台風のあとに増えた一戸

夕暮れの海を望む草原の石碑たち

今も、罹災の書類に戸数を書くときだけは、二度数えます。

三十年、それを続けてきました。

癖というより、決まりごとのようなものです。

平成五年の九月の話です。

当時、私は三十二歳で、損害保険の調査員をしていました。

アジャスター、と呼ばれる仕事です。

台風や火事のあと、契約のある家を一軒ずつ回ります。

どこがどう壊れたのかを見て、写真を撮り、直すのにいくらかかるかの見当をつけて、本社に送る。

それだけの仕事です。

派手なところは何もありません。

持って歩くのは、野帳と、巻尺と、フィルムのカメラと、役場でもらった罹災台帳の写しでした。

台帳には、その集落の戸主の名前と屋号が、番地の順に並んでいます。

私はそれに鉛筆で丸をつけながら回ります。

見た家に丸。

留守だった家には三角。

台帳にない家には、何も書かない。

書けないからです。

台帳にない家は、その集落に存在しないことになっている。

そういう仕組みでした。

その年の台風は、日本海側を舐めるように北上しました。

九月の十日を過ぎた頃です。

丹後の付け根に、潮首という在がありました。

海に向かって落ちる段丘の、上の平らなところに家が並んでいます。

車を停める場所がなくて、私は在の入り口の、崩れかけた石垣のそばに停めました。

降りると、風はもうやんでいました。

台風の翌々日でしたから、空はよく晴れていて、光がやたらに白かったのを覚えています。

潮の匂いが、思っていたより濃い。

段丘の下から吹き上げてくるのだと思いました。

台帳には、十九戸と書いてありました。

契約があるのは、そのうちの十一戸です。

私は台帳を胸のところで開いて、一軒目の屋号を探しました。

在の道は、家と家のあいだを縫うように細く、軽トラック一台がやっとです。

どの家も屋根に石を載せていて、風の強い土地なのだと分かります。

その石が、あちこちで落ちていました。

瓦も飛んでいました。

一軒目の家では、おばあさんが縁側に座って、飛んだ瓦を数えていました。

「二十七枚」と言われました。

私が「十四枚は納屋のほうですね」と言うと、おばあさんは笑って、「よう見とる」と言いました。

そういう仕事です。

二軒目の家では、屋根に男の人が上がっていました。

六十くらいの、日に焼けた人です。

私が下から挨拶をすると、その人は屋根の上で少し体を起こしました。

こちらを見ないまま、こう言いました。

「二十軒でしたかいの」

私は台帳を見て、「十九戸ですね」と答えました。

「そうか」と言って、その人はまた瓦を並べはじめました。

なんでもないやりとりです。

私はそのまま三軒目へ向かいました。

三軒目は漁協の会計をしている人の家で、玄関先で三十分ほど保険の話をされました。

掛金が高い、隣の在はもっと安いはずだ、という話です。

私は聞きながら、雨戸の割れたところを測っていました。

こういう時間が、実はいちばん助かります。

その家の奥さんがお茶を出してくれて、犬が足元に来て、子どもが自転車で通りました。

台風の翌々日でも、人が住んでいる場所は、それなりに賑やかです。

昼を過ぎた頃、私は在の南の端まで来ていました。

段丘の縁で、そこから下は急な斜面になっています。

草に覆われていて、下りる道は見当たりません。

ただ、草のあいだに石垣らしいものが見えました。

段になっていて、昔は何か建っていたのだろうと思いました。

その縁のところに、瓦が一列に並べてありました。

壊れた家から下ろしたものを、そこに集めているのだろうと思いました。

ただ、揃いすぎていました。

台風で飛んだ瓦というのは、割れているものです。

角が欠けたり、真っ二つになったりしている。

そこに並んでいたものは、一枚も欠けていませんでした。

大きさも厚みも、すべて同じでした。

私は写真を一枚だけ撮って、その場を離れました。

理由はありません。

撮る必要のないものでした。

ただ、なんとなく、あとで見返す気がしたのだと思います。

夕方までに十一戸のうち八戸を見終えて、私は在から二十分ほど下った町の宿に入りました。

帳場で名前を書き、風呂に入って、野帳を開きました。

その日の分を清書して、明日の順路を決める。

いつもと同じ手順です。

野帳は、昼のあいだに一度雨に降られて、端のほうが波打っていました。

めくると、紙が湿った音を立てます。

一枚だけ、その音がしませんでした。

指を止めて、その頁を触ってみました。

乾いていました。

前の頁も、次の頁も湿っているのに、その一枚だけが、糊のようにぱりっとしていました。

私は少し考えて、風に当たったのだろうと思うことにしました。

そういうことにして、その日は寝ました。

翌朝、まだ暗いうちに目が覚めました。

波の音がしていました。

宿は町の中で、海からは山をひとつ挟んでいます。

それでも風向きによっては聞こえるのだろうと思って、私は窓を開けました。

音は、海のほうからではありませんでした。

山の側から聞こえていました。

寄せて、引く。

その間の取り方まで、はっきり波の音でした。

私は窓を閉めて、布団に戻りました。

明るくなってから、もう一度窓を開けてみました。

何も聞こえませんでした。

その日は九時に潮首へ入りました。

残りの三戸を回って、昼までには終わる予定でした。

在の道に車を停めて、最初の家の玄関で靴を脱ぎました。

古い家ですから、上がって天井裏を見せてもらう必要があります。

雨漏りは、たいてい下からは分かりません。

天井の板をずらして、懐中電灯で梁を照らして、濡れた跡の広がりを見る。

三十分ほどかかりました。

下りて、玄関で靴を履こうとして、少し手が止まりました。

靴が、外を向いていました。

脱ぐときに揃えたのは覚えています。

爪先を家の奥に向けて脱いだのも覚えています。

そういうふうに脱ぐ癖があるからです。

上がった家の玄関で靴を返すのは、失礼にあたることがある。

新人の頃に先輩からそう教わって、以来ずっとそうしてきました。

それが、外を向いていました。

奥さんが直してくれたのだろうと思いました。

そう思うのがいちばん自然でした。

ただ、その家に上がっているあいだ、奥さんはずっと私の後ろで天井を見上げていました。

二軒目の家を出たところで、道の向かいから声をかけられました。

昨日、屋根に上がっていた人でした。

「下の家も、見てやってくれんかの」

私は台帳を開いて、下の家、と聞き返しました。

「段の下じゃ。梅本さんとこ」

台帳に梅本という名前はありませんでした。

私が「台帳にないんです」と言うと、その人は「そうかいの」と言って、それきり何も言いませんでした。

昼前に、三軒目の家で同じことを言われました。

今度は八十くらいのおじいさんです。

「段の下も見てやってくれ。中屋のとこが、ひどうやられとる」

中屋。

梅本ではありませんでした。

私は台帳を確かめました。

中屋という屋号もありません。

その家を出て、車に戻る途中で、道端に立っていた女の人にも呼び止められました。

「あんた、保険の人け」

そうです、と答えると、その人はこう言いました。

「段の下の、下屋のとこも頼むわ」

下屋。

三人が、三つの違う名前で、同じ家のことを言っていました。

私はそのとき初めて、少し嫌な感じがしました。

昼に、最後の家でお茶を出されました。

縁側で、湯呑を両手で持って飲みました。

飲み終わって湯呑を置くとき、底に砂が残っているのが見えました。

細かい、白っぽい砂です。

私は何も言いませんでした。

在の水は山からの湧き水だと、朝に聞いていたからです。

湧き水に砂は混じりません。

砂が混じるのは、下から汲む水です。

そのときは、井戸もあるのだろうと思いました。

在に井戸がないと知ったのは、もっとあとです。

帰り支度をしながら、私は腕時計を見ました。

一時十分でした。

段丘の縁に立つと、下の岩がすっかり出ていて、潮がよく引いていました。

車の中に、役場でもらった潮見表がありました。

その日の干潮は、十時四十分と書いてありました。

二時間半ずれています。

私は表を見間違えたのだと思って、日付の欄をもう一度見ました。

間違えていませんでした。

潮見表というのは、そうそう外れるものではありません。

外れているとしたら、私の時計のほうです。

時計は、宿を出るときも、家に上がるときも、ずっと正しく動いていました。

その日の昼の休みに、在の子どもに道を聞かれました。

小学校の三年か四年くらいの女の子で、自転車を押していました。

「保険のおばさん、瓦って一枚なんぼ」

私が知らないと答えると、その子は「大人なのに」と言って笑いました。

それから、飛んできた瓦がうちの犬の小屋に当たった、犬は無事だった、という話を延々としてくれました。

犬の名前はゴンでした。

そういう名前の犬が、まだいるのだと思いました。

私も少し笑って、その子が坂を下りていくのを見ていました。

台風のあとの在には、そういう時間が普通にあります。

壊れた屋根の下で人がお茶を飲み、子どもが自転車で走り、犬が生きていたことを喜んでいる。

だから私は、その日の朝に聞いた波の音のことを、昼にはもうほとんど忘れていました。

車に戻る前に、在の外れの小さな堂に寄りました。

屋根が半分持っていかれていて、契約はありませんでしたが、写真だけ撮っておこうと思ったのです。

中に人がいました。

最初に瓦を数えていた、あのおばあさんでした。

濡れた札のようなものを、手拭いで拭いていました。

木の札です。

表に文字が彫ってありました。

「軒札ですか」と聞くと、おばあさんは「そうじゃ」と言いました。

昔は、家を建てると屋号を彫った札を軒に打ったのだと教えられました。

札があれば、その家は在の一戸になる。

札がなければ、そこに屋根があっても一戸ではない。

そういう決まりだったそうです。

「今はもう、打っとる家はないがの」

私が、じゃあこの札はどうするんですかと聞くと、おばあさんはしばらく黙っていました。

それから、拭いていた札を膝の上に置いて、こう言いました。

「上がってこられん分を、下に置いとくんじゃ」

意味が分かりませんでした。

聞き返すと、おばあさんは急に世間話に戻って、瓦の話をしはじめました。

私も、それ以上は聞きませんでした。

仕事の範囲ではなかったからです。

堂を出るとき、床の隅に古い帳面が積んであるのが見えました。

和紙を綴じたもので、表紙に何か書いてありましたが、掠れていて読めません。

めくったわけではありません。

ただ、いちばん上の帳面の背に、指の跡のような黒い染みがついていて、それが妙に新しく見えました。

私は堂を出て、車へ戻りました。

在を出るときに、もう一度、段丘の南の縁を見ました。

昨日と同じように、瓦らしいものが一列に並んでいます。

昨日より、少し長くなっているように見えました。

数える気にはなりませんでした。

本当なら、それで潮首の仕事は終わりでした。

翌日、本社から電話がありました。

契約の一件で、屋根の下地まで見てこいという指示です。

写真が足りないから、もう一度行けということでした。

私は嫌だとは思いませんでした。

そういうことは、月に何度もあります。

三日目の午後、私はまた在の入り口に車を停めました。

石垣のそばに、三人が立っていました。

屋根に上がっていた人と、八十くらいのおじいさんと、道端で呼び止めてきた女の人です。

三人とも、私が来るのを知っていたような立ち方をしていました。

「来たか」と、屋根の人が言いました。

私は指示された家の屋号を言って、そちらへ行きますと伝えました。

すると、おじいさんがこう言いました。

「その前に、下を見てやってくれ」

段の下です。

三人が同時にそちらを見ました。

「道は、草を分ければ通れる」

昨日まで見当たらなかった下り口が、そのときは確かにありました。

石を組んだ段が、草のあいだに続いています。

私は断ろうとしました。

台帳にない家は見られません、と、二度言いました。

すると、女の人がこう言いました。

「台帳に足してくれたらええ」

足す。

私は、その言い方が気になりました。

罹災の調査で家を足すというのは、役場の台帳を書き換えるという意味です。

私にそんな権限はありません。

そう説明しようとして、私は段を下りていました。

説明をするために、その家を見なければならないと思ったのです。

今でも、そこがよく分かりません。

段を三十ばかり下りると、平らな場所に出ました。

崩れた石垣が四角く残っていて、その中に家が一軒ありました。

古い家です。

屋根は葺かれていて、戸も閉まっていました。

雨戸の一枚だけが外れて、地面に立てかけてありました。

台風で外れたにしては、丁寧に立ててありました。

私は野帳を開きました。

仕事の癖です。

どんな家でも、まず屋号と戸主の名を書く欄から埋めます。

開いた頁は、あの乾いた一枚でした。

上で三人が何か言っているのが聞こえました。

言葉は分かりませんでした。

私は鉛筆を持ったまま、その家を見ていました。

戸の内側で、誰かが立っている気配がありました。

足音ではありません。

戸の紙のところが、内側からわずかに膨らんでいました。

息を吸う速さで、膨らんで、戻って、また膨らみました。

私は鉛筆を野帳に当てたまま、動けませんでした。

そのとき、段の上から見えていたものが、目の隅に入りました。

私が立っている場所から、縁の草のあいだに、あの列が見えたのです。

瓦だと思っていたものです。

下から見ると、そうではありませんでした。

一枚ずつ立てて並べてあって、どれにも文字が彫ってありました。

軒札でした。

数えました。

二十枚ありました。

潮首の家は、十九戸です。

そして、二十枚のうち一枚だけ、彫りの溝に墨が入っていませんでした。

彫っただけの、まだ名前になっていない札でした。

私は野帳を閉じました。

閉じた音が、思っていたよりずっと大きく響きました。

戸の膨らみが、そこで止まりました。

私は段を駆け上がりました。

上に三人はいませんでした。

車まで走って、鍵を回して、ドアを閉めて、それから両手が震えているのに気づきました。

鉛筆を、下に落としてきていました。

車を出す前に、私は在の道をもう一度見ました。

昼下がりなのに、どの家の前にも人がいませんでした。

三日前は、屋根に人が上がり、庭で瓦を積み、道で立ち話をしていた在です。

台風の片づけは、二日や三日で終わるものではありません。

どこかで犬が鳴いていましたが、姿は見えませんでした。

私はギアを入れて、在を出ました。

バックミラーに、段丘の縁の草が映っていました。

その草のあいだに、白いものが等間隔に並んでいるのが見えました。

ミラーの中ではもう、それが何なのか分かりませんでした。

町へ下りて、私は役場に寄りました。

罹災台帳の原本を見せてもらうためです。

担当の人は面倒がらずに出してくれました。

潮首の戸数は、十九でした。

段の下に家はあるかと聞くと、その人は地図を出して、指でなぞりました。

段の下は昔の蔵屋敷の跡で、明治のうちに崩れて、以後は誰も住んでいない。

そういう説明でした。

私は、水のことも聞きました。

在の飲み水はどうしているのかと。

潮首に井戸はひとつもない、と言われました。

山の水を樋で引いているのだと。

砂の混じる水は、この辺りでは海のほうの、汽水の井戸だけだそうです。

その井戸がある集落の名前も教わりましたが、そこは二つ向こうの入り江でした。

本社に戻って、私は野帳を開きました。

写しを作って報告書にまとめる必要があったからです。

潮首の二日目の頁が、ありませんでした。

破った覚えはありません。

綴じの糸も切れていませんでした。

前後の頁は湿ってよれたまま、順番どおりに並んでいました。

ただ、その一枚だけがないのです。

現像に出したフィルムも、上がってきたのは二本でした。

私は三本出したはずでした。

店の人は、二本しか預かっていないと言いました。

それきり、私は潮首の件を口にしませんでした。

報告書は、写真の足りないぶんを他の家のもので補って出しました。

褒められもせず、叱られもしませんでした。

三年後、私は内勤に移りました。

移ってすぐの頃に、同じ管内の別の調査員が、潮首の在の話をしているのを聞きました。

その年の冬に一戸が空き家になって、屋根が落ちたという話でした。

私は、戸数はいくつになったかと聞きました。

その人は書類をめくって、十九戸ですね、と言いました。

一戸落ちたのに、十九のままでした。

私は何も言いませんでした。

言えば、二十軒目を書いたのは誰かという話になります。

私は書いていません。

鉛筆は、あの段の下に落としてきました。

あれから三十年になります。

あの三人が本当に在の人だったのかどうか、私は確かめていません。

確かめる気になれないのです。

ただ、ひとつだけ、あとになって気になったことがあります。

三人は、私が来る日を知っていました。

本社から指示が出たのは、その日の朝でした。

在には電話のある家が三軒しかなく、私はそのどこにも連絡を入れていません。

そもそも、私が三日目に来なければ、あの人たちは誰に頼むつもりだったのでしょうか。

台帳を持って、名前を書きに来る人間を、いつまでも待っていたのでしょうか。

今も、罹災の書類に戸数を書くときだけは、二度数えます。

三十年、ずっと合っていました。

去年の春に出した一枚だけ、二度目が一つ多くなりました。

書類の場所は、潮首ではありません。

海からは、山を二つ隔てた町です。

数え直したら、元に戻りました。

それでも私は、その書類だけは控えを取ってあります。

戸数の欄を、今でもときどき見ます。

見るたびに、私は自分の字で書いた数を確かめて、それから、あの段の下に落としてきた鉛筆のことを考えます。

拾った人がいるのかどうか、私は知りません。

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