息が白くならない湯治客

雪景色の岩間に佇む露天風呂

玄関を出る前に、私は必ず一度、息を吐いて確かめます。

白いかどうかを、見るためです。

もう二十年以上、続けています。

湯守を辞めた理由を、家内にも子どもにも話したことがありません。

腰を痛めたのだと言ってあります。

嘘ではありません。

ただ、本当でもありません。

平成十二年の冬まで、私は東北の山にある湯治宿で湯守をしておりました。

湯守は、湯を守ると書きます。

立派な字面ですが、仕事のほとんどは樋の掃除です。

源泉から宿までは、四百間ほどの木の樋が渡してあります。

山肌に沿って、細く、長く、ゆるやかに下っています。

その樋の内側に、湯の花が溜まります。

白くて脆くて、指で押すと崩れます。

放っておけば湯が細り、宿の湯船がぬるくなります。

だから毎朝、竹の箆を持って樋を上っていく。

それが私の一日の始まりでした。

冬は雪をかき分けて上ります。

樋の上だけ雪が解けているので、白い山肌に一本、黒い筋が引かれているように見えます。

その筋を辿れば、必ず源泉に着く。

迷いようのない道でした。

宿は湯治宿でしたから、一泊で帰るような客はほとんどおりません。

自炊部に一週間、長い人は一月ほど逗留して、朝と晩に湯へ入り、あとは炬燵で新聞を読むか、廊下で他の客と将棋を指しているような場所でした。

冬になると、客の顔ぶれはほとんど変わりません。

膝の悪い人、腰の悪い人、それから理由を言わない人。

山の宿には、理由を言わない客がだいたい一人か二人はいるものです。

宿の裏手には、雪の重みで屋根の潰れた古い湯小屋の跡がありました。

石の土台だけが四角く残っていて、そこにも同じように、桶を置くための窪みが彫ってあったのを覚えています。

そちらの窪みは、三つでした。

源泉は二つありました。

一つは宿へ引いている湯で、これを私たちは通し湯と呼んでいました。

もう一つは、そこから沢を二つ越えた岩陰にあります。

岩の窪みに湯が溜まっているだけの、畳二枚ほどの湯壺です。

誰が名づけたのか、留め湯と言いました。

留め湯には、樋を引いていません。

引いてはいけない、と先代の湯守に教わりました。

理由は教わりませんでした。

聞いても、あの人は引かねえもんだとしか言いませんでした。

仕事の決まりごとには、たいてい理由がついています。

樋を毎朝掃除するのは、湯が細るからです。

湯船の湯を夜に落とすのは、湯の花が沈むからです。

けれど留め湯だけは、理由のない決まりでした。

私はそれを、ただの言い伝えだと思っていました。

留め湯の縁には、桶を置くための窪みが七つ彫ってあります。

浅い、皿のような窪みです。

私が使うのは、いつも一番手前の一つだけでした。

月に一度、留め湯の湯量を測りに行くのが決まりで、そのときに桶を置くのです。

残りの六つは、いつも乾いていました。

誰が何のために彫ったのか、先代も知らないと言っていました。

ただ、七つあるということは、七人で使う日があったのだろうと思っていました。

そのくらいのことしか、考えていませんでした。

一度だけ、長く逗留していた老人に、留め湯のことを聞かれたことがあります。

若い頃に近くの営林署で働いていたという人で、この山のことを私よりよほどよく知っていました。

「桶は伏せて置いてあるか」と老人は聞きました。

私が、伏せてはいませんと答えると、老人は湯呑みを置いて、しばらく窓の外の雪を見ていました。

「伏せておくもんだ」と老人は言いました。

「上を向いた桶には、溜まるから」

何が溜まるのかは、何度聞いても答えてくれませんでした。

その老人は、その冬を最後に宿へ来なくなりました。

もう一つ、留め湯には妙なところがありました。

湯気が立たないのです。

冬の朝、通し湯の源泉は白い柱のような湯気を上げます。

気温が下がるほど、湯気は高く立ちます。

ところが留め湯は、真冬でもほとんど湯気が立ちません。

手を入れれば熱い。

温度計を差せば四十二度七分。

何度測っても、四十二度七分でした。

それなのに湯の面は鏡のように静かで、白いものが一筋も上がらない。

私はそれを、岩陰で風が回らないせいだと思っていました。

思っていた、というより、そう思うことにしていました。

その年の十一月に、沢の下手で工事が始まりました。

隣の町の資本が、宿から一里ほど下に、日帰りの大きな入浴施設を建てるのです。

湯が足りない、という話でした。

掘っても掘っても、温い水しか出ないのだそうです。

施設の人間が、宿の女将のところへ何度も通ってきました。

源泉を分けてくれ、と。

女将は八十を過ぎた小柄な人で、いつも同じ返事をしました。

「通し湯なら、うちの取り分の内で相談しましょう」

「留め湯は、だめです」

相手は、なぜだめなのかと聞きます。

女将は、だめだからだめですと答えます。

押し問答が何度かあって、話は途切れました。

私はそのとき、女将は値を吊り上げているのだと思っていました。

恥ずかしい話ですが、本当にそう思っていました。

十二月の初め、雪が根雪になりました。

朝、樋を上っていくと、留め湯のほうの沢に足跡がありました。

長靴の跡が二人分。

それと、何かを引きずった細い溝が二本。

溝の間隔は、ホースを二本並べたくらいでした。

留め湯まで行ってみると、湯の面が三寸ほど下がっていました。

岩の内側に、湯の線が輪になって残っていました。

桶を置く窪みのうち、手前の一つと、その隣の一つが濡れていました。

私は宿へ戻って、女将に話しました。

女将は何も言いませんでした。

ただ、その日の午後から、玄関の三和土に塩を撒くようになりました。

私が理由を聞くと、「昔からです」とだけ言いました。

異変は、翌朝から始まりました。

最初に気づいたのは、温度計です。

私は毎朝、通し湯の源泉に温度計を差します。

六十一度から六十三度の間を行き来する湯です。

その朝、針は四十二度七分を指しました。

故障だろうと思い、宿へ戻って別の温度計を持って上りました。

新しいほうも、四十二度七分でした。

念のため、空の桶に差してみました。

何も入っていない、雪の上に置いた木の桶です。

針は、四十二度七分まで上がって止まりました。

しばらく、その針を見ていました。

桶を蹴り倒したのは、たぶん腹が立ったからだと思います。

転がった桶の底から、湯気が上がりました。

何も入っていないのに、上がりました。

そのあと私は、桶を伏せてから山を下りました。

なぜそうしたのかは、そのときも自分で説明できませんでした。

ただ、上を向いたままにしておくのが、急に恐ろしくなったのです。

二つ目は、音でした。

その晩、私は宿の内湯の当番でした。

夜の十一時に湯を落とし、朝の四時に張り直します。

落とした後の浴室は、水音一つしません。

十二時を回った頃、廊下の先から音が聞こえました。

人が湯船に入るときの音です。

湯が押し出されて、縁を越えて、洗い場に流れ落ちる音。

あの、ざあ、という音です。

私は懐中電灯を持って浴室へ行きました。

浴槽は空でした。

底の栓は抜けたままで、タイルは乾いていました。

洗い場も乾いていました。

けれど、湯の匂いだけが濃く残っていました。

硫黄の匂いではありません。

雪の匂いに近い、冷たくて、ほとんど何もない匂いでした。

三つ目は、鏡です。

脱衣所の鏡は、朝いちばんに拭きます。

湯気で曇るので、客が入る前に一度きれいにするのです。

その日から、拭いても曇りが残るようになりました。

正確に言えば、曇りの中に、拭いた跡のようなものが残るのです。

手のひらで拭いた跡です。

円い、五本の指の筋がついた跡。

私は自分の手を鏡に当ててみました。

大きさは、私のよりずっと小さいものでした。

次の朝は、その跡が二つになっていました。

その次の朝は、四つでした。

数えるのをやめたのは、六つになった朝です。

四つ目は、人の話です。

郵便を運んでくる男が、玄関で長靴の雪を落としながら言いました。

「今朝、下の橋のところで人とすれ違ったんだけどな」

「湯上がりみたいな顔してた」

「この寒いのに、上着も着ないで」

私は、施設の工事の人でしょう、と答えました。

男は首を振りました。

「工事の連中じゃねえよ」

「それにな」

男はそこで少し黙りました。

「息が、白くなかった」

私はその場では笑いました。

笑って、その日は樋を上りませんでした。

五つ目は、時間でした。

十二月の半ば、私は久しぶりに内湯に浸かりました。

客の引けた深夜で、脱衣所の柱時計は一時二十分を指していました。

湯は熱く、私は長く浸かりました。

指の腹が白くふやけるまで浸かっていましたから、三十分は経っていたはずです。

上がって時計を見ると、一時二十五分でした。

時計が止まったのだろうと思い、耳を近づけました。

秒針は、きちんと動いていました。

その晩から、私は宿の湯に入るのをやめました。

女将に留め湯のことを聞いたのは、その頃です。

女将は帳場の火鉢の前で、しばらく手をあぶっていました。

それから、明治の終わりにこの山であったことを話しました。

大雪の年に、湯治の一行が山越えの途中で戻らなくなったのだそうです。

男が四人、女が三人。

七人です。

春になっても、誰も見つかりませんでした。

女将は帳場の引き出しから、和綴じの古い帳面を出してきました。

明治四十三年の湯銭帳で、墨で書かれた名前が細かく並んでいます。

その最後の頁に、名前のない行が七つ、続けて引いてありました。

湯銭だけが先に払われて、逗留の日数が書き入れられないまま残っている行なのだそうです。

帳面を閉じるとき、女将は指で表紙をひとつ叩いて、こう言いました。

「うちは、七人分の湯を預かったままなんです」

その翌年から、留め湯の湯が冷めなくなったのだと女将は言いました。

「あそこは、預かってるんです」

何を、と私は聞きました。

女将は湯呑みを両手で包んで、こう言いました。

「温もりを」

山で戻れなくなった者から、土地が体の温もりを預かる。

預かった温もりは、返す相手が来るまで冷めない。

だから留め湯は、いつまでも四十二度七分なのだ、と。

湯気が立たないのも道理だ、とも言いました。

「体からは、湯気は出ないでしょう」

私は、そういう話の好きな婆さんだと思っていました。

帰り際、女将は私の背中に一言だけ足しました。

「持ち出したら、取りに来ます」

年の瀬でした。

夕方から吹雪になり、宿は三組の客で静かでした。

玄関の戸が開いたのは、八時を回った頃です。

男が一人、立っていました。

作業着の上に、何も羽織っていませんでした。

髪も肩も濡れていて、湯から上がったばかりのように見えました。

顔は、下の施設の現場で何度か見た顔でした。

私は帳場から出て、どうしました、と声をかけました。

男は口を動かしましたが、声になりませんでした。

唇の間から、息が出ているのはわかりました。

三和土の温度は、外とほとんど変わりません。

私の息は白く濁っていました。

男の息は、透明でした。

何も見えないのです。

出ているのに、見えない。

私は一歩下がりました。

男はゆっくり首を回して、廊下の奥を見ました。

浴室のほうです。

それから、来た戸をそのまま出ていきました。

雪の上に、足跡はありませんでした。

私は戸を閉めて、心張り棒をかけました。

かけてから、心張り棒に意味があるのかどうかを考えて、手が震えました。

その晩、私は帳場で朝まで起きていました。

何度か、廊下を人が歩く音がしました。

裸足の音です。

濡れた裸足が、板を踏む音。

数は、一人ではありませんでした。

明け方近く、音がやみました。

私が脱衣所を見に行くと、鏡は一面が曇っていました。

拭き跡は、七つありました。

六つではなく、七つでした。

一つ増えていました。

私はその七つ目に、自分の手を当ててみました。

大きさが、ちょうど同じでした。

夜が明けきる前に、私は樋を上りました。

吹雪はやんでいて、山は青く沈んでいました。

留め湯の沢に入ると、遠くから匂いがしました。

あの、雪の匂いです。

匂いというより、鼻の奥が冷えていく感じに近いものでした。

沢の水音が、いつからか聞こえなくなっていたことに、そのとき気づきました。

雪を踏む自分の足音だけが、やけに大きく響いていました。

岩陰を回り込んだところで、私は足を止めました。

湯壺の縁の窪みが、七つとも濡れていました。

桶は、一つも置いていないのにです。

湯壺には、人が浸かっていました。

肩まで浸かって、岩に背をあずけて、十人以上いました。

畳二枚ほどの湯壺です。

そんなに入れる広さではありません。

けれど、入っていました。

男も女もいて、身なりはばらばらでした。

古い着物の者もいれば、作業着の者もいました。

昨夜の男も、いました。

全員が、私のほうを見ていました。

顔は、私には思い出せません。

見たはずなのに、輪郭が残っていないのです。

覚えているのは、一つだけです。

あれだけの人が湯に浸かっていて、湯気が一筋も立っていませんでした。

私は、そこから先を覚えていません。

気がついたとき、私は樋の途中に座り込んでいました。

日は高く、雪が解けはじめていました。

手には、竹の箆を握ったままでした。

宿へ戻ると、女将が帳場に立っていました。

私の顔を見て、何も聞きませんでした。

ただ、「いくつ濡れてましたか」と聞きました。

「七つです」と私は答えました。

女将は目を閉じました。

「じゃあ、まだ一人分は空いてます」

私にはその意味が、しばらくわかりませんでした。

わかってからは、しばらく眠れませんでした。

三日後、下の施設の工事が止まりました。

掘削の機械が動かなくなったのだと、郵便の男が言いました。

その前から、現場の事務所の裏に、二百リットルのタンクが二つ置いてあったそうです。

中身は湯でした。

蓋を開けても湯気が上がらないので、みんな不気味がっていたと。

私はそのタンクを見に行きました。

施設の人間には、湯の検査だと言いました。

断られませんでした。

その頃には、現場の誰も、そのタンクに近づきたがらなかったからです。

私は宿の軽トラにタンクを積み、林道を行けるところまで上りました。

あとは雪の上を、桶で運びました。

一杯を運ぶのに、往復で四十分ほどかかりました。

三日かけて、全部を留め湯に戻しました。

最後の一杯を空けたとき、湯の面が以前と同じ高さに戻りました。

私は縁の窪みの水を、手のひらで拭きました。

七つとも拭いて、乾いた布で押さえました。

それから、桶を一つだけ、手前の窪みに伏せて置いてきました。

なぜそうしたのかは、今もわかりません。

ただ、そうしなければいけない気がしたのです。

年が明けて、私は宿を辞めました。

腰を痛めたことにして、山を下りました。

女将は引き止めませんでした。

玄関まで送りに出て、私の顔ではなく、口元を見ていました。

息を、見ていたのだと思います。

白かったはずです。

でなければ、あの人は私を通さなかったでしょう。

下の施設は、結局できませんでした。

掘り直した井戸からも、温い水しか出なかったそうです。

現場にいた男たちのうち、何人かは町を出ていきました。

残った人からは、しばらく風呂の話を聞かなくなったと、郵便の男が言っていました。

銭湯にも行かない、家の湯にも浸からない、という人が何人かいたそうです。

あの晩に宿へ来た男が、その後どうなったのかは知りません。

知らないままにしておこうと思っています。

宿は今も同じ場所にあります。

女将は五年前に、静かに向こうへ渡りました。

私は葬儀にも行きませんでした。

山に近づきたくなかったからです。

薄情だと思われても、仕方がありません。

今朝も、玄関を出る前に息を吐きました。

きちんと白く濁って、上がって、消えました。

白い息は、すぐに消えます。

消えたあとのことは、私にはわかりません。

ただ、この二十年で一度だけ、妙なことがありました。

駅の改札を出るとき、前を歩く人の列が、みな白い息を吐いていました。

寒い朝でしたから、当たり前です。

その列の中に、五人だけ、何も吐いていない者が混じっていました。

私は列を離れて、階段の脇に寄りました。

五人はそのまま改札を抜けて、人の流れに紛れていきました。

誰も気づいていませんでした。

私は、その五人がどちらへ行ったのかを、最後まで目で追いませんでした。

追えば、向こうも私を見ると思ったからです。

気づくためには、他人の息をいちいち見る癖がなければなりません。

そんな癖を持っているのは、たぶん、持ち出したことのある者だけです。

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