
十年前の冬に、車の後部座席から人が一人いなくなりました。
私が乗っていた車ではありません。
けれど、その二時間前まで、私はその五人と同じ席にいました。
岐阜の、他県へ抜ける古いトンネルの話です。
後部座席には三人が座っていて、抜けたときには二人になっていました。
この話を、私は長いこと書きませんでした。
残った人たちが、まだ普通に暮らしているからです。
それでも書くことにしたのは、去年、数を数え直したからです。
当時の私は、高校二年でした。
学校の友達より、クラブで知り合った年上の人たちと過ごすほうが好きでした。
名古屋まで出る夜もあれば、岐阜の市内で終わる夜もありました。
五人のうち、私がいちばん下でした。
修二さんは自動車整備の見習いで、二十二。
真央さんは美容の専門学校に通っていました。
洋介さんと加奈さんは、同じ居酒屋で働いていました。
千夏さんだけが、少し違いました。
市役所の臨時職員で、朝が早い人です。
だから、こういう夜には途中で帰ることが多かったのです。
その日は、めずらしく最後までいました。
翌日が、代休だったからだと聞いています。
千夏さんは、車の中でよく眠る人でした。
後部座席の窓側が、いつもの席です。
窓に頭をつけて寝るからだと、本人が言っていました。
その日は、市内のファーストフードで夕飯を食べていました。
私が頼んだのは、ポテトのLと烏龍茶です。
そんなことまで覚えているのは、何度も警察で聞かれたからです。
その夜、千夏さんは肝試しに乗り気ではありませんでした。
「明日、早ないんやろ」
修二さんがそう言うと、首を横に振っただけです。
行きたくないなら、そう言う人でした。
言わなかったので、私は乗ると思っていました。
店を出たのが、九時十分でした。
レシートが残っていたので、時刻ははっきりしています。
私は、母に迎えを頼んでいたので、そこで別れました。
残りの五人は、そのままトンネルへ向かいました。
「行かん」
誘われて、私はそう答えました。
寒かったからです。
それだけの理由でした。
千夏さんは、店の外まで見送りに出てきました。
私のマフラーの結び目を、直してくれました。
「巻き方、下手やな」
それが、私が最後に聞いた言葉です。
車が出るのを、私は歩道から見ていました。
後部座席の右の窓が、少しだけ曇っていました。
祠の台座の刻み
そのトンネルは、地元ではよく知られた場所でした。
掘られたのは戦前だと聞いています。
工事のときに何人も倒れた、という噂がありました。
噂の中身は、人によって違いました。
落盤だと言う人もいれば、流行り病だと言う人もいました。
要するに、誰も本当のことを知りません。
私は大人になってから、町の郷土誌を見に行きました。
工事の記録は、二行しか載っていませんでした。
着工の年と、開通の年です。
倒れた人の話は、どこにも書かれていませんでした。
書かなかったのか、書くほどのことがなかったのか。
それも、分かりません。
それでも、若い者は面白がって走りに行きます。
年寄りは、噂の中身を話したがりませんでした。
「あそこは、あそこや」
そう言って、話を切ってしまうのです。
私の祖母も、同じ言い方をしました。
行くな、とは一度も言われていません。
ただ、行った話を聞きたがりませんでした。
私も、一度だけ昼間に通ったことがありました。
中はまっすぐで、拍子抜けするほど短いトンネルです。
壁は素掘りに近く、コンクリートを吹き付けただけでした。
路面に、水がしみ出している場所があります。
そこだけ、タイヤの音が変わります。
抜けた先は、すぐに右へ曲がる下りです。
脇道が一本あって、車を停められるようになっています。
あの晩、四人が停めたのがそこでした。
その脇道は、いまは草で埋まっています。
去年見たときは、車を入れる幅もありませんでした。
ただ、坑口の脇に、小さな祠がありました。
あのトンネルの坑口の脇には、石の台座に縦の刻みが並んでいました。
爪でひっかいたような、細い線です。
びっしりと並んで、端のほうは苔で読めなくなっていました。
祠には、屋根の代わりに波板が載せてありました。
中に、石の地蔵が一体だけ入っています。
顔は、雨で削れてほとんど平らでした。
供え物は、いつも新しい水だけでした。
誰かが毎日替えているのだと、そのときは思いませんでした。
私は、それを落書きだと思っていました。
近所の子どもが、退屈しのぎに彫ったのだろうと。
あとになって、そうではないと知りました。
後部座席の三人
五人は、一台の軽自動車で行きました。
運転席に修二さん、助手席に真央さん。
後部座席に三人が並んで座りました。
いちばん左が、洋介さんです。
真ん中が、加奈さん。
そして右の窓側に座っていたのが、千夏さんでした。
五人とも、シートベルトを締めていました。
修二さんは、そこだけはうるさい人でした。
整備の仕事をしていたからだと思います。
「後ろも締めや」
出る前に、必ずそう言ったそうです。
音楽は、かけていませんでした。
肝試しのつもりだったので、わざと静かにしていたのです。
加奈さんは、そのときの車内の匂いを覚えていました。
暖房と、真央さんの髪の薬剤の匂いです。
トンネルに入ったのが、九時半すぎだったといいます。
抜けたのは、たぶん三十秒あとです。
その三十秒を、四人とも覚えていません。
眠っていた、というのとは違うそうです。
修二さんは、こう言いました。
「瞬きした感じやった」
「目を開けたら、もう外におった」
車は、対向車線にはみ出していました。
急ブレーキで、脇道に停めたそうです。
ハンドルを切ったのは自分だ、という記憶も修二さんにはありません。
四人が同時に、はっと息を吸いました。
そのあと、車内が静かになりました。
加奈さんが、隣を見ました。
後部座席の右の窓側が、空いていました。
シートベルトは、外れていました。
差し込み口に、抜いた跡だけが残っていました。
「千夏は」
そう言ったのは、真央さんだったそうです。
誰も答えませんでした。
修二さんが、ルームランプをつけました。
座面に、へこみが残っていたそうです。
人が座っていたときの、あのへこみです。
加奈さんは、そこに手を置きました。
「まだ、あったかかった」
そう言ったのは、ずっとあとになってからです。
警察には、言わなかったそうです。
言えば、余計に疑われると思ったからでした。
助手席の足元に、千夏さんのスニーカーが片方だけ落ちていました。
後ろの席の人の靴が、なぜそこにあるのか。
その説明を、いまも誰もできません。
千夏さんは、車に乗るとき靴を脱ぐ人ではありませんでした。
それは、私も知っています。
もう片方の靴は、どこからも出ていません。
鞄も、携帯も、車の中に残っていました。
携帯は、九時二十八分で止まっていました。
画面には、家に送りかけたメールが残っていたそうです。
「いまから」で、文が切れていました。
四人は車を降りて、来た道を戻りました。
トンネルの中を、携帯の灯りで見て歩いたそうです。
照明が、七つあるはずでした。
そのうちの一つが、消えていました。
これは、あとで管理事務所の記録と合いました。
球切れの報告が、その翌週に上がっています。
「おーい」
洋介さんが、何度か呼んだそうです。
声が、思ったより手前で返ってきました。
短いトンネルなのに、奥まで届かないのです。
加奈さんは、途中で足が止まったと言いました。
水のしみ出している場所です。
そこから先へ、どうしても進めなかったそうです。
「行きたないんやなくて、行けんかった」
加奈さんは、その言い方をいまも変えません。
洋介さんは、一人で反対側の坑口まで歩きました。
誰ともすれ違わなかったといいます。
四人は、そこで引き返しました。
嘘発見器の部屋
祠のことは、誰も思い出しませんでした。
暗くて、目に入らなかったのだと思います。
そのまま、四人は交番へ行きました。
受け付けたのは、若い警察官だったそうです。
話を聞いて、まず匂いをかがれました。
次に、目を見られました。
クラブで遊んでいるような身なりの子たちです。
酒か薬をやっている、と思われたのだと思います。
「ほんまのこと言い」
そう何度も言われたと、加奈さんは話していました。
もちろん、誰も飲んでも吸ってもいません。
検査でも、何も出ませんでした。
私はその日、九時十分まで五人と同じ席にいました。
だから、五人で出発したことだけは、私が証明できました。
店の防犯カメラにも、五人が映っていたそうです。
それでも、事態は動きませんでした。
私が呼ばれたのは、翌日の昼です。
制服のまま、母と一緒に行きました。
同じことを、三回聞かれました。
三回目に、私は少し言い方を変えてしまいました。
すると、そこを長く突かれました。
本当のことを話しているときのほうが、揺れるのだと思いました。
作り話なら、毎回同じに言えるはずです。
千夏さんの家に連絡が行ったのは、夜中の一時すぎです。
千夏さんの両親は、前から私たちのことをよく思っていませんでした。
夜に娘を連れ回す友達、という見方です。
母親は、電話口で泣きながら怒鳴ったと聞いています。
そこから先は、事件として扱われました。
四人は、別々の部屋で事情を聞かれました。
山に埋めたのではないか、と面と向かって言われたそうです。
洋介さんは、そのとき初めて泣いたと言っていました。
加奈さんは、勤め先を辞めました。
店に、様子を見に来る人が増えたからです。
真央さんは、専門学校を一年休みました。
修二さんだけが、職場を変えずに通い続けました。
工場の人が、何も聞かずにいてくれたそうです。
嘘発見器にもかけられました。
催眠のようなこともされたそうです。
結果は、四人とも同じでした。
三十秒の記憶が、どこにもないのです。
無いものは、引き出せません。
春になって、行方不明者として扱いが変わりました。
捜索に出る人の数は、月ごとに減っていきました。
秋には、届を出したまま待つだけになりました。
千夏さんの部屋は、そのままにしてあると聞きました。
カーテンも、閉めていないそうです。
帰ってきたときに、暗いと入りにくいから、という理由でした。
抜け落ちた時間の話を、私はそれから何度も集めるようになりました。
中身のない棺
二年前に、千夏さんの家で葬儀が行われました。
届を出してから、七年が過ぎたからです。
私も、参列しました。
棺は、閉じたままでした。
中に、何も入っていないからです。
持ち上げる係の人が、少しよろけました。
軽すぎて、力の加減を間違えたのだと思います。
あの軽さを、私はしばらく忘れられませんでした。
祭壇の写真は、成人式のものでした。
千夏さんは、写真だけ二十歳のままです。
母親は、参列した私たちに頭を下げました。
十年前に怒鳴った人と、同じ人だとは思えませんでした。
「見つからんかったね」
それだけ言って、私の手を握りました。
手が、思ったより温かかったのを覚えています。
その帰りに、私は一人であのトンネルへ行きました。
昼間です。
祠は、十年前と同じ場所にありました。
波板の屋根は、新しいものに替わっていました。
地蔵の前の水は、その日も澄んでいました。
私は、しゃがんで台座を見ました。
苔を落として、台座の刻みを数えました。
下のほうは、線が重なって数えられません。
上に行くほど、線は新しくなります。
いちばん上の段だけ、間隔が空いていました。
そこで、しばらく彫られていなかったのだと思います。
台座の刻みは、抜けた人数のぶんだけ足していく決まりでした。
それを教えてくれたのは、坑口の手前で畑をしている老人です。
祠の世話をしている家の人でした。
「数が合うとらんと、合うまで持っていかれる」
老人は、鍬の柄に手を置いたまま言いました。
八十は越えているように見えました。
私が誰なのかは、聞かれませんでした。
祠の前にしゃがんでいる人間には、慣れているようでした。
「昔からや。理屈は知らん」
「工事のときに倒れた人の数やと聞きましたけど」
私がそう言うと、老人は短く笑いました。
「そんな彫り方したら、増えるいっぽうやろ」
言われてみれば、そのとおりでした。
刻みは、事故の記録ではありません。
もっと日々の、事務のようなものでした。
私は、あの晩のことを話しました。
老人は、驚きませんでした。
「あの晩な、わしが入れたんや」
「出てきた車の人数、見とったからな」
私は、刻みの新しい部分を指でなぞりました。
苔のかかっていない、浅い線です。
あの晩の刻みは、四本しか増えていませんでした。
五本ではありません。
老人は、出てきた人数を数えて彫ったのです。
入った人数ではありません。
「入る前に数えたらあかん、というのは」
私がそう聞くと、老人は首を振りました。
「数えたらあかんのやない」
「合わせるのが、こっちの仕事なだけや」
それ以上は、何も言いませんでした。
畑に戻る背中に、私はもう一度声をかけました。
「いまも、数えとるんですか」
老人は、振り返らずに片手を上げました。
それが返事でした。
いま、あの四人は普通に暮らしています。
修二さんは工場に勤め、加奈さんは子どもが二人います。
集まると、いまでもあの晩の話になります。
ただ、誰も後部座席という言葉を使いません。
「後ろの、右のほう」と言います。
気づいたのは、去年の集まりでした。
四人とも、示し合わせたわけではないそうです。
そして四人は、あのトンネルを通りません。
遠回りになっても、峠のほうへ回ります。
掘られた場所にまつわる話は、この土地にいくつも残っています。
私は去年、もう一度あの祠へ行きました。
苔を落として、浅い線をもう一度数えました。
四本のままでした。
増えても減ってもいません。
合わない数が、まだそこにあるということです。