アーケードの屋根は、雨の日だけ音がやかましかった。
平成八年、私は九州の内陸にある南川内という町の、小さな新聞社にいた。
記者は三人。私は二十七で、いちばん下だった。
炭鉱が閉じて三十年経った町で、商店街のシャッターは半分が下りていた。
町の北には、草に覆われたボタ山が二つ並んでいた。
選炭場の跡は、コンクリートの柱だけが残っていた。
その柱の間を、細い川が流れている。
夏になると、川の匂いが商店街まで上がってきた。
人口は毎年減っていた。
新聞社の仕事の半分は、町を出た人の記事を書かないことだった。
出た人のことは書かない。残っている人のことを書く。
そういう暗黙の決まりが、あの町にはあった。
理由を聞いたことがある。
デスクは、灰皿を引き寄せながら答えた。
「出た人の話ば載せると、次が続くけん」
迷信だと、そのときの私は思った。
その商店街の、いちばん奥に椅子があった。
折り畳みのパイプ椅子だ。
そこに、佐一さんという年寄りが座っていた。
背は低く、痩せていた。
夏でも長袖の作業着を着ていた。
灰色の、色の抜けたやつだ。
髪は白いというより、色がない感じだった。
誰も、佐一さんの家がどこにあるのかを言えなかった。
聞くと、みんな、あっちのほう、と手だけを動かした。
指した方向は、人によって違った。
朝の七時から、昼を回るまで座っている。
何をするでもない。
通る人を見て、たまに、一言だけ呟く。
私が最初に聞いたのは、「芋」だった。
魚屋の奥さんが通ったときだ。
次に来た郵便局の人には、「豆腐」と言った。
私は、悪口を言っているのだと思った。
人を食べ物に例えて、からかっているのだと。
※
気になったので、魚屋に寄って聞いてみた。
「今朝、何を召し上がりました」
奥さんは、変な顔をして答えた。
「芋の味噌汁ば」
郵便局にも寄った。
その人は、冷や奴だったと言った。
私は、そこで初めて背中が少し冷えた。
念のため、もう二人に聞いた。
菓子屋の主人は「粥」、その日呟かれた言葉と同じだった。
中学の用務員さんは「鯖の缶詰」、これも同じだった。
四人目のときに、私はノートを買い直した。
新しい方眼のノートに、日付と時刻と、通った人と、呟かれた言葉を書く欄を作った。
記者の癖だ。
不思議なことに出会うと、まず、表にしたくなる。
佐一さんは、通る人が直前に食べたものを言い当てている。
そう思った。
面白い記事になると思った。
地方紙には、そういう小さな不思議がよく載る。
※
私は一週間、佐一さんの椅子の斜め向かいに立った。
文具店の軒下で、ノートを開いて記録した。
呟きは、多い日で九回、少ない日で二回だった。
ここで、最初の引っかかりがあった。
通る人の数は、一日に五十人を下らない。
なのに、呟かれるのは数人だけだ。
残りの人には、何も言わない。
目も向けない。
呟かれる人と、呟かれない人の違いを、私は最初、年齢だと思った。
違った。
性別でも、職業でも、通る時刻でもなかった。
商店街を毎朝掃除している中村さんは、三か月のあいだ一度も呟かれなかった。
中村さんは、その三か月、毎朝きちんと朝飯を食べていた。
本人に確かめた。
つまり、口の中に何もないから言わないのではない。
私は、呟かれた人の名前と日付を、全部書き取った。
「爺ちゃん、これ、どうやって当ててるの」
一度だけ、そう聞いてみた。
佐一さんは、私のほうを見なかった。
アーケードの向こうの、明るいところだけを見ていた。
「わしは当てとらん」
そう言った。
「聞いとるだけばい」
声は、思っていたより低くて、はっきりしていた。
私は続けて聞いた。
「誰から聞いとるんですか」
返事はなかった。
アーケードの照明が、ひとつ切れかけていた。
その明滅の音だけが、しばらく続いた。
佐一さんは、私の顔の少し横を見ていた。
私の後ろに人が立っている、というような目の動かし方だった。
振り返ったが、誰もいなかった。
※
新聞社に戻って、私はノートを見返した。
呟かれた人は、二週間で十一人。
そのうち三人を、私は知っていた。
文具店の息子さん、駅前の理容師さん、それから中学校の用務員さん。
翌月、文具店の息子さんが、福岡に出た。
店を畳むという話は聞いていなかった。
その次の月、理容師さんが、大阪の親戚のところへ行った。
用務員さんは、年度末で辞めて、町からいなくなった。
私は、文具店の息子さんに電話をかけた。
福岡の勤め先を教えてもらって、昼休みに合わせて。
「町を出る予定は、いつ決めたんですか」
そう聞いた。
「決めたのは、去年の暮れです」
呟かれたのは、その二か月前だった。
「その前から考えとったんですか」
息子さんは、少し黙ってから言った。
「いや、考えとらんかったです」
「じゃあ、なんで」
「なんとなく、もう終わったな、と思ったんですよ」
何が終わったのかは、本人にも説明できないようだった。
電話を切ってから、私は自分のノートを見返した。
呟かれた言葉は「素麺」だった。
息子さんに、その日の昼に素麺を食べたかを聞き忘れていた。
かけ直して聞いた。
「食べとらんです」
そう言われた。
「素麺は、盆にしか食べんです」
呟きは、十月だった。
私は、ノートの十一人を、一人ずつ追った。
半年で、九人が町を出ていた。
残りの二人も、その年のうちに出た。
※
私は今度は、逆を調べた。
呟かれなかった人だ。
商店街の名簿と、町の住民異動の記録を突き合わせた。
新聞社にいると、そういう記録はわりに手に入る。
三年ぶんを見た。
佐一さんが呟かなかった人は、一人も、この町を出ていなかった。
一人もだ。
私は、記録の紙を机に伏せた。
伏せた紙の裏に、蛍光灯の影が透けていた。
しばらく、そのままにしていた。
記録には、もう一つ気になるところがあった。
異動届の受理の日付が、どの人も、月の後半に集まっている。
月の前半に出た人が、三年間で一人もいない。
役場の窓口に聞くと、そんな決まりはないと言われた。
「昔から、そうですねえ」
と、窓口の人は言った。
「なんででしょうね」
※
デスクに話したら、笑われた。
「あの爺さんな、昔からおるとよ」
「昔から、というのは」
「わしが子どもんときからおる」
それはおかしい。
佐一さんは、どう見ても八十を越えている。
デスクは今年五十四だ。
「そんとき、いくつやったんですか」
デスクは、少し考えて言った。
「爺さんやった」
私は、デスクの湯呑みに茶を注ぎ足しながら、もう一度聞いた。
「四十年前も、あの椅子ですか」
「椅子は、変わっとるやろ」
デスクは、そこで少しだけ真面目な顔をした。
「けど、場所は動いとらん」
※
商工会の倉庫に、古い名簿が残っていた。
昭和三十年代の、商店街の役割の割り振り表だ。
掃除当番、火の用心、街灯の球替え。
その一番下に、聞き慣れない欄があった。
「聞き役」と書いてある。
名前が一つだけ入っていた。
佐一ではなかった。
別の名前だ。
そのすぐ下の年から、名前が変わっていた。
筆跡も、そのたびに変わっていた。
書き足したのではなく、次の人が自分で書いたのだと思う。
欄の枠を越えて、はみ出している字もあった。
十年か、十五年ごとに、一人ずつ変わっている。
最後の欄が、佐一さんの名だった。
昭和四十八年から、ずっと空欄が続いている。
名前の並びを、私は書き写した。
どの人も、姓は町の古い姓だった。
そして、どの人も、交代した年の翌年に、商工会の名簿から名前が消えている。
移転でも、廃業でもない。
ただ、欄がなくなっている。
私は、その並びを見ながら、指で数えた。
十四人いた。
最後の一人だけが、二十三年もやっている。
つまり、そこで交代が止まっている。
※
私は、駄菓子屋のトヨさんに聞きに行った。
町でいちばん長く店を開けている人だ。
「聞き役ちゅうのはね」
トヨさんは、飴の瓶を拭きながら言った。
「この町を出る者は、最後にこの町で口にしたもんを、誰かに言うてから出る決まりやった」
「言うと、どうなるんですか」
「戻ってこられる」
私は、意味がわからなかった。
「言わんで出た者はな」
トヨさんは、瓶に蓋をした。
「帰り道が、わからんごとなる」
「わからんごとなる、というのは」
「そのまんまよ」
トヨさんは、店の奥の暗いほうを見た。
「盆に帰ってきても、うちの前を通り過ぎるとよ」
「気づかんのですか」
「気づかん。何遍も通る。通って、そのうち帰る」
私は、盆の商店街を思い出した。
八月の午後、日が傾いてから、人がよく歩く。
その中に、いつも同じ服の人が混じっている。
たしかに、同じ人が何度も同じところを歩いている。
帰省の人が道を忘れているのだろうと、そのときは思っていた。
※
「けど」と私は言った。
「あの人は、言われとるんじゃなくて、言っとるんですよ」
トヨさんは、初めて手を止めた。
そして、こう言った。
「そうよ。もう、言いに来る者がおらんごとなったけん」
昭和四十八年で交代が止まっているのは、そのせいだった。
言い置きの決まりを、町の人が忘れた。
忘れられた聞き役は、それでも椅子に座り続けている。
だから、自分から聞き取っている。
その人の口の中に残っているものを、代わりに言葉にしている。
「そうせんとね」
トヨさんは、小さく笑った。
「あの人が、いつまでも仕舞われんとよ」
※
それから私は、佐一さんに食べ物を渡してみた。
商店街の饅頭屋で買った、蒸したてのやつだ。
「爺ちゃん、これ」
佐一さんは、受け取った。
膝の上に置いた。
私は、しばらく待った。
昼まで待った。
包みは、ずっと膝の上にあった。
帰りに見たら、椅子の下に置いてあった。
包みは、開いていなかった。
私はそのとき初めて、商店街の誰かが佐一さんに食べ物を渡している場面を、
一度も見ていないことに気づいた。
誰も渡さないのではない。
渡している人は、たぶん何人もいる。
けれど、渡した本人が、渡したことを覚えていない。
饅頭屋の主人に、私はあとで聞いた。
「爺さんに、なんか持っていったことありますか」
主人は、首をかしげた。
「なかねえ」
私は、その主人が三日前に佐一さんの膝に何かを置くのを見ていた。
アーケードの、明るいほうの端で。
渡しても、開かないのだ。
※
その年の秋、一度だけ、同じ人に二度目の呟きがあった。
三年前に町を出たはずの、電器屋の次男さんだった。
戻ってきているとは知らなかった。
一度目のとき、佐一さんは「ぜんざい」と言っていた。ノートに残っている。
二度目は、「うどん」だった。
私は、次男さんを捕まえて聞いた。
「三年前、町を出るとき、誰かに何か言うて出ましたか」
次男さんは、けげんな顔をした。
「言うたよ。爺さんに」
「何を」
「ぜんざい食うたばい、って。挨拶みたいなもんたい」
子どもの頃からの癖なのだと、次男さんは言った。
「うちの親父が、そうしよったけん」
次男さんは、その冬にまた町を出た。
帰ってこられたのは、言い置きが済んでいたからだ。
そういうことだと、私は理解した。
理解して、それきり、そのことは記事にしなかった。
書ける話ではなかった。
※
私が南川内を出ることになったのは、翌年の三月だ。
本社が県庁所在地に統合されて、私は転勤になった。
最後の日、私は挨拶回りをして、アーケードを歩いた。
雨だった。
屋根が、やかましく鳴っていた。
佐一さんは、いつもの椅子にいた。
私は、その前を通った。
呟かれるとは思っていなかった。
私はこの町の生まれではない。
祖母の家は、この町の管轄ではあったが、住所は隣の村だった。
私自身は、県外で生まれて、大学からこっちに来た。
出るのではなく、戻るだけだ。
そう思っていた。
※
佐一さんは、顔を上げた。
私を見た。
初めて、目が合った。
そして、一言だけ言った。
「だご汁」
私は、その場で足が止まった。
だご汁は、祖母の家の食べ物だ。
この町から二つ山を越えた集落に、祖母は一人で住んでいた。
私が帰るたびに、祖母は同じことを言った。
「次はだご汁ば炊いちゃる」
言うだけで、一度も出てこなかった。
炊くには半日かかると、あとから聞いた。
祖母は、私が帰った日にはもう、その半日を使い切っていた。
私は、祖母のだご汁を、一度も食べていない。
祖母がいなくなったのは、その二年前だ。
※
私は、佐一さんに聞いた。
「それ、私が食べたものですか」
佐一さんは、また明るいほうを見ていた。
返事はなかった。
私は、もう一度聞いた。
「これから食べるもの、ですか」
やはり、返事はなかった。
かわりに、椅子の下から包みを一つ出した。
紙の折り目に、埃が一筋ついていた。
去年、私が渡した饅頭の包みだった。
開いていなかった。
それを、私の手に載せた。
手のひらが、思ったより温かかった。
※
私は、その包みを持って町を出た。
包みは、いまも机の抽斗の奥にある。
紙は、二十年経っても白いままだ。
黄ばみもしないし、湿気も吸わない。
今も、開けていない。
一度、開けようとしたことがある。
指をかけて、やめた。
包みは、指で押すと、中で何かが動く。
軽いものだ。
饅頭にしては、軽すぎる。
中に何が入っているかを、確かめる勇気がなかったのではない。
確かめてしまったら、それが最後に口にしたものになる気がしたのだ。
※
南川内には、その後、一度も行っていない。
商店街は、五年ほど前に取り壊されたと聞いた。
その記事は、私のいた新聞社が書いた。
後輩が書いた記事だった。
写真には、シャッターの前に並んだ人が写っていた。
その端に、灰色の作業着の人影が、少しだけ入っていた。
顔はわからない。
後輩に聞いたが、誰なのかは覚えていないと言われた。
アーケードもなくなった。
椅子がどうなったかは、聞いていない。
雨の日に屋根が鳴る音を、私はいまだに、少し離れた場所から聞くようにしている。
そして、あの言葉だけは、いまも口に出せずにいる。
子どもに祖母の話をするとき、その料理の名前のところだけ、私は言い換える。
団子の入った汁、と言う。
言い換えれば済むと思っている。
たぶん、済んではいない。
言ってしまえば、言い置きが済むからだ。