タグ: 体験談

無人駅の戸の下の隙間

魚沼の柄沢という谷にあった無人駅の便所は、戸の下が五寸だけ空けてありました。除雪の帰りに立ち寄った晩、その隙間から横に並んだ二つの目にじっと見られた男が、三十年…

雪の前に立てる一本の竹

秋田・阿仁川の上流にある笛内という集落では、雪が降る前に、一軒につき一本だけ竹を立てるのだそうです。三十年前のテレビで、その場面だけ音が消えていた理由と、抜いた…

お婆さんの願い

夜道で細く開いた戸から手招きされ、お婆さんに差し出されたのは薄黄色の細い蝋燭でした。愛媛・内子の木蝋の町に残る、蝋燭を置いて次へ回すという作法。断ったはずの掌に…

キミアキは家を言わない

敦賀の中学の二年一組には、四月から机が一つ多く並んでいました。苗字のない同級生キミアキは、班にも体育祭のアンカーにもいたのに、記録用紙の欄だけが空いています。卒…

ケンムン

奄美大島で測量の仕事をする私は、山で一晩明かすことになり、祖父から伝わる作法どおり地面に円を描きました。翌朝、円の外側だけが乾いていた理由と、祖父の野帳に残る丸…

お化け煙突

盆地の独身寮に転勤してきた同僚は、窓から煙突が見えると言って四週間ごとに部屋を替えていました。彼の郷里に残る煉瓦の煙突と、その根元に縦に彫られていた名前の列。二…

笑い袋

下関の坂の駄菓子屋の二階から、古い笑い袋が出てきました。中の機械には電池が一本も入っていないのに、階段の下から低い笑い声が聞こえてきたのです。必ず笑い返さねばな…

クシャクシャ

大阪の小さな製本所で夜業をしていた十九の秋、誰もいない裁ち場から紙を揉む音が聞こえるようになりました。丸めた紙を放っておいてはいけないという親方の決まりごと。そ…

番号の飛んだフィルム

那須野が原の写真館を継いだ年、疏水の改修を撮ったフィルムのコマ番号がひとつだけ飛んでいました。景色がつながるように並べ直した晩、庭の外にあったのは石積みの水路と…