
平成のはじめごろ、私は那須野が原の開拓集落で、祖父の写真館を継いだばかりだった。
継いだといっても、客は七五三と免許の証明写真くらいのものだ。
仕事の半分は、暗室で人の家のフィルムを現像することだった。
祖父の代からの得意先が、まだ何軒か残っていた。
運動会と、法事と、旅行。
人の家の一年が、月に何本かずつ、箱に入って届く。
それを暗室で液に浸けていると、他人の家の時間を先に見ている気分になった。
祖父は、その仕事をいちばん大事にしていた。
「よその家の時間を預かっとるんだから、遅れるな」
それが口癖だった。
※
その土地は、明治のころに水を引いて拓かれた場所だ。
扇状地なので、水は放っておくと地下に消えてしまう。
だから疏水が、放射状に何本も通っている。
用水路というより、まっすぐな細い川だ。
雪解けのころになると、その水は白く濁って、音が変わる。
祖父はその時期になると、決まって同じことを言った。
「疏水の水は、撮ってもええ」
「けんど、撮った日は、日の暮れるまでに現像を終いにしろ」
※
子供のころは、意味のない縁起かつぎだと思っていた。
祖父は縁起をかつぐ人ではなかった。
神棚もなければ、暦も見ない。
それなのに、その一点だけは頑固だった。
一度、修学旅行の写真を翌日に回そうとしたことがある。
疏水を撮った日ではなかったのに、祖父はひどく怒った。
「今日撮ったもんは、今日のうちだ」
「明日になると、今日じゃなくなる」
当たり前のことを言っているようで、意味がずれている気がした。
そのときは、そう思っただけだった。
もうひとつ、店の帳面に妙な決まりがあった。
現像しないまま日をまたいだフィルムは、通し番号をひとつ飛ばして書く。
「なんで飛ばすの」
「飛んだぶんは、こっちの仕事じゃないからだ」
意味がわからないまま、私は帳面のつけ方だけを覚えた。
帳面は和綴じで、表紙に「受」とだけ書いてある。
明治の終わりから続いていた。
曾祖父の字、祖父の字、そして私の字が、同じ罫の中に並んでいる。
通し番号は、開業からの通算だ。
私が継いだとき、番号は四万を超えていた。
※
祖父が亡くなって二年目の、四月のことだった。
集落の水利組合から、疏水の改修の記録写真を頼まれた。
堰の付け替えで、古い木の樋を落として、コンクリートにするという。
三日間、朝から夕方まで、私は水路沿いを歩いて撮った。
組合長は、七十を過ぎた人だった。
現場に毎日来て、私の後ろに立っていた。
何も言わない。
三日目の昼、はじめて口をきいた。
「あんた、じいさんに似てきたな」
「そうですか」
「撮る前に、いっぺん水を見るとこがな」
言われて、はじめて自分の癖に気づいた。
シャッターを切る前に、必ず水面を見てから構えている。
祖父の後ろで、子供のころから見ていたのだと思う。
雪解けの水が、白く濁って流れていた。
三日目の夕方、撮り終えたときには、もう日が傾いていた。
暗室に入ったのは、六時を過ぎてからだった。
組合長には、撮り終えたその日に上げると言ってあった。
堰の付け替えは、水を止められる日が限られている。
記録は工事の進み具合と一緒に出さないと意味がない。
だから、急いだ。
急いだというのは、言い訳だ。
祖父の言いつけを、私はそのとき思い出しもしなかった。
※
現像液は、いつもより温度が高かった。
四月にしては暖かい日で、暗室の中がこもっていた。
温度計は二十二度を指していた。
適温より一度高い。
時間を短くして調整するのが常だが、その日はなぜか、そのまま漬けた。
あとで思い返しても、なぜそうしたのかがわからない。
※
はじめの違和感は、音だった。
暗室のタイマーは、秒針の音が大きい。
カチ、カチ、と鳴る。
その音に、水の音が混じっていた。
暗室は母屋の北側の、窓のない三畳ほどの部屋だ。
外の疏水からは、五十メートル以上離れている。
戸を開けたら、水の音は聞こえなかった。
閉めると、また聞こえた。
戸の開け閉めを、私は五回か六回繰り返した。
閉めると水音、開けると無音。
そのうち、音が近づいてきた。
最初は壁の向こうだったのが、足元から聞こえるようになった。
床は土間にコンクリートを打っただけだ。
下に水は通っていない。
「配管かな」
声に出してみたが、うちの水道は止めてあった。
※
次に気づいたのは、コマ番号だった。
三十六枚撮りのフィルムを現像して、乾かして、ライトボックスに並べた。
ネガの縁には、コマ番号が焼き込まれている。
1、2、3と続いて、17の次が19になっていた。
18がない。
欠けているのではない。
番号が飛んでいるのに、コマは詰まっている。
つまり、フィルム自体に18という数字が最初から刻まれていない。
私はメーカーの不良だと思って、そのまま作業を続けた。
念のため、未使用のフィルムを一本開けて、パトローネから引き出してみた。
番号は、1から36まで抜けなく刻まれていた。
当たり前だ。
番号は、フィルムを作る段階で全部同じように焼き込まれる。
一本だけ十八が抜けるということは、工程上ありえない。
それがわかったのは、次の日だった。
※
次の日、二本目を現像した。
やはり、飛んでいた。
今度は、9の次が11だった。
三本目は、24の次が26。
三本とも、違う番号が飛んでいる。
不良品なら、同じ位置で飛ぶはずだ。
その晩、私は祖父の帳面を出してきた。
飛び番の決まりを書いた、あの帳面だ。
昭和三十年代のところを繰っていくと、通し番号が飛んでいる箇所が三つあった。
どれも、三月から四月の欄だった。
雪解けの時期だ。
飛んだ番号の隣には、日付と天気だけが書いてある。
「三月三十日 晴」
「四月四日 晴」
「四月十一日 晴」
三回とも、晴れていた。
雪解けの晴れた日は、この土地では水が最も濁る。
※
三つ目の飛び番の横に、祖父の字で短い書き込みがあった。
「並べ直さぬこと」
それだけだった。
何を並べ直すのか、そこには書いていない。
私はライトボックスの前に戻って、ネガを見た。
三本のフィルムの、飛び番の前後のコマ。
それらが、どうにも見覚えのない景色を写していた。
※
改修現場は、堰から下流に向かって三百メートルほどの範囲だ。
私はその区間を、三日間で何十回も往復した。
どこに何があるかは、目をつぶっても言える。
だが、そのコマには、私の知らない橋が写っていた。
石を積んだ、低い橋だ。
欄干がなく、水面すれすれにかかっている。
あの区間に、石橋はない。
念のため、翌朝もう一度、現場へ行った。
堰から下流へ、歩測で三百歩。
コンクリートの護岸が続いているだけだった。
ただ、二十間ほど下ったところで、護岸の色が変わっていた。
継ぎ足した跡だ。
その幅が、ネガの石橋の幅と、だいたい同じだった。
※
私は、やってしまった。
三本のネガから、飛び番の前後のコマだけを切り出して、ライトボックスの上に並べたのだ。
順番は、番号どおりではない。
景色がつながるように並べた。
左から右へ、水の流れる向きに合わせて。
九枚並べたところで、一枚の細長い景色になった。
石橋があって、その向こうに堰があって、堰の上に、人が三人立っていた。
※
三人とも、こちらを向いていない。
背中しか写っていない。
服の色はわからない。
白黒のネガだからだ。
だが、三人の影が、おかしかった。
影の長さも、三人ともまったく同じだった。
背丈は違うのに、影だけが揃っている。
ルーペで何度も見た。
見るたびに、確かめたいことが増えて、確かめられることが減った。
三人とも、影が足元から真下に落ちている。
真上から光が当たっているということだ。
私が撮ったのは、夕方だった。
※
そこで、玄関の戸が鳴った。
暗室を出て、母屋の廊下を歩いた。
戸を開けたら、外が明るかった。
時計は、七時半を回っていた。
四月の七時半に、あの明るさはない。
空は、赤に近い桃色をしていた。
雲はなかった。
太陽の位置を探したが、見つからない。
見つからないのに、空全体が明るい。
※
庭に出た。
庭のはずの場所に、庭はなかった。
石を並べた小道があって、その先に、水路が通っていた。
うちの前の疏水は、コンクリートの三面張りだ。
目の前の水路は、石積みだった。
水は、墨を流したように黒かった。
流れているのに、音がしない。
匂いもなかった。
雪解けの水は、鉄と土の匂いがするものだ。
風もなかった。
葦が生えているのに、一本も動いていなかった。
鳥の声もしない。
音がしていたのは、自分の靴が石を踏む音だけだった。
私は、なぜか怖くなかった。
あとから思えば、それがいちばん怖い。
※
水路に沿って、下流へ歩いた。
歩いた理由は、覚えていない。
しばらく行くと、あの石橋があった。
ネガで見たとおりの、欄干のない低い橋だ。
橋の手前に、男が三人しゃがんでいた。
水路に手を入れて、何かをしている。
泥をさらっているようにも、洗っているようにも見えた。
三人とも、木綿の作業着で、頭に手ぬぐいを巻いていた。
手ぬぐいの巻き方が、三人とも同じだった。
後ろで結ばずに、額のところで折り込む巻き方だ。
祖父の若いころの写真で、同じ巻き方を見たことがある。
戦前の、この土地の人の巻き方だと聞いていた。
※
近づくと、いちばん手前の男が顔を上げた。
日に焼けた、五十くらいの男だった。
目が合った。
男は驚かなかった。
「あんた、写真屋か」
「はい」
「ほんなら、上げてもらえ」
意味がわからなかった。
「何をですか」
男は答えずに、また水路に手を戻した。
※
二人目の男が、手を止めずに言った。
「日が落ちんうちに帰らんと」
私は空を見た。
太陽は、やはり見つからない。
「日って、どこにあるんですか」
三人が、一斉に手を止めた。
それが、いちばん背筋の冷えた瞬間だった。
三人とも、私の顔を見なかった。
見ないまま、いちばん奥の男が言った。
「沈まんのよ」
「沈まんから、隠れるとこがない」
※
手前の男が、水路の中から何かを持ち上げた。
泥のかたまりに見えた。
それを、私のほうへ差し出した。
私は受け取らなかった。
男は困った顔をして、それを水に戻した。
それから、上流のほうを指さした。
「戻れ」
「早う」
私は走った。
走っている間、足音がしなかった。
石を踏んでいるのに、何も鳴らない。
来るときには鳴っていた。
それに気づいて、私はもっと速く走った。
※
走りながら、一度だけ振り返った。
三人は、もう水路のほうを向いていた。
その向こうの空が、さっきより明るくなっていた。
明るいというより、近い。
空全体が、少しずつこちらへ下りてきているように見えた。
石の小道を駆け上がって、庭の切れ目のようなところを抜けた。
抜けた先は、うちの縁側だった。
※
時計は、七時三十二分だった。
外は、四月の夕方らしく暗くなりかけていた。
疏水は、いつもどおりコンクリートの三面張りだった。
暗室に戻った。
ライトボックスの上に並べた九枚は、そのままだった。
だが、景色がつながっていなかった。
ただの九枚の、ばらばらのコマに戻っていた。
石橋も、三人も、写っていない。
念のため、九枚をもう一度、番号どおりに並べ直した。
何度並べても、二度と景色はつながらなかった。
翌週、同じ場所を同じ時刻に撮り直した。
現像したフィルムの番号は、抜けていなかった。
1から36まで、きちんと揃っていた。
※
翌日、集落のいちばん古い家に、疏水の話を聞きに行った。
九十を過ぎたご主人が、縁側で答えてくれた。
石橋の話をすると、うなずいた。
「あったよ」
「昭和のはじめまではな」
「今の堰の、二十間ばかり下じゃ」
「落としたんですか」
「流れた」
「いつですか」
「わしが子供のときじゃ」
「昭和のなんぼだったかな」
ご主人は、湯呑みを両手で持ったまま、庭のほうを見ていた。
「あのとき、橋の上に人が乗っとったよ」
「何人ですか」
ご主人は答えなかった。
答えないまま、湯呑みの茶をすすった。
それきり、その話はしなかった。
帰りぎわ、私は玄関で靴を履きながら、もうひとつ訊いた。
「石橋のあった辺りだけ、護岸の色が違うんですが」
ご主人は上がり框に座ったまま答えた。
「あそこはな、何遍打ち直しても、色が合わんのじゃ」
「なんでですか」
「知らん」
「組合の人は、材が違うからじゃ言うとる」
「同じ材でやったときも、合わんかったがな」
帰りぎわ、ご主人が背中に向かって言った。
「あんたのじいさんも、いっぺん来たわ」
「同じこと訊いてったよ」
※
祖父の帳面を、最初から最後まで読み直した。
飛び番は、生涯で三回だけだった。
三回とも、書き込みは同じだった。
「並べ直さぬこと」
三回目の飛び番の日付は、祖父が写真館を継いだ年の四月だ。
つまり祖父は、一度だけ並べ直して、それから五十年、二度としなかったということになる。
帳面の最後の頁に、もう一行だけあった。
「上げるものを持たぬこと」
あの男が差し出した泥のかたまりを、私は受け取らなかった。
受け取っていたら、どうなっていたのかは、書かれていない。
※
あれから三十年が過ぎた。
写真館は、七年前に畳んだ。
暗室の道具はほとんど捨てたが、ライトボックスだけは物置にある。
疏水は、去年また改修された。
今度は蓋がされて、上が農道になった。
水は見えないが、音はする。
※
去年の四月、私は蓋のされた疏水の上を歩いた。
雪解けの水の音が、足の下でしていた。
歩きながら、空を見た。
日は、ちゃんと西に傾いていた。
それを確かめている自分に気づいて、少し笑った。
笑ってから、足を止めた。
影が、真下に落ちていた。
顔を上げても、太陽は西にある。
私はもう、走らなかった。
※
そのあと、私は蓋の上をゆっくり歩いて、家まで帰った。
影は、途中の電柱のところで、元に戻っていた。
戻ったところで、何かが解決したわけではない。
帳面は、まだ物置にある。
通し番号は、私の代で止まったままだ。
最後の一行は、七年前に自分で書いた。
日付と、天気と、それだけだ。
番号は、書かなかった。
書かなかったのが正しいのかどうかは、今もわからない。
ただ、四月の晴れた日は、いまだに現像の夢を見る。
液の中で、コマがひとつずつ浮き上がってくる。
数えると、いつも一枚多い。