黒い背広と赤茶けた背広
小学二年の九月、留守番の家で泣いていた私のもとへ、一度も来たことのない叔父が二人だけ訪ねてきました。その日、二人は町役場から一歩も出ていなかったといいます。福岡…
小学二年の九月、留守番の家で泣いていた私のもとへ、一度も来たことのない叔父が二人だけ訪ねてきました。その日、二人は町役場から一歩も出ていなかったといいます。福岡…
小学五年生の初冬、スクールバスの停留所で動かなくなった子犬を見つけました。校庭の土はどこも固く、掘れたのは体育館の脇だけでした。その日の夕方、同じ模様の子犬が畑…
岐阜の古いトンネルへ、五人が一台の軽自動車で向かいました。抜けたのは三十秒後です。後部座席は三人だったはずが、二人になっていました。坑口の祠の台座にびっしりと並…
柵も看板もない森に、白い紙の帯だけが渡してあります。不良も肝試しの連中も近づかないのに、その紙はいつも新しい。行き場をなくした中学生がそこをくぐった翌週、町の全…
山あいの村で祟りの噂が立ち、寄り合いで生贄という言葉が出ました。その数日後、庄屋の娘が布団に温もりを残したまま消えます。雨戸は閉まり、山にしかない木の葉が一枚だ…
出雲の斐伊川沿いの町には、人を送り出すときの古い作法が残っています。伯母の家の三和土に置かれた白いスニーカーは、一年が近づいても片付けられませんでした。半年後の…
幽霊はいない、とAは言いました。光を反射する物体がなければ何も見えないからです。その理屈を確かめに、廃業した山あいの診療所へ入り、ポラロイドで三枚だけ撮りました…
共働きの両親に代わって俺の世話をしてくれた『佐々間のおばちゃん』。ある日、寝たきりのはずの婆ちゃんが俺を二階に隠し、おばちゃんは日が暮れるまで三度うちを訪ねて来…
友だちの家の廊下の突き当たりに、一枚だけ色の違う壁がありました。負けたくなくて十回叩いた私に聞こえてきたのは、数の増え続ける数え唄です。広島・竹原の塩田の町に残…
二〇〇二年の冬、金沢の下宿から繋いだ深夜の掲示板に、二〇四五年から来たと名乗る人がいました。その人が書くのは、駅前の時計が三分遅れるといった小さなことばかりです…
盆地の独身寮に転勤してきた同僚は、窓から煙突が見えると言って四週間ごとに部屋を替えていました。彼の郷里に残る煉瓦の煙突と、その根元に縦に彫られていた名前の列。二…
下関の坂の駄菓子屋の二階から、古い笑い袋が出てきました。中の機械には電池が一本も入っていないのに、階段の下から低い笑い声が聞こえてきたのです。必ず笑い返さねばな…
会津の谷を走る夜の列車で目を覚ますと、駅名標のない板だけのホームに停まっていました。翌朝、定期券には、この線のどこにも存在しない形の鋏の痕がもう一つだけ増えてい…
大隅の谷の社に、いつ行っても待っている坊主頭の子がいました。別れぎわは必ず「またね」で、たった一度だけ「さいなら」と言われた。十三年後に見た神社庁の名簿には、常…
秦野の丘の分譲地で、私はあの家の二階の電気を一度も点けませんでした。八月の蒸し暑い夜、階下で玄関の鍵が回る音がします。忍び足で階段をのぼってくる気配から、私は屋…
紀伊の山奥の集落へ向かう昼のバス。子どもがぐずったので途中の停留所で降り、定食屋に入った十分後、テレビはそのバスの事故を報じました。妻がこぼした一言の本当の意味…
取り壊し寸前の屋敷を実測した日、鋼の巻尺は必ず突き当たりの二尺手前で止まりました。翌朝に写された間取り図の廊下は、それから十四日ごとに二尺ずつ伸びていきます。平…
昭和五十四年の秋、人形の町の川沿いで、乳母車を数珠つなぎに引く男とすれ違いました。布の下にあったのは、雛壇には決して飾られない顔。拾ったものに名をつけてはいけな…
四万八千円の白いクーペは、売れるたびに十日ほどで店へ戻ってきました。走行距離は戻るたび減り、助手席のベルトだけが人ひとりぶん伸びている。前の持ち主は全員、土砂に…
毎年六月の平日の午後にだけ、部屋の固定電話が鳴っていました。受話器から聞こえるのは「ママ?」という一言だけです。四年目に私が返してしまったたった一つの質問が、い…