夜勤のラジオから先輩の声が

静かな印刷工房の夜景

これは私が体験した、本当にあった話である。

私は今年で七十三になる、しがない夜勤の警備員だ。

定年退職してから、もう十五年近くも、東京の北の外れにある古い印刷工場の夜間警備を続けている。

若い頃、私はその同じ工場で活版印刷の職人をしていた。

二十二で入って四十二で工場を出るまでの二十年間、毎日のように小さな鉛の活字を組んでいた。

指の腹に残った金属のにおいが、いまでも風呂上がりに、ふと甦ることがある。

その工場が閉鎖になると正式に決まったのは、半年前のことだった。

社員の高齢化と、紙媒体の衰退と、いくつか重なって、ついに本社が判断を下したのだという。

閉鎖までの間、夜間警備だけは残すことになり、最後の番として私が居残ることになった。

工場は線路に挟まれた狭い土地に、ぽつんと建っている。

外装はトタン張りで、内側はコンクリートが剥き出しの、戦後すぐに建てられた古い建物だ。

夜になると、近くの貨物列車の音と、トタンを叩く北風の音だけが、しんと響く。

中央には大きな印刷機械が二台、奥には活字を組むための木製の棚が壁一面に残っていた。

その棚は、私が若い頃に毎日のように向かい合っていた場所そのものだった。

棚の引き出しの取手は、若い頃の私の手の汗で、わずかに黒ずんでいる。

休憩室は、その活字棚の隣りに、一畳半ほどの広さで仕切られている。

古い灰皿と、ぶら下がった裸電球と、そして使われなくなったラジオが一台、長いこと置かれていた。

真空管の入った、木製の大きなラジオである。

これがいつから壊れているのか、もう誰も覚えていない。

私の記憶でも、二十年も前から、もう音が出なくなっていたはずだった。

それでも誰も処分せず、何かの飾りのように、棚の端にずっと置かれていた。

異変が起きたのは、閉鎖が決まって三ヶ月ほどが経った、十月の終わりの夜だった。

見回りを終えて休憩室に戻ったところ、ラジオの方からかすかな音がした。

最初は外を走る貨物列車の遠い響きかと思った。

しかし耳を澄ますと、音は確かにラジオの真空管の中から漏れていた。

ジー、ジーという、針が空回りするような乾いた音だった。

私は念のため、本体の裏のコードを確かめてみた。

コードはコンセントから抜けていた。

そもそも、その壁のコンセント自体が、何年も前から外されていた。

それでも音は止まなかった。

私はラジオの前で何度か瞬きをしたあと、自分の耳のせいだと言い聞かせた。

歳をとるとよくあることだ、とも思った。

その夜は、それきりで終わった。

翌日の昼間、引き継ぎに来た若い社員に、軽い気持ちでその話をしてみた。

「ああ、それたぶん耳鳴りですよ。森田さん、夜勤で疲れてるんですよ」

社員は笑ってそう言った。

私はその名前を聞いて、ふと手が止まった。

森田、というのは、私が若い頃に世話になった、もう三十年も前に亡くなった工場長の苗字だったのだ。

私の名字は宮田で、森田ではない。

若い社員が、そんな昔の人の名前を知っているはずもなかった。

言い間違いだろう、と私は思うことにした。

気にしすぎたら、本当に夜勤が務まらなくなる、と自分に言い聞かせた。

そんな歳になっても、まだ仕事を辞めずに済んでいるのが、私には何よりありがたかったからである。

その夜、再びラジオが鳴った。

今度は、はっきりとした人の声だった。

「もりた、まだそこにおるんか」

胸の奥が、ぎゅっと固まる感じがした。

その呼び方は、ほかでもない、私の若い頃の現場でのあだ名だった。

工場長は最初に私の名前を読み間違えて覚えてしまい、それから最後まで「もりた」と呼び続けた、ちょっと頑固な人だった。

仲間にだけ通じる、私だけのあだ名だった。

私は休憩室の真ん中で正座をして、しばらくラジオを見つめていた。

真空管にはわずかに、橙色の灯がぽうっと点いていた。

あるはずのない灯りだった。

「明日、最後の刷り、頼んだぞ」

声はそれだけ短く言い残して、ふっと消えた。

橙色の灯も、それと同時に消えた。

あとは、ただ深夜の工場の冷えた空気だけが残っていた。

私は息を整えてから、ゆっくり腰を上げた。

その晩は、何度も時計を見てしまい、ほとんど眠れなかった。

頭の中では、若い頃の工場長の顔ばかりが浮かんでは消えていた。

工場長は、私が辞めて数年後に倒れて亡くなったと、人づてに聞いた。

最後まで現場に立ち、最後の刷り工程を見届けてから家に戻り、その晩のうちに静かに息を引き取った人だった。

葬儀の場で、奥さんが「最後に一仕事終わった、と言って笑っていました」と話していたのを、今でもよく覚えている。

私が辞めた当時、若かった工場長は、まだ五十そこそこだった。

残業の合間に、私の組んだ版を黙って覗き込んで、ひと言だけ「字間、もう少しいいな」と言うような人だった。

褒めはしないが、こちらの仕事はきちんと見ていてくれている。

そういう先輩だった。

私が工場を辞めるとき、最後の挨拶に行った日のことを今でも覚えている。

工場長は何も言わずに、ただ一度だけ、私の肩を軽く叩いてくれた。

それが、私が工場長に直接顔を合わせた、最後の時間だった。

翌日、私はいつもより早く出勤して、機械を一つひとつ眺めて回った。

来週、工場は完全に閉鎖される。

長く稼働していなかった印刷機にも、薄く埃が積もっていた。

奥の活字棚の前に立つと、なぜか自然と手が伸びた。

箱の中の、もう何十年も触られていない小さな鉛の活字を、私はそっと指の腹で撫でた。

金属のにおいが、ふっと若い頃の自分の指から立ち上がる気がした。

気のせいか、奥の方の活字が一段、新しい組み版のかたちに並べ替えられているように見えた。

しかし、確かめる前に、外で警報の合図が鳴って、私は持ち場に戻った。

その夜、警備室に入って机に向かったとき、私は思わず声を上げそうになった。

机の真ん中に、白い紙が一枚、きちんと置かれていた。

警備室に入る直前まで、確かに何も置かれていなかった机である。

窓の鍵もかけてあるし、扉は私が入ってから一度も開けていない。

紙の上には、組まれた活字でくっきりと文字が刷られていた。

インクは、まだ乾ききっていないほどの黒さで光っていた。

その組み方を見て、私はもう一度、息を呑んだ。

字間の取り方、行の頭の揃え方、ほんの少し右に寄った句読点の癖。

それは紛れもなく、私が若い頃に何百回も繰り返した、私自身の組み方だった。

しかし、私はここ三十年、一度も活字を組んでいない。

そして、奥の印刷機は半年前から動いていない。

紙の上の文字は、こうあった。

「最後の刷り、お世話になりました。森田正一」

森田正一、というのが、亡くなった工場長のフルネームだった。

そして、その一行の下に、もう一行だけ、私の名前が添えられていた。

「宮田くんへ」と、丁寧な小さい活字で。

そのまた下に、たった五文字が並んでいた。

「ありがとう。」

句点まできちんと打たれた、几帳面な工場長らしい一行だった。

私は紙を机の上に置いたまま、しばらく動けなかった。

外を、深夜の貨物列車が遠ざかっていく音がした。

窓の外の街灯は、いつも通り橙色に揺れていた。

気がついたら、私はゆっくりと、その紙に向かって頭を下げていた。

工場の閉鎖までは、結局あと一週間あった。

その間、ラジオが鳴ることは、もう一度もなかった。

真空管の橙色の灯も、二度と点くことはなかった。

閉鎖の前の日、私はあの紙を一枚、丁寧に折って自分の鞄に入れた。

持ち主のいない、最後の刷りものだった。

工場は無事、予定通りに閉鎖された。

大きなトラックが何度も出入りし、印刷機も、活字棚も、ラジオも、すべて運び出されていった。

最後に鍵を返しに行った日、誰もいなくなった工場の中に、私はひとりで立っていた。

がらんとしたコンクリートの床に、自分の足音だけがやけに大きく響いた。

「ありがとうございました」と、私は誰もいない奥の活字棚に向かって、小さく頭を下げた。

返事は、もちろん何も返ってこなかった。

ただ、外を貨物列車が通り過ぎる音だけが、いつも通りに響いていた。

あの紙は今も、私の家の机の引き出しの一番奥に、しまったままにしてある。

取り出すと、刷ったばかりのインクのにおいが、いまでもかすかに残っている気がする。

私はいまだに、あの夜のラジオの声が、本当に工場長だったのか、自分には確かめようがない。

ただ、あれから工場の夢を見るとき、決まって工場長は、私の隣でいつもの活字棚の前に立っている。

そして、いつも同じことを、ぼそっと言うのだ。

「もりた、まだそこにおるんか」

私はその声に、いつも心の中で、こう返事をしている。

はい、まだここにおります、と。

夢から覚めると、なぜか指の腹に、あの懐かしい金属のにおいが、ほんのり残っている気がするのである。

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