
玄関を出る前に、私は必ず一度、息を吐いて確かめます。
白いかどうかを、見るためです。
もう二十年以上、続けています。
湯守を辞めた理由を、家内にも子どもにも話したことがありません。
腰を痛めたのだと言ってあります。
嘘ではありません。
ただ、本当でもありません。
※
平成十二年の冬まで、私は東北の山にある湯治宿で湯守をしておりました。
湯守は、湯を守ると書きます。
立派な字面ですが、仕事のほとんどは樋の掃除です。
源泉から宿までは、四百間ほどの木の樋が渡してあります。
山肌に沿って、細く、長く、ゆるやかに下っています。
その樋の内側に、湯の花が溜まります。
白くて脆くて、指で押すと崩れます。
放っておけば湯が細り、宿の湯船がぬるくなります。
だから毎朝、竹の箆を持って樋を上っていく。
それが私の一日の始まりでした。
冬は雪をかき分けて上ります。
樋の上だけ雪が解けているので、白い山肌に一本、黒い筋が引かれているように見えます。
その筋を辿れば、必ず源泉に着く。
迷いようのない道でした。
宿は湯治宿でしたから、一泊で帰るような客はほとんどおりません。
自炊部に一週間、長い人は一月ほど逗留して、朝と晩に湯へ入り、あとは炬燵で新聞を読むか、廊下で他の客と将棋を指しているような場所でした。
冬になると、客の顔ぶれはほとんど変わりません。
膝の悪い人、腰の悪い人、それから理由を言わない人。
山の宿には、理由を言わない客がだいたい一人か二人はいるものです。
宿の裏手には、雪の重みで屋根の潰れた古い湯小屋の跡がありました。
石の土台だけが四角く残っていて、そこにも同じように、桶を置くための窪みが彫ってあったのを覚えています。
そちらの窪みは、三つでした。
※
源泉は二つありました。
一つは宿へ引いている湯で、これを私たちは通し湯と呼んでいました。
もう一つは、そこから沢を二つ越えた岩陰にあります。
岩の窪みに湯が溜まっているだけの、畳二枚ほどの湯壺です。
誰が名づけたのか、留め湯と言いました。
留め湯には、樋を引いていません。
引いてはいけない、と先代の湯守に教わりました。
理由は教わりませんでした。
聞いても、あの人は引かねえもんだとしか言いませんでした。
仕事の決まりごとには、たいてい理由がついています。
樋を毎朝掃除するのは、湯が細るからです。
湯船の湯を夜に落とすのは、湯の花が沈むからです。
けれど留め湯だけは、理由のない決まりでした。
私はそれを、ただの言い伝えだと思っていました。
※
留め湯の縁には、桶を置くための窪みが七つ彫ってあります。
浅い、皿のような窪みです。
私が使うのは、いつも一番手前の一つだけでした。
月に一度、留め湯の湯量を測りに行くのが決まりで、そのときに桶を置くのです。
残りの六つは、いつも乾いていました。
誰が何のために彫ったのか、先代も知らないと言っていました。
ただ、七つあるということは、七人で使う日があったのだろうと思っていました。
そのくらいのことしか、考えていませんでした。
一度だけ、長く逗留していた老人に、留め湯のことを聞かれたことがあります。
若い頃に近くの営林署で働いていたという人で、この山のことを私よりよほどよく知っていました。
「桶は伏せて置いてあるか」と老人は聞きました。
私が、伏せてはいませんと答えると、老人は湯呑みを置いて、しばらく窓の外の雪を見ていました。
「伏せておくもんだ」と老人は言いました。
「上を向いた桶には、溜まるから」
何が溜まるのかは、何度聞いても答えてくれませんでした。
その老人は、その冬を最後に宿へ来なくなりました。
もう一つ、留め湯には妙なところがありました。
湯気が立たないのです。
冬の朝、通し湯の源泉は白い柱のような湯気を上げます。
気温が下がるほど、湯気は高く立ちます。
ところが留め湯は、真冬でもほとんど湯気が立ちません。
手を入れれば熱い。
温度計を差せば四十二度七分。
何度測っても、四十二度七分でした。
それなのに湯の面は鏡のように静かで、白いものが一筋も上がらない。
私はそれを、岩陰で風が回らないせいだと思っていました。
思っていた、というより、そう思うことにしていました。
※
その年の十一月に、沢の下手で工事が始まりました。
隣の町の資本が、宿から一里ほど下に、日帰りの大きな入浴施設を建てるのです。
湯が足りない、という話でした。
掘っても掘っても、温い水しか出ないのだそうです。
施設の人間が、宿の女将のところへ何度も通ってきました。
源泉を分けてくれ、と。
女将は八十を過ぎた小柄な人で、いつも同じ返事をしました。
「通し湯なら、うちの取り分の内で相談しましょう」
「留め湯は、だめです」
相手は、なぜだめなのかと聞きます。
女将は、だめだからだめですと答えます。
押し問答が何度かあって、話は途切れました。
私はそのとき、女将は値を吊り上げているのだと思っていました。
恥ずかしい話ですが、本当にそう思っていました。
※
十二月の初め、雪が根雪になりました。
朝、樋を上っていくと、留め湯のほうの沢に足跡がありました。
長靴の跡が二人分。
それと、何かを引きずった細い溝が二本。
溝の間隔は、ホースを二本並べたくらいでした。
留め湯まで行ってみると、湯の面が三寸ほど下がっていました。
岩の内側に、湯の線が輪になって残っていました。
桶を置く窪みのうち、手前の一つと、その隣の一つが濡れていました。
私は宿へ戻って、女将に話しました。
女将は何も言いませんでした。
ただ、その日の午後から、玄関の三和土に塩を撒くようになりました。
私が理由を聞くと、「昔からです」とだけ言いました。
※
異変は、翌朝から始まりました。
最初に気づいたのは、温度計です。
私は毎朝、通し湯の源泉に温度計を差します。
六十一度から六十三度の間を行き来する湯です。
その朝、針は四十二度七分を指しました。
故障だろうと思い、宿へ戻って別の温度計を持って上りました。
新しいほうも、四十二度七分でした。
念のため、空の桶に差してみました。
何も入っていない、雪の上に置いた木の桶です。
針は、四十二度七分まで上がって止まりました。
しばらく、その針を見ていました。
桶を蹴り倒したのは、たぶん腹が立ったからだと思います。
転がった桶の底から、湯気が上がりました。
何も入っていないのに、上がりました。
そのあと私は、桶を伏せてから山を下りました。
なぜそうしたのかは、そのときも自分で説明できませんでした。
ただ、上を向いたままにしておくのが、急に恐ろしくなったのです。
※
二つ目は、音でした。
その晩、私は宿の内湯の当番でした。
夜の十一時に湯を落とし、朝の四時に張り直します。
落とした後の浴室は、水音一つしません。
十二時を回った頃、廊下の先から音が聞こえました。
人が湯船に入るときの音です。
湯が押し出されて、縁を越えて、洗い場に流れ落ちる音。
あの、ざあ、という音です。
私は懐中電灯を持って浴室へ行きました。
浴槽は空でした。
底の栓は抜けたままで、タイルは乾いていました。
洗い場も乾いていました。
けれど、湯の匂いだけが濃く残っていました。
硫黄の匂いではありません。
雪の匂いに近い、冷たくて、ほとんど何もない匂いでした。
※
三つ目は、鏡です。
脱衣所の鏡は、朝いちばんに拭きます。
湯気で曇るので、客が入る前に一度きれいにするのです。
その日から、拭いても曇りが残るようになりました。
正確に言えば、曇りの中に、拭いた跡のようなものが残るのです。
手のひらで拭いた跡です。
円い、五本の指の筋がついた跡。
私は自分の手を鏡に当ててみました。
大きさは、私のよりずっと小さいものでした。
次の朝は、その跡が二つになっていました。
その次の朝は、四つでした。
数えるのをやめたのは、六つになった朝です。
※
四つ目は、人の話です。
郵便を運んでくる男が、玄関で長靴の雪を落としながら言いました。
「今朝、下の橋のところで人とすれ違ったんだけどな」
「湯上がりみたいな顔してた」
「この寒いのに、上着も着ないで」
私は、施設の工事の人でしょう、と答えました。
男は首を振りました。
「工事の連中じゃねえよ」
「それにな」
男はそこで少し黙りました。
「息が、白くなかった」
私はその場では笑いました。
笑って、その日は樋を上りませんでした。
※
五つ目は、時間でした。
十二月の半ば、私は久しぶりに内湯に浸かりました。
客の引けた深夜で、脱衣所の柱時計は一時二十分を指していました。
湯は熱く、私は長く浸かりました。
指の腹が白くふやけるまで浸かっていましたから、三十分は経っていたはずです。
上がって時計を見ると、一時二十五分でした。
時計が止まったのだろうと思い、耳を近づけました。
秒針は、きちんと動いていました。
その晩から、私は宿の湯に入るのをやめました。
※
女将に留め湯のことを聞いたのは、その頃です。
女将は帳場の火鉢の前で、しばらく手をあぶっていました。
それから、明治の終わりにこの山であったことを話しました。
大雪の年に、湯治の一行が山越えの途中で戻らなくなったのだそうです。
男が四人、女が三人。
七人です。
春になっても、誰も見つかりませんでした。
女将は帳場の引き出しから、和綴じの古い帳面を出してきました。
明治四十三年の湯銭帳で、墨で書かれた名前が細かく並んでいます。
その最後の頁に、名前のない行が七つ、続けて引いてありました。
湯銭だけが先に払われて、逗留の日数が書き入れられないまま残っている行なのだそうです。
帳面を閉じるとき、女将は指で表紙をひとつ叩いて、こう言いました。
「うちは、七人分の湯を預かったままなんです」
その翌年から、留め湯の湯が冷めなくなったのだと女将は言いました。
「あそこは、預かってるんです」
何を、と私は聞きました。
女将は湯呑みを両手で包んで、こう言いました。
「温もりを」
山で戻れなくなった者から、土地が体の温もりを預かる。
預かった温もりは、返す相手が来るまで冷めない。
だから留め湯は、いつまでも四十二度七分なのだ、と。
湯気が立たないのも道理だ、とも言いました。
「体からは、湯気は出ないでしょう」
私は、そういう話の好きな婆さんだと思っていました。
帰り際、女将は私の背中に一言だけ足しました。
「持ち出したら、取りに来ます」
※
年の瀬でした。
夕方から吹雪になり、宿は三組の客で静かでした。
玄関の戸が開いたのは、八時を回った頃です。
男が一人、立っていました。
作業着の上に、何も羽織っていませんでした。
髪も肩も濡れていて、湯から上がったばかりのように見えました。
顔は、下の施設の現場で何度か見た顔でした。
私は帳場から出て、どうしました、と声をかけました。
男は口を動かしましたが、声になりませんでした。
唇の間から、息が出ているのはわかりました。
三和土の温度は、外とほとんど変わりません。
私の息は白く濁っていました。
男の息は、透明でした。
何も見えないのです。
出ているのに、見えない。
私は一歩下がりました。
男はゆっくり首を回して、廊下の奥を見ました。
浴室のほうです。
それから、来た戸をそのまま出ていきました。
雪の上に、足跡はありませんでした。
私は戸を閉めて、心張り棒をかけました。
かけてから、心張り棒に意味があるのかどうかを考えて、手が震えました。
※
その晩、私は帳場で朝まで起きていました。
何度か、廊下を人が歩く音がしました。
裸足の音です。
濡れた裸足が、板を踏む音。
数は、一人ではありませんでした。
明け方近く、音がやみました。
私が脱衣所を見に行くと、鏡は一面が曇っていました。
拭き跡は、七つありました。
六つではなく、七つでした。
一つ増えていました。
私はその七つ目に、自分の手を当ててみました。
大きさが、ちょうど同じでした。
※
夜が明けきる前に、私は樋を上りました。
吹雪はやんでいて、山は青く沈んでいました。
留め湯の沢に入ると、遠くから匂いがしました。
あの、雪の匂いです。
匂いというより、鼻の奥が冷えていく感じに近いものでした。
沢の水音が、いつからか聞こえなくなっていたことに、そのとき気づきました。
雪を踏む自分の足音だけが、やけに大きく響いていました。
岩陰を回り込んだところで、私は足を止めました。
湯壺の縁の窪みが、七つとも濡れていました。
桶は、一つも置いていないのにです。
湯壺には、人が浸かっていました。
肩まで浸かって、岩に背をあずけて、十人以上いました。
畳二枚ほどの湯壺です。
そんなに入れる広さではありません。
けれど、入っていました。
男も女もいて、身なりはばらばらでした。
古い着物の者もいれば、作業着の者もいました。
昨夜の男も、いました。
全員が、私のほうを見ていました。
顔は、私には思い出せません。
見たはずなのに、輪郭が残っていないのです。
覚えているのは、一つだけです。
あれだけの人が湯に浸かっていて、湯気が一筋も立っていませんでした。
私は、そこから先を覚えていません。
※
気がついたとき、私は樋の途中に座り込んでいました。
日は高く、雪が解けはじめていました。
手には、竹の箆を握ったままでした。
宿へ戻ると、女将が帳場に立っていました。
私の顔を見て、何も聞きませんでした。
ただ、「いくつ濡れてましたか」と聞きました。
「七つです」と私は答えました。
女将は目を閉じました。
「じゃあ、まだ一人分は空いてます」
私にはその意味が、しばらくわかりませんでした。
わかってからは、しばらく眠れませんでした。
※
三日後、下の施設の工事が止まりました。
掘削の機械が動かなくなったのだと、郵便の男が言いました。
その前から、現場の事務所の裏に、二百リットルのタンクが二つ置いてあったそうです。
中身は湯でした。
蓋を開けても湯気が上がらないので、みんな不気味がっていたと。
私はそのタンクを見に行きました。
施設の人間には、湯の検査だと言いました。
断られませんでした。
その頃には、現場の誰も、そのタンクに近づきたがらなかったからです。
私は宿の軽トラにタンクを積み、林道を行けるところまで上りました。
あとは雪の上を、桶で運びました。
一杯を運ぶのに、往復で四十分ほどかかりました。
三日かけて、全部を留め湯に戻しました。
最後の一杯を空けたとき、湯の面が以前と同じ高さに戻りました。
私は縁の窪みの水を、手のひらで拭きました。
七つとも拭いて、乾いた布で押さえました。
それから、桶を一つだけ、手前の窪みに伏せて置いてきました。
なぜそうしたのかは、今もわかりません。
ただ、そうしなければいけない気がしたのです。
※
年が明けて、私は宿を辞めました。
腰を痛めたことにして、山を下りました。
女将は引き止めませんでした。
玄関まで送りに出て、私の顔ではなく、口元を見ていました。
息を、見ていたのだと思います。
白かったはずです。
でなければ、あの人は私を通さなかったでしょう。
※
下の施設は、結局できませんでした。
掘り直した井戸からも、温い水しか出なかったそうです。
現場にいた男たちのうち、何人かは町を出ていきました。
残った人からは、しばらく風呂の話を聞かなくなったと、郵便の男が言っていました。
銭湯にも行かない、家の湯にも浸からない、という人が何人かいたそうです。
あの晩に宿へ来た男が、その後どうなったのかは知りません。
知らないままにしておこうと思っています。
宿は今も同じ場所にあります。
女将は五年前に、静かに向こうへ渡りました。
私は葬儀にも行きませんでした。
山に近づきたくなかったからです。
薄情だと思われても、仕方がありません。
※
今朝も、玄関を出る前に息を吐きました。
きちんと白く濁って、上がって、消えました。
白い息は、すぐに消えます。
消えたあとのことは、私にはわかりません。
ただ、この二十年で一度だけ、妙なことがありました。
駅の改札を出るとき、前を歩く人の列が、みな白い息を吐いていました。
寒い朝でしたから、当たり前です。
その列の中に、五人だけ、何も吐いていない者が混じっていました。
私は列を離れて、階段の脇に寄りました。
五人はそのまま改札を抜けて、人の流れに紛れていきました。
誰も気づいていませんでした。
私は、その五人がどちらへ行ったのかを、最後まで目で追いませんでした。
追えば、向こうも私を見ると思ったからです。
気づくためには、他人の息をいちいち見る癖がなければなりません。
そんな癖を持っているのは、たぶん、持ち出したことのある者だけです。