
これは、私に商売を教えた老人から聞いた話だ、と長いあいだ思っていた。
思い違いである。
その家へ行ったのは、私だ。
七十を過ぎると、記憶が誰の持ち物であったのか、境目が曖昧になる。
他人の話として仕舞っておくほうが、都合のよいこともあったのだろう。
忘れないうちに、順を追って書いておく。
※
私の商売は、蔵書目録の編纂という。
旧家や寺の蔵に眠っている本を、一冊ずつ札に書き起こす仕事である。
書名。
丁数。
刊記。
装訂。
それから、持ち主が残した痕跡。
蔵書印、識語、書入れ、栞代わりに挟まれた押し葉。
本というものは、読まれた分だけ痕跡を溜める器である。
その器の底を掬って、一枚の札へ移す。
それだけの仕事だ。
面白いですかと訊かれると、いつも返事に困った。
面白くはない。
ただ、他人の一生が丁数で表せてしまうことに、私は最後まで慣れなかった。
私は札を右から左へ書く。
癖ではない。
教わったとおりの順である。
手が覚えている順序というものは、頭より正直だ。
頭は理屈で言い訳をするが、手は黙って同じことを繰り返す。
※
平成三年の六月に、西陣の北室という家から仕事が来た。
染屋を三代続けた家である。
当主は六十半ばの、声の低い男の人だった。
間口が三間半、奥行が十七間。
京の町家は、外から見るよりはるかに深い。
通り庭を抜けると走り庭があり、その突き当たりに蔵が二つ並んでいた。
本は北の蔵にあった。
おおよそ四千冊。
三月はかかると見当をつけた。
玄関で、当主は履物のことを言った。
「爪先は、内へ向けて置いとくれやす」
妙な言いつけだと思った。
ふつうは逆である。
出るときに履きやすいよう、爪先は外へ向けるものだ。
「出にくうなりませんか」
「そういう決まりでして」
当主はそれ以上は言わなかった。
私も訊かなかった。
他家の決まりを詮索しないのが、この商売の礼儀である。
沓脱には、私の靴のほかに、乾いた下駄が一足そろえてあった。
その日は朝から雨だった。
歯には泥のひとかけらもついていない。
爪先は、きちんと内へ向いていた。
奥の間に、八角の柱時計が掛かっていた。
振り子は動いていない。
針は四時十二分を指していた。
「止まってますな」
当主は時計を見上げた。
「うちに来たときからです」
いつからか、とは訊かなかった。
訊いておけばよかったと、いまでも思う。
※
蔵の仕事は、埃と時間の勘定である。
朝、錠を開けると、黴と膠と古い糊の匂いが一度に出てくる。
あの匂いを嗅ぐと、私はいつも少し嬉しくなった。
誰にも読まれずに百年寝ていた紙の匂いだからである。
和装本は、指の腹で扱う。
爪を立てると、そこだけ後の人に分かってしまう。
楮の紙は乾いていて、少しざらつき、めくるたびに乾いた鳥のような音を立てる。
その音のほかには、蔵の中には何もない。
外の雨音さえ、分厚い壁を通ると遠い誰かの咳のように聞こえた。
北室家の蔵書は、思ったより雑然としていた。
染料や織の技術書があり、そのあいだに俳諧の摺物が挟まり、和算の稿本まで混じっている。
商家の蔵書というのは、たいていこういうものだ。
誰かが買い、誰かが貰い、誰かが返しそびれた本の堆積である。
三日目に、この家のものでない本が一冊出た。
京の町を一筋ずつ拾った細見図の、下巻だけである。
上巻はない。
綴じは弱っていたが、丁は揃っていた。
見返しに、墨の住所書きがあった。
西陣 鍵屋図子 二番戸 岸本
筆は達者で、墨はよく利いていた。
裏に廻すと、細い字で年号らしきものが書いてあったが、そこだけ滲んで読めなかった。
京都の路地には、通りとは呼ばず図子と呼ぶものがある。
辻子とも書く。
応仁の乱ののち、焼けた町を建て直すときに、大きな町割りの内側を人が勝手に踏み分けてできた細道だという。
抜けられるものと、行き止まりのものがある。
抜けられるほうを図子、行き止まりのほうを路地と呼び分ける土地もある。
名は、たいてい家の屋号から取る。
鍵屋という屋号の家があったのなら、その前の細道が鍵屋図子と呼ばれても、少しも不自然ではない。
不自然なのは、その名がどこにも残っていないことだった。
※
当主に、見返しを見せた。
「鍵屋図子……聞きまへんな」
「このあたりでは、ということですか」
「このあたりにも、どこにも」
当主は本を持たなかった。
見返しを覗き込んだだけで、指は袖に入れたままだった。
私は蔵へ戻って、細見図をひらいた。
刷られた地図の、堀川より西の一角に、細い線が一本引いてある。
その脇に、鍵屋図子と刷ってあった。
本文にあるのだから、少なくとも版元は、その名を知っていたことになる。
後日、私は同じ細見図の別の刷りを三種、府立の資料館で当たった。
初刷りも、後刷りも見た。
どれにも、その線はなかった。
線がないだけでなく、その一角は、他の版では三軒の家で隙間なく埋まっていた。
図子の入る余地がない。
私の手元の一冊だけが、そこに道を一本余分に持っていた。
刷り間違いというものは、字では起きる。
けれど版木に、ありもしない道を一本彫り足す職人はいない。
※
町を歩いて訊いてまわった。
この商売は、蔵に籠もっているようでいて、案外足を使う。
いちばんよく知っているのは、たいてい豆腐屋か、風呂屋か、髪結いである。
角の豆腐屋に、八十を越えた老女がいた。
「鍵屋さんの図子な」
手を止めずに、そう言った。
私は水槽の縁に手をついた。
「ご存じですか」
「昔はありました」
「いつごろまで、あったんでしょう」
「さあ。うちが嫁に来たときには、もう」
老女はそこで口をつぐんだ。
豆腐を掬う手だけが動いていた。
「もう、何でしょう」
「入らんように、なってました」
無くなった、とは言わなかった。
入らんようになった、と言った。
私はその違いを、家に帰ってから何度も反芻した。
無い道と、入れない道は、ちがう。
前者は消えたのであり、後者はまだそこにある。
二軒隣の酒屋の主人にも訊いた。
こちらは七十をいくつか越えた男の人で、町内のことなら何でも知っているという評判だった。
「鍵屋図子?」
「はい」
「そんな名は、聞いたことおへん」
断り方に、迷いがなかった。
知らない人の顔ではあった。
ただ、話を切り上げるのが、ほんの少し早かった。
市の図書館で、明治二十五年の地籍図を出してもらった。
堀川以西のその一角は、やはり三軒の家で埋まっている。
岸本という名も、鍵屋という屋号も、地番の索引にはなかった。
戦後の住宅地図も見た。
同じである。
記録の側から見るかぎり、その道も、その家も、はじめから無い。
※
異変が二つ目になったのは、その週の終わりだった。
私は仕事のあいだ、近くの旅館に一部屋借りて寝泊まりしていた。
夜、その日書いた札を数えるのが習慣である。
一日に書ける札は、調子がよくて八十枚。
その日は七十四枚書いた。
数えると、束は七十五枚あった。
一枚多い。
数え違いかと思って、三度数えた。
七十五枚だった。
一枚ずつ繰って、覚えのないものを抜いた。
その一枚だけ、左から右へ書かれていた。
筆跡は、私のものだった。
癖のある「巻」の字も、少し右へ流れる横棒も、私の手のものである。
書名の欄には、あの細見図の名が入っていた。
丁数も、装訂も、私が調べたとおりに正確だった。
ただ、所蔵者の欄が、北室ではなかった。
岸本、とあった。
私はその札を、しばらく畳の上に置いたままにしていた。
拾い上げるのが、なんとなく厭だった。
その晩は、雨の音がよく聞こえた。
旅館の樋が壊れていて、庇の端から一定の間隔で水が落ちる。
数えているうちに眠った。
眠る前、最後に思ったのは、数の合わないことではなかった。
順序が逆だったことである。
私の手は、右から左へしか動かないはずだった。
※
翌朝、当主が蔵まで上がってきた。
そういうことは、それまで一度もなかった。
「昨日から、考えてまして」
「何をです」
「祖父が、本を一冊、預かったままやと言うてました」
私は札を置いた。
「返しに行かはらへんかったんですか」
「行けなんだそうです」
「道が分からんように、なってしもうたと」
当主は、蔵の梁のあたりを見ていた。
「祖父は、雨の日に一遍だけ入れたと言うてました」
「入れた、というのは」
「入り口が、開いてたと」
そこで話は終わった。
当主は蔵を出ていき、その日はもう顔を見せなかった。
私は仕事を続けた。
手は動いた。
頭のほうが、ずっと同じところを回っていた。
※
六月の末は、京都がいちばん重たい季節である。
雨が降っても気温が下がらない。
町全体が濡れた布を被ったようになる。
その日も朝から降っていた。
夕方に蔵を閉め、いつもの筋を旅館へ向かって歩いた。
三週間、毎日通った道である。
右手はずっと、北室家の裏に続く長い土塀だった。
その塀の途中に、細い口が開いていた。
幅は二尺ほど。
大人が肩を斜めにして、ようやく入れる。
私は立ち止まった。
驚きはしなかった。
そこにあるのが当たり前のような顔をして、口は開いていた。
奥のほうに、明かりが見えた。
橙色の、ずいぶん低い位置の明かりである。
電灯の色ではなかった。
私は傘を畳んだ。
畳まなければ入れない幅だったからである。
いま思えば、そこで引き返す理由はいくらでもあった。
私は引き返さなかった。
札の一枚を、返しに行くつもりだったのだと思う。
鞄には、細見図が入っていた。
※
数歩入ったところで、背中が軽くなった。
雨が、当たらなくなっていた。
見上げると、空はある。
細い帯のような空に、雨脚がはっきり見える。
降っている。
降っているのに、当たらない。
地面も乾いていた。
足の裏に、埃の感触があった。
三週間ずっと湿っていた町の中で、そこだけが乾いていた。
両側は、腰の高さまで石を積み、その上を土で塗った塀である。
手を触れると、雨の日とは思えないほど温かかった。
人肌よりわずかに低いくらいの温さだった。
私はその手を、あとで何度も着物で拭った。
十間ほど進むと、右手に格子戸があった。
柱に木の表札が打ってある。
岸本。
その隣に、小さく二番戸と彫ってあった。
戸は、少し開いていた。
沓脱に、私の靴が乾いたまま置かれていた。
爪先は、内へ向いていた。
自分の足を見た。
私は靴を履いていた。
濡れた、いつもの靴である。
沓脱のほうは、乾いていた。
底の減り方まで同じだった。
※
「どうぞ」
奥から声がした。
女の声である。
年寄りとも、若いとも取れなかった。
抑揚が、この土地の言葉より少しだけ丸い。
私は上がらなかった。
三和土に立ったまま、奥を見た。
畳の間に、低い机がひとつ。
その上に、札の束が積んであった。
私の使っている札と、同じ大きさ、同じ紙。
私は近寄って、数えた。
二百二十枚あった。
一枚ずつ、繰った。
書名。丁数。刊記。装訂。
北室家の蔵書の、まだ手をつけていない棚の分である。
その札の束は、私がこれから三日かけて書くはずのものだった。
すべて、左から右へ書かれていた。
紙は乾いていた。
墨は、まだ湿っていた。
指で触れると、腹にわずかに黒が移った。
「お返しに、来てくれはったんですか」
声は、机の向こうの襖のあたりから聞こえた。
襖は閉まっていた。
「返しに来ました」
「長かったですなあ」
「八十年ほどになりますか」
「そんなに」
声は、そこで少しだけ笑った。
「うちは、三日ほどのつもりでおりました」
私は鞄から細見図を出して、机に置いた。
置いた指が、札の束に触れた。
湿った墨が、また少しついた。
顔を上げると、正面の柱に、八角の柱時計が掛かっていた。
北室家のものと、同じ形である。
針は四時十二分だった。
「その時計、止まってますね」
「動いてます」
「動いてませんよ」
「あんたはんの側では、そう見えますやろ」
襖は開かなかった。
影も差さなかった。
私はもう一度、札の束を見た。
いちばん上の一枚に、書きかけの行があった。
途中で筆が止まっている。
止まっているのは、私が今日、蔵で手を止めたところと同じ場所だった。
「そろそろ、閉まりますえ」
声は、静かにそう言った。
怒ってはいなかった。
親切ですらあった。
私は礼を言って、外へ出た。
※
傘は、畳んだまま歩いた。
雨は、やはり当たらなかった。
塀の温さも、そのままだった。
十間ほどで、筋に出た。
出たとたん、背中に雨が当たった。
肩から、一気に重くなった。
振り返った。
塀は、隙間なく続いていた。
継ぎ目もない。
石の積み方も、土の塗り方も、途切れていない。
その場にしばらく立っていた。
手のひらで、塀を端から端まで撫でていった記憶がある。
冷たかった。
雨のとおりの冷たさだった。
※
翌日も、その次の日も、同じ道を通った。
口は開いていなかった。
雨の日を選んで、時刻も同じにして通った。
開かなかった。
三年ほど、京都へ来るたびにその筋を歩いた。
そのうち、探していることのほうが厭になった。
北室家の目録は、七月の終わりに仕上がった。
札は、全部で二千八百枚。
そのうち二百二十枚を、私は書いた覚えがない。
けれど筆跡は、まぎれもなく私のものだった。
右から左へ書かれていた。
順序が、戻っていた。
戻っている、ということの意味を、私は長く考えないようにしてきた。
細見図は、目録には載せなかった。
載せる場所がなかったからである。
あの家の本ではないし、私の本でもない。
当主には、返す先が見つかったとだけ伝えた。
当主は、それ以上は何も訊かなかった。
訊かないことに、慣れている人だった。
※
北室の家は、平成の終わりに取り壊された。
更地になる前に、当主の息子さんから電話があった。
「時計だけ、もろてくれはりませんか」
「なぜ、私に」
「父が、あんたはんにと言い置いてまして」
「理由は、伺ってますか」
「いえ。ただ、動かんままで置いといてほしいと」
八角の柱時計は、いま私の仕事場に掛かっている。
直そうとしたことはない。
今も、針は四時十二分を指している。
※
手元に、札を一枚だけ残してある。
左から右へ書かれた、あの一枚である。
所蔵者の欄に、岸本とある。
返却の欄は、空けたままにしてある。
私はこの商売を、もう長くしていない。
やめた理由を訊かれたら、目が悪くなったからと答えることにしている。
本当は、そうではない。
札を書きはじめるときに、指が迷うようになったからだ。
右から書くのか、左から書くのか。
手が覚えているはずの順序が、思い出せない。