
今でも、私は自分から人数を数えない。
現場に着いても、何人いるかを口に出して確かめることはしない。
私の仕事では、ロープは二本と決まっている。
体重を預けるメインロープが一本。
万一のときに落下を止めるライフラインが一本。
それ以外の縄を屋上から下げることは、まずない。
それなのに、上で私を見ている相方は、代わる代わる同じことを言った。
三本目のロープが下りていた、と。
私には、一度も見えたことがない。
私はロープアクセスの作業員だ。
高い建物の外壁を、屋上から縄で下りながら点検したり、窓を洗ったりする。
ゴンドラの入らない形の建物が増えたので、この十年で仕事はむしろ増えた。
資格を取ったのが二十四のときで、今年で六年目になる。
体力のいる仕事だと言われるが、実際に必要なのは体力ではない。
毎日、同じ手順を同じ順番でやれること。
必要なのはそれだけだ。
去年の春から夏にかけて、私は中渡という地区の現場に入っていた。
市の南側の、川の内側にある低い土地だ。
昔はよく水があふれたと聞いている。
区画整理が終わったのは十年ほど前だ。
今は十三階建てのマンションが四棟並んでいる。
棟の名前には、中渡という字は使われていない。
分譲のパンフレットには、川の名前を取った横文字が並んでいた。
私たちの仕事は、その一棟目の外壁打診調査とガラス清掃だった。
工期は二か月と少し。
外壁の打診は、梅雨に入る前に終わらせたい仕事だ。
雨が続くと足場のない現場は止まる。
私たちは五月をあてにして段取りを組んだ。
ロープアクセスは二人一組が基本になる。
下りる人間と、屋上で見ている人間がいる。
上の人間は、ロープの流れとアンカーの状態を見て、無線で指示を出す。
下りている人間からは、自分の頭の上は見えない。
自分に何が掛かっているかを、自分では確認できない。
だから上の人間の言うことは、そのまま事実として扱う。
それがこの仕事の安全の基本だった。
班は七人だった。
下りる者が三人、上で見る者が三人、それに職長が一人。
朝と夕に人数を合わせ、合えばその日は正しく回っている。
合わなければ、何かを忘れている。
そういう決まりだった。
朝は八時に、屋上で点呼をする。
声に出して人数を数えるのは、職長の大西さんの役目だった。
大西さんは五十代の女性で、この会社でいちばん長くロープを触っている人だ。
私が入ってから、朝の点呼は一度では合わなくなった。
大西さんが数えると、決まって一人多く出る。
数え直すと合う。
私が遅れて来るからだと、私は思っていた。
背中を二度叩く手
大西さんには決まった癖があった。
下りる前の作業員の背中に回り、ハーネスの背面の金具を手のひらで二度叩く。
それから「行っていいよ」と言う。
金具の取り付けを確認しているのだと、私は思っていた。
背面のDリングは、自分では見えない位置にある。
理にかなった確認だった。
ただ、大西さんはその確認を、私にだけ丁寧にやった。
ほかの作業員には、目で見て終わりのことが多い。
私のときだけ、必ず手で二度叩く。
一度、理由を聞いたことがある。
大西さんは手を止めずに答えた。
「サカキくんは背中が広いから」
冗談だと思って笑った。
大西さんも笑っていた。
中渡の現場は、条件としては悪くなかった。
風が抜けにくい向きに建っていて、下降が安定する。
足元は全面が舗装で、資材の運搬も楽だった。
ただ、朝がやたらと静かだった。
川がすぐそこにあるのに、水の音がしない。
護岸が高くて、川面が見えないからだ。
昼になると生活の音が戻る。
朝の一時間だけ、音が抜け落ちたようになる。
屋上に上がると、風だけが耳の横を通る。
足元のコンクリートは、八時でもまだ冷たかった。
ロープを束から出すと、繊維のにおいがする。
新しいロープは、湿った麻のようなにおいがする。
最初のひと月は、何も起きなかった。
私は一日に四本から五本のラインを下ろした。
打診棒で壁を叩き、浮きのある場所を図面に写していく。
上には藤川という三十手前の男がついた。
藤川は口数が少なく、無線の受け答えが正確で、組む相手としては楽だった。
休憩のときも、藤川はあまり喋らない。
缶コーヒーを両手で持って、屋上の給水塔の影に座っている。
日陰から出てこない人だ、と私は思っていた。
異変というほどのことではない。
ただ藤川は、最初の週から下降の合図を出すのが少し遅かった。
私が「降ります」と言ってから、「どうぞ」が返るまでに、いつも二拍ほど間がある。
屋上で何かを数えているような間だった。
慎重な人なのだろうと思っていた。
連休が明けた最初の日に、藤川が屋上で私に聞いた。
「サカキさん、今日は何本下ろしますか」
四本です、と答えた。
藤川はそうですか、と言って少し黙った。
それからロープバッグを開けて、中を二度確認した。
バッグに入っているのは二本だけだ。
私はその場で見ていた。
藤川は二本を出して、アンカーに掛けた。
掛けてから、もう一度バッグの底に手を入れた。
底には何も残っていない。
藤川はバッグの口を閉じて、私に目で合図をした。
その日の三本目の下降のとき、無線の調子がおかしくなった。
誰も送信していないのに、受信のノイズが入る。
砂が流れるような音だった。
その中に、人の声が混ざった。
私を呼ぶ声だった。
ただし、呼ばれたのは私の名前ではない。
「ワタリさん」
そう聞こえた。
屋上にいるのは藤川ひとりで、藤川はそんな呼び方をしない。
私は壁に足をつけたまま、一度だけ上を見た。
逆光で、屋上の縁の形しか見えなかった。
ロープについた黒い土
地上に降りてから、無線機を点検した。
異常はなかった。
チャンネルも合っている。
藤川に聞くと、こちらからは何も送っていないと言う。
混信ということで、その日は終わった。
夕方、ロープを回収して巻くのは下の人間の仕事だ。
私はメインとライフラインの二本を、いつもの手順で巻いた。
巻きながら、手が止まった。
メインロープの、下端から三メートルほどのところに土がついていた。
乾いた黒い土で、指でこするとすぐに粉になった。
その日、ロープの下端は地面に着いていない。
私は着地の三十センチ手前でロックをかけ、そこから足を伸ばして降りる。
下端が地面に触れることはなかった。
中渡の地面は、そもそも黒くない。
造成のときに入れた山砂で、白っぽく乾いている。
黒い土は、この現場のどこにもなかった。
私は念のため、敷地を一周した。
植栽の土は赤い園芸用で、色が違う。
排水桝の底も見た。
溜まっていたのは砂だった。
黒い土の出どころは、どこにもない。
私はそれを藤川に見せた。
藤川はロープを見なかった。
私の背中を見ていた。
「それ、三本目のやつじゃないですか」
何の話か分からなかった。
藤川は、自分の言ったことに自分で驚いたような顔をした。
そのまま道具をまとめて帰った。
翌週、藤川は現場を外れた。
体調を崩したと聞かされた。
私は一度だけ電話をした。
出たのは藤川本人で、声は普通だった。
ただ、話しているあいだじゅう、うしろで水の音がしていた。
藤川の家は川から遠い。
何の音かと聞くと、藤川は少し黙って、風呂ですと答えた。
夕方の四時だった。
それきり、藤川からは何も来ていない。
班の誰も、藤川の話をしなくなった。
辞めた人間の話をしないのは、この業界では珍しいことではない。
代わりに上についたのは、小関という四十代の男だった。
小関は藤川と面識がない。
所属している班が違うし、入った時期も十年ずれている。
その小関が、三日目の朝に私に言った。
「サカキさん、ライフラインのほかに、もう一本掛けてます」
掛けていない、と答えた。
小関は屋上の縁から下を覗いて、しばらく黙っていた。
手すりの内側に足を掛けて、身を乗り出すような格好だった。
私は危ないですよ、と声をかけた。
小関は戻ってきて、ヘルメットのあごひもを締め直した。
それから、
「さっき、真ん中に一本下りてました」
と言った。
真ん中、という言い方が引っかかった。
私のロープは二本で、体の左右に分かれて下りる。
真ん中というのは、その二本のあいだのことだ。
そんな位置にアンカーはない。
屋上に上がって、アンカーの取り付けを全部確認した。
支点は二か所だけだった。
小関は、私が確認しているあいだ、私の背中から目を離さなかった。
三本目のロープを見た人
小関が現場を離れたのは、それから二週間後だ。
辞めるという話は聞いていなかった。
最後の日、小関は帰りぎわに私を呼び止めた。
「サカキさん、三本目のロープ、あれ誰のですか」
私のじゃないです、と答えた。
小関は、そうですよね、と言った。
それから、
「代わってやればよかったのかな」
と、独り言のように言って帰った。
意味が分からなかった。
分からないまま、私はそれを誰にも話さなかった。
話したところで、掛けていないロープの話にしかならない。
現場で、そういう話は嫌われる。
私は少し調べた。
仕事の合間に、市の図書館へ行った。
中渡という地名は、地図から消えて久しい。
今は町名が変わっていて、地番にだけ痕跡が残っている。
郷土資料の棚に、河川改修の記念誌があった。
昭和三十年代に出た、薄い本だ。
渡し場の写真が二枚載っていた。
一枚は岸から撮ったもので、もう一枚は舟の上からだ。
どちらもひどく粒子が粗い。
太い縄が川の上に張ってある。
写真の縄は、三本だった。
本文にはほとんど説明がない。
増水期の渡しについて、四行ほど書かれているだけだった。
その最後の一行が、こうだった。
「三本目は常に空とす」
それきり、何の注釈もない。
前後を何度も読み返した。
三本目が何のためのものかは、どこにも書かれていなかった。
司書に聞いてみた。
六十くらいの女性で、この土地の人だった。
記念誌を見て、ああこれ、と言った。
「中渡の渡しは、人が一本、荷が一本ですよ」
じゃあ真ん中は、と聞いた。
司書は少しだけ考えて、
「向こうから戻る人の分でしょう」
と言った。
その日はそれで終わった。
司書は、記念誌の奥付を指で押さえて言った。
「これ、編集した人がもう誰も残ってないんですよ」
聞ける人はいますか、と私は聞いた。
「中渡の人は、みんな高台に移りましたから」
それで話は終わった。
記念誌を借りて、現場の休憩所で読み返した。
写真の縄は、たしかに三本ある。
ただ、真ん中の一本だけ、たるみ方が違った。
両端の二本は荷の重さで弓なりに下がっている。
真ん中は、ほとんど水平だった。
何も掛かっていない縄の張り方だ。
その写真を、私は長いこと見ていた。
帰りの車の中で、気づいたことがある。
戻る人のために縄を空けておく、というのは分かる。
分からないのは、渡しがとうに無くなっていることだ。
縄はない。
川面も見えない。
それでも、空けておく場所だけは残るものなのか。
考えても仕方のないことだった。
私は次の日も屋上に上がった。
一分ずれた下降記録
ロープアクセスの現場では、下降のたびに時刻を記録する。
下りる人間が開始の時刻を言い、屋上の人間が着地の時刻を書き取る。
万一のとき、どこで何分経っているかを押さえるためだ。
紙は三枚つづりで、一枚は元請に出す。
だから書き直しはできない。
訂正は二重線と印だけと決まっている。
六月の頭に、その記録が合わなくなった。
私の腕時計と、屋上の記録が、いつも一分ずれる。
それだけならよくある話だ。
時計の誤差は毎日出る。
おかしかったのは、ずれ方が片側にしか出ないことだった。
屋上の記録のほうが、いつも一分長い。
短くなることは一度もなかった。
その週の金曜日に、新谷という若い作業員が記録係についた。
午前の作業が終わって、新谷が記録用紙を持ってきた。
「サカキさん、二本目、二回下りました」
下りていない、と答えた。
新谷は用紙を見せた。
私の名前の行が二行ある。
時刻が一分違いで並んでいた。
筆跡はどちらも新谷のものだった。
「書いた覚えがないです」
新谷はそう言った。
嘘をついている顔ではなかった。
私は用紙を預かって、事務所に持ち帰った。
過去の分を全部めくった。
一分のずれは、藤川がいた時期から始まっていた。
藤川の筆跡にも、二行になっている日が三日ある。
藤川は、そのことを一度も私に言わなかった。
二行になっている日を、藤川は訂正していない。
二重線もない。
そのまま元請に出している。
その夜、私は会社の作業員名簿を見た。
現場ごとに、その日入った人間の名前を並べる紙だ。
安全書類の一部で、元請に提出する。
中渡の名簿に、私の名前がある。
そのすぐ下に、知らない名前が一行あった。
入力の間違いだろうと思った。
翌月の名簿を見た。
同じ位置に、また知らない名前がある。
先月とは違う名前だった。
私は遡った。
私が中渡に入った月から、私の下の一行はずっと埋まっていた。
名前だけが、三か月ごとに入れ替わっていた。
どの名前も、この会社の人間ではない。
名字だけのものもあれば、名前まで入っているものもある。
共通しているのは、読み方が分からないことだった。
どの字も、この土地でよく見る字ではない。
私は総務に聞いた。
名簿は元請の様式に合わせて、事務の人が入力している。
入力しているのは一人だけだった。
その人に、この一行は何ですかと聞いた。
その人は画面を見て、少し黙った。
それから、
「サカキさんの分を打つと、勝手に一行増えるんです」
と言った。
直せないのか、と聞いた。
「消すと、次の月にまた出ます」
消したことがあるんですね、と私は言った。
その人は答えなかった。
屋上で聞いた話
七月の初めに、大西さんが私を屋上に呼んだ。
昼休みで、ほかに誰もいなかった。
大西さんは縁のところに座って、川のほうを見ていた。
護岸の上からでも、川面はぎりぎり見えない。
風の向きが変わると、水のにおいだけが上がってくる。
音のない川が、そこにあるのは分かる。
「藤川と小関、どっちも辞めたね」
辞めたんですか、と私は聞いた。
小関は別の現場に移ったと聞いていた。
大西さんは首を横に振った。
「うちの仕事は辞めたよ。二人とも」
私は黙った。
「サカキくん、あんた何も見えないだろう」
見えません、と答えた。
「それでいいんだ」
大西さんはそう言って、缶のお茶を開けた。
開けてから、一口も飲まなかった。
缶を足元に置いて、そのまま話し始めた。
それから、あまり順序立てずに話した。
大西さんは若いころ、この近くの解体現場に長くいたという。
中渡の護岸の工事も、最後のほうだけ見ている。
「渡しがあったころの話は、うちの親から聞いた」
三本目のロープのことですか、と私は聞いた。
大西さんは、私を見た。
「その言い方、誰から聞いた」
藤川と小関です、と答えた。
大西さんは少し笑って、そうかい、と言った。
「空けとく場所っていうのは、埋まりたがるんだよ」
それだけ言って、しばらく黙った。
「席を一つ空けておくと、必ず誰か座る」
座られたくなければ、と大西さんは続けた。
「はじめから椅子を出さないことだ」
私は椅子を出しているんですか、と聞いた。
「出しやすいんだろうね。体質だろ」
体質という言葉が、いちばん腑に落ちなかった。
血筋ですか、と聞いた。
大西さんは、さあね、と言った。
「あんたの生まれは、ここじゃないんだろ」
違います、と答えた。
「じゃあ関係ないさ」
関係ないのなら、なぜ私なのか。
そこは説明されなかった。
「見えない人は、座られても平気なんだ。重さも感じない」
じゃあ何が問題なんですか、と私は聞いた。
大西さんは川のほうを向いたまま答えた。
「見える人が、次に座る順番に入る」
私は、藤川の顔と小関の顔を順番に思い出した。
二人とも、私の上にいた人だ。
私を見ていた人だ。
「だから毎朝、落としてるんだよ」
背中ですか、と聞いた。
「そう。二回叩けば落ちる。うちの親もやってた」
理屈は、と聞きかけてやめた。
大西さんは、理屈を話す人ではなかった。
「落としても、また乗る。乗るたびに落とす」
それだけの話だ、と大西さんは言った。
そして立ち上がった。
「あんたが悪いんじゃないよ」
その言い方が、かえって耳に残った。
八月の第二週に、大西さんが入院した。
現場では何も聞かされなかった。
会社の掲示に、長期休養の一行が出ただけだ。
見舞いに行こうとしたが、面会はできないと言われた。
大西さんの最後の出勤は、その前の金曜日だった。
その日も、大西さんはいつも通りに点呼をした。
いつも通り、一人多く出た。
いつも通り、数え直した。
そして私の背中に回って、金具を手のひらで二度叩いた。
「行っていいよ」
それが、私が聞いた最後の言葉になった。
主任が数えた朝
翌週から、点呼は工事主任がやることになった。
主任は現場の管理で、ロープには触らない人だ。
月曜日の朝、主任が屋上で人数を数えた。
七人。
一度で合った。
主任は何も気にせず、その日の段取りを読み上げた。
私はその場に立っていた。
数え直しがない。
それだけのことだ。
それだけのことなのに、体が動かなかった。
ハーネスを着けるところまでは覚えている。
背面の金具を、自分の手で後ろに回して触った。
指の先に当たった。
冷たかった。
誰も叩かない。
新谷が私の横に来た。
「サカキさん、今日はいつもと違いますね」
何がです、と聞いた。
新谷は屋上の縁のほうを見ていた。
「いつも、あそこにもう一本あるんですよ」
今日は、と聞いた。
「ないです」
新谷はそれだけ言って作業に戻った。
私は、ないという言葉の意味をしばらく考えていた。
空いていた場所が、空いていない。
それだけの話だった。
その朝から、点呼の人数は一度で合うようになった。
大西さんの荷物は、九月に会社が引き取った。
道具箱の中に、A5のノートが一冊入っていた。
現場ごとの引き継ぎを書いたものだ。
私は、中渡のページを開いた。
作業員ごとに、注意事項が一行ずつ書いてある。
藤川の欄には「無線」とだけあった。
小関の欄には「下を見せない」。
新谷の欄は空いていた。
私の欄には、作業のことは何も書かれていなかった。
「朝、二回」
それだけだった。
筆圧が強く、ボールペンが裏まで抜けていた。
同じ四文字が、月をまたいで何度も書かれている。
ノートは会社の書庫に入った。
私は写真を撮らなかった。
撮る気にならなかった。
中渡の現場は、九月の半ばに終わった。
外壁の記録は問題なく上がり、検査も通った。
藤川とは、あれ以来話していない。
小関の連絡先は知らない。
新谷は今も同じ班にいる。
私は今も同じ仕事をしている。
ロープは二本だ。
それは変わらない。
朝の点呼で、私は自分から数えない。
数えなくても、人数は毎朝一度で合う。
合うようになってから、一年が経つ。
先週、新しい子が班に入った。
専門学校を出たばかりで、まだ一人では下りられない。
昨日、その子が私の後ろに回って、ハーネスの点検をした。
それから、少し困った顔で聞いた。
「サカキさん、三本目のロープって、どこに掛けるんですか」