
聞こえる場所は、決まって押入れの上段の方角だ。
妻には言うていない。
いちど、引っ越しのときに袋を処分しようとしたことがある。
業者に渡す寸前で、手が止まった。
紐の結び目が、ほどけかけていたからだ。
私は、その場で結び直した。
二重に回して、上からもう一度。
教わったとおりにやると、指が勝手に動いた。
換気扇の音だと思うことにしている。
それでも私は、聞こえたら必ず笑い返す。
去年、下の子が中学に上がった。
ある晩、その子が私の部屋に来て、こう言った。
「お父さん、押入れで誰か笑いよる」
私は返事の前に、いちど笑った。
それから、こう言った。
「そしたら、笑い返しとき」