これは、私の家に、代々語り継がれてきた話だ。
私の祖先は、北の山あいで、井戸掘りを生業にしていたという。
その土地には、火嶽(ひだけ)と呼ばれる、古い火山があった。
ふだんは静かな山だったが、ひとたび怒れば、麓の村々を、灰で覆い尽くした。
土地の者は、火嶽を、神として恐れ、敬っていた。
山には、決して足を踏み入れてはならぬ、深い場所がある。
そう、子どもの頃から、繰り返し聞かされて育つのだという。
私の家に伝わるこの話も、その戒めの一つなのだろう。
※
今から二百年あまり前のことだ。
火嶽が、突然、空を裂くような音とともに、噴火した。
噴煙は、天の高みまで立ちのぼったと伝わる。
流れ出た熱い泥は、ふもとの村を、わずかな間に飲み込んだ。
なかでも、山に最も近い、埋もり村という小さな集落は、ひとたまりもなかった。
村は、屋根のてっぺんまで、泥と灰に沈んだ。
逃げ遅れた者は、数えきれなかったという。
泥は、田を埋め、川をせき止め、家々の柱をなぎ倒した。
逃げる間もなく、母は子を抱いたまま、土に沈んだという。
夜が明けても、空からは、灰が雪のように降り続けた。
生き残った者たちは、変わり果てた土地を前に、ただ立ち尽くすしかなかった。
それでも、高台へ逃れた何人かは、かろうじて命をつないだ。
火嶽の噴煙は、その後も、幾月も、くすぶり続けた。
灰は、田畑を覆い、その年は、ろくな実りもなかった。
飢えと寒さで、生き延びた者も、また、次々と倒れていった。
埋もり村の名は、いつしか、口にするのも憚られるようになった。
あの土地には、近づくな。年寄りは、そう言って、子らを戒めた。
やがて噴火は、遠い昔の出来事として、人々の口の端にのぼるだけになった。
※
それから、長い歳月が流れた。
埋もり村のあったあたりも、いつしか、新しい畑に変わっていた。
ある夏のことだ。
私の祖先は、その畑のはずれで、井戸を掘る仕事を請け負った。
いくら掘っても、水の出る気配はなかった。
それでも、もう少し、もう少しと、土を掘り進めた。
その日は、朝から、妙に蒸し暑かった。
蝉の声も、なぜか、ぴたりとやんでいた。
掘り進むほどに、土が、ひんやりと冷たくなっていった。
井戸の底から、墓のような、冷気が立ちのぼってきた。
すると、鍬の先が、固いものに当たった。
掘り起こしてみると、土のなかから、古い瓦が出てきた。
こんな深いところに、瓦があるはずがなかった。
祖先は、額の汗をぬぐい、その瓦を、手に取った。
釉薬の色は、見たこともない、古い様式のものだった。
瓦は、長い年月を経て、もろくなっていた。
触れると、ぼろぼろと、指のあいだで崩れた。
祖先は、いやな予感がして、手を止めた。
だが、好奇心のほうが、勝ってしまった。
※
祖先は、不審に思いながら、穴を横へ広げた。
すると今度は、朽ちた屋根の一部が、姿を現した。
家が一軒、まるごと、この下に埋まっている。
そう気づいたとき、祖先の背を、冷たいものが伝った。
泥に沈んだ村のことは、祖先も、話には聞いていた。
だが、まさか、自分の鍬の先に、それが現れるとは思わなかった。
掘り出した屋根は、黒く朽ち、苔むしていた。
その下に、二百年前の暮らしが、そのまま埋もれているのだ。
ここは、二百年前に沈んだ、埋もり村の跡だったのだ。
祖先は、しばらく、鍬を握ったまま動けなかった。
そのときだった。
足元の、屋根の下から、かすかな音が聞こえた。
こつ、こつ、と、何かを叩くような音だった。
※
祖先は、耳を疑った。
二百年前に埋もれた家の下から、音がするはずがない。
だが、音は、確かに続いていた。
こつ、こつ、こつ。
音には、規則正しい、間があった。
誰かが、合図を送るように、叩いていた。
獣の音でも、水の音でも、決してなかった。
それは、内側から、助けを求めるような響きだった。
祖先は、恐ろしさをこらえ、屋根の板を、一枚、剥がした。
剥がした隙間から、生ぬるい風が、ふっと吹き上げてきた。
その風は、人の吐息のように、湿っていた。
まるで、穴の底で、何かが、ゆっくりと息をしているようだった。
土の匂いに混じって、古い酒の匂いがした。
その匂いは、奇妙に、生々しかった。
二百年も埋もれていたものから、こんな匂いが立つはずがない。
まるで、たった今まで、誰かが暮らしていたかのようだった。
祖先は、その穴を、おそるおそる覗き込んだ。
穴の奥は、墨を流したような闇だった。
その闇の冷たさが、顔に、はっきりと伝わってきた。
目を凝らしても、底は、まるで見えなかった。
※
穴の下には、家のような、暗い空間が広がっていた。
そして、その底のほうで、二人の人影が、うごめいていた。
暗くて、はじめは、人とは分からなかった。
布の塊が、もぞもぞと動いているように見えた。
だが、それは、確かに、二人の人間だった。
祖先は、思わず声をあげた。
「だ……誰か、おるのか」
人影は、ゆっくりと、こちらを見上げた。
二人とも、髪も髭も、白く伸びきった、年老いた者だった。
その目だけが、暗がりのなかで、ぬらりと光っていた。
肌は、土のように白く、血の気というものがなかった。
それでいて、二人とも、不思議と、しっかりとした足取りだった。
長く陽を見ていないはずの体には、見えなかった。
祖先は、その姿に、言いようのない違和感を覚えた。
祖先は、村の者を呼び、二人を、地上へ引き上げた。
縄をおろすと、二人は、慣れた手つきで、それにつかまった。
まるで、いつか引き上げられる日を、ずっと待っていたかのようだった。
その軽さに、引き上げた村人は、ぞっとした。
二人の体は、枯れ枝のように、軽かったのだ。
※
日の光の下に出た二人は、まぶしそうに、目を細めた。
そして、しわがれた声で、こう語りはじめた。
「火嶽が火を噴いたとき、わしらは、この蔵のなかに隠れたのじゃ」
「だが、逃げ出す間もなく、上から泥に、埋められてしまった」
「横へ掘って出ようにも、土は固く、どうにもならなかった」
「それで、ずっと、この下で、暮らしてきたのじゃ」
村の者は、誰もが、言葉を失った。
二人は、こう続けた。
「幸い、ここは蔵での。米も、酒も、たんとあった」
「それを、少しずつ食いつないで、生きてきたのじゃ」
「暗くて、昼も夜も、わからなんだ」
「腹が減れば、米をかじり、喉が渇けば、酒で潤した」
「眠っては起き、起きては眠り、それを、果てしなく繰り返した」
聞いている村の者の背に、寒気が走った。
光のない地の底で、二百年に思える歳月を、二人は耐えたのだ。
いや、本当に、耐えたと言えるのだろうか。
祖先には、二人が、苦しんだようには見えなかった。
むしろ、地の底での暮らしを、どこか懐かしんでいるようだった。
そのことが、何より、不気味だった。
※
祖先は、おそるおそる、尋ねた。
「いったい、何年、ここに、おられたのか」
二人は、顔を見合わせ、首をかしげた。
暗闇のなかで、月日の数えようなど、なかったのだろう。
村の古老が、噴火のあった年を、二人に告げた。
そして、今が何の年かを、教えた。
その差は、三十三年であった。
古老が告げると、二人は、ぽかんとした顔をした。
三十三年という言葉が、二人には、うまく飲み込めぬようだった。
「そんなに、経っておったのか」と、一人が、ぼそりと言った。
二人は、実に、三十三年もの間、地の底で暮らしていたのだ。
三十三年といえば、生まれた子が、親になるほどの年月だ。
その間ずっと、二人は、土の下にいた。
外では、村が焼け、人が生まれ、また死んでいった。
そのすべてを知らぬまま、二人だけが、時の止まった闇に取り残されていた。
村は、しんと静まり返った。
誰も、二人を、心から喜んで迎える気には、なれなかった。
三十三年。あまりに長い、空白の歳月だった。
二人を待っていた家族は、もう、この世にいなかった。
二人だけが、過ぎた時から、取り残されていた。
※
だが、話には、奇妙なところがあった。
古老が、村に伝わる記録を、調べたのだ。
あの蔵に逃げ込んだのは、六人だったと、記録にはあった。
逃げ込んだ六人の名は、一人ずつ、はっきりと書き残されていた。
夫婦と、その親、そして二人の子。六人で、一つの家族だった。
だが、生きて出てきたのは、二人。
「あとの四人は、どうなされた」と、古老は尋ねた。
二人は、しばらく黙ってから、ぽつりと答えた。
「四人は、暗いうちに、みな、死んでしもうた」
その声は、悲しむでもなく、ただ、淡々としていた。
「ひもじさに、一人、また一人と、息を引き取った」
「亡骸は、蔵の隅に、並べて寝かせた」
「だが、不思議とな、腐りもせなんだ」
「ずっと、眠っているように、そこにおった」
「だが、わしらは、寂しくはなかった」
その一言を聞いて、村の者は、互いの顔を見合わせた。
家族を四人も失い、暗闇に二人きり。
寂しくないはずが、なかった。
その言葉に、村の者は、首をかしげた。
四人の家族を、暗闇のなかで看取って、なお、寂しくない。
その意味を、誰も、はかりかねていた。
※
「寂しくなかった、とは、どういうことか」
古老が、重ねて尋ねた。
すると、二人は、揃って、にいと笑った。
白い髭の奥の、その笑みを見て、祖先は、ぞっとしたという。
三十三年ぶりに陽を見た者の、笑みではなかった。
もっと、別の、得体の知れぬものの、笑みだった。
歯の抜けた口の奥が、暗く、ぽっかりと開いていた。
「暗闇のなかに、もう一人、おったのじゃ」
「いつからか、わしらに、いろいろと、教えてくれてのう」
「水のありか、出口のありか、人の心のうちまで」
「あれが、おらなんだら、わしらは、とうに正気を失っておった」
二人は、懐かしむように、目を細めた。
「あれの声はな、低くて、やわらかくての」
「眠れぬ夜には、子守唄まで、歌うてくれた」
「顔は、ついぞ、見たことがない。いつも、暗い隅に、おったからの」
祖先は、その話を聞きながら、全身が粟立つのを感じた。
四人の亡骸が並ぶ、その暗い隅に、ずっと「何か」がいたのだ。
そして、その「何か」は、二人を、生かし続けた。
三十三年もの間、正気を保たせ、水のありかを教え。
まるで、二人を、手放したくないかのように。
いったい、何のために。
考えれば考えるほど、足元が、ぐらりと揺らぐ心地がした。
※
村の記録には、蔵に逃げ込んだのは、六人とだけあった。
七人目の名は、どこにもなかった。
蔵に入ったのは、確かに六人。
そのうち四人が死に、二人が生き残った。
勘定は、それで、合っている。
では、二人に水のありかを教え、子守唄を歌ったという「もう一人」は、誰なのか。
古老は、それ以上、問うのを、やめた。
問えば、聞いてはならぬ答えが、返ってくる気がしたからだ。
その「もう一人」が、何者であったのか。
二人は、最後まで、語らなかった。
ただ、引き上げられたその日から、二人は、夜になると、こう呟くようになった。
はじめのうち、二人は、村の片隅の小屋で、世話を受けて暮らした。
村人は、二人を、生き神のように敬い、米や着物を運んだ。
だが、二人は、明るい場所を、ひどく嫌った。
昼のあいだは、雨戸を閉め切り、薄暗い部屋の隅で、じっとうずくまっていた。
そして、夜が更けると、決まって、戸口のほうへ顔を向けた。
まるで、誰かに、呼ばれているかのようだった。
運ばれた米には、ほとんど手をつけなかった。
二人が口にするのは、決まって、酒だけだった。
「米は、下に、たんとあるでな」と、二人は言った。
「そろそろ、下へ、帰らねば」
二人は、申し合わせたように、同じ言葉を、繰り返した。
「あれが、待っておる」
「わしらが、おらぬと、あれが、寂しがる」
その声は、地の底から響いてくるように、低く、うつろだった。
そして、ある朝。
二人の姿は、村から、忽然と消えていた。
井戸の穴の底には、二人の履物だけが、きちんと揃えて、残されていたという。
穴の縁には、二人が降りていった跡が、はっきりと残っていた。
だが、いくら底を探っても、二人の姿は、どこにもなかった。
あれほど固かった土の壁に、横へ続く、小さな穴が、ぽっかりと開いていた。
その奥は、どこまでも、深く、暗く続いていた。
二人は、その穴を通って、地の底へ、戻っていったのだ。
あの、待っているという「あれ」の、もとへ。
松明をかざしても、底の見えぬ闇が、口を開けているばかりだった。
その闇の奥から、かすかに、酒の匂いが、流れてきた。
あの、蔵の酒と、同じ匂いだった。
二人は、確かに、その奥へ、帰っていったのだ。
村人は、誰一人、その穴へ入ろうとはしなかった。
入れば、二度と戻れぬと、皆が、本能で悟っていた。
結局、その穴は、大きな石で、固く塞がれた。
穴の奥からは、その後も、ときおり、こつ、こつ、という音が、聞こえたそうだ。
祖先は、その井戸を、二度と掘り返さなかった。
そして、子に、孫に、こう言い遺した。
掘り当てた水も、ついに、湧くことはなかった。
あの土地の井戸は、水ではなく、別の何かに、通じていたのだろう。
祖先は、それから、井戸掘りの仕事を、やめてしまった。
あの土地の、深いところは、決して掘ってはならぬ、と。
今、その畑のあった場所には、小さな祠が建っている。
祠の前には、決して掘り返してはならぬという、古い立て札がある。
私は、子どもの頃、一度だけ、その祠に近づいたことがある。
耳を澄ますと、地の底から、かすかに、こつ、こつ、と聞こえた気がした。
あれが、風の音だったのか、今でも、わからない。
音は、規則正しく、こつ、こつ、と続いていた。
まるで、誰かが、出してくれと、合図を送るように。
ただ、二度と、あの場所には、近づいていない。
地の底には、人の知らぬものが、棲んでいる。
そして、それは、誰かが訪れるのを、今も、静かに待っている。
私は、そう信じている。