
私がまだ山の送電線を歩いて回っていた頃の話をする。
もう二十年以上も前になる。平成の初めで、私は三十七、八だった。
電力会社から委託を受け、奥羽の山中に立つ鉄塔を、一基ずつ徒歩で見て回る仕事だった。
碍子の割れ、鉄骨の錆、電線に絡んだ蔓や倒木。そういったものを一日かけて確かめて歩く。
地味な仕事だ。だが線が一本でも垂れれば、麓のいくつもの家から灯りが消える。
だから私たちは、どんな谷筋にも必ず入った。人が近づかない場所ほど、丁寧に見た。
春は残雪の重みで、夏は蔓の伸びで、秋は倒木で、線は絶えず何かに脅かされていた。
山の天気は変わりやすく、朝の晴れが昼には霧になる。それも織り込んで歩くのが仕事だった。
その道を私に仕込んだのが、三宅さんという先輩だった。
六十近い、痩せた人で、口数は少なかった。山の中では、なお少なかった。
三宅さんは、鉄塔の番号と、その下に眠っている古い話を、両方とも覚えていた。
この谷はかつて営林の索道が通っていた、あの尾根では昔、炭を焼いていた。そういう話だ。
歩きながら、三宅さんはそれをぽつりぽつりと零した。まるで山への挨拶のようだった。
私はそれを、退屈しのぎの昔語りだと思って聞いていた。半分は聞き流していた。
若かった私には、山はただの職場で、鉄塔はただの鉄骨だった。
何かが宿っているなどとは、露ほども思っていなかった。
私が受け持つことになった区間の奥に、ひとつだけ、三宅さんが妙な歩き方をする谷があった。
送電線の下を、使われなくなった索道の残骸が横切っている谷だった。
錆びた鉄柱と、たわんだままの太いワイヤーが、谷を斜めに跨いで残っていた。
営林署が木を伐り出していた時代の設備で、もう半世紀は誰も使っていない。
ワイヤーは今も張られたまま、谷の上を一本、黒い線になって渡っている。
その線の真下に、送電鉄塔がちょうど二基、並んで立っていた。
二基とも、他の鉄塔より一回り古く、足元のコンクリートに苔が厚く生していた。
点検表には、この二基だけ、赤い字で『単独巡視を避けること』と書き添えられていた。
三宅さんの字だった。理由は、どこにも書かれていなかった。
私はその赤い字を、几帳面な老人の心配性だと、笑って読み飛ばした。
三宅さんはその谷の入口に来ると、必ず一度だけ立ち止まった。
そして梢を、一度だけ見上げた。決して二度は見なかった。
見上げてすぐ目を伏せ、何事もなかったように歩き出す。
私が真似て二度見上げようとすると、三宅さんは静かに言った。
「一度でいい。二度は、こっちを覚えられる」
意味は分からなかった。山の人間には、こういう決め事がよくある。私はそう思っていた。
祠に手を合わせる、沢の水を口にする前に一杯こぼす。そういう類の作法だと考えていた。
三宅さんは索道のワイヤーの下を通るとき、私を先に行かせなかった。
「線の下は、俺が先に通る。お前は、俺の踏んだところだけ踏め」
それも山の作法だろうと、私は素直に従っていた。
三宅さんの背中は、その谷の中でだけ、少し縮んで見えた。今思えば、そうだった。
初めてその谷にひとりで入ったのは、三宅さんが体を悪くして、私が区間を引き継いだ後だった。
引き継ぎの日、三宅さんは谷の入口で足を止め、私にもう一度だけ、あの作法を確かめさせた。
「一度だけだぞ。忘れるな」
私は軽くうなずいた。老人の几帳面な癖に付き合うつもりで、うなずいた。
それが、三宅さんと山で交わした、最後の言葉になった。
風のない朝だった。それなのに、谷の索道のワイヤーが、低く鳴っていた。
弓の弦を、遠くで誰かがそっと弾いているような音だった。
無風でワイヤーが鳴ることはある。気温差で張りが変わる。私はそう考えた。
谷の入口で、私は三宅さんの真似をして、梢を一度だけ見上げた。
高い枝が空を細かく切っているだけで、何もいなかった。
私は目を伏せ、歩き出した。露が長靴の先を濡らし、朝の谷は静かだった。
その朝、露に濡れた下草が、巡視路の真ん中だけ、誰かが指でなぞったように一列、倒れていた。
獣の通り道にしては細すぎた。人の足跡にしては、乱れがなさすぎた。
私は自分が前に通ったときの跡だろうと思い、気に留めなかった。
鉄塔を順に見て回り、線の下を三宅さんの言いつけどおりに慎重に抜け、昼前には谷を出た。
何も起きなかった。何も起きなかったことに、私はむしろ拍子抜けしていた。
あの老人の几帳面な作法も、しょせんは気のせいの積み重ねだ。私はそう思った。
※
異変が積み重なり始めたのは、それから半月ほど経った頃だ。
二度目にその谷へ入ったとき、ワイヤーの鳴り方が変わっていた。
前は遠くで弾かれるような音だったのが、今度は近く、頭のすぐ上で鳴っていた。
見上げると、索道のワイヤーが、風もないのに、ゆっくりと上下に揺れていた。
重いものが、どこか遠い端で乗り移ったような揺れ方だった。
綱渡りをする者が、綱の反対の端に足を掛けた。そんな揺れだった。
私は足を速めた。理由は自分でも分からなかった。
谷を抜けたところで、下草の一列の跡が、また現れていた。
今度ははっきりと分かった。露の落ち方が、私の歩幅ではなかった。
私の歩幅より、ひとまわり広かった。
一列に倒れた下草は、私が歩いた跡ではなかった。私の少し前を、同じ歩幅で、何かが降りていた。
背中の産毛が、順に立っていくのが分かった。
その日はもう一つ、妙なことがあった。谷を出ても、下草の青い匂いが、鼻から離れなかった。
雨上がりでもないのに、濡れた草を強く握りつぶしたような、青くさい匂いだった。
車に乗り、窓を全部開けて麓まで下りても、その匂いは、しばらく私に付いてきた。
その匂いのことを、中継所の無線番をしている中村という若い男に、何気なく話した。
中村は、少し困った顔をして、口ごもった。
「先輩があの谷に入る日は、無線に、変な音が入るんですよ」
その時は、二人とも軽い冗談のつもりで、笑って済ませた。
今になって思えば、中村は、あの時すでに何かを感じていたのだろう。
その夜、私は麓の駐在所の隣に住む、山を知り尽くした古老を訪ねた。
営林署に長く勤めた人で、あの索道が動いていた時代を覚えている、ただ一人だった。
私が谷の話をすると、老人は湯呑みを置いて、しばらく黙った。
それから、囲炉裏の灰を火箸でならしながら、ぽつりと言った。
「あの谷で、人を待たせちゃいかん」
「待たせる、というと」
「立ち止まるな、いうことだ。あそこは、止まった者から、覚えられる」
「索道が動いとった頃、あそこの終点で、何人も姿が見えんようになった。巻き込まれた、いうことになっとる」
「いうことになっとる、というと」
「本当に巻き込まれたんは、たぶん半分だ」
残りの半分は、と私が問うと、老人は火箸を置き、天井を見た。
「上から、来たんだ」
索道で木を降ろす者は、いつも綱を見上げて作業をする。上を、見続ける。
「見上げ続けた者から、順に、いなくなった」
老人はそう言って、湯呑みの茶を、冷えたまま一息に飲み干した。
それきり、老人はしばらく口を開かなかった。
帰り際に、こう付け足しただけだった。
「三宅さんは、あの谷の作法を、あんたに教えたか」
「一度だけ見上げて、二度は見るな、と。線の下を先に通るな、と」
老人はうなずいた。深く、悲しそうにうなずいた。
「なら、それだけは、何があっても守れ。三宅さんが、身を挺して教えたことだ」
身を挺して、という言葉の意味を、私はまだ分かっていなかった。
三宅さんは、もう体を悪くして山を下りたきり、麓の家からも姿が見えなくなっていた。
入院したという話も、越したという話もあった。誰も、はっきりしたことを知らなかった。
戻らぬ人になった、とだけ、皆が言葉を濁した。
私はその頃、まだ、三宅さんの不在と、谷の異変を、結びつけて考えてはいなかった。
※
三度目にその谷へ入ったのは、秋の初めの、よく晴れた日だった。
私は油断していたのだと思う。晴れた日の山は、あまりに静かで、優しかった。
谷の入口で、私はいつものように梢を一度だけ見上げ、目を伏せた。
ワイヤーは、その日は鳴っていなかった。それがかえって、私を安心させた。
鉄塔を順に見て回り、いちばん奥の一基を確かめて、時計を見た。
入ってから、まだ二十分しか経っていなかった。
おかしい、と思った。奥の鉄塔まで歩けば、どう急いでも小一時間はかかる。
来た道を戻ると、さっき確かめたはずの奥の鉄塔が、また目の前に立っていた。
番号を確かめた。同じ番号だった。私は同じ鉄塔を、二度通っていた。
もう一度戻る。また同じ番号が現れる。谷が、折り畳まれているようだった。
三度、四度と戻っても、私は同じ二基の鉄塔の間を、行き来しているだけだった。
陽の位置だけが、少しずつ、おかしな方向へずれていった。
時計の針は、私が奥に着いたときのまま、ほとんど進んでいなかった。
喉の奥が、からからに乾いた。私は谷を出ようと、来た道を早足で下り始めた。
そのとき、頭の上でワイヤーが、ぎしり、と鳴った。
重いものが、ワイヤーを伝ってこちらへ寄ってくる、そういう鳴り方だった。
ぎしり、ぎしり、と、間隔を詰めながら、それは近づいてきた。
私は、三宅さんの作法を破った。梢を、二度、見上げてしまった。
高い枝と、たわんだ索道のワイヤーが交わるあたりに、それは懸かっていた。
人のかたちをしていた。だが、腰から下がなかった。
両の腕だけで、枝とワイヤーに懸かって、ぶら下がっていた。
顔は逆さまに垂れ、こちらを見ていた。目が合った、と感じた瞬間に、それは動いた。
その顔に、どこか見覚えがある気がして、それ以上、正視することができなかった。
腕だけで、ワイヤーを手繰るように、するすると私のほうへ降りてきた。
下半身のないものが、腕の力だけで、思いのほか速く、近づいてきた。
膝から力が抜けた。それでも私は走った。転びながら、下草を掴みながら、谷を駆け下りた。
走りながら、私は一度だけ、足元の自分の影を見た。
陽を背にしているのに、私の影の頭のあたりから、もう一つ、細い影が、上へ向かって伸びていた。
それが何の影なのか、確かめる勇気はなかった。
背中に、生温い風が、一定の間隔でかかった。息を吹きかけられているようだった。
線の下を通るな、という老人の言葉が、なぜか耳の奥で鳴っていた。
私は索道のワイヤーの下を大きく避け、谷の斜面を這うようにして進んだ。
線から離れれば離れるほど、背中の風は、遠のいた。
それが分かってから、私は線を見失わないよう、しかし決してその真下に入らないよう、走った。
最後の斜面を、私は転がるようにして、谷の外へ出た。
谷を出た瞬間、背中の風は、ふつりと止んだ。
振り返ると、ワイヤーは、何事もなかったように、一本の黒い線に戻っていた。
※
麓の中継所まで下りると、無線番の中村という若い男が、蒼い顔で立っていた。
「先輩、無線、何かおかしかったですよ」
私が谷にいた間、中継所の無線に、雑音に混じって、ずっと音が入っていたという。
弓の弦を弾くような、低い、揺れる音だった。
「あれ、風の音ですか。無風だったのに、ずっと、線が鳴ってるみたいな」
それだけではなかった、と中村は言った。声を落として、続けた。
「その音に混じって、時々、先輩の名前が、聞こえた気がしたんです」
誰が呼んでいるのか、と私は聞いた。中村は首を振った。
「分かりません。でも、山のほうから、でした」
私は答えられなかった。中村には、私の見たものを話せなかった。
その晩、私は三宅さんの家を探し当て、山を下りた奥さんを訪ねた。
三宅さんは、あの谷を私に引き継いだ後、一度だけ、ひとりで山に入っていた。
そしてその日から、姿が見えなくなっていた。奥さんは、そう静かに話した。
「あの人は、山に入る前の晩、あなたのことばかり話していました」
「私のこと、ですか」
「新しく谷を継ぐ人がいる。あの谷だけは、俺が始末をつけておかんと、と」
奥さんは、古い手帳を、そっと私の前に置いた。
「主人の野帳が、残っているんです。最後のページを、見てくださいますか」
野帳とは、山で見たことを書き留める、手のひらほどの手帳だ。
最後のページには、鉄塔の番号も、点検の記録も、何もなかった。
ただ、私の名が、上から下まで、隙間なく、書き連ねてあった。
同じ字で、同じ大きさで、何十も。まるで、誰かに書かされたように。
背筋が、下から上へ、ひと息に凍った。指先が、手帳の縁を掴んだまま動かなかった。
三宅さんが最後に山へ入った日、あの谷で、私の名を呼んだのだと、私は悟った。
線の下を先に通り、私を後ろに置き、私の名を谷に渡して。
あの人は、私を守るために、先を歩いていたのではなかった。
あるいは、守ろうとして、逆のことをしてしまったのかもしれない。
どちらにせよ、あの谷は、三宅さんを介して、私の名を覚えてしまった。
三宅さんが見上げていたのは、警告ではなかった。あれは、目を合わせない作法だった。
そして一度、私のために、その作法を破ったのだ。
奥さんには、それを話せなかった。私はただ、手帳をそっと閉じて、返した。
※
それからのことは、あまり多くを語れない。
私は谷の区間を、若い者に引き継がず、自分で会社に願い出て、そこだけ巡視路から外した。
迂回路を新しく切り、索道の谷には、二度と人が入らないようにした。
上司には、崩落の危険がある、とだけ説明した。嘘ではなかった。
索道のワイヤーの撤去も願い出たが、予算がつかず、それは今も谷に残っている。
麓の老人には、事の次第を話した。老人は、長いあいだ黙って聞いていた。
野帳に名が並んでいたことを話すと、老人は、初めて顔をしかめた。
「あんたの名を呼んだ三宅さんは、もう、あそこから戻れん」
「あの谷にいるものは、何なんですか」
老人は、土地の古い言葉を、ひとつだけ口にした。
「懸(かかり)、と呼ぶ者がおった。線を伝って垂れてくる。蔓でも、ワイヤーでも、電線でも」
「人がワイヤーを張るより、ずっと前から、あそこの梢に懸かっとった」
「蔓が朽ちれば、次の蔓へ。索道が張られれば、その線へ。今は、あんたらの電線へ」
「一度、名を覚えられた者のところへ、線を辿って、垂れてくる」
「昔はな、蔓を伝って里の近くまで下りてきたこともあった、と聞く」
「だからこの土地の者は、家の周りに、線状のものを長く垂らさん」
「物干しの綱も短く張る。井戸の縄も、使うたびに解いて仕舞う」
私は、その言いつけの意味を、後になって嫌というほど思い知ることになる。
だから、と老人は言った。「線の下を、先に通っちゃいかんのだ。先に通った者を、覚える」
三宅さんは、それを承知で、いつも私の前を歩いていた。私の代わりに、覚えられるために。
老人は、それ以上のことは、本当に知らないようだった。
名の由来も、いつからそこにいるのかも、誰も知らない。ただ、そう呼ばれてきた。
私は退職するまで、二度とあの谷に入らなかった。線の下を、誰にも先に通らせなかった。
三宅さんの奥さんには、ご主人は山で私を助けてくれた、とだけ伝えた。
それ以上は、伝えなかった。伝えても、あの人が救われるわけではないから。
山を下りて、もう二十年になる。私はもう、電線を見上げることもない。
時々、若い頃の同僚から便りが来る。あの区間は今、別の会社が請け負っているという。
迂回路はそのまま使われ、索道の谷には、今も誰も立ち入らないと聞いて、少し安心した。
中村は、あの後まもなく山の仕事を辞め、麓を離れた。理由は、聞かなかった。
三宅さんの奥さんは、数年前に、静かに眠りについたと、風の便りに聞いた。
あの野帳が、その後どうなったのかは、私は知らない。知りたくも、なかった。
だが、ひとつだけ、消えないことがある。
あれから二十年、風のない夜にだけ、家の物干しの針金が、あのときと同じ高さで、低く鳴る。
弓の弦を、遠くで誰かがそっと弾いているような音だ。
針金の一方の端は、家の柱に。もう一方は、庭の外の、電柱の引き込み線へ続いている。
そのたびに私は、窓を閉め、灯りを消して、決して外を見上げない。
一度でいい。二度見上げれば、こちらを、また覚えられるから。