橋のもやい輪は写せない

月夜の霧に佇む石橋

写せなかったものが、一つだけある。

もやい輪だ。

向渡へ渡る橋の、親柱の根元にはまっていた鉄の輪をそう呼ぶ。

直径は20センチほど。

断面が四角く、錆びて、ところどころ層になって剥がれている。

去年の暮れに、その橋の架け替えが決まった。

うちの店が、親柱の写しを引き受けた。

石の目も、彫りの底も、角の欠けまで写した。

もやい輪だけが、新しい柱に付かなかった。

付けなかった、と言うほうが正しい。

私は看板屋だ。

銘板を作る。

真鍮を腐食させて文字を沈め、ステンレスを曲げ、石屋が彫った面に据える。

父の代からの仕事で、私は3年前に戻ってきた。

その前は都市部で内装の金物をやっていた。

戻ってきた理由は、うまく言えない。

工房は川沿いにある。

冬は水の音がよく通る。

夜、機械を止めると、川だけが鳴っている。

市の人口は、去年7万を切った。

駅前の商店街は、半分がシャッターだ。

それでも橋の架け替えには予算がついた。

橋は、無いと困る。

それだけの話だと、私は思っていた。

橋の名前を彫り直す仕事が来たときも、私はただの復元だと思っていた。

向渡は、市の中心から川を一本隔てた地区だ。

川は浅く、夏には子どもが膝まで入って遊ぶ。

石が白く見えるほど澄んでいる。

その川に、渡合橋という短い橋がかかっている。

市内でいちばん短い橋だと言われている。

渡りきるのに、20秒もかからない。

向渡には抜け道がない。

裏に山が立っていて、道はそこで終わる。

だから渡合橋は、入口であり、出口でもある。

橋を渡らなければ、向渡には入れない。

子どもの頃から、そう教わってきた。

教わったというより、そういうものとして覚えた。

向渡には、30軒ほどが残っている。

あとは山の畑と、杉山だ。

郵便も、宅配も、訪問看護の車も、みんなこの橋を渡る。

橋が一本あるだけで、地区が一つ成り立っている。

だから架け替えの話が出たとき、向渡の人たちがまず聞いたのは工期の長さだった。

依頼は市の道路課からきた。

旧橋を撤去し、同じ位置に新しい橋を架ける。

親柱は4本あり、意匠を復元して新しい橋の四隅に据える。

図面と、撤去前の実測を、うちが受け持つことになった。

打ち合わせの席で、担当の若い人が一度だけ言った。

「輪は、新しい柱には付けません」

理由は、資料に書いてなかった。

私も、そのときは聞かなかった。

工期は2月から6月までで、仮橋はかけない。

向渡の人は、4か月のあいだ、下流の県道を大きく回ることになる。

説明会では、そこがいちばん揉めた。

遠回りは、車で12分だ。

12分をどう受け取るかは、人による。

終わりかけたころ、うしろのほうで手が挙がった。

向渡の老人だった。

背が低く、帽子を膝に置いたまま立ち上がらなかった。

「橋のないあいだ、向渡には何が入ってくるんね」

誰も答えなかった。

担当の若い人が資料をめくる音だけがした。

老人は、それ以上は言わなかった。

帽子をかぶって、先に出ていった。

私は、その言い方を覚えている。

何が入ってくる、と老人は言った。

誰が、ではなかった。

帰りの車の中でそれを思い返して、私は言い間違いだろうと決めた。方言のことは、よく分からない。

うちの工房の引き戸の柱にも、鉄の輪が打ってある。

何に使うものか、誰も知らない。

父も知らない。

外すと柱が割れる、というのが理由だったと思う。

だから、ずっとそこにある。

私は、その輪を見て育った。

見ていた、というだけだ。

採寸の日の川音

実測に入ったのは2月の半ばだった。

朝から曇って風がなく、川の音がやけに近かった。

橋の上には、市の担当と、石屋の平尾さんと、私の3人。

親柱は思っていたより小さく、腰の高さもない。

上面が丸く減っていて、手を置くとちょうど収まる。

何十年も、そこに手が置かれてきたのだと分かる。

橋を渡る人が、決まってそこに手を置いて、それから向渡のほうへ歩いていったということだ。

石は冷たく、川の上だからか指の芯まで冷えた。

手袋を外すと、指の先から温度が抜けていった。

もやい輪は、川上側の柱の根元にあった。

石を四角く抜いて、鉄の輪が半分埋まっている。

輪には、紐が結んであった。

一本ではない。

数えきれないほど結んであった。

色も太さもばらばらだ。

ビニール紐、靴紐、手芸糸、荷造りの平紐。

どれも古く、陽に焼けて白っぽくなっている。

新しいものも一本だけあって、黄色い園芸用の紐だった。

結び目の内側だけ、色が残っていた。

輪そのものは、外側だけが錆びていた。

内側は擦れて鉄の地が出ていて、長いあいだ何かが通っていた面だと分かる。

紐が擦るくらいで、鉄はこうならない。

何かをくぐらせて、繰り返し引いた跡だと思った。思っただけで、口には出さなかった。

「これ、全部外していいんですか」

平尾さんが聞いた。

市の担当は、少し困った顔をした。

「外してください、と言われてます」

誰に、とは言わなかった。

私は、いつからこうなのかを聞いた。

担当はスマートフォンを出して、写真をめくった。

2015年の点検記録に、同じ輪が写っていた。

そのときも、紐はいっぱいだった。

2008年の写真も出てきたが、やはりいっぱいだった。

平尾さんが言うには、願かけらしい。

橋の輪に紐を結んで、困りごとを置いていく。

腰が痛いとか、子が帰ってこないとか、そういうものだ。

「昔からやっとるよ」

平尾さんは向渡の生まれだ。

「ばあさんがようやっとった」

では昔は何だったのか、と私は聞いた。

平尾さんは首を傾げた。

「昔から願かけやろ」

そう言って、紐にカッターを入れた。

紐は簡単には切れなかった。

何重にも結ばれて内側は固まっていて、切った端から粉のような繊維が落ちた。

川に落ちて、流れずに、しばらく同じ場所にあった。

それだけの話だ。

切った紐は、市の指示で袋にまとめた。

ごみとして出す、と担当は言った。

平尾さんは、それを聞いて少し黙った。

「燃やすんか」

「焼却です」

平尾さんは、そうか、とだけ言った。

それ以上は何も言わずに、袋の口を自分の手できつく縛っていた。

輪は、石から抜けなかった。

石屋が言うには、埋めてから固めてあるらしい。

「柱ごと持って帰るしかないな」

撤去した親柱は、いったんうちの工房に入れることになった。

写しを作るには実物が要る、というのが表向きの理由だった。

その日のうちに、4本のうち川上側の1本だけが、うちに運ばれた。

輪が付いている柱だ。

帰りに、もう一度橋の上に立った。

風はまだなかった。

川の音に、別の音が混じっていた。

縄が擦れる音だった。船を舫うときに鳴る、あの音に近い。

見渡したが船はない。この川は浅すぎて、船が入らない。

音は、すぐに止んだ。

工事が始まる前の川は、水の音だけで満ちていて、そのぶん余計な音がよく分かった。

私は、川の音の聞き間違いだと思うことにした。

思おうとした、というのが正しい。

工房の戸の輪

工房は、平屋の作業場と、木造の母屋がつながっている。

引き戸は古いままで、柱の輪もそのままだ。

戸を開けるたび、輪が柱に当たって鳴る。

その音で、父は誰が入ってきたかを当てる。

私が入ると二回鳴り、父が入ると一回しか鳴らない。

体の重みの掛け方が違うらしく、子どもの頃はそれが面白かった。

親柱は、作業場の土間に置いた。

毛布をかけて養生テープで留め、輪の部分だけ出しておいた。

型を取るためだ。

翌朝、輪に紐が結んであった。

一本。

梱包用の平紐だった。

うちの梱包台に積んである巻きと、同じ紐だった。

私は、自分が昨日の作業で仮に結んだのだと思った。

実測のときに養生で巻くことがあるからだ。だから、外して捨てた。

その次の朝も、結んであった。

また一本。

同じ平紐。

私は父に聞いた。

父は、輪のほうを見なかった。

「触らんでええ」

それだけ言って、事務所に入った。

父は昔からそういう人だ。

言わないことを、言わないままにする。

父は、輪の写真を撮らせなかった。

型取りは手でやれ、とだけ言った。理由は聞かなかった。

聞いても同じだと分かっていた。

三日目の朝も、結んであった。

四日目もだ。

私は、外すのをやめた。

捨てても朝には戻るのなら、そのままにしておいたほうがいい。

理屈ではなく、手が止まるというだけのことだ。

雨の日も同じだった。

鍵はかけているし、シャッターも下ろしている。

窓は高いところに一枚あるだけで、人は通れない。

猫が入る隙はある。

猫は紐を結ばない。

一度だけ、夜中に母屋で音を聞いた。

引き戸の輪が、柱に当たる音だ。

一回だけ鳴った。父の入り方だった。

父は、隣の部屋で寝ていた。

私は、起き上がらなかった。

朝、戸は閉まっていた。

作業は進んだ。

石屋が石の形を起こし、私は銘板の版下を作った。

旧橋の銘板は真鍮で、文字が浅くなっていた。

拓本を取って線を起こし直すと、紙の上に文字の縁だけが黒く出た。

「渡合橋」の三文字と、竣工の年月。

1971年3月。

前の架け替えの年だ。

私は、そこで一度手を止めた。

55年前になる。父はまだ生まれていなかった。

夜、作業場の灯りを消すとき、土間の輪が目に入る。

紐は増えている。

一日に一本。

多い日もなく、少ない日もない。一日に一本だ。

それが、いちばん嫌だった。

私は、ノートに日付だけ書いた。

本数は書かなかった。

書くと、認めることになる気がした。

一度だけ、見ていようとした。

作業灯を落として、事務所の椅子に座った。

作業灯を落としても、土間と輪は見える。

川の音だけがしていた。

2時間、何も起きなかった。それから私は便所に立った。

戻るまで、10分もかかっていない。

紐は、増えていた。

私は、椅子には座らず、そのまま母屋へ引き上げた。

それ以来、見ていようとしたことはない。

見ていないあいだにだけ増えるのなら、見ないでいるほうが筋が通っている気がした。

向渡は行き止まりだ

3月に入って、旧橋の撤去が始まった。

桁が落とされ、両岸に仮設のフェンスと立入禁止の看板が立った。

向渡は、車では下流の県道を回るしかなくなった。

歩いて渡ることもできない。川は浅いが、工事区間には入れない。

向渡の人たちは、少しだけ不便そうに、それでも普通に暮らしていた。

洗濯物は変わらず干してあり、畑の水やりの時間も変わっていないように見えた。

銘板の下地を納めに、向渡へ行った。

県道を回って12分。思っていたより遠かった。

橋があれば、目の前の距離だ。

向渡の入口に、鹿島クリーニングという店がある。

旧橋を渡ってすぐの角だ。

今は、橋がないので、突き当たりの店になっている。

鹿島さんは80近い。奥の作業場から、ゆっくり出てきた。

店の中は、蒸気と糊の匂いがした。

古いプレス機が湯気を吐いていて、その向こうに吊られたワイシャツが並んでいた。

世間話をしてから、不便でしょう、と私は言った。

鹿島さんは、そうでもない、と言った。

それから、こう続けた。

「橋が閉じてから、店の前を通る人が増えたんよ」

一度では、意味が分からなかった。

向渡は行き止まりだ。

山が裏に立っていて、道はそこで終わる。

橋がなければ、この道を通る理由が誰にもない。

私はそう言った。

鹿島さんは、笑いも困りもしなかった。

「そうなんよ」

それだけだった。

私は、いつ通るのかを聞いた。

「夜」

何人、とは聞かなかった。

聞いてはいけない気がした。

アイロンの蒸気が、天井のほうへ上がっていった。

帰りがけに、もう一つ聞いた。

音はしますか。

鹿島さんは、少し考えた。

「戸の外で、紐を結ぶような音がする」

私は、自分の顔が動かないように気をつけた。

「気のせいやと思うけどね」

鹿島さんは、そう言って奥に戻った。

戸口から、山が見えた。

杉が黒く、日はまだ高かった。

私は、車に戻る前に、道の先まで歩いてみた。

舗装は途中で切れて砂利になり、その先は山道になる。

昔は峠を越えて隣町へ出られたと聞いたことがある。

今は入口に柵がある。その柵の手前に、人が立っていた。

こちらに背を向けて、山のほうを見ていた。

作業着のようにも雨具のようにも見えて、声をかけるには遠かった。

私は、車のキーを探すために目を落とした。

顔を上げたときには、道に誰もいなかった。

柵は閉まったままで、人が越えた形跡もない。

それだけのことだ。

夕方の逆光で、人の形が濃く見えることはある。私は、そういうことにした。

私は車に乗った。

杉が黒く、日はまだ高かった。

県道を回って帰った。

12分。行きと同じ道なのに、帰りは長かった。

車の中で、私はラジオを消した。

消してから、なぜ消したのかが分からなくなった。

工房に戻ると、輪に紐が増えていた。

増えるのは朝だけのはずだった。

その日は、夕方だった。

別途とだけ書かれたもやい輪

市の文書館に行ったのは、4月の初めだ。

復元の根拠になる資料が要る、という名目があった。

名目は、半分は本当だった。

1971年の架け替えの書類は、綴じられて残っていた。

紙は茶色くなっていたが、字は読めた。

地元説明会の記録も、同じ綴りに入っていた。

昭和45年の秋だ。

出席者の発言が、要旨だけ書き取ってある。

「工事中の通行について」

「仮橋の有無について」

そのあとに、一行だけ短いものがあった。

「工事期間中の地区への出入りについて質問あり」

回答の欄は、空いていた。

担当者が書き忘れたのか、答えなかったのかは分からない。

私は、説明会のうしろで手を挙げた老人を思い出した。

55年前にも、同じことを聞いた人がいる。

同じ場所で、同じ工事の説明を受けて、同じ順番でその質問が出たということになる。

綴じ紐の穴だけが、白く残っていた。

触ると、指に粉がついた。

手を洗いに行くほどではない。

ズボンで拭いた。

親柱の図面があった。

寸法も面取りも、今ある柱とまったく同じだ。

根元に、小さな丸が描いてある。

引き出し線の先に、二文字だけ書き添えてある。

「別途」

それだけだ。

もやい輪の寸法は、どこにもなかった。

仕様書もあって、工種ごとにこまごまと書いてある。

石工事の項の終わりに、一行だけ他と違う字があった。

手書きだ。

「輪は、新しい柱には付けません」

打ち合わせで聞いたのと、同じ言葉だった。

55年前の仕様書にも、同じ一行があった。

私は、その一行を二度読んだ。

それから、施工者の欄を見た。

桑島工芸社。

うちの店の、昔の名前だ。

写真も綴じてあった。

竣工写真が4枚あり、新しい親柱が4本、白く写っている。

どの柱の根元にも、輪はない。

私は、そこまでは予想していた。

最後の1枚だけ、橋ではなかった。

工房の引き戸が写っていた。

うちの工房だ。

今と同じ引き戸で、今と同じ柱だ。その柱に、輪が打ってある。

写真の裏に、鉛筆で日付が書いてあった。

1971年3月。旧橋の竣工と同じ月だった。

裏面には、もう一行あった。

「移し替え済」

字は、祖父のものだった。

私は祖父を知らない。父が子どものころに家を出たと聞いている。

それでも、帳面に残った字は見たことがある。

横棒の終わりが、決まって少し跳ねる。

父の字とは似ていない。父の字は、最後まで真っすぐ下ろして止める。

同じ字だった。

私は、その写真を複写してもらった。

係の人は、何を写すのかを聞かなかった。

建設関係の資料は、たまに複写の依頼があるらしい。

「復元ですか」

はい、と私は答えた。

嘘ではない。

文書館を出るとき、私はもう一度、図面の丸を思い出していた。

引き出し線の先の、二文字。

寸法が書かれていないということは、作る人が決まっていたということだ。

決まっていたから、書く必要がなかった。

図面に書かれないことのほうが、書かれることより長く引き継がれる場合がある。

帰り道、私は一度だけ川を見た。

橋のあった場所には、仮設の足場が立っていた。

水は、いつもと同じ高さだった。

撤去の晩の梱包紐

新しい橋の架設は、5月の連休明けだった。

桁を落とし込むのに二日かかり、親柱の据え付けはそのあとだった。

私は、銘板の据え付けで現場に入った。

真鍮の板は思ったより重い。文字は、旧橋のものをそのまま起こした。

「渡合橋」

竣工の年月だけが、新しい。

据え付けの前の晩に、工房で最後の確認をした。

土間の親柱は、もう写しが済んでいる。

明日には、市の資材置き場に運ばれる。

輪も、いっしょに行く。

そのはずだった。

夜の11時を回っていた。

作業灯だけを点けた。

土間は寒く、5月でも夜は石が冷える。

親柱は毛布の下で、形だけが分かった。

私は、輪の紐を見ていた。

2月から、ずいぶんな量になっていた。

結び目は、どれも同じ形をしている。

それに気づいたのは、その晩が初めてだった。

輪の根元で一度絡ませて、輪をくぐらせて、引く。

もやい結びだ。

船を舫うときの結び方だ。

引けば締まり、外すときは一度に解ける。海の結び方だ。

この川に、船は入らない。

私は、紐を一本だけほどいてみた。

指で押すと、あっけなく解けた。

もやい結びは、そういう結び方だ。

締まるが、外れるときは一度に外れる。

解けた紐を、私は手のひらに乗せたまま、しばらく立っていた。

それから、元のとおりに結び直そうとした。

結べなかった。

何度やっても、形が違う。

指が覚えていないものは、手本を見ても一晩では入らない。それは分かっていた。

私は、父を呼んだ。

父は寝間着のまま出てきて、土間の輪を長いあいだ見ていた。

それから、こう言った。

「爺さんが、前のときに持って帰ったんや」

工房の戸の輪は、前の架け替えのときに、祖父が外して持ち帰ったものだった。

橋から外したら、どこかへ移さないといけない。

父は、そう説明したわけではない。

「持って帰ったんや」

それしか言わなかった。

説明できることなら、祖父が書き残している。

翌日、親柱は輪ごと資材置き場へ運ばれていった。

資材置き場に、今もあるはずだ。

私は、確認していない。

父も、聞かなかった。

市の担当からは、保管期限の連絡だけが来た。

2年だそうだ。

2年たったら、どうなるのかは書いていなかった。

問い合わせれば答えは出るのだろうが、私はまだ電話をかけていない。

橋は6月に開通した。

式はなく、自治会の人が何人か来て写真を撮っただけだった。

鹿島さんも来ていた。

店の前を通る人は減りましたか。

聞こうとして、やめた。

鹿島さんは、川のほうを見ていた。

水はあの日と同じ高さで、子どもが二人、下流で石を投げていた。

新しい橋は白くて、まだ足跡がついていない。

新しい橋は、渡りきるのに18秒だった。

20秒かからない橋が、2秒短くなった。

親柱は4本あるが、どの柱の根元にも丸い抜きはない。

もやい輪は、どこにもない。

工房の戸の輪は、外していない。

結び目は、今も増える。

朝、戸を開ける前に、増えたかどうかが分かる。

どうして分かるのかは、説明できない。

どれも、もやい結びだ。

私は、その結び方ができない。

父も、できない。

それでも、結ばれている。

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