玄関の右端だけ乾かない

夕暮れの海辺を歩く女

去年の4月に、担当のエリアが変わった。

わたしは訪問美容師をしている。

美容室に立つのは週に2日で、あとの3日は軽バンで家を回る。

髪を切りに出られない人のところへ、こちらから行く仕事だ。

道具は全部、車に積んである。

洗髪用のタンク。折り畳みの椅子。軽い鏡。

新しい担当は、市の東のはずれだった。

旧道沿いに家が並んでいて、その半分は空き家になっている。

わたしが5歳まで住んでいた町だ。

28年ぶりに、週に3日そこへ通うことになった。

町のほうは、ほとんど変わっていなかった。

変わったのは、うちの玄関だけだ。

うちは玄関の右端だけが、いつも湿っている。

子どもの頃からそうだったので、気にしたことがなかった。

去年の夏に、それを気にするようになった。

町の名前は淀ヶ辻という。

峠へ抜ける旧道が一本あって、その両側に家が建っている。

20年前にバイパスが通ってから、車はそちらを走るようになった。

旧道に残ったのは、年を取った人と、空いた家だ。

だからわたしの仕事の需要はある。

月曜と水曜と金曜に、4軒から5軒を回る。

玄関を上がって、新聞紙を敷いて、椅子を置く。

髪を切っている間、たいていの人はよく喋る。

天気と、病院と、昔この道を走っていたバスの話。

わたしは相槌を打ちながら、鋏を動かす。

一日の終わりに、その人の顔が少し明るくなるのが分かる。

髪を切るというのは、たぶんそういう仕事だ。

この町のことは、断片でしか覚えていない。

5歳まで住んで、小学校に上がる前に隣の市へ移った。

父の転勤だった。

覚えているのは、坂と、砂の色と、夕方の音楽くらいだ。

夕方5時になると、この町では音楽が鳴る。

防災無線のスピーカーから、短い曲が流れる。

今も同じ曲だった。

はじめて担当した日に旧道でそれを聞いて、手が止まった。

鋏を持ったまま、しばらく動かなかった。

「懐かしいですか」と、その家の娘さんに聞かれた。

「ええ」とだけ答えた。

本当は、懐かしいという感じではなかった。

帰らないといけない、と体のほうが先に思った。

わたしには5歳の娘がいる。

夫は交代勤務で、夜にいないことが多い。

だから夕方から夜までは、娘と二人になる。

うちの玄関は狭い。

大人と子どもが並ぶと、それでいっぱいになる。

娘は、玄関で靴を履くとき、必ず左の端に寄る。

壁に肩をつけて、そこにしゃがみ込む。

何度か「真ん中でいいよ」と言った。

そのたびに、うん、と言って、動かなかった。

玄関の右端は、いつも少し色が濃い。

指で触れると、冷たい。

築30年の借家だから、そういうものだと思っていた。

不動産屋にも一度だけ聞いた。

「そこに配管は通ってませんね」と言われた。

それきり忘れていた。

去年の6月に、その上に足跡がついた。

わたしの靴ではない。

大人のものでもなかった。

その足跡は、朝には消えていた。

濡れたところだけが残った。

わたしは写真を撮らなかった。

撮ればよかったと、あとで思った。

6月は雨が続いた。

借家の玄関は北向きで、昼でも暗い。

電気をつけると、右端だけが黒く見える。

娘はそこを見ない。

見ないというより、見えていないふりが上手い。

そのときは、そんなふうに思わなかった。

靴を並べるのはわたしの役目で、いつも右端だけ一足ぶん空けていた。

なぜ空けるのかを、自分に聞いたことはなかった。

5時に鳴る音楽

6月の終わりに、旧道での仕事が5時を過ぎた。

最後の家が長引いて、片付けが終わらなかった。

スピーカーから音楽が流れはじめた。

わたしは玄関先で道具を抱えていた。

右手の指の間が、急に濡れた。

汗ではなかった。

温度が、はっきり違った。

人の手を握っているときの温度だった。

わたしは荷物を全部落とした。

タンクが転がって、水がこぼれた。

家の人が出てきて、大丈夫かと聞いた。

「すみません、手が滑って」

そう言って拾った。

拾いながら、右手を何度も開いて閉じた。

何も握っていなかった。

翌週も、5時の音楽の途中で同じことがあった。

その次も同じだった。

必ず、曲の後半だった。

はじめの一節では何も起きない。

折り返したあたりで、指の間が濡れる。

曲が終わると、乾く。

時間にすれば20秒くらいだ。

濡れるのは右手だけで、左手は何ともない。

それ以外の時間は、なんということもなかった。

6月は湿気で髪が広がる季節で、どこの家でも同じ話をした。

岸本さんの家では、猫が必ず鏡の前に座った。

森本さんは、切っている間ずっと同じ演歌を流した。

坂の上の中村さんは、毎回わたしに缶コーヒーを二本持たせた。

「一本は旦那さんに」

うちの夫はコーヒーを飲まない。

それでも毎回もらって、車のドアポケットに溜めた。

溜まりすぎて、走ると後ろで転がる音がするようになった。

その音で、後ろに何か乗っている気がした日もある。

確かめると、いつも缶だった。

店の先輩に、一度だけ話した。

夕方になると手が濡れるんです、と。

「更年期にはまだ早いでしょ」

「ですよね」

「冷えじゃない。握りっぱなしの職業病かもよ」

先輩は鋏を持つ手を開いて見せた。

指の付け根に、硬い皮ができていた。

わたしの手には、それがない。

訪問に出るようになってから、切る本数は減っている。

「まあ、手は嘘をつかないから」

先輩はそう言って、次のお客さんの名前を呼んだ。

ある夜、娘を寝かせてから、指のことを考えた。

子どもと手を繋ぐとき、わたしは左手を出す。

右手は鋏を持つ手だからだ。

では、右手で誰かの手を握ったのは、いつだったか。

思い出そうとして、坂の匂いがした。

白っぽい砂の道を、誰かと下っている。

相手の顔は思い出せない。

背は、わたしと同じくらいだった。

そこまでで、いつも切れる。

娘は最近、玄関でよく話す。

靴を履きながら、壁のほうを向いて喋る。

「なにしてるの」

「ごあいさつ」

「誰に」

「くつばこ」

5歳の言うことは、たいてい筋が通らない。

わたしは笑って、手を引いて外に出た。

外に出るとき、娘は必ず先に立たせてもらいたがる。

わたしが先に出ると、玄関の内側で足を止める。

そういうとき、娘は必ず何か言う。

「さきにどうぞ」とか、「はやいね」とか。

相手は、わたしではない。

そう気づいてから、玄関で振り返らないようになった。

7月の予約表を作りながら、旧道の順番を組み替えた。

岸本さんの家を最後にすると、どうしても5時を過ぎる。

それで、岸本さんを3軒目にした。

岸本さんは「今日は早いね」と言った。

風の話はしなかった。

そのかわり、玄関のほうを一度だけ見た。

後部座席の砂

軽バンの後部座席には、娘のチャイルドシートを載せている。

保育園の送り迎えに使うからだ。

仕事の日は、後ろに人を乗せない。

7月のはじめ、その座面に砂が溜まっていた。

白っぽい、粒の細かい砂だった。

掃除機をかけた。

翌日、また溜まっていた。

量は毎回、ひとつまみくらいだ。

窓は閉めている。

旧道は舗装されている。

それでも、その砂には見覚えがあった。

子どもの頃、坂を下ると靴の中に入ってくる砂だ。

それから、ベルトのことに気づいた。

チャイルドシートのベルトは、娘を降ろすと外したままにする。

そのほうが、次に座らせるときに早い。

なのに、朝になると留まっている。

カチッと音がするところまで、きちんと。

夫に聞いたら、触っていないと言った。

娘に聞いたら、「わたしじゃない」と言った。

子どもの「わたしじゃない」は当てにならない。

ただ、娘の指の力では、あの金具は入らない。

わたしは一度、ベルトを外してから写真を撮った。

翌朝、同じ角度で撮った。

留まっていた。

写真を並べて見比べて、それきり撮るのをやめた。

もうひとつ、車のことがある。

旧道には、家のない区間が400メートルほどある。

昔の家が取り壊されて、更地と竹やぶになっている。

その区間を走るとき、ナビの到着時刻が動かない。

5時前後に走ると、いつもそうだった。

走行距離も、その分だけ増えていない気がした。

気がした、というだけで、確かめる方法がない。

それで、トリップメーターを0に戻してから入ってみた。

出口で見たら、0.0のままだった。

わたしは車を停めて、もう一度入り口まで戻った。

今度は0.4と出た。

2回目は、何も起きなかった。

それ以来、その区間では時計を見ないことにしている。

その日の最後は、岸本さんの家だった。

岸本さんは92歳で、この町でいちばん長く生きている人だ。

耳は遠いが、目はいい。

わたしが玄関を上がると、いつも同じことを言う。

「今日は風が強いね」

風のない日でも言う。

髪はもう多くない。

切るというより、整えている時間のほうが長い。

その間、岸本さんは昔の話をする。

バスの話。分教場の話。峠を越えて嫁に来た話。

わたしは相槌を打つ。

同じ話を三度聞いても、三度とも面白い。

その日、鏡を片付けていたら、岸本さんが言った。

「あんた、連れとるね」

わたしは手を止めた。

「何をですか」

岸本さんは、わたしの右側を見ていた。

正確には、右の、少し下のあたりだ。

5歳くらいの子どもの頭がある高さだった。

「まあ、悪さはせんよ」

それだけ言って、岸本さんはテレビをつけた。

音量は最大だった。

話は終わりだという意味だった。

帰りに、更地の区間でスピードを落とした。

竹やぶの奥は暗い。

昼でも、そこだけ夕方のような色をしている。

空き家の軒先には、まだ表札が残っている家がある。

名前の部分だけが白く抜けている。

日に焼けて、字が消えたのだと分かる。

それでも、消えた字のところを見てしまう。

その夜、夫に砂の話をした。

「車の窓、開けてるんじゃないの」と言われた。

開けていない、と答えた。

夫は、それ以上は聞かなかった。

聞かないでいてくれるのは、ありがたかった。

岸本さんの言う供

次の訪問は2週間後だった。

その日は、髪を切る前に聞いた。

「この前の話ですけど」

「どの話」

「連れとる、って言いました」

岸本さんは湯呑みを置いた。

「言うたかね」

「言いました」

岸本さんは、しばらく黙っていた。

それから、わたしの顔をじっと見た。

「あんた、この町の子やったね」

「5歳までですけど」

「どこの家ね」

「坂の途中の、青い屋根の」

岸本さんは、ああ、と言った。

それで全部分かった、という言い方だった。

以下は岸本さんの話だ。

順番に話してくれたわけではないので、こちらで並べ直している。

方言も、少し直している。

旧道は、バイパスができるまで峠へ抜ける唯一の道だった。

日が暮れてからその道を行く者は、よく道を外した。

外れた先に何があるのかは、岸本さんも言わなかった。

それで、この辺りでは「供を立てる」ということをしたのだという。

「供って、お供えのお供ですか」

「そう書くね。とも、と読む」

「人がですか」

「人やない」

供は、日暮れに外にいる者に一人つく。

道を外させないために、ずっとついて歩く。

家まで送ったら、そこに住む。

帰らない。

一人に一つで、増えも減りもしない。

「離れないんですか」

「離れるよ。よそへ移す」

「移す」

「ともだちや、言うて引き合わせる」

引き合わされた相手に、供は移る。

だからこの町では、供は子どもの間を回っていた。

子どもは、誰にでも「ともだち」と言うからだ。

大人は、めったに人を引き合わせない。

「うちの親は、そんな話しませんでしたけど」

「する家と、せん家があるんよ」

「でも、脅し文句は聞きました」

わたしは、それを口に出してから思い出した。

暗くなるまで遊んでいると、母がこう言った。

「早う帰らんと、ともだちができるよ」

子どものわたしは、それを喜んだ。

友達ができるのは、いいことだと思っていた。

だから、わざと遅くまで外にいた日もある。

岸本さんは、うん、と言った。

「あんたらの頃は、もう誰も意味を知らんかったね」

「意味って」

「ともだちやない。供が立つ、いうことよ」

供立ち。

ともだち。

音が近い。

子どもの耳には、同じに聞こえる。

「わたし、立てられたんですか」

「連れとるもん」

「いつからですか」

「引き合わせんかったんやろ」

「え」

「よそへ行くとき、誰にも渡さんかった子は、そのまま持っていく」

岸本さんは、湯呑みを両手で包んだ。

「持っていかれたほうも、ずっとそこにおる」

わたしは、右手の指を見ていた。

5時には、まだ間があった。

「悪さはせんよ」と岸本さんはまた言った。

「ただ、暗うなったら家に入れてやりんさい」

「入れないと、どうなるんですか」

岸本さんは答えなかった。

テレビをつけた。

その日の帰りは、バイパスを走った。

遠回りになるが、5時に旧道にいたくなかった。

バイパスは片側二車線で、街灯が明るい。

トラックの間に入ると、少し安心する。

その夜、うちの玄関の湿りが、いつもより広がっていた。

右端から真ん中のほうへ、指一本ぶんだけ。

わたしは雑巾で拭いた。

拭いても色は変わらなかった。

娘が後ろから覗き込んで、こう言った。

「そこ、まだいるよ」

わたしは雑巾を持ったまま、しばらく動かなかった。

「まだ」という言い方が、ずっと耳に残った。

玄関の右端の湿り

岸本さんの話を聞いてから、わたしは町の図書館に寄った。

郷土資料の棚に、淀ヶ辻の聞き書きを集めた薄い冊子があった。

昭和の終わりに、地元の教員がまとめたものだ。

供の話は、三行しか載っていなかった。

日暮れに外へ出る者には供を立てた、とある。

その次に、こう書いてあった。

供は玄関より内へは入らぬものとされた。

入れた家がどうなったかは、書かれていない。

わたしは、その行を三度読んだ。

それから冊子を棚に戻した。

借りて帰る気には、なれなかった。

その週の金曜、わたしは仕事を早めに終わらせた。

4時半に、旧道の家のない区間に車を停めた。

更地の端に、犬走りだけが残っている。

コンクリートの細い帯が、草の中に伸びている。

昔そこに家があったのだと分かる。

わたしは車を降りて、その上に立った。

坂の匂いがした。

足元の砂は、後部座席に溜まるのと同じ色だった。

しゃがんで一つまみ取って、指でこすった。

同じだった。

ここで、誰かと別れていた。

毎日ではない。

夕方だけだ。

音楽が鳴ると、その子はここで止まった。

わたしは坂を上がって、青い屋根の家に帰った。

振り返ると、まだそこに立っていた。

手を振ったかどうかは、覚えていない。

顔も、名前も、出てこない。

出てくるのは、手の大きさだけだった。

5時になった。

スピーカーが、短い前奏を鳴らした。

曲が折り返した。

右手の指の間が濡れた。

今度は、逃げなかった。

わたしは指を広げて、そのまま握った。

握り返された。

小さくて、少し冷たかった。

28年前と、同じ高さだった。

声はしなかった。

曲が終わると、手はほどけた。

草も、竹やぶも、動かなかった。

車に戻って、しばらく座っていた。

エンジンをかけるまでに、10分かかった。

ミラーに後部座席が映っていた。

ベルトは留まっていた。

わたしは、それを外さなかった。

家に着いたのは、7時前だった。

娘を保育園から連れて帰って、玄関を開けた。

娘はいつものように、左の端に寄って靴を脱いだ。

わたしは、その反対側を見た。

玄関の右端が、いつもより濃く湿っていた。

そこだけ、光の反射が違う。

しゃがんで、手を置いた。

冷たかった。

車の中で握ったのと、同じ冷たさだった。

娘は、わたしの後ろで靴下を脱いでいた。

こちらを見ていなかった。

その夜のうちに、実家に電話をかけた。

母は寝る前で、機嫌が良くなかった。

昔住んでいた家の玄関のことを聞いた。

「あそこ、湿ってなかった」

「湿っとったよ。右のほう」

「隣の市の家は」

「あそこも湿っとったね。大家さんに言うても直らんかった」

「今の実家は」

母は、少し黙った。

「……右の端やね」

「そう」

「あんた、なんでそんなこと聞くん」

わたしは、なんでもない、と言って切った。

引っ越すたびに家は変わったのに、湿るのはいつも玄関の右の端だった。

わたしは28年のあいだ、毎日その上を踏んで外に出ていた。

娘が寄る左の端

それから、変えたことがいくつかある。

旧道の担当は、今も続けている。

外してもらわなかった。

仕事は好きだし、岸本さんの髪は他の人には切らせたくない。

ただ、5時までに最後の家を出るようにした。

片付けは、車に乗ってからする。

娘が右の端を避けていたことに、わたしはその夜まで気づかなかった。

今は、玄関の右端を空けている。

靴を置かない。

傘も立てない。

娘には何も説明していない。

説明できることが、ひとつもない。

一度だけ、娘に聞いたことがある。

「玄関で、誰かに挨拶してるの」

「してるよ」

「どんな子」

「ちいさい」

「お名前は」

娘は首を振った。

「なまえ、ないって」

それきり、その話はしていない。

岸本さんは、去年の秋に施設へ移った。

最後に髪を整えたとき、こう言われた。

「入れてやりよるね」

「はい」

「ほんなら、ええわ」

それだけだった。

わたしは、供を誰にも渡していない。

渡す方法は、たぶん簡単だ。

娘に「ともだち」と言って引き合わせればいい。

言わなければ、この先もずっと玄関の右端は乾かない。

それでいいと思っている。

町では、夕方になると今も同じ音楽が鳴る。

うちは町から40キロ離れているので、聞こえない。

それでも、体のほうが覚えている。

今は、5時の音楽が終わるまでに玄関を開けるようにしている。

開けると、右端が少し濃くなる。

わたしはその横を通って、電気をつける。

保育園の帰りに、その日あったことを一つだけ話す決まりは、今も続けている。

だいたいは、だんご虫の話だ。

先週だけ、違った。

「きょう、おともだちがふえたよ」

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