神社の思い出

神社の思い出

大隅の、肝属(きもつき)川の上流に、谷の集落がある。

私が九つまで住んでいた土地だ。

シラス台地が両側から迫って、日が差すのは昼の三時間ほど。

その崖の中腹に、小さな社(やしろ)があった。

石段は四十七段。

子どもの足では、上りきると膝が笑った。

石段の脇は、白い崖だ。

シラスというのは、火山の灰が固まったものらしい。

爪を立てると、ぼろぼろ崩れる。

崖のところどころに、四角い穴が開いていた。

岩屋、と大人は呼んでいた。

覗くと、奥は真っ暗で、夏でも冷たい風が出てくる。

あの穴には近づくな、とだけは、どの家でも言われていた。

理由を教えてくれる大人は、一人もいなかった。

ただ、ハルさんだけは、こう言った。

「あれは、口じゃ」

「なんの口な」

「昔の宮の、上がり口」

あの子と会ったのは、小学二年の夏だ。

境内で走り回っていたら、いつのまにか混ざっていた。

混ざっていた、というのも変な話だ。

子どものころは、誰彼かまわず友達になる。

だから誰も、その子がどこから来たのかを訊かなかった。

坊主頭で、白っぽい半袖のシャツを着ていた。

笑うと前歯が一本欠けていた。

「おまえ、どこの子な」

「あっち」

そう言って、社の裏の杉山のほうを指した。

あっち、で通じてしまうのが、あの谷だった。

勇作が「見たことなか顔じゃ」と言った。

ミチルが「よその子やろ」と言った。

それで話は終わった。

盆になれば、都会から親戚の子が何人も来る土地だ。

知らない顔がひとつ増えることに、誰も驚かない。

ただ、盆が過ぎても、あの子はいた。

秋になってもいた。

そのころには、もう誰も、よその子だとは言わなくなっていた。

今になって思えば、おかしなことがある。

あの谷では、よその子がひとり増えれば、三日で全戸に知れ渡る。

誰の家の親戚か、何日いるのか、必ず誰かが訊く。

あの子については、大人が一度も訊かなかった。

訊かなかったのではなく、訊く必要がなかったのだと、今はわかる。

その日から、あの子は遊び仲間になった。

缶蹴り、木登り、蟬の抜け殻集め。

私はとくにあの子と気が合って、二人だけで遊ぶことも増えた。

というより、一人で社に行っても、あの子は必ずそこにいた。

社に行く、イコール、あの子と遊ぶ。

そういうものだと思っていた。

境内の縁側には、いつも二人の巫女さんが座っていた。

白い衣に、朱色の袴。

夏でも冬でも、同じ格好だった。

私たちが騒いでも、叱らない。

ただ、ぼうっとこちらを見ている。

ときどき、どちらかが小さく笑った。

あの二人が水を汲むところも、掃除をするところも、私は一度も見ていない。

そういう人たちなのだと思っていた。

一度、ミチルが二人に話しかけたことがある。

「おねえさん、水ちょうだい」

巫女さんは、笑って首をかしげた。

それだけだった。

ミチルは「聞こえんかったんやろ」と言って、井戸のほうへ走っていった。

私たちは、あの二人の声を、ついに一度も聞かなかった。

あの日常が、私は好きだった。

集落には、私を入れて子どもが六人しかいなかった。

勇作、ミチル、その弟、あとは年下が二人。

学校まで、川沿いを四十分歩いた。

夏の夕方は、川面に蛍が湧いた。

あれは今でも、あんな数を見たことがない。

そういう谷だ。

何もないぶん、社の境内が、私たちの世界のほとんどだった。

最初の違和感は、声だった。

境内は広い。石段の下から拝殿まで、大人の足でも三十歩はある。

鬼ごっこをすれば、当然、距離が開く。

なのに、あの子の声だけは、いつも同じ大きさで聞こえた。

杉山の際まで走っていっても、耳のすぐ横で「こっち」と言われた。

そのころは、声の通る子だな、としか思わなかった。

蟬の声のなかで、あの子の声だけが、はっきりしていた。

もう一つ、そのころ気づいたことがある。

あの子は、いつも同じ側から現れた。

拝殿の右手、杉山に向かって歩いていくと、五歩目くらいで、もう横にいる。

足音は、聞いたことがない。

境内は玉砂利だ。

私たちが走れば、じゃりじゃり鳴る。

あの子が走っても、鳴らなかった。

子どもというのは不思議なもので、そういうことを、いちいち怖がらない。

ああ、そういう走り方の子なんだな、で終わってしまう。

二つ目は、供え物だ。

私たちは駄菓子を買うと、賽銭箱の縁に一つ置く決まりを勝手に作っていた。

誰が言い出したのかは覚えていない。

ある夏、私はきなこ棒を一本置いた。

翌日、それはそのままあった。

三日目もあった。

南九州の八月だ。三日も置けば、飴は溶ける。紙は湿気る。

けれどきなこ棒は、置いた日と同じ形をしていた。

包み紙の折り目まで、私が折ったとおりだった。

四日目に見に行ったら、なくなっていた。

包み紙も、一緒になくなっていた。

食べたなら、紙は残るはずだった。

賽銭箱の縁には、きなこの粉が、ひとつぶも落ちていなかった。

あの子に訊いた。

「おまえ、食べたか」

「食べんよ」

「じゃあ、誰な」

「知らん」

あの子は、それきり賽銭箱のほうを見なかった。

いま思えば、あの子はそれ以降、賽銭箱の前を通るときだけ、少し遠回りをした。

拝殿の階(きざはし)にも、一度も座らなかった。

私たちは何度もそこに腰かけて、汗を拭いていたのに。

三つ目は、母の言葉だ。

夕飯のとき、母が味噌汁をよそいながら言った。

「あんた、宮でいっつも独り言ば言いよるね」

「言いよらん」

「言いよるよ。買い物の帰りに見たわ」

「友達とおったが」

母は「そうね」と言って、それ以上は訊かなかった。

今になって思う。

あのとき母は、もう一度も訊き返さなかった。

訊き返さないことを、あの谷の大人はよく知っていた。

その晩、風呂から上がったら、父が縁側で煙草を吸っていた。

「宮で誰と遊びよるとか」

「友達」

「名前は」

私は答えられなかった。

訊いたことがないと気づいたのは、そのときが初めてだった。

父は「ふうん」と言って、灰を落とした。

それきり、その話はしなかった。

隣のハルさんという婆さんが、一度だけ、私に作法を教えたことがある。

縁側で瓜を切りながらだった。

「宮を出るときはな、何も言わんで出るとよか」

「なんで」

「言葉ば置いていったら、取りに戻らんといかんようになるけん」

意味はわからなかった。

それでもハルさんの手が瓜を押さえたまま止まったので、私は黙ってうなずいた。

「さいなら、は言うたらいかん」

「またね、もな」

「どっちも、次があるいう約束じゃけん」

ハルさんは、瓜の種を新聞紙に落としながら続けた。

「あの宮はな、もとは崖のもっと下にあったとよ」

「明治の何年やったか、大水で崩れてな」

「上に移したとき、下に置いていったもんが、なんぼかあるらしい」

「そういうもんは、約束を待っとる」

「じゃけん、宮では約束の言葉を口にせん」

私は、崖に開いた四角い穴を思い出した。

あの穴の高さは、ちょうど、昔の社があったあたりだった。

私は、あの子のことを思い出していた。

あの子は、別れぎわにいつも「またね」と手を振った。

さいなら、とは、一度も言わなかった。

三年生になり、四年生になると、みんな社では遊ばなくなった。

集落の子は少ない。学年が上がれば、遊び場は校庭に移る。

それでも私は、月に何度か一人で石段を上った。

塾もない。ゲーム機を持っている家もない。

時間だけが、いくらでもあった。

石段の途中で、シラスの崖に耳を当てるのが癖だった。

中で水が流れる音がする、と勇作は言っていたが、私には聞こえたためしがない。

聞こえるのは、いつも、上のほうから呼ぶあの子の声だった。

あの子は、いつ行ってもいた。

「なんで、いつもおるとや」

「おるよ」

「家、帰らんとか」

「帰るよ」

そのやりとりを、何度もした。

訊いてはいけない気がして、学校も、家も、名字も、私は一度も訊かなかった。

子どもながらに、何かを察していたのだと思う。

みんなが石段を下りるとき、あの子は必ず鳥居の下に立って、見送った。

一緒に下りたことは、ただの一度もない。

一度だけ、試したことがある。

五年生の春だ。

「一緒に下りようや」

「よかよ」

あの子はそう言って、鳥居まで来た。

そして、鳥居の柱に手を置いて、そこから動かなかった。

「行かんとか」

「行くよ」

「じゃあ来いよ」

「行くよ」

三回、同じ受け答えをした。

そのうち私のほうが飽きて、先に石段を下りた。

途中で振り返ったら、あの子はまだ、柱に手を置いて立っていた。

笑っていた。

怒っている顔よりも、その笑顔のほうが、私はなぜか長く覚えている。

父の転勤で、私は九つの冬に県外へ引っ越した。

荷造りの日、私は最後にもう一度、社へ行った。

雪の降らない土地だが、その日は妙に空気が冷たかった。

学校では、前の日にお別れ会をしてもらった。

勇作が泣いて、ミチルが「男が泣くな」と言って、それで勇作がもっと泣いた。

そういう別れは、ちゃんと済んでいた。

済んでいないのは、社のほうだけだった。

あの子は、鳥居の下にいた。

「引っ越すとよ」

「知っとる」

「なんで知っとると」

あの子は答えなかった。

代わりに、私のシャツの袖を、指二本でつまんだ。

それから離した。

「さいなら」

あの子が「さいなら」と言うたのは、その一度きりだった。

私は「またね」と言いかけて、口を閉じた。

ハルさんの言葉を、そのとき初めて思い出したからだ。

石段を下りて、下から見上げた。

鳥居の下には、もう誰もいなかった。

石段の上のほうを、しばらく見上げていた。

拝殿の屋根の向こうで、杉が揺れていた。

縁側の二人も、その日は見えなかった。

私は袖の、つままれたところを指でこすった。

そこだけが、なぜか湿っていた。

指を鼻に近づけると、土の匂いがした。

崖の岩屋を覗いたときと、同じ匂いだった。

その日は雨も降っていなかったし、私は崖に近づいてもいない。

それから十三年が経った。

大学四年の秋、就職活動で郷土のことを調べる機会があって、私はふと、あの社の名前を検索した。

県の神社庁の名簿に、その社はあった。

祭神、鎮座地、由緒。

由緒の欄の最後に、こう書いてあった。

「明治四十年の遷座以降、常駐の神職を置かず」

常駐の神職を置かず。

私は、その一行を何度も読んだ。

宮司も、巫女も、あの社にはいない。

百年以上、ずっといなかった。

年に二度、里の神社から神主が上がってきて、祝詞を上げるだけの社だった。

私は、集落の郷土誌を取り寄せた。

役場のホームページに、頒布のことが小さく載っていた。

届いた冊子の、神社の項を読んだ。

明治四十年に崖の下から現在地へ遷座、とあった。

ハルさんが言ったとおりだった。

下に置いていったもの、という記述は、どこにもなかった。

その代わり、遷座の理由の欄に、ひとこと書いてあった。

「旧地は、参拝の後に下ることを憚(はばか)る土地なりしため」

参拝の後に、下ることを憚る。

私は、鳥居の柱に手を置いたまま動かなかったあの子を思い出した。

母に電話をした。

「あの宮に、巫女さんおったよね」

電話の向こうが、少し静かになった。

「あんた、それ、誰にも言わんかったやろね」

「言わんよ」

「よか」

母は、それだけ言った。

それから、思い出したように付け足した。

「ハルさんな、去年、あんたのこと訊きよったよ」

「元気にしとるかて」

「あの子は、宮に言葉ば置いてこんかったけんね、て」

受話器を持ったまま、私はしばらく黙っていた。

母も、黙っていた。

やがて母が言った。

「あんたが引っ越す前の日な」

「ハルさんが、うちに来たとよ」

「今日は宮に行かせなさいって」

「行かせんかったら、あの子が待つけんって」

私は、あの日の冷たい空気を思い出した。

行かせたのは、母ではなくハルさんだったのだ。

去年の盆に、二十年ぶりにあの谷へ行った。

石段は四十七段のままだった。

拝殿は思っていたより小さく、縁側の板は灰色に乾いていた。

誰もいなかった。

賽銭箱の縁に、私はきなこ棒を一本置いた。

置いてから、しばらく待った。

杉の梢が鳴った。

玉砂利を踏む音は、自分のものしか聞こえなかった。

ハルさんは、五年前に亡くなっていた。

集落に残っている家は、四軒だと聞いた。

崖の岩屋は、崩れてほとんど塞がっていた。

それでも、覗くと冷たい風が出てきた。

それだけだった。

帰りぎわ、鳥居のところで、私は足を止めた。

言いたい言葉が、口のなかにあった。

結局、言わなかった。

言えば、あの子がまた、待つことになる。

あの子は、私に「さいなら」を言わせなかったのだ。

一度だけ、自分のほうから言って、それきりにした。

ひとつだけ、まだ引っかかっていることがある。

集落の郷土誌に、昭和八年の写真が載っている。

社の縁側に、白い衣の女が二人、並んで座っている写真だ。

そのうちの一人が、少し笑っている。

私は、その笑い方を知っている。

写真の説明には、名前が書かれていない。

「社掌某氏の縁者」とだけある。

郷土誌の編纂は昭和五十年だ。

編んだ人たちが、当時の年寄りに聞き取って作っている。

それでも、この二人の名前は出てこなかったということになる。

四十七段の上で、六十年前から、あの人たちは同じ格好で座っていた。

いや、六十年ではない。

写真が昭和八年で、私が遊んだのが平成のはじめだ。

そのあいだの数を、私は指で数えて、途中でやめた。

数えたところで、どうにもならない。

そして、あの子は今も、鳥居の下に立っているのだろうと思う。

私はときどき、自分の子を寝かしつけながら、そのことを考える。

あの日、私が「またね」と言っていたら、どうなっていたのか。

戻ることになったのは、私のほうだったのか。

それとも、あの子は、ただ待たなくてよくなっただけなのか。

答えは出ない。

ひとつだけ確かなのは、私が二十年ぶりに置いたきなこ棒が、翌朝どうなっていたかを、私は確かめずに帰ったということだ。

誰かが「またね」と言うのを、待っている。

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