番号の飛んだフィルム

番号の飛んだフィルム

平成のはじめごろ、私は那須野が原の開拓集落で、祖父の写真館を継いだばかりだった。

継いだといっても、客は七五三と免許の証明写真くらいのものだ。

仕事の半分は、暗室で人の家のフィルムを現像することだった。

祖父の代からの得意先が、まだ何軒か残っていた。

運動会と、法事と、旅行。

人の家の一年が、月に何本かずつ、箱に入って届く。

それを暗室で液に浸けていると、他人の家の時間を先に見ている気分になった。

祖父は、その仕事をいちばん大事にしていた。

「よその家の時間を預かっとるんだから、遅れるな」

それが口癖だった。

その土地は、明治のころに水を引いて拓かれた場所だ。

扇状地なので、水は放っておくと地下に消えてしまう。

だから疏水が、放射状に何本も通っている。

用水路というより、まっすぐな細い川だ。

雪解けのころになると、その水は白く濁って、音が変わる。

祖父はその時期になると、決まって同じことを言った。

「疏水の水は、撮ってもええ」

「けんど、撮った日は、日の暮れるまでに現像を終いにしろ」

子供のころは、意味のない縁起かつぎだと思っていた。

祖父は縁起をかつぐ人ではなかった。

神棚もなければ、暦も見ない。

それなのに、その一点だけは頑固だった。

一度、修学旅行の写真を翌日に回そうとしたことがある。

疏水を撮った日ではなかったのに、祖父はひどく怒った。

「今日撮ったもんは、今日のうちだ」

「明日になると、今日じゃなくなる」

当たり前のことを言っているようで、意味がずれている気がした。

そのときは、そう思っただけだった。

もうひとつ、店の帳面に妙な決まりがあった。

現像しないまま日をまたいだフィルムは、通し番号をひとつ飛ばして書く。

「なんで飛ばすの」

「飛んだぶんは、こっちの仕事じゃないからだ」

意味がわからないまま、私は帳面のつけ方だけを覚えた。

帳面は和綴じで、表紙に「受」とだけ書いてある。

明治の終わりから続いていた。

曾祖父の字、祖父の字、そして私の字が、同じ罫の中に並んでいる。

通し番号は、開業からの通算だ。

私が継いだとき、番号は四万を超えていた。

祖父が亡くなって二年目の、四月のことだった。

集落の水利組合から、疏水の改修の記録写真を頼まれた。

堰の付け替えで、古い木の樋を落として、コンクリートにするという。

三日間、朝から夕方まで、私は水路沿いを歩いて撮った。

組合長は、七十を過ぎた人だった。

現場に毎日来て、私の後ろに立っていた。

何も言わない。

三日目の昼、はじめて口をきいた。

「あんた、じいさんに似てきたな」

「そうですか」

「撮る前に、いっぺん水を見るとこがな」

言われて、はじめて自分の癖に気づいた。

シャッターを切る前に、必ず水面を見てから構えている。

祖父の後ろで、子供のころから見ていたのだと思う。

雪解けの水が、白く濁って流れていた。

三日目の夕方、撮り終えたときには、もう日が傾いていた。

暗室に入ったのは、六時を過ぎてからだった。

組合長には、撮り終えたその日に上げると言ってあった。

堰の付け替えは、水を止められる日が限られている。

記録は工事の進み具合と一緒に出さないと意味がない。

だから、急いだ。

急いだというのは、言い訳だ。

祖父の言いつけを、私はそのとき思い出しもしなかった。

現像液は、いつもより温度が高かった。

四月にしては暖かい日で、暗室の中がこもっていた。

温度計は二十二度を指していた。

適温より一度高い。

時間を短くして調整するのが常だが、その日はなぜか、そのまま漬けた。

あとで思い返しても、なぜそうしたのかがわからない。

はじめの違和感は、音だった。

暗室のタイマーは、秒針の音が大きい。

カチ、カチ、と鳴る。

その音に、水の音が混じっていた。

暗室は母屋の北側の、窓のない三畳ほどの部屋だ。

外の疏水からは、五十メートル以上離れている。

戸を開けたら、水の音は聞こえなかった。

閉めると、また聞こえた。

戸の開け閉めを、私は五回か六回繰り返した。

閉めると水音、開けると無音。

そのうち、音が近づいてきた。

最初は壁の向こうだったのが、足元から聞こえるようになった。

床は土間にコンクリートを打っただけだ。

下に水は通っていない。

「配管かな」

声に出してみたが、うちの水道は止めてあった。

次に気づいたのは、コマ番号だった。

三十六枚撮りのフィルムを現像して、乾かして、ライトボックスに並べた。

ネガの縁には、コマ番号が焼き込まれている。

1、2、3と続いて、17の次が19になっていた。

18がない。

欠けているのではない。

番号が飛んでいるのに、コマは詰まっている。

つまり、フィルム自体に18という数字が最初から刻まれていない。

私はメーカーの不良だと思って、そのまま作業を続けた。

念のため、未使用のフィルムを一本開けて、パトローネから引き出してみた。

番号は、1から36まで抜けなく刻まれていた。

当たり前だ。

番号は、フィルムを作る段階で全部同じように焼き込まれる。

一本だけ十八が抜けるということは、工程上ありえない。

それがわかったのは、次の日だった。

次の日、二本目を現像した。

やはり、飛んでいた。

今度は、9の次が11だった。

三本目は、24の次が26。

三本とも、違う番号が飛んでいる。

不良品なら、同じ位置で飛ぶはずだ。

その晩、私は祖父の帳面を出してきた。

飛び番の決まりを書いた、あの帳面だ。

昭和三十年代のところを繰っていくと、通し番号が飛んでいる箇所が三つあった。

どれも、三月から四月の欄だった。

雪解けの時期だ。

飛んだ番号の隣には、日付と天気だけが書いてある。

「三月三十日 晴」

「四月四日 晴」

「四月十一日 晴」

三回とも、晴れていた。

雪解けの晴れた日は、この土地では水が最も濁る。

三つ目の飛び番の横に、祖父の字で短い書き込みがあった。

「並べ直さぬこと」

それだけだった。

何を並べ直すのか、そこには書いていない。

私はライトボックスの前に戻って、ネガを見た。

三本のフィルムの、飛び番の前後のコマ。

それらが、どうにも見覚えのない景色を写していた。

改修現場は、堰から下流に向かって三百メートルほどの範囲だ。

私はその区間を、三日間で何十回も往復した。

どこに何があるかは、目をつぶっても言える。

だが、そのコマには、私の知らない橋が写っていた。

石を積んだ、低い橋だ。

欄干がなく、水面すれすれにかかっている。

あの区間に、石橋はない。

念のため、翌朝もう一度、現場へ行った。

堰から下流へ、歩測で三百歩。

コンクリートの護岸が続いているだけだった。

ただ、二十間ほど下ったところで、護岸の色が変わっていた。

継ぎ足した跡だ。

その幅が、ネガの石橋の幅と、だいたい同じだった。

私は、やってしまった。

三本のネガから、飛び番の前後のコマだけを切り出して、ライトボックスの上に並べたのだ。

順番は、番号どおりではない。

景色がつながるように並べた。

左から右へ、水の流れる向きに合わせて。

九枚並べたところで、一枚の細長い景色になった。

石橋があって、その向こうに堰があって、堰の上に、人が三人立っていた。

三人とも、こちらを向いていない。

背中しか写っていない。

服の色はわからない。

白黒のネガだからだ。

だが、三人の影が、おかしかった。

影の長さも、三人ともまったく同じだった。

背丈は違うのに、影だけが揃っている。

ルーペで何度も見た。

見るたびに、確かめたいことが増えて、確かめられることが減った。

三人とも、影が足元から真下に落ちている。

真上から光が当たっているということだ。

私が撮ったのは、夕方だった。

そこで、玄関の戸が鳴った。

暗室を出て、母屋の廊下を歩いた。

戸を開けたら、外が明るかった。

時計は、七時半を回っていた。

四月の七時半に、あの明るさはない。

空は、赤に近い桃色をしていた。

雲はなかった。

太陽の位置を探したが、見つからない。

見つからないのに、空全体が明るい。

庭に出た。

庭のはずの場所に、庭はなかった。

石を並べた小道があって、その先に、水路が通っていた。

うちの前の疏水は、コンクリートの三面張りだ。

目の前の水路は、石積みだった。

水は、墨を流したように黒かった。

流れているのに、音がしない。

匂いもなかった。

雪解けの水は、鉄と土の匂いがするものだ。

風もなかった。

葦が生えているのに、一本も動いていなかった。

鳥の声もしない。

音がしていたのは、自分の靴が石を踏む音だけだった。

私は、なぜか怖くなかった。

あとから思えば、それがいちばん怖い。

水路に沿って、下流へ歩いた。

歩いた理由は、覚えていない。

しばらく行くと、あの石橋があった。

ネガで見たとおりの、欄干のない低い橋だ。

橋の手前に、男が三人しゃがんでいた。

水路に手を入れて、何かをしている。

泥をさらっているようにも、洗っているようにも見えた。

三人とも、木綿の作業着で、頭に手ぬぐいを巻いていた。

手ぬぐいの巻き方が、三人とも同じだった。

後ろで結ばずに、額のところで折り込む巻き方だ。

祖父の若いころの写真で、同じ巻き方を見たことがある。

戦前の、この土地の人の巻き方だと聞いていた。

近づくと、いちばん手前の男が顔を上げた。

日に焼けた、五十くらいの男だった。

目が合った。

男は驚かなかった。

「あんた、写真屋か」

「はい」

「ほんなら、上げてもらえ」

意味がわからなかった。

「何をですか」

男は答えずに、また水路に手を戻した。

二人目の男が、手を止めずに言った。

「日が落ちんうちに帰らんと」

私は空を見た。

太陽は、やはり見つからない。

「日って、どこにあるんですか」

三人が、一斉に手を止めた。

それが、いちばん背筋の冷えた瞬間だった。

三人とも、私の顔を見なかった。

見ないまま、いちばん奥の男が言った。

「沈まんのよ」

「沈まんから、隠れるとこがない」

手前の男が、水路の中から何かを持ち上げた。

泥のかたまりに見えた。

それを、私のほうへ差し出した。

私は受け取らなかった。

男は困った顔をして、それを水に戻した。

それから、上流のほうを指さした。

「戻れ」

「早う」

私は走った。

走っている間、足音がしなかった。

石を踏んでいるのに、何も鳴らない。

来るときには鳴っていた。

それに気づいて、私はもっと速く走った。

走りながら、一度だけ振り返った。

三人は、もう水路のほうを向いていた。

その向こうの空が、さっきより明るくなっていた。

明るいというより、近い。

空全体が、少しずつこちらへ下りてきているように見えた。

石の小道を駆け上がって、庭の切れ目のようなところを抜けた。

抜けた先は、うちの縁側だった。

時計は、七時三十二分だった。

外は、四月の夕方らしく暗くなりかけていた。

疏水は、いつもどおりコンクリートの三面張りだった。

暗室に戻った。

ライトボックスの上に並べた九枚は、そのままだった。

だが、景色がつながっていなかった。

ただの九枚の、ばらばらのコマに戻っていた。

石橋も、三人も、写っていない。

念のため、九枚をもう一度、番号どおりに並べ直した。

何度並べても、二度と景色はつながらなかった。

翌週、同じ場所を同じ時刻に撮り直した。

現像したフィルムの番号は、抜けていなかった。

1から36まで、きちんと揃っていた。

翌日、集落のいちばん古い家に、疏水の話を聞きに行った。

九十を過ぎたご主人が、縁側で答えてくれた。

石橋の話をすると、うなずいた。

「あったよ」

「昭和のはじめまではな」

「今の堰の、二十間ばかり下じゃ」

「落としたんですか」

「流れた」

「いつですか」

「わしが子供のときじゃ」

「昭和のなんぼだったかな」

ご主人は、湯呑みを両手で持ったまま、庭のほうを見ていた。

「あのとき、橋の上に人が乗っとったよ」

「何人ですか」

ご主人は答えなかった。

答えないまま、湯呑みの茶をすすった。

それきり、その話はしなかった。

帰りぎわ、私は玄関で靴を履きながら、もうひとつ訊いた。

「石橋のあった辺りだけ、護岸の色が違うんですが」

ご主人は上がり框に座ったまま答えた。

「あそこはな、何遍打ち直しても、色が合わんのじゃ」

「なんでですか」

「知らん」

「組合の人は、材が違うからじゃ言うとる」

「同じ材でやったときも、合わんかったがな」

帰りぎわ、ご主人が背中に向かって言った。

「あんたのじいさんも、いっぺん来たわ」

「同じこと訊いてったよ」

祖父の帳面を、最初から最後まで読み直した。

飛び番は、生涯で三回だけだった。

三回とも、書き込みは同じだった。

「並べ直さぬこと」

三回目の飛び番の日付は、祖父が写真館を継いだ年の四月だ。

つまり祖父は、一度だけ並べ直して、それから五十年、二度としなかったということになる。

帳面の最後の頁に、もう一行だけあった。

「上げるものを持たぬこと」

あの男が差し出した泥のかたまりを、私は受け取らなかった。

受け取っていたら、どうなっていたのかは、書かれていない。

あれから三十年が過ぎた。

写真館は、七年前に畳んだ。

暗室の道具はほとんど捨てたが、ライトボックスだけは物置にある。

疏水は、去年また改修された。

今度は蓋がされて、上が農道になった。

水は見えないが、音はする。

去年の四月、私は蓋のされた疏水の上を歩いた。

雪解けの水の音が、足の下でしていた。

歩きながら、空を見た。

日は、ちゃんと西に傾いていた。

それを確かめている自分に気づいて、少し笑った。

笑ってから、足を止めた。

影が、真下に落ちていた。

顔を上げても、太陽は西にある。

私はもう、走らなかった。

そのあと、私は蓋の上をゆっくり歩いて、家まで帰った。

影は、途中の電柱のところで、元に戻っていた。

戻ったところで、何かが解決したわけではない。

帳面は、まだ物置にある。

通し番号は、私の代で止まったままだ。

最後の一行は、七年前に自分で書いた。

日付と、天気と、それだけだ。

番号は、書かなかった。

書かなかったのが正しいのかどうかは、今もわからない。

ただ、四月の晴れた日は、いまだに現像の夢を見る。

液の中で、コマがひとつずつ浮き上がってくる。

数えると、いつも一枚多い。

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