深夜の掲示板に来た人

Terceira-Guerra-JTW

二〇〇二年の冬、深夜の掲示板に、未来から来たと名乗る人がいました。

私は当時、金沢の大学に通う二十歳の学生でした。

下宿は、犀川の近くの古いアパートの二階です。

冬は、窓の桟に雪が積もりました。

北向きの部屋で、昼でも電気が要りました。

壁が薄く、隣の人の咳が聞こえました。

夜中に屋根の雪が落ちると、建物ごと少し揺れます。

その音で、何度も目が覚めました。

灯油のストーブは、一台だけありました。

点けるのは、朝の三十分と決めていました。

その三十分のあいだに、洗面と着替えを済ませます。

残りの時間は、毛布の中で本を読んでいました。

貧乏でしたが、不幸ではありませんでした。

時間だけは、いくらでもあったのです。

暖房代がもったいないので、私は毛布を肩に巻いて、机に向かっていました。

回線は、まだ電話回線でした。

つなぐと、ぴー、がががが、という音がします。

その音を、家族が寝てからでないと出せませんでした。

正確には、下の階の大家さんが寝てから、です。

電話が使えなくなると、苦情が来るからでした。

私は、いつも一時を過ぎてから、受話器を外しました。

だから、私のインターネットは、いつも深夜でした。

深夜の掲示板には、いつも同じ顔ぶれがいました。

十人もいません。

学生と、勤め人と、名前も年齢もわからない人が数人。

話題は、決まっていませんでした。

その日に見たものや、読んだ本のことを、思いついた順に書く。

返事は、早くて十分、遅ければ翌日でした。

その遅さが、当時はちょうどよかったのです。

誰かが見ているかどうかも、わかりません。

書いたものが、暗いところへ落ちていく感じがありました。

その感じが、私は好きでした。

私は、そこでは K さんと呼ばれる人のことを覚えています。

K さんが最初に書いたのは、一月の終わりでした。

「二〇四五年から来たのだけれど。」

それだけの、一行でした。

そういう書き込みは、当時いくらでもありました。

未来から来たと名乗る人の話は、昔からあります(未来から来た青年と、携帯電話より前の記憶)。

たいていは、二日か三日で飽きて、いなくなります。

その年の冬だけでも、三人か四人はいました。

証拠を出せと言われると、みんな黙ります。

K さんも、そうなると思っていました。

みんな、面白がって質問をしました。

戦争は起きますか。

総理大臣は誰ですか。

空を飛ぶ車はありますか。

宝くじの番号を教えてください。

そういう質問が、三十ほど並びました。

私も、一つ書きました。

「二十年後、私はどこにいますか。」

その質問にも、返事はありませんでした。

あとから考えれば、答えられなかったのだと思います。

K さんは、そのどれにも答えませんでした。

答えるかわりに、こんなことを書きました。

「二月十九日、金沢駅の東口の時計が、三分遅れる。」

誰も、本気にしませんでした。

私も、そうでした。

駅の時計が三分遅れる。

予言というには、あまりに小さなことでした。

外れても、誰も確かめないでしょう。

当たっても、誰も驚かないでしょう。

そういう種類の書き込みでした。

駅前の時計の三分

二月十九日は、水曜日でした。

私は、その日の夕方、駅の東口を通りました。

思い出したのは、改札の手前まで来てからです。

見上げると、時計は五時二十七分を指していました。

私の腕時計は、五時三十分でした。

三分でした。

私は、その場で立ち止まりました。

まわりの人は、誰も気にしていません。

三分の遅れなど、誰も気づかないのです。

改札の駅員さんに、時計が遅れていませんか、と訊いてみました。

「そうですか」

そう言って、その人も見上げました。

「ほんとうだ。あとで直しておきます」

翌朝、時計は正しい時刻に戻っていました。

つまり、直されたのです。

K さんが書いたのは、直される前の一日だけのことでした。

その一日を、どうやって知ったのか。

私は、帰りのバスの中でずっとそれを考えていました。

気づくのは、そういう話を聞かされた人間だけでした。

その晩、私は掲示板に書きました。

「時計、本当に三分遅れていたのだけれど。」

K さんの返事は、簡単なものでした。

「そうか。」

それだけです。

喜びも、得意がる様子もありませんでした。

掲示板の何人かは、偶然だろうと書きました。

私も、半分はそう思っていました。

残りの半分が、何かおかしいと言っていました。

おかしいと思っても、誰に言うこともできません。

友人に話せば、笑われるだけです。

実際、一度だけ講義の帰りに話して、笑われました。

「お前、そういうの信じるタイプだったのか」

私は、信じてはいないと答えました。

信じてはいませんでした。

ただ、確かめずにはいられなかったのです。

そこからの二か月で、K さんは八つのことを書きました。

三月三日、片町のアーケードの照明が、一列だけ消える。

三月十一日、卯辰山のふもとの踏切の警報機が、片側だけ鳴らなくなる。

三月二十日、大学の正門前の桜が、去年より四日早く咲く。

四月二日、下宿の並びのクリーニング店が、臨時休業の札を出す。

四月九日、犀川の大橋のたもとの自販機が、一列だけ売り切れになる。

四月十四日、大学の生協のパンの値段が、十円上がる。

四月二十一日、片町の古本屋が、店先のワゴンを出さなくなる。

四月二十八日、下宿の階段の電球が切れる。

どれも、当たりました。

どれも、私の生活の範囲にあるものでした。

私が毎日通る道。

私が毎日使う店。

私が毎日上る階段。

掲示板の他の人たちは、金沢に住んでいませんでした。

だから、誰も確かめられません。

確かめられるのは、私だけでした。

そのことに気づいたのは、四月の終わりでした。

気づいてから、私は書き込みを全部さかのぼって読みました。

K さんが書いた場所は、ひとつ残らず、私の通る道の上にありました。

半径にすれば、一キロあるかないかです。

その円の外のことを、K さんは一度も書きませんでした。

隣の町のことも、県外のことも、ありません。

私が行かない場所は、K さんにとって存在しないのと同じでした。

そう考えたとき、私は自分の生活の狭さを、はじめて外から見た気がしました。

そのことに、私はしばらく気づきませんでした。

読点の打ち方

K さんが書くのは、いつも小さなことばかりでした。

世界のことも、日本のことも、一度も書きません。

掲示板の何人かは、それで興味を失っていきました。

面白い話が出てこないからです。

未来から来たという話は、大きくなければ続きません。

「未来から来たなら、もっとでかい話をしろよ」

そう書き込んだ人がいました。

K さんは、こう返しました。

「大きなことは、記録に残りすぎていて、わからないのだけれど。」

妙な返事でした。

残りすぎていると、わからない。

その言い方が、ずっと頭に残りました。

大きな出来事は、たくさんの人が書き残します。

たくさん残れば、食い違いも増えます。

食い違いが増えれば、どれが本当かわからなくなる。

そういう意味にも読めました。

けれど、それなら小さなことは、なぜわかるのでしょう。

私は当時、自分の日記サイトを持っていました。

テキストだけの、簡素なページです。

その日にあったことを、二百字か三百字、毎晩書いていました。

読んでいたのは、多くて一日に五人くらいです。

感想が来ることは、ほとんどありませんでした。

それでも、毎晩書いていました。

書かないと、その日が流れて消えてしまう気がしたのです。

内容は、たわいのないことばかりです。

食べたもの。買った本。見かけた猫。

たまに、講義の愚痴。

誰の役にも立たない文章でした。

いま読み返しても、そう思います。

私には、文の終わりを「〜のだけれど。」で止める癖がありました。

口の中でつぶやくような、あの止め方です。

友人に一度、それを笑われたことがあります。

「お前、全部それで終わるよな」

自分でも気づいていたので、直そうとして、直せませんでした。

断言するのが、怖かったのだと思います。

言い切らずに終われば、間違っていても引き返せます。

ある晩、私は K さんの書き込みを読み返していました。

そして、手が止まりました。

K さんの文章も、ほとんどが「〜のだけれど。」で終わっていたのです。

読点の位置まで、私の書き方と同じでした。

私は、五つの書き込みを紙に写しました。

自分の日記の文と、並べて見比べました。

似ているのではありません。

同じでした。

違っていたのは、書かれた日付だけです。

K さんの書き込みのほうが、いつも二日から三日、早いのです。

私は、その紙を折って、机の引き出しに入れました。

捨てられませんでした。

私は、画面を消して、しばらく暗い部屋に座っていました。

深夜の掲示板の主

次の晩、私は深夜の掲示板で、K さんに直接尋ねました。

「あなたは、私のページを読んでいますか。」

返事は、すぐに来ました。

「読んでいる。」

たった四文字でした。

私は、指が冷たくなるのを感じました。

私は、続けて訊きました。

「未来には、あのページが残っているんですか。」

少し間がありました。

「残っているのは、あれだけなのだけれど。」

その一行を、私は何度も読みました。

残っているのは、あれだけ。

私はそのとき、家に残っていた新聞の束を見ました。

紙は、何十年も持つはずです。

けれど、持つことと、残ることは違います。

残るかどうかを決めるのは、紙の丈夫さではありません。

誰かが持ち続けるかどうかです。

新聞の束は、その年の大掃除で出しました。

掲示板も、新聞も、写真も、何も残っていない。

二〇〇二年の金沢について、四十年あとの世界に残っている記録が、私の日記だけだという。

そんなことが、あるものでしょうか。

私は、もう一つだけ訊きました。

「そちらで、何かあったんですか。」

返事は、しばらく来ませんでした。

三十分ほど経ってから、一行だけ表示されました。

「訊かないでほしいのだけれど。」

私は、その晩は何も書き込めませんでした。

四月の半ばに、K さんは最後の書き込みをしました。

「予定していたところまで、読み終えたのだけれど。」

それきり、K さんは現れませんでした。

私は、一週間ほど毎晩つないで待ちました。

同じ時刻に、同じページを開きました。

書き込みは、増えませんでした。

十日目に、私は待つのをやめました。

やめた晩に、日記にはこう書いています。

「もう来ないのだろうけれど。」

掲示板は、その年の秋に閉じました。

数字だけが増えていく話も、同じ掲示板で読んだ覚えがあります(電話台の数字は増えていく)。

サーバーの費用が続かなくなったのだと、管理人が書いていました。

私は、日記サイトを二〇〇六年まで続けました。

就職して、更新が止まり、そのまま忘れました。

会社の寮に移るとき、下宿のものはほとんど捨てました。

パソコンだけ、実家に送ったのを覚えています。

送ったことも、長いあいだ忘れていました。

三十代の終わりに、私は実家の押入れから古いパソコンを出しました。

中に、その日記の全文が残っていました。

十六年ぶんのログ

私は、二〇〇二年の分を、上から順に読み返しました。

画面は、ずいぶん粗く見えました。

文字の並びだけは、そのまま残っていました。

自分の書いた文が、他人の文のように読めました。

文字の大きさを、当時のままにして読みました。

画面の端に、更新の時刻が残っていました。

どれも、深夜の一時から二時のあいだです。

二月十九日の欄には、こう書いてありました。

「駅の東口の時計が、三分遅れていたのだけれど。」

三月三日の欄には、アーケードの照明のこと。

三月十一日の欄には、踏切の警報機のこと。

四月二日の欄には、クリーニング店の札のこと。

八つとも、私が書いていました。

一つ残らず、日記の中にありました。

書いた覚えのないものは、ありませんでした。

そして、私は日付を並べてみました。

K さんが掲示板に書いた日付と、私が日記に書いた日付です。

二つは、ぴったり重なっていました。

けれど、出来事が起きた日とは、重なっていませんでした。

駅の時計も、そうでした。

遅れはじめたのが、いつからかはわかりません。

私が見上げたのが、十九日だっただけです。

アーケードの照明も、踏切も、同じでした。

私が気づいた日が、そのまま K さんの日付になっていました。

起きた日を、K さんは知らなかったのです。

アーケードの照明が消えたのは、三月一日です。

私がそれに気づいて日記に書いたのが、三月三日でした。

踏切の警報機も、同じでした。

鳴らなくなったのは、九日か十日です。

私が通りかかって書いたのが、十一日でした。

K さんの書いた日付は、出来事の日ではなく、私がそれを日記に書いた日でした。

K さんは、未来を見ていたのではありません。

私の日記に書いてあることだけが、K さんには見えていたのです。

だから、大きなことは書けませんでした。

私が書かなかったことは、K さんの世界には存在しないからです。

その冬、世界では大きなことがいくつも起きていました。

私は、そのどれも日記に書いていませんでした。

書いたのは、時計と、照明と、踏切と、パンの値段です。

二十歳の私が見ていた世界は、それくらいの大きさでした。

四十三年あとの誰かにとって、それがこの町の全部になった。

そう考えると、少し申し訳ない気持ちになります。

私は、その晩、古いパソコンの電源を落としました。

落としてから、もう一度つけました。

最後の更新の日付を、確かめたかったのです。

二〇〇六年の三月で、日記は止まっていました。

その先には、何もありません。

K さんが、予定していたところまで読み終えた、と書いた意味を考えました。

いまも、答えは出ていません。

ただ、私はあれから、日記をつけていません。

つけると、誰かに読まれる気がするのです。

四十三年あとの、静かな部屋で。

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