
これは、私が去年の夏に取材先で体験した話である。
怪談として書くつもりは、最初はなかった。
けれど先日、ある一枚の刷り物が手元に届いて、もう黙っているほうが不自然だと思うようになった。
順を追って書く。
先に断っておくが、私は幽霊の類を信じない側の人間だった。
少なくとも、去年の夏までは。
私は五十三になるフリーのライターで、地方のタウン誌に『町の終い仕事』という連載を持っている。
店を畳む銭湯、廃業する製麺所、看板を下ろす洋装店。
消えていく古い商売を、最後のひと月だけ取材させてもらう連載だ。
湿っぽい企画だとよく言われるが、終わりかけの仕事場にしか出ない光があると、私は思っている。
この連載で、私は十七軒の店じまいを見てきた。
最後の釜の火を落とす銭湯の主人も、最後の麺を切る製麺所の夫婦も、皆どこか晴れやかだった。
だから今度の取材も、いつも通りの仕事になるはずだった。
去年の六月、編集部に一通の葉書が届いた。
「このたび、七月末日をもちまして閉業いたします。永らくのご愛顧、ありがとうございました。大和田印刷所」
うちの雑誌の名刺や封筒を、創刊以来ずっと刷ってくれていた活版印刷の店だった。
編集長が、最後はうちで見送りたいと言い、連載での取材が決まった。
大和田印刷所は、旧市街の市場の裏の、車の入らない路地の奥にあった。
昭和三十年創業。
市場の値札から、町内会の回覧、婚礼の招待状、選挙の名刺まで。
この町の祝い事と弔い事は、半世紀のあいだ、ほとんどこの店の活字を通ってきたことになる。
間口二間の店の奥に、天井まで届く活字棚が壁のように並んでいる。
棚の升目には、米粒より少し大きい鉛の活字が、何万本と眠っていた。
店主の大和田さんは八十五歳。
背は曲がっているが、活字を拾う右手だけは、別の生き物のように速かった。
原稿を片手に、棚から棚へ。
カチ、カチ、と文選箱に活字の落ちる音がする。
左手の原稿を目で追いながら、右手は見もせずに棚の升目へ飛ぶ。
八十五歳の指とは、とても思えなかった。
「目で拾うんやない。指が覚えとるんや」
「文選いうてな、これだけは機械にできん仕事やった」
店の中は、インクと機械油と、それから鉛の匂いがした。
鉛に匂いなんてあるのかと笑われそうだが、あの店の空気には、確かに金属の重さが溶けていた。
奥さんのふみ子さんが、取材のたびに茶を淹れてくれた。
盆の上の湯呑みは、なぜかいつも四つだった。
大和田さんと、ふみ子さんと、私で三つ。
余った一つは、いつも組版台の隅に置かれた。
古い夫婦の癖だろうと、最初は気にも留めなかった。
いま思えば、答えは初日から、そこに置いてあったのだ。
※
最初の違和感は、取材二日目の朝だった。
店に着くと、大和田さんが組版台の前で、難しい顔をして立っていた。
台の上に、活字が七、八本、行儀よく一列に立っていた。
「昨日、店じまいの前に片したはずなんやけどなあ」
大和田さんはそう言いながら、けれど少しも驚いた様子がなく、活字を一本ずつ棚へ戻していった。
「夜のうちに、誰か仕事してくれたんですか」
冗談のつもりだった。
大和田さんは手を止めず、ああ、とも、いや、とも付かない返事をした。
ふみ子さんが盆を持ったまま、ちらりと夫の背中を見たのを、私は見た。
そのとき立っていた活字が何の字だったか、私は後になって何度も思い出そうとした。
活版の活字は左右が逆で、素人にはまず読めない。
ただ、「開」の一字だけは、確かに見た。
なぜかあの字だけが、妙に目に残った。
二度目は、その週の終わりだった。
夕方、撮影を終えて引き上げようとしたとき、店の奥で、がしゃん、と重い音がした。
手フートと呼ばれる、足踏み式の古い印刷機が一度だけ動いた音だった。
誰も、機械のそばにはいなかった。
「機械いうもんはな、冷えると鳴るんや」
大和田さんは振り向きもせずに言った。
「鉄が縮むんでな。古い機械ほど、ようしゃべる」
理屈は通っている。
私もその場では納得した。
ただ、帰りの路地で振り返ると、ふみ子さんが店先で、誰もいない店の奥に向かって小さく頭を下げていた。
あのお辞儀が、仏壇に向けるものと同じ角度だったことに気づいたのは、ずっと後である。
三度目は、ゲラ棚だった。
刷り見本を整理して連載に載せる写真を選んでいたとき、台帳にない一枚が混ざっているのに気づいた。
淡い灰色の罫の入った、挨拶状の試し刷りだった。
紙は新しかった。
黄ばんだ見本の束の中で、その一枚だけが、白かった。
「このたび 左記に移転し──」
文章は、そこで途切れていた。
続きの活字が、まだ組まれていないのだ。
「大和田さん、移転なさるんですか。閉業じゃなくて」
私が刷りを見せると、大和田さんは老眼鏡を上げて、しばらく黙った。
それから、ふっと笑った。
「わしの仕事と違う」
「は……?」
「組みかけのもんは、触らんでおいてや」
それきり、その話は終わりになった。
帰り道、私は自分の取材ノートに「夜中に誰かが店に入っている可能性。家族? 元職人?」と書いた。
理屈で片付けたがるのは、私の悪い癖である。
※
弟さんの話を聞いたのは、取材も三週目に入った頃だった。
その日、大和田さんは市場の寄り合いで留守だった。
ふみ子さんと二人、店番をしながら、私は思い切って聞いてみた。
「あの湯呑み、いつもお一つ余りますよね」
ふみ子さんは湯呑みを拭く手を止めて、少しだけ笑った。
「正二さんの分です」
「セイジさん」
「うちの人の、弟さん」
大和田印刷所は、もともと兄弟で始めるはずの店だったのだという。
兄は機械と営業、弟の正二さんは文選。
十五で印刷所に奉公に出て、十七で町いちばんの文選工になった。
目をつぶって棚に手を伸ばしても、欲しい字を外さなかったという。
「指に字いが住んどる、いうて親方に言われたそうですよ」
ふみ子さんは、茶の間の仏壇から、小さな写真立てを持ってきてくれた。
詰襟の、まだ顎の細い少年が、緊張した顔で写っていた。
「これしか、残っとらんのです」
十八のまま、正二さんは写真の中にいた。
その正二さんは、十八の年に南方へ発って、戻らなかった。
店が建ったのは、それから十年も後のことだ。
大和田さんは、戻らない弟の名前を呼ぶかわりに、店の看板に『大和田』と、家の姓だけを掲げた。
「うちの人ね、いまでも文選しよるとき、ときどき後ろに声かけるんですよ」
「……なんと言って、ですか」
「『正二、次や』て」
ふみ子さんの口ぶりには、湿ったところが少しもなかった。
六十年あまり、この夫婦はそうやって、三人で店をやってきたのだろう。
ふみ子さんは、湯呑みを組版台の隅に置いた。
湯気が、誰もいない台の上で、ゆっくりと立ちのぼっていた。
その晩から、私は取材ノートの「元職人?」という走り書きを、見るのが少し嫌になった。
※
閉業を一週間後に控えた頃、例の挨拶状の組版が進んでいることに、私は気づいてしまった。
「このたび 左記に移転し 開業いたします」
文面が、一行、増えていたのである。
組版台の隅、湯呑みの横に、その版はいつの間にか置かれていた。
鉛の活字が、几帳面に、狂いなく並んでいた。
指で触れてみると、活字の頭は、ひやりと冷たかった。
真夏の店の中で、そこだけ温度が違った。
大和田さんの組んだ閉業挨拶状は、別の台の上で、もうとっくに刷り上がっている。
では、これは誰が組んでいるのか。
私はその日、帰りそびれて、店じまいまで居座った。
大和田さんは店の電気を半分落とすと、組版台の隅の版を、咎めるでもなく、眺めた。
「大和田さん。それ、誰の仕事ですか」
聞いてはいけない気もしたが、聞かずに帰れば、もっと後悔する気がした。
大和田さんは、版から目を離さずに言った。
「正二や」
あまりに当たり前の口調だったので、私は二の句が継げなかった。
「店を畳む言うてから、夜のうちに、ちょっとずつ組みよる」
「……弟さんは、その、南方で」
「戻らんかった。けどな、あれの指は、ここに残っとったんやろ」
大和田さんは、活字棚の一角を、顎で指した。
「あの棚はな、正二が奉公先から持って帰った棚や。あれの手垢で、字いの並びが光っとる」
「怖くは、ないんですか」
我ながら、間の抜けた質問だった。
大和田さんは初めてこちらを向いて、皺の中で笑った。
「弟やで」
それで全部だった。
怪異というものは、慣れた人間の前では、ただの家族になるのだと、私はこのとき知った。
そして、慣れていない私の背中だけが、しんと冷えていた。
閉業の前日、版はまた一行増えていた。
「このたび 左記に移転し 開業いたします 皆さま向後とも」
住所が入るはずの「左記」は、まだ空白のままだった。
最終日。
大和田さんは最後の仕事として、世話になった得意先の名刺を一通りずつ刷り、私の名刺も記念に一枚刷ってくれた。
手フートが、がしゃん、がしゃんと規則正しく鳴った。
私の名刺を刷るとき、大和田さんは活字を組みながら、ふと手を止めた。
「あんたの名前の字、ええ字が残っとるわ。正二の好きな書体や」
刷り上がった名刺は、心なしか、どの行よりも黒々として見えた。
夕方、店の電気を落とすとき、大和田さんは組版台の隅の、未完成の版に向かって言った。
「あとは、向こうでやり」
ふみ子さんが、四つ目の湯呑みを、最後にもう一度だけ、台の隅に置いた。
※
それから、ふた月ほど経った九月の頭である。
編集部に、一通の封書が届いた。
宛名は活版で刷られていた。
あの、わずかに紙にめり込む、独特の凹みのある字だった。
封を切ったときの、紙の匂いを覚えている。
インクと、機械油と、かすかな鉛。
あの路地の奥の匂いが、封筒の中から立った。
中身は、一枚の挨拶状だった。
「このたび 左記に移転し 開業いたします 皆さま向後とも変わらぬご愛顧のほどを 大和田印刷所」
編集部の若い子は、閉業を取りやめて移転したんですねえ、よかった、と言った。
私は、その一枚を裏返し、透かし、もう一度表に返した。
住所の欄には、何も刷られていなかった。
「左記に移転し」とありながら、左記が、ない。
消印は、市内の中央郵便局。
つまり、これを投函した誰かが、確かにこの世のどこかにいるはずだった。
差出人の住所も、なかった。
私はその足で、旧市街の路地へ向かった。
大和田印刷所のあった場所は、もうシャッターが下り、貸店舗の貼り紙が出ていた。
隠居先の住まいを訪ねると、大和田さんは縁側で、所在なさそうに新聞を読んでいた。
挨拶状を見せると、老人はしばらくそれを眺め、それから、ゆっくりと相好を崩した。
「正二のやつ、向こうで店を出しよった」
「……これ、大和田さんが刷ったんと違うんですか」
「機械はもう、業者が引き取ったがな」
活字も、棚ごと全部、と老人は言った。
「けど、ええ字いやろ。あれの組んだ字は、昔から、ちいと右肩が上がる」
私は何も言えずに、挨拶状の文字を見た。
言われてみれば、どの行も、ほんのわずかに、右肩が上がっていた。
「住所が、入ってませんでした」
「そら、書けんやろ」
大和田さんは、湯呑みの茶をうまそうに啜って、こともなげに言った。
「まだ、誰も行ったことのない町や」
老人はそう言って、挨拶状を私の手に返した。
縁側の日だまりの中で、その横顔は、羨ましそうにすら見えた。
※
大和田さんは、今年の春、眠るように旅立った。
報せをくれたふみ子さんの声は、存外に明るかった。
「うちの人、最後の晩にね、布団の中で、カチ、カチて、指を動かしよったんです」
「文選の、手つきでした」
受話器の向こうで、ふみ子さんは少し笑っているようだった。
葬儀は、身内だけのささやかなものだったと聞いた。
そのあとで、会葬御礼の挨拶状をいただいた。
淡い灰色の罫。わずかに紙にめり込む活字の凹み。
どの行も、ほんのわずかに右肩が上がる、あの字だった。
ふみ子さんに、どこの印刷所に頼んだのかと聞くと、葬儀社に任せたきり分からないという。
葬儀社に問い合わせても、手配の記録は出てこなかったそうだ。
私の手元には、いま、二枚の刷り物がある。
住所のない開業挨拶状と、刷り元の分からない会葬御礼。
並べて眺めるたび、思う。
兄弟の店は、いまごろ、誰も行ったことのない町で開いている。
蘇った活字棚の前で、弟が文選箱を鳴らし、兄が手フートを踏む。
がしゃん、がしゃんという音が、どこからも聞こえない夜ほど、私はそれを確信する。
そして、ときどき考えて、やめる。
私の原稿もいつか、あの右肩の上がった字で、組まれる日が来るのかもしれない。