名前を失くした峠のバス停
昭和三十四年、中国山地の三国越えには、名を書いた板だけが掛かっていない停留所があった。乗合バスの運転手だった私と、峠と読み上げるたび一度つっかえる十七の車掌。雪…
誰かに話すと信じてもらえないかもしれない、あの体験。心霊体験談を実話風に描いた短編を集めました。ゾクっとする感覚と、不思議な余韻をお楽しみください。
昭和三十四年、中国山地の三国越えには、名を書いた板だけが掛かっていない停留所があった。乗合バスの運転手だった私と、峠と読み上げるたび一度つっかえる十七の車掌。雪…
山の送電線を巡視していた頃の、忘れられない怖い話。無風なのに低く鳴る索道のワイヤー、下草に残る一列の跡、そして梢に腕だけで懸かるもの。姿を消した先輩が谷に残した…
これは録音の仕事で出会った怖い話。昭和六十三年の夏、廃鉱の飯場跡で、深夜番組のために一晩ぶんの無音を録ることになった。地下へ降りる階段は十三段。だが朝、上がって…
昭和の半島の丘で、県道拡張のため古い石の宮を移すことになった石工の私。掘り起こした据石は、村が「負い石」と呼び、災いを負わせて封じてきた石だった。動かしてはなら…
昭和の終わり、測量助手の私は山を案内する老人に従い、忘れられた墓を拾い歩いていた。だが帰りの風の無い窪地で、宙にぶら下がる人型のものと、土の下から湧く得体の知れ…
昭和末期、北の半島の港町。港の拡張工事で、岬に据えられた古い立石が動かされた。封じの蓋を開けた者の血筋へ、因は順を追って回っていく。石工の私が、幼馴染の一家を襲…
平成のはじめ、消えゆく山あいの集落で子守唄を集めていた学芸員が、霧降りの森の奥で出会った怖い話。還された子らの泣き声が霧のなかから人を招き、帰り道を惑わせる。土…
剥製の標本が整然と並ぶ、世を去った蒐集家が遺した奥の部屋。台帳と棚とを照らし合わせるうち、私は標本がいつも一体だけ多いと気づく。種の名ではなく、人の名と日付だけ…
四十年戸籍を扱った私のもとへ、消えた集落『音無』から毎春、消印も住所もない出生届が届いた。百年以上前と同じ赤子の名、震える筆跡。誰が出すのか確かめに山奥へ分け入…
昭和の山あいの町の古い映画館で住み込みで働いた二十歳の娘が出会った、不思議な話。閉館後の誰もいない客席から、夜ごと大勢のゲラゲラという笑い声が響く。ある晩そっと…
昭和の終バスを任された若い運転手が体験した、不思議な話。無人のはずの峠の停留所で乗せたのは、藍色の着物の女だった。湖の底に沈んだ村へ帰りたいと言う客を乗せ、走っ…
先輩から聞いた禁忌を寮の湯小屋で試した夜、それは来た。お祓いでも離れず、三年にわたり憑かれ続けた男の実話風の怖い話。偽の拝み屋の末路、老師が最後に遺した手紙の警…
谷あいの古い温泉宿に伝わる不思議な話。雨の晩にだけ濡れて戻る離れの鍵と、夜の渡り廊下を渡っていく塗り下駄の音。仲居として四十二年勤めた私が最後の秋に見たのは、閉…
廃業を控えた活版印刷の老舗をひと月取材した、ライターの私が体験した不思議な話。誰も触れていないのに、夜ごと組まれていく挨拶状の活字。湯呑みはいつも一つ余分。そし…
昭和のダム計画で、水に沈む村を一軒ずつ調べていた私たちは、外れの溜池にある、触れてはならない古い石蓋を起こしてしまう。やがて主任は知らぬ名を点呼のように呼び始め…
長距離トラックの運転手だった私が、先輩から授かった助手席のベルトを締める習慣。三十年欠かさず守ってきたその儀式が、還暦を過ぎたある夜から少しずつ崩れていく。締め…
夏の休暇に、亡き叔母の海辺の家を訪ねた。干潟の人影が、毎夕ひとりずつ沖へ増えていく。土地の者は誰も潟に降りないと言う。淡々と綴る、説明のつかない実話怪談。最後の…
雪深い町で運転代行を三十年続けてきた私が、ある二月の底冷えする夜に乗せた、古めかしい白髪の老人。久しく動かぬはずの古い車、峠の奥にともる門灯、握らされた古い紙幣…
東京の北、線路に挟まれた古い印刷工場。閉鎖が決まったその夜から、二十年壊れたままの夜勤のラジオが、深夜にだけ鳴るようになった。最後まで残された七十三歳の元活字工…
昭和五十八年の夏、紀伊半島の小さな漁村で民俗学のフィールドワークに入っていた院生たちが、入ってはならぬと言われた海蝕洞に踏み入った一夜の怖い話。崩された五本の棒…