名前を失くした峠のバス停

雪道

三国越えの峠に、停留所の柱が一本だけ立っていた。

コンクリートの土台から、錆の浮いた鉄の柱が伸びている。

名を書いた板を掛けるための金具が、上のほうに二つ残っていた。

板は、掛かっていなかった。

私が乗務していた三年のあいだ、ついに一度も掛からなかった。

それだけの話だと、四十年ほど思っていた。

怖い話として誰かに語ったことは、一度もない。

※

昭和三十四年の春から、私は県北の営業所で乗合バスの運転をしていた。

二十八だった。

担当は三国越えの路線で、麓の久瀬から峠をひとつ越え、山向こうの三坂まで行く。

一日二往復。

朝の便と、昼過ぎの便。

それで一日が終わる、という程度の路線だった。

車はボンネットの型で、鼻先が長く、運転席から前輪が見えなかった。

舗装は久瀬の商店街の外れまでで、そこから先は砂利道になる。

雨が続くと路肩が柔らかくなり、片輪が沈んで腹をこすった。

夏はラジエーターが湯気を吹くので、沢の水を汲むための一斗缶を床下に積んでいた。

冬はチェーンを巻いた。

巻くのは車掌の仕事で、巻き終わるころには指が真っ赤になっていた。

車掌は佐々木といって、十七の少年だった。

久瀬の在の子で、中学を出てすぐに入った。

痩せていて、肩に骨の形が出ていた。

それなのに声だけが妙に太くて、初めて聞いた客はたいてい後ろを振り返った。

切符鋏をよく落とし、そのたびに深く頭を下げて謝った。

謝りかたが丁寧すぎて、こちらが困った。

乗る顔ぶれは、だいたい決まっていた。

営林署の下請けで山に入っている男が三人。

三坂の在から久瀬の病院へ通う婆さんが二人。

朝の便だけ、三坂の分校へ通う子どもが四人乗った。

行商の女が一人、金曜だけ乗った。

それでほとんど全部だった。

誰がどの席に座るかまで決まっていて、私は後ろを見なくても座席の埋まる順番が分かった。

停留所の名を読み上げるのは車掌の役目だ。

次は久瀬郵便局、次は在所口、次は炭焼谷、と読み上げていく。

佐々木の読み上げは、はじめのうちこそ棒読みだったが、ひと月もすると節がついた。

節がついてからは、客の何人かがそれを楽しみにしていた。

ただ、ひとつだけ癖があった。

峠、と読み上げるとき、佐々木はいつも一度だけつっかえた。

「次は、……峠」

そのあいだが、いつも同じ長さだった。

息継ぎではない。

何かを口の中で飲み込んでから、言い直しているような間だった。

一度、訊いたことがある。

言いにくいか、と。

佐々木は少し考えてから、言いにくいです、と答えた。

理由は言わなかった。

私も、それ以上は訊かなかった。

その年ごろの子には、そういうことがあるものだと思っていた。

峠の停留所には、待っている客がいなかった。

三年で一人も乗せていない。

集落から遠く、上りきったところに家も畑も何もない。

それでも時刻表には載っていた。

「峠」とだけ書いてある。

地名のついていない停留所は、その路線でそこだけだった。

営業所の主任に理由を訊いたら、昔からああなっとる、と言われた。

昔からああなっとるものを、路線図から外すのは面倒なんだ、とも言われた。

そういうものかと思って、それきりにした。

細かいことが、もうひとつある。

朝、車庫で車内を拭くのだが、いちばん後ろの座席だけが、いつも湿っていた。

座面の中ほどが、手のひらほどの広さで濡れている。

その席だけが、いつも湿っていた。

雨の日も、晴れが十日続いた日も、同じだった。

雨漏りだろうと思っていた。

拭けば済む話だったし、実際、拭けば済んでいた。

湿りには、匂いがあった。

濡れた藁と、焦げた木の匂いだ。

炭焼きの窯場に立ったことのある者なら、すぐに分かる匂いだった。

雑巾を絞ると、指先が灰色になった。

私はその灰色を、道の埃だと思っていた。

砂利道を走る車だから、そういうものだろうと。

※

音に気づいたのは、その年の梅雨だった。

峠の手前、九十九折の五つ目を回ったあたりで、車体の下から音がした。

コン、と一度だけ。

下腹を、手のひらで軽く叩くような音だ。

はじめは石を跳ね上げたのだと思った。

砂利道では珍しくない。

ただ、その日から毎日、同じ場所で鳴った。

上りでも下りでも、決まって同じ木の下だった。

速度を落としても、上げても、鳴るのは一度きりだった。

石なら、そうはいかない。

整備の者に見てもらった。

ジャッキで上げて下回りを覗き、どこも緩んでいないと言われた。

試しに乗ってもらった日は、鳴らなかった。

その者が降りた翌日から、また鳴った。

私はそれを、誰にも言わなくなった。

次に、人の話が入ってきた。

営林の男が、峠で手を挙げている者がいたと言った。

蓑を着ていたそうだ。

今どき蓑もないだろうと私が笑うと、男は笑わなかった。

郵便配達の男は、白い夏着の女を見たと言った。

八月の話ではない。

十一月の、霜の降りた朝の話だった。

三坂の旅館の女将は、学生服の子が立っていたと言った。

詰襟の、襟の高い古い形だという。

今の子はあんなものは着ん、と女将は言った。

女将は続けて、昔あの峠の下に小さな湯治場があったのだと話した。

炭焼きの衆が冬場に降りてきて、湯に浸かって帰ったそうだ。

その湯も、山が落ちた年になくなった。

なくなったというより、土に埋まって場所が分からなくなったのだと女将は言った。

三人とも、同じ柱の下で、まったく違う季節の格好をした者を見ている。

そのことに気づいたとき、腹の底が少しだけ冷えた。

もうひとつ、三人に共通していることがあった。

手を挙げていた、というのだ。

バスを停めるときの、あの挙げかただったと、三人とも同じ言いかたをした。

私自身は、峠で人を見たことがない。

そのかわりに、見えるはずのないものを一度だけ見た。

九月の夕方、下りの便で峠にさしかかったときだ。

柱に、板が掛かっていた。

削ったばかりのような白木の板だった。

墨で字が書いてあるのも、確かに見えた。

読む前に通り過ぎた。

その日は三坂で泊まり、翌朝もう一度そこを通った。

柱には、金具しかなかった。

下の草にも、板が落ちてはいなかった。

佐々木にも訊いた。

昨日、板が掛かっていなかったか、と。

掛かっていました、と佐々木は言った。

字は読めたか。

読めませんでした、と佐々木は言った。

そのときの佐々木は、目だけがひどく落ち着いていた。

その日から、あの間が長くなった。

「次は、…………峠」

息を吸って、いったん止めて、それから言うようになった。

十月には、後ろの床にも変化が出た。

三坂の折り返しで車内を掃くと、いちばん後ろの席の下だけ、黒い粉が落ちている。

指でつまむと、指紋の溝に入り込んだ。

炭の粉だった。

その日、炭を積んだ客は一人も乗っていない。

私は掃いた粉を新聞紙に包み、車庫のドラム缶で燃やした。

なぜ燃やしたのかは、自分でも分からない。

捨てるのでは足りない気がしたのだ。

十一月の初め、営業所の倉庫で古い綴りを見つけた。

戦前からの運行日誌が、棚の下段に積んであった。

湿気で角が波打ち、めくると紙の粉が舞った。

私は昼の便までの空き時間に、それをめくった。

昭和十四年の秋で、停留所の名がひとつ変わっていた。

それまで「柚ノ木」と書かれていた欄が、ある日から「峠」になっている。

変わり目の頁は、上から墨で塗ってあった。

塗り残しから、下の字が少しだけ見えた。

柚、という字の、上半分だけだった。

私はその頁を閉じ、綴りを元の場所に戻した。

戻したあとで、手を洗った。

洗ってから、なぜ洗ったのかと思った。

※

久瀬の寺の住職に、その話をした。

住職は茶を出してから、しばらく黙っていた。

それから、柚ノ木という炭焼きの集落があったと言った。

峠のすぐ下、いまの道からは見えない谷筋に、四十戸ほどあったそうだ。

窯が七つあって、久瀬の町の炭はほとんどそこから出ていた。

昭和十四年の秋、長雨が二十日続いた。

山の腹が、谷ひとつぶん落ちた。

谷が土で埋まった。

掘り出せた者は、多くなかった。

残りは、そのままになった。

そのままいうのは、と私が訊くと、住職は湯呑みを置いた。

見つからんかった、いうことや、と住職は言った。

村は翌年、柚ノ木という地名を帳面から外した。

分校の学区からも、氏子の名簿からも外した。

道は付け替えられ、谷筋を通らなくなった。

残ったのは、停留所の柱だけだった。

板は、そのときに外された。

名を消したら、ええと思うたんやろな、と住職は言った。

そのあとで、妙なことを続けた。

あの衆は、帰り道が分からんのや。

家の名が消えたでな。

私は意味が分からず、黙っていた。

住職も、それ以上は言わなかった。

帰りぎわに、ひとつだけ言われた。

峠でな、名を呼ばれても返事はせんことや。

呼ばれるような名は持っとらんと思うが、と住職は笑った。

その笑いかたが、少しだけ乾いていた。

帰り道、私は久瀬の橋の上でしばらく立ち止まった。

峠の方角は、その日、雲で見えなかった。

※

十二月に、大雪が来た。

峠が三日ふさがり、路線は運休になった。

私と佐々木は車庫で、チェーンの修理をして過ごした。

ドラム缶を切った火鉢に炭を入れ、鉄板を載せて餅を焼いた。

佐々木は餅を焼くのがうまかった。

裏返す間合いが、切符鋏を落とす男とは思えないほど正確だった。

一度だけ焦がして、真っ黒になった餅を自分で食べていた。

その三日で、佐々木はよく喋った。

久瀬の写真館の娘が好きだという話をした。

まだ一度も口をきいたことがない、という話もした。

証明写真を撮りに行けば話せるだろうと言うと、撮る用がありません、と真面目に答えた。

用がなくても撮れと言うと、佐々木は声を出して笑った。

そのとき初めて、この子はまだ十七なのだと思った。

祖母の話も出た。

去年の冬に、眠るようにして向こうへ渡ったのだという。

山育ちの人で、炭の焼き加減を音で当てたそうだ。

窯の前に座って、音が変わったら止めろと言うのだと。

いい婆さんだったんだろうと私が言うと、佐々木は、はい、とだけ答えた。

それから少し黙って、婆ちゃんは言うたらいけん言葉がいくつかありました、と言った。

私は、どんな言葉だと訊いた。

佐々木は、忘れました、と答えた。

忘れました、と言うときの声が、いつもの太い声ではなかった。

私はそのとき、餅を裏返していた。

裏返し終わってから顔を上げると、佐々木はもう別の話をしていた。

※

四日目の朝、峠が開いた。

雪はやんでいたが、風が強かった。

地面の雪が舞い上がって、前が白く濁った。

私はチェーンを鳴らしながら、九十九折を上がった。

五つ目の折り返しで、下から一度、コン、と鳴った。

その日は、いつもより長く聞こえた。

乗客は三人だった。

営林の男が二人と、行商の女が一人。

みな前のほうに固まって座っていた。

後ろは空いていた。

峠にさしかかった。

誰も待っていない。

柱の周りの雪は、風で削られて硬くなっていた。

私は速度を落とさずに通り抜けるつもりだった。

ところが、後ろでブザーが鳴った。

佐々木が紐を引いたのだ。

私は反射で踏んだ。

雪の上で、車が斜めに止まった。

ミラーで見ると、佐々木は扉の脇に立って、外を見ていた。

そして、扉を開けた。

風が入って、床の切符が舞った。

佐々木が読み上げた。

「柚ノ木」

つっかえなかった。

三年で初めて、あの間がなかった。

誰も乗ってこなかった。

白い風が、扉の枠を横切っていくだけだった。

私は、閉めろ、と言った。

自分の声が思ったより低く出た。

佐々木は扉を閉めた。

私は発車した。

峠を下りきったあたりで、何気なくミラーを見た。

いちばん後ろの席から順に、人が座っていた。

蓑を着た者がいた。

白い夏着の女がいた。

詰襟の子がいた。

みな前を向いて、行儀よく座っていた。

誰も、こちらを見ていなかった。

私は前を見た。

営林の男が二人、行商の女が一人。

三人とも、居眠りをしていた。

もう一度ミラーを見た。

後ろの席は、空いていた。

座面が、濡れていた。

佐々木がいなかった。

私は車を停め、車内を歩いて見た。

座席の下も、床下の点検口も見た。

切符鋏が、運転席の脇の台に置いてあった。

いつも首から下げている紐から、外して置いてあった。

あの子は、鋏だけはよく落とすくせに、紐から外したことは一度もなかった。

三坂まで走り、駐在に届けた。

その日のうちに、営林の男たちと峠へ戻った。

柱の下の雪に、足跡が一列だけあった。

道から離れて、山の側へ入っていた。

十人ほどで、その跡を辿った。

三十歩ほどで、跡は消えていた。

そこから先の雪は、まっさらだった。

消えた場所には、木も岩も、身を隠すものが何もなかった。

営林の男の一人が、ここから先はもう柚ノ木の谷だ、と小さく言った。

言ったあとで、自分の口を手で押さえた。

誰も、その名を口に出したことを咎めなかった。

咎めるかわりに、皆でそのまま山を下りた。

三日、山を見た。

何も出なかった。

四日目に風が出て、雪が積み直した。

佐々木の母親が、毎朝、車庫に来るようになった。

何を言うでもなく、車の後ろの席のあたりを見ていた。

私は、拭かないでおいた。

あの湿りだけは、拭かないでおいた。

※

その夜、営業所の電話が鳴った。

受けたのは私だ。

しばらく、何も聞こえなかった。

風の音も、線の雑音もしなかった。

それから、声がした。

「みちを、おしえてください」

佐々木の声だった。

私は名を呼んだ。

切れた。

同じ時刻に、久瀬の写真館にも電話が入っていた。

取ったのは、あの娘だったそうだ。

知らない男の声で、同じことを言われたという。

娘は、佐々木の顔も名も知らなかった。

知らないのに、その声を三日、覚えていたと言った。

※

春になって、私はもう一度、寺へ行った。

住職は、前と同じ場所に同じ格好で座っていた。

私は電話のことを話した。

住職は長いこと黙って、それから訊いた。

あの子の家は、どこの出や。

私は知らなかった。

調べると、佐々木の祖母は柚ノ木の生まれだった。

山が落ちた年の春に、久瀬の在へ嫁いで谷を出ていた。

出ていたから、残った。

残ったのは、その婆さんと、婆さんの覚えている名前だけだった。

住職は、名を知っとる者に案内させるのだと言った。

柚ノ木の衆は、帰り道が分からない。

家の名が帳面から消えて、道も付け替えられた。

道しるべの板も外された。

だから、名をまだ知っている者を探して、連れて行かせる。

そして案内をした者は、代わりに自分の帰り道が分からなくなる。

そういうものだと、住職は言った。

なぜそういうものなのかは、住職も言わなかった。

言わなかったのか、知らなかったのかは、分からない。

私は、あの間のことを思い出した。

峠、と読み上げるとき、佐々木はいつも一度だけつっかえた。

あれは、言いにくかったのではない。

言ってはいけない名を、毎日、飲み込んでいたのだ。

祖母から、そう言われて育ったのだろう。

言うたらいけん言葉が、いくつかありました。

三年間、佐々木は一日に四回、それを飲み込んでいた。

四回のうちの一回でも、うっかり口から出ていたらどうなっていたのか。

そう考えて、私は考えるのをやめた。

いちばん後ろの座席のことも、そのとき分かった。

雨漏りだと思っていた。

あの車の屋根に、穴などなかった。

整備の者に確かめると、あの型は屋根を一枚で抜いているから、そもそも漏りようがないと言われた。

濡れた藁と、焦げた木の匂い。

座面の下に落ちていた、炭の粉。

あの席には、ずっと誰かが座っていた。

私が毎朝拭いていたのは、雨ではなかった。

三年間、私は毎朝、それを拭いてから車を出していたことになる。

峠の手前で鳴っていた音のことも、いまは何となく察しがつく。

あれは、下から叩いていたのだ。

乗せてくれ、ではなく、ここだ、と。

私は翌年、路線を替えてもらった。

理由は、体の具合ということにした。

三国越えには、それきり乗務していない。

※

四十年ほど経って、車で通ることがあった。

道は舗装され、九十九折は半分に減っていた。

それでも、五つ目の折り返しの場所は分かった。

そこだけ、木の生え方が昔のままだった。

峠に、柱が残っていた。

柱には、真新しい板が掛かっていた。

墨で、柚ノ木、と書いてあった。

私は車を停めなかった。

停めなかったが、見えた。

板に書かれた字は、佐々木の字だった。

切符の裏に行き先を書くときの、はねの癖まで同じだった。

四十年経って、あの子の字は、少しも年を取っていなかった。

ミラーの中で、柱がだんだん小さくなった。

板は、風の向きに合わせて少しだけ揺れていた。

名が戻ったのなら、あの衆は帰ったのだろうと思う。

思うことにしている。

これを怖い話として聞いてくれる人もいるが、私にはまだ、続いている話だ。

ただ、道を教わった者たちが、どこへ帰ったのかは、知らない。

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