鳥居の前で人を数えてはいけない

遊んではいけない場所が、一箇所だけあった

俺が田舎に転校していた頃の話だ。

家がごたごたしていて、学校へ行きづらくなった時期があった。

友達は「気にすんなよ」と言ってくれる。

けれど、その友達の親が俺を腫れ物みたいに扱った。

それを不憫に思ったのが、母方の祖父だった。

「落ち着くまで、うちに来い」

「学校も、こっちに移せ」

そう言われて、俺は島根の山あいの集落へ預けられた。

奥垣内という。

県道からさらに川沿いに入った、家が三十軒ほどの土地だ。

小学校は一学級が二十人足らずで、上と下の学年が同じ教室にいた。

俺はそこでも友達に恵まれた。

篤とは、転校して三日目に仲良くなった。

俺より一つ下で、体が小さくて、走るのだけが速かった。

家は集落のいちばん奥で、蔵のある古い農家だった。

学校の帰りに、その蔵の前でよく別れた。

「たっくん、明日も遊ぼうや」

毎日そう言う子だった。

祖父の家は、川に面した平屋だ。

朝は霧が谷を埋めて、昼前にようやく上がる。

台所の窓を開けると、水の音と、隣の家の牛の匂いがした。

夜になると、外は本当に真っ暗になる。

街灯は、橋のたもとに一本あるだけだった。

俺はその暗さが、最初は怖かった。

祖父は、夜に用があるときは必ず声を出して家を出た。

「出るぞ」と、誰もいない土間に向かって言う。

癖だと思っていた。

放課後は、畦道と用水と裏山を順番に回って遊んだ。

田舎の子は、遊び場を見つけるのがうまい。

物置の裏でも、堰の上でも、どこでも遊びになる。

それなのに、絶対に足を向けない場所が一箇所だけあった。

神社の鳥居の前だ。

薄暗い杉林の中に社が建っていて、その手前に大きな石の鳥居がある。

鳥居の前だけは、林が切れて開けていた。

かくれんぼにも、だるまさんがころんだにも、ちょうどいい広さだ。

それなのに、みんな露骨にそこを避ける。

気になって理由を聞いた。

「大人が、遊ぶなって言うけん」

そこは車も通らないし、崖も池もない。

注意を促すにしては、危ないところが何もなかった。

もう少し突っ込んで聞くと、低学年の子が教えてくれた。

「カキタ様に、さらわれるんよ」

子供の頃の記憶は曖昧だが、その響きだけは妙に頭に残っている。

カキタ様。

当時の俺はガキ大将気質で、禁じられた場所で遊ぶことに変な憧れを持った。

鬼は、下の子から順に

休みの日、俺は何人か集めて鳥居の前へ行った。

俺を入れて六人だ。

いざ着くと、みんな腰が引けていた。

「ここで遊ぶの、やめようや」

「何怖がっとるんじゃ。カキタ様とか、ガキみたいなこと言うなや」

俺がそう言うと、売り言葉に買い言葉になった。

「俺はガキじゃない。ええよ、遊ぼうや」

そうして、鳥居の前で遊ぶことになった。

とはいえ、遊び方は限られる。

結局、この地域で『けいどろ』と呼ばれる鬼ごっこをやることになった。

警察役が泥棒役を捕まえて、一箇所に集める。

泥棒は、捕まった仲間の誰かに触れば全員逃がせる。

捕まえた者を集める場所は、鳥居の前になった。

始める前、いちばん年下の子が鬼をやると言い出した。

俺は不思議に思った。

普通はじゃんけんだ。

「なんでお前が最初なんだ」

「そう決まっとるけん」

鬼は、下の子から順にやる決まりだった。

この集落では、じゃんけんをしない。

年の若い順に鬼を回して、一周したらまた下から。

そういうやり方だと、そのとき初めて知った。

俺は転校生で、たまたま学年がいちばん上だった。

だから俺の番は、いつも最後になる。

捕まると、そこだけ冷たい

それから、ずいぶん長く遊んだ。

汗が乾く暇もない、暑い日だった。

ただ一つ、気になることがあった。

泥棒役で捕まって鳥居の前にじっとしていると、妙な寒気がする。

うだるような炎天下だ。

走り回っているときは、当然、汗だくになる。

それなのに、鳥居の前で立っている数十秒だけ、腕の産毛が立った。

もう一つ、途中から気になっていたことがある。

捕まった者を鳥居の前に集めると、いつも人数がぴったり合わない気がした。

数えたわけではない。

並んでいる幅が、人数のわりに広い。

肩と肩のあいだが、一人ぶん空いているような感じだ。

俺は一度、口に出して数えようとした。

「一、二、」

言いかけたところで、いちばん下の子が俺の腕を叩いた。

強く叩いた。

「なんだよ」

その子は何も言わず、そっぽを向いた。

俺は数えるのをやめた。

あのとき腕を叩かれた場所が、しばらく冷たかった。

石の鳥居の影に入ったせいだと、そのときは思った。

いま考えると、影は俺の背中に落ちていなかった。

昼を食べるのも忘れて遊んでいるうちに、気づけば夕暮れ前になっていた。

今になって思えば、あれが黄昏時というやつだ。

夕焼けが真っ赤になって、みんなの顔が少しずつ見えづらくなる。

田舎の空は、街より色が深い。

そんなことを、幼心に思った覚えがある。

最後の三回

五時のチャイムが鳴って、そろそろ解散という時間になった。

それでも遊び足りない。

最後に『だるまさんがころんだ』を三回やって終わりにしよう、と話がまとまった。

一回目。

鬼は、いちばん下の子だ。

「だーるーまさーんがー、こーろんだ」

甲高い声が、境内のほうへ抜けていった。

俺たちはぎゃあぎゃあ言いながら動いた。

そのとき、変な違和感があった。

形容しにくいが、一つだけ異物が交じっているような感じだ。

間違い探しの絵を、最初に見たときの感覚に近い。

二回目。

鬼は、さっきと同じ子だった。

「だーるまさんが、ころんだ」

「おい、早えーよ」

みんなで笑った。

あのとき感じていた違和感の正体は、今でも分からない。

ただ、言葉にできない不気味さが、確かにあの場にあった。

落ち着かなくなった俺は、「ころんだ」の直後に真っ先に動いてしまった。

それで、最後の鬼は俺に決まった。

そのとき、いちばん下の子が何か言いかけた。

「たっくんは、」

言いかけて、やめた。

俺は聞き返さなかった。

三回目。

鬼は俺だ。

俺はただ、もう少し長く遊んでいたかった。

だから「だ~~る~~ま~~さ~~んが~~」と、わざと声を間延びさせた。

一秒でも長く、この時間が続けばいいと思っていた。

そして、間延びした分を取り返すように早口で、

「ころんだ」

振り返ると、五人が変な格好で止まっていた。

もう夜に移りかけた時間だから、顔までは見えない。

ただ、列のいちばん後ろの子が、顔を歪めているような気がした。

俺はまた鳥居に顔を伏せて、数を数えた。

次は早口で言った。

「だるまさんがころんだ」

振り返ると、いちばん後ろにいた子の姿が消えていた。

本当に一瞬だった。

そこは見晴らしがよくて、隠れる場所などない。

数秒で忽然と消えるのは、どう考えてもおかしい。

「おい、篤どこ行った」

俺は名前を呼んだ。

呼んだ瞬間、残りの四人が、一斉に俺を見た。

誰も動かなかった。

「……帰ったんじゃね」

「いやいや、さっきまで一緒におったろ」

妙な薄ら寒さがあって、その日はそれで解散になった。

帰り道、いちばん下の子が俺の袖を引いた。

「呼んだらいけんのんよ」

「なんで」

その子は答えず、走っていった。

公民館に集まった大人たち

その日の夕食後、玄関の外が騒がしくなった。

見に行くと、篤のお母さんが祖父に何か訊いている。

「うちの子、知りませんか」

帰っていなかった。

篤は家にも戻らず、本当に目の前から消えたのだ。

「たっくん、うちの子と今日遊んだよね。どこ行ったか知らん?」

そう聞かれて、俺はとっさに「知らん」と言ってしまった。

なぜそう言ったのかは分からない。

怒られる予感がしたのだと思う。

しばらくして、篤のお母さんは帰っていった。

残された俺と祖父。

居間へ向かう途中で、祖父がぽつりと言った。

「正直に言うてみ。今日、どこで遊んだ」

観念して、俺は本当のことを話した。

「神社の、鳥居の前で……篤たちと」

祖父は目を見開いて怒鳴った。

「馬鹿ったれ。あそこで遊ぶなて、言われとらんかったか」

普段は優しい人だったから、俺は大泣きした。

祖父はそれを見もせず、電話をかけ始めた。

何軒にもかけていた。

内容は分からない。

ただ、一つだけ、繰り返し出てきた言葉がある。

カキタ様。

電話を切ると、祖父は出かける支度を始めた。

公民館で集まりがあるという。

「ええか。爺ちゃんが帰るまで、絶対に鍵を開けたらいけん」

何度もそう言って、祖父は出ていった。

その晩、祖父は帰ってこなかった。

風もない、寝苦しい夜だった。

それなのに、玄関の戸が、ずっとがちゃがちゃと鳴っていた。

俺は布団を頭までかぶって、朝まで起きていた。

百キロ先の峠

次の日は全校朝会だった。

名前はぼかしていたが、篤のことだった。

「遅くまで遊ばないように」

校長の話は、それだけで終わった。

教室では、昨日の面子で篤の安否を気にしていた。

誰も、鳥居の前の話はしなかった。

結論から言うと、篤は数日後に保護された。

見つかったのは、隣の県の峠の中腹だ。

夜中に走っていたトラックの運転手が、道の真ん中で泣いている子供を見つけた。

それが篤だった。

あの鳥居から、百キロは下らない場所だ。

しかも、擦り傷ひとつなかったという。

靴も汚れていなかった。

小学生が歩ける距離ではないのに、どこもボロボロになっていなかった。

篤は、何も覚えていなかった。

戻ってきてから、一度も鳥居の話をしなかった。

祖父は、次の日の晩に帰ってきた。

ひどく疲れた顔をしていた。

それ以来、祖父は家の玄関に鍵をかけなくなった。

俺が理由を訊いても、何も答えなかった。

数日後の夕方、俺は祖父と二人で夕飯を食べていた。

篤が見つかったという知らせが入った日だ。

祖父は箸を置いて、長いこと湯呑みを持っていた。

「爺ちゃん」

「なんな」

「あの晩、公民館で何しよったん」

祖父は答えなかった。

代わりに、こう言った。

「たっくんは、名前を呼んだな」

俺は頷いた。

「呼んだらいけんかったんじゃろ」

「いや」

祖父は、そこで初めて俺の顔を見た。

「お前が呼んだけん、篤は帰ってきたんじゃ」

意味が分からなかった。

「呼んだら、代わりに入るって聞いた」

「入れんかったんよ、お前は」

そう言って、祖父はまた黙った。

その晩、祖父は縁側で長いこと外を見ていた。

俺は襖の隙間から、その背中を見ていた。

祖父は一度も、こちらを振り返らなかった。

人別覚という帳面

それから随分と年が経ち、俺は大学生になった。

祖父が他界した年、久しぶりに奥垣内へ行った。

幾分か道は良くなっていたが、集落はほとんど変わっていない。

葬儀のあと、俺は当時の面子の一人に会った。

あのとき鬼をやっていた、いちばん下の子だ。

いまは県外で働いていて、盆と正月だけ帰るという。

「お前、あのとき、呼んだらいけんて言うたよな」

「言うたね」

「なんでいけんのんか、いま分かるか」

そいつは少し考えてから、こう言った。

「呼んだ人が、代わりに数に入るんじゃと」

数、という言い方が引っかかった。

そいつの父親から聞いた話だという。

鳥居の前は、昔、年に一度、村の人を数える場所だった。

鳥居をくぐった順に並ばせて、頭の数を帳面に書く。

その役目を代々やっていた家の屋号が、書田だった。

書く田と書いて、かきた。

役目そのものを、いつからか、様をつけて呼ぶようになったらしい。

「だけん、あそこで人数を口に出して数えたらいけんのんよ」

けいどろは、捕まえた者を一箇所に集める遊びだ。

だるまさんがころんだは、人が止まったり動いたりする遊びだ。

どちらも、数を動かす。

「あの晩、うちの親父も公民館に行っとる」

「何しよったんか、聞いたか」

「順番を決めよったらしい」

俺はそれ以上訊かなかった。

篤とは、葬儀の日に一度だけ顔を合わせた。

三十近くなって、集落の外で運送の仕事をしているという。

相変わらず体は小さかった。

俺は、あの日のことを訊けなかった。

向こうから「久しぶりやね」と言われて、天気の話をして別れた。

別れぎわ、篤が振り返らずに言った。

「たっくん、あんとき、俺の名前呼んだやろ」

俺は足を止めた。

「覚えとらんて言うとったろ」

「呼ばれたのだけ、覚えとる」

それだけ言って、篤は車に乗って行った。

俺は駐車場でしばらく立っていた。

翌日、公民館の郷土資料の棚を見せてもらった。

『奥垣内人別覚』という和綴じの帳面が、複写で置いてあった。

明治の途中まで、毎年の人数が書いてある。

最後の年の欄だけ、数字の下に一行だけ書き足しがあった。

一名、不足。

その先の年は、綴じられていなかった。

俺は帳面を閉じて、係の人に礼を言った。

集落の子は、いまも鳥居の前で遊ばないのだという。

同じような決まりの残る土地の話は、三つ数えてから答える集落にも出てくる。

名前と数のずれについては、名簿にいない少年のほうが近いかもしれない。

順番を飛ばしてよかった理由

帰る前に、俺はもう一度、鳥居の前へ行った。

杉林は暗く、鳥居だけが白っぽく浮いている。

あの日と同じ場所に、同じ高さで立っていた。

俺は、あのとき最後に鬼をやった。

本当なら、俺の番は回ってこないはずだった。

下から順に一周して、また下からになる。

俺が飛び込んだのは、決まりの外側だ。

それでも、誰も止めなかった。

止めなかった理由を、俺はその日にようやく理解した。

順番を飛ばしてよいのは、帳面に名前のない子だけだった。

俺は転校生で、住民票も移していない。

この土地の数には、はじめから入っていなかった。

だから、名前を呼んでも、俺は代わりになれなかったのだ。

篤は返された。

けれど、数は合わないままになった。

合わない一つを、あの晩、大人たちが公民館で分けたのだと思う。

祖父が帰ってこなかった一晩のことを、俺はいまも考える。

あの晩、玄関を開けようとしていたのは、鍵を持っている人だった。

鳥居の前で、俺は指を折りそうになって、やめた。

数えるのは、この土地では、一つの役目だ。

祖父の家は、いまも空き家のまま残っている。

去年、様子を見に行った。

玄関には、まだ鍵がかかっていなかった。

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