
祖父は、私の定期入れを見るたび、鋏(はさみ)の痕(あと)を指でなぞった。
会津の、只見川に沿った谷の話だ。
私はそこの高校に、列車で通っていた。
片道五十分。冬は一時間半かかることもある。
祖父は国鉄の保線区にいた人で、退職してからも、線路のことばかり話した。
「この線の駅はな、みんな鋏の形が違う」
「切符の縁を見りゃ、どこで切ったかわかる」
「山ん中の駅ほど、変な形をしとる」
私は聞き流していた。
祖父の話には、いつも同じ癖があった。
線路の話をしているうちに、必ず人の話になる。
「昭和三十八年の雪はな、三日、列車が来んかった」
「そのあいだ、峠の詰所に四人おった」
「四人で、交代で外に出て、雪をどけたんじゃ」
「一人で行くなと、いつも言われた」
「なんでな」
「戻ってこん」
そこで祖父は、話をやめてしまう。
やめてしまうから、私はその続きを、ついに聞かなかった。
自動改札の話をしても、祖父には通じなかったし、この谷にはそんなものはなかった。
朝と夕方だけ駅員が立ち、あとは無人になる駅ばかりだ。
冬の通学は、待つ時間のほうが長い。
ホームの待合室でストーブに当たって、汽笛が聞こえたら外に出る。
雪の日は、線路が白くなって、どこまでがレールかわからなくなる。
それでも列車は来る。
来るのが当たり前だと、あのころは思っていた。
祖父は、そこにも文句があった。
「当たり前じゃない」
「誰かが夜通し見とるから、来るんじゃ」
※
平成二年の、一月の終わりだった。
その冬は雪が多かった。
屋根の雪下ろしを三度やった年だ、と祖母が後で言っていた。
その日は補習が長引いて、私が乗ったのは十九時四十分の上りだった。
三年の一月だ。
受験まで、あと少しという時期だった。
教室に残っていたのは五人で、私が最後に出た。
校門を出るとき、用務員さんに「気ぃつけて」と声をかけられた。
その声を、今でもよく覚えている。
あの晩のことで、はっきり覚えている音は、あれと、板を踏む自分の靴音だけだ。
二両編成。暖房が強すぎて、窓の内側が一面白い。
指で丸を描いて外を見ると、ヘッドライトの届く範囲だけ、雪が斜めに流れていた。
制服のズボンが、膝から下だけ湿っていた。
ホームで待つあいだに、雪を吸ったのだ。
暖房のせいで、その湿りが足首のところで生ぬるくなっていた。
私は鞄を抱えて、いつものように眠った。
眠るのは癖だった。
同級生の広瀬は、寝過ごして三つ先の町まで行ったことがある。
私は一度も寝過ごしたことがない、というのが、ささやかな自慢だった。
降りる駅の一つ手前で、必ず目が覚める。
その日も、そうだと思っていた。
※
目が覚めたら、列車は停まっていた。
停まった、というより、停まっているのに気づいた、という感じだった。
妙なのは、そこだ。
減速の感覚がなかった。
列車が停まるときは、体がわずかに前へ持っていかれる。
あの感覚がまったくないまま、私は停止した車内で目を開けていた。
扉が開いていた。
外は真っ暗で、ホームの端が少しだけ雪明かりに見えた。
降りるはずの駅ではない。
それでも、私は降りた。
なぜ降りたのかは、今も説明できない。
足が先に動いた、としか言いようがない。
降りた瞬間、背中で扉が閉まって、列車は行った。
赤い尾灯が、雪のなかへ小さくなっていった。
その光が消えるまで、私は動かなかった。
やってしまった、とは思わなかった。
思ったのは、なぜか、ここで待たなければいけない、ということだった。
※
そこは、ホームというより、板を並べただけの台だった。
屋根はない。
駅名標もない。
雪はかなり降っていた。
だが、音がしなかった。
雪の晩は静かだというけれど、あれとは違う。
風は吹いている。前髪が動いている。
なのに、風の音が聞こえない。
自分の靴が板を踏む音だけが、やけにはっきり鳴った。
台の下は、雪に埋まっていた。
足元を覗くと、板の隙間から、雪の白さが見えた。
線路の反対側は、崖のようになっていて、その下から水の音がしていた。
川だ、と思った。
風の音は聞こえないのに、川の音だけは聞こえる。
そのことに気づいたとき、私は初めて、ここは変だと思った。
板の端に、小屋があった。
待合室だ。
戸を引くと、中は暖かかった。
だるまストーブが赤くなっていた。
誰もいない。
私はストーブの前のベンチに座って、次の列車を待つことにした。
ベンチは板張りで、真ん中あたりが浅く凹んでいた。
人が長年座って、そこだけ擦れたのだとわかる凹み方だった。
凹みは、一人ぶんしかなかった。
ベンチの長さは、三人は座れる。
それでも、擦れているのは、真ん中の一箇所だけだった。
私は、その凹みを避けて、端に座った。
なぜ避けたのかは、自分でもわからない。
座ってから、そこが人の形に擦れていることに、あらためて気がついた。
※
そこで、二つ目のおかしなことに気がついた。
ストーブは、たしかに熱かった。
手をかざせば、じきに掌が痛くなるくらいには。
それなのに、私のズボンの裾についた雪が、まったく溶けなかった。
膝から下の湿りも、あのままだった。
指で払うと、雪はさらさらと落ちた。
降りたてのままの粉雪だった。
ストーブの前に十分は座っていたはずだ。
手は熱いのに、足元だけが、外にいたときのままだった。
私は立ち上がって、小屋の中を見回した。
壁に、木の板が一枚打ちつけてあった。
そこに墨で、時刻表らしい数字が並んでいた。
読もうとしたが、数字が読めない。
字が薄いのでも、暗いのでもない。
見えているのに、頭に入らない。
私は、視線を外した。
もうひとつ、あとから思い出したことがある。
あれだけ寒い外から入ったのに、息が白くならなかった。
小屋の中が暖かかったから、と言えばそれまでだ。
ただ、私はストーブに手をかざしながら、自分の口元を見ていた記憶がある。
見ていた、ということは、たぶん、そのとき何かがおかしいと感じていたのだと思う。
※
どのくらい経ったのかわからないが、列車が来た。
ヘッドライトが見えた瞬間に、外へ出た。
乗り込んで、扉が閉まって、暖房の匂いを吸い込んで、そこでやっと息を吐いた。
車内には、三人ほど乗っていた。
誰もこちらを見なかった。
三人とも、大人だった。
一番手前の男の人が、膝に鞄を置いて眠っていた。
ズボンの裾が濡れていない。
私は、自分の裾を見た。
雪が、まだ粉のまま乗っていた。
それから顔を上げて、窓を見た。
窓の内側は、あの晩ずっと白かったはずなのに、その車両だけは、はっきり外が見えた。
雪は、降っていなかった。
次に停まったのは、私が降りるはずだった駅だった。
改札には、顔なじみの駅員さんが立っていた。
定期を見せると、その人は私の顔を見て、それから、はっきりと眉を寄せた。
「あんた、こんな時間まで、どこにおった」
「補習で」
「補習って、あんた」
駅員さんは、改札の内側の柱時計を指した。
二十二時十分だった。
私が乗ったのは十九時四十分。
この駅までは、どんなに遅れても五十分だ。
「途中で、板だけのホームに降りたんです」
「板だけ?」
「屋根がなくて、待合室があって」
駅員さんは、私の顔をしばらく見ていた。
それから、改札の内側に戻って、運行の記録を繰った。
「上りは、十九時四十分の次は二十一時五十八分」
「あんたが乗ってきたのは、その二十一時五十八分よ」
「間には、一本も走っとらん」
私は、自分がどこで二時間を過ごしたのかを、そこで初めて考えた。
※
家に着くと、母が玄関に立っていた。
学校に電話したら、生徒はもう全員帰ったと言われた、と。
私は、途中で降りてしまった話をした。
母は「そういうこともあるやろ」と言って、味噌汁を温め直した。
その夜は、それで終わった。
ただ、母は台所に戻ってから、一度こちらを振り返った。
「あんた、雪、まだついとるよ」
私は自分の裾を見た。
玄関で払ったはずの雪が、まだ乗っていた。
ストーブの前に二時間座り、暖房の効いた列車に乗り、家まで歩いてきた雪だ。
指で払うと、そのときは、ふつうに溶けた。
おかしいと思いはじめたのは、翌朝だ。
制服を着ようとして、定期入れを開けた。
定期券の縁に、鋏の痕が二つ並んでいた。
ひとつは、私がいつも入れてもらう駅のものだ。
もうひとつは、見たことのない形だった。
半円のなかに、小さな三角が二つ。
私はその冬、その形をこの線のどの駅でも見たことがなかった。
※
その週の土曜、私は祖父に定期を見せた。
ただ「変な形が入ってた」とだけ言った。
祖父は縁側で、それを窓の光にかざした。
しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「おまえ、どこで降りた」
「駅の名前は、わからん」
「板だけの、屋根のないとこか」
私は、返事ができなかった。
祖父は定期をこちらに返して、指で私の手の甲を二回叩いた。
「ええか」
「あそこの鋏は、返せんぞ」
※
祖父が話したのは、それだけではなかった。
この線には、昔、仮乗降場というものがいくつかあったという。
正規の駅ではない。
集落の人が乗り降りするためだけに、板を並べた台を置いた場所だ。
時刻表には載らない。
運転士が、そこに人がいるかどうかを目で見て、いれば停める。
「じゃけん、あそこの鋏は、駅の鋏じゃない」
「乗せてもろうた印よ」
祖父は、指で宙に半円を描いた。
そのなかに、点を二つ打った。
「これじゃろ」
「うん」
「それはな、坂下(さかした)の仮乗降場のじゃ」
「わしが保線に入った年に、もう無かった」
祖父は、そこで初めてこちらを見た。
「おまえが降りたのは、駅じゃない」
「駅じゃないもんは、地図にも時刻表にも載らん」
「載らんもんは、無いのと同じじゃ」
「じゃけん」
祖父は、湯呑みの縁を親指でなぞった。
「無いことにしとけ」
※
祖父が保線区に入ったのは、昭和三十一年だ。
坂下の仮乗降場は、その前の年に廃止されている。
祖父も現物は見ていない。
ただ、区の詰所に、廃止になった仮乗降場の鋏がまとめて木箱に入れてあって、若いころ、それを何度も見たのだという。
「形だけは、いっぺんで覚えた」
「なんでな」
「使わん鋏ばっかり並んどるのが、気味悪かったけん」
祖父は、そこで湯呑みを置いた。
「あの箱な、今はもう無い」
「詰所ごと、平成元年に取り壊した」
私はあとで、その詰所の跡地も見に行った。
砂利敷きの駐車場になっていた。
隅に、コンクリートの基礎が一部だけ残っていた。
木箱の行方を、私は知らない。
私が降りたのは、その翌年の冬だった。
※
春になって、私は坂下という地名を地図で探した。
集落は、今もあった。
本線からは、川を挟んで三百メートルほど離れている。
線路のほうには、何もない。
それでも私は、自転車で行った。
雪解けの、まだ水の多い時期だった。
線路脇の草むらに、コンクリートの縁石が並んでいた。
長さは、十歩ぶんほど。
その上に、腐りかけた板が二枚だけ残っていた。
屋根はない。
小屋も、跡形もなかった。
私はしゃがんで、板の表面を手で払った。
そこに、雪が残っていた。
四月の、水が出るほど暖かい日だった。
板の上の、ちょうど人が一人立てるくらいの面積にだけ、粉雪が乗っていた。
手で触ると、冷たかった。
私は、それを払わずに帰った。
帰り道、坂下の集落に寄って、畑にいた年寄りに訊いた。
「昔、あそこに乗り場があったって聞いたんですけど」
「あったよ」
「どんなふうに、停まってたんですか」
年寄りは、腰を伸ばして線路のほうを見た。
「立っとれば、停まる」
「立っとらんかったら、通り過ぎる」
「じゃけん、雪の晩は、一人ずつ立ったの」
「一人ずつ?」
「二人立っとったら、運転士が見間違えるからね」
私は、ベンチの凹みを思い出した。
「じゃあ、待合室も」
「小屋な。あったよ」
「ストーブ、ありました?」
年寄りは、少し笑った。
「あったな。誰が焚いとったのか知らんが」
「いつ行っても、赤うなっとった」
私は、それ以上訊かなかった。
訊いても、この人の返事は変わらないだろうと思った。
※
私はそれから、その線には乗らずに卒業した。
祖父は数年後に亡くなった。
形見分けのとき、祖母が茶封筒を一つ出してきた。
中に、私の高校の定期券が入っていた。
あの冬、祖父が「預かる」と言って持っていったきり、返ってこなかったものだ。
私はすっかり忘れていた。
封筒の表には、祖父の字で一行だけ書いてあった。
「返しに行くな」
祖母に、これは何かと訊いた。
祖母は封筒を見て、少しのあいだ考えていた。
「おじいさん、あんたの高校のあいだ、ずっとね」
「冬になると、坂下のほうまで歩いて行きよったよ」
「なんしに」
「知らん。訊いても、見回りじゃ、としか言わんかった」
保線を退いて、三十年が経っていた。
見回る必要など、どこにもなかった。
※
定期券は、今も私の机の抽斗(ひきだし)にある。
半円のなかに、小さな三角が二つ。
紙は黄ばんだが、その痕だけは、縁のところで白いままだ。
一度だけ、鉄道の資料を集めている人に見てもらったことがある。
その人は写真を撮って、しばらく調べてくれた。
返ってきた返事は、短かった。
「この形の記録は見つかりません」
「ただ、只見の谷の仮乗降場は、廃止のとき鋏を回収していないという話があります」
回収していない、というのが、どういう意味なのかを、私はしばらく考えた。
使われないまま、どこかに残っている、ということだ。
去年、息子が高校に上がって、定期券を持つようになった。
いまはICのカードで、鋏の痕などつかない。
それでも私は、あの子がカードを机に置くたび、つい縁のところを指でなぞってしまう。
祖父がやっていたのと、同じことをしている。
先週、息子が「駅で寝過ごした」と言って、笑いながら帰ってきた。
私は「どこで降りた」と訊いた。
訊いてから、自分の声が、祖父のそれに似ていることに気づいた。
なぞりながら、いつも同じことを考える。
あの晩、私が乗せてもらった対価は、まだ払っていない。