三十年ほど前、私は魚沼の建設会社で除雪の仕事をしていました。
二十代の半ばで、いちばん体の動く時期です。
夜のうちに降った雪を、朝までに払う。
その繰り返しの冬でした。
信濃川に沿って、いくつも集落があります。
そのひとつに、柄沢という谷がありました。
いまはもう、住んでいる家は数えるほどです。
谷の入口に、無人の小さな駅がありました。
柄沢の駅
駅といっても、木造の待合が一棟だけです。
ホームは一面。
切符を売る窓口は、板でふさがれていました。
待合の脇に、便所が別棟で建っています。
コンクリートブロックを積んだだけの、簡単なものです。
私はその冬、そこを何度も使いました。
除雪の車を置いて、休憩をとる場所が、他になかったのです。
ある晩、その便所で妙なものを見ました。
三十年、誰にもきちんと話していません。
※
あの冬の除雪
除雪の仕事は、夜と朝のあいだにあります。
降りはじめを見て会社に集まり、明け方までに国道と集落の道を空けます。
ライトの中で、雪はまっすぐには落ちません。
横に流れたり、下から巻き上がったりします。
長く見ていると、目のほうがおかしくなってきます。
だから、二時間おきに休憩を取る決まりでした。
柄沢の駅は、その休憩によく使いました。
待合に入れば、風が切れます。
裸電球が一つだけ、一晩じゅう点いていました。
あの光は、谷の中でいちばん頼りになる光でした。
いま思うと、その光を頼りにしていたのは、私だけではなかったのかもしれません。
※
待合の掲示
待合の壁に、色の抜けた紙が何枚か貼ってありました。
時刻表と、運賃表と、注意書きです。
その中に、手書きのものが一枚ありました。
ボールペンで、太く書いてあります。
「便所ノ戸ヲ閉メタママニシナイコト」
ふつうの注意書きだと思っていました。
掃除のときに開けておけ、という意味だろうと。
いまは、別の読み方をしています。
閉めたままにすると、中にいるかどうかが分からなくなるからです。
※
戸の下
柄沢の便所の戸は、下が五寸ばかり空いていました。
五寸というと、十五センチほどです。
ふつうの家の便所の戸なら、こんなに空けません。
雪国では、戸の下を少し空ける建て方があります。
吹き込んだ雪が凍りついて、戸が開かなくなるのを防ぐためです。
私も最初は、そういうものだと思っていました。
建設の仕事をしていたので、理屈は分かります。
ただ、五寸は少し空けすぎです。
その隙間から、待合の裸電球の光が、細く長く床に入ってきます。
用を足していると、その細い光の帯だけが見えている。
そういう便所でした。
※
光が途切れた
その晩は、二月の終わりでした。
湿った重い雪で、夜になっても気温が下がりきりません。
私は八時ごろ、車を停めて便所に入りました。
戸を閉めると、いつもの細い光の帯が床にできます。
しばらくして、その帯が一度、消えました。
すぐに戻りました。
誰かが待合の側を通ったのだと思いました。
この時刻に人がいるのは珍しいことです。
けれど、まったくないことでもありません。
気にしませんでした。
※
足音がない
おかしいと思ったのは、その次です。
光が、また消えました。
今度は、少し長く消えていました。
そのあいだ、外の音がまったく変わらないのです。
湿った雪の上は、歩けば必ず音がします。
ぐしゃ、ぐしゃ、と重い音です。
その音が、一度も聞こえませんでした。
光だけが消えて、光だけが戻る。
私は、そこではじめて背中の産毛が動きました。
※
横に並んだ目
三度目に光が欠けたとき、私は戸のほうを見ました。
隙間の、床に近いところです。
目が、ありました。
二つ、横に並んでいました。
じっと、こちらを見ています。
まばたきはしませんでした。
白目の部分が、光を受けて薄く光っていました。
私は動けませんでした。
声も出ませんでした。
どれくらいそうしていたか、覚えていません。
気がつくと、光の帯が戻っていました。
※
名前を呼ばれる
それから、外で声がしました。
男の声でした。
低くて、少しかすれています。
名前を呼ばれました。
ただし、私の名前ではありませんでした。
その冬、私と組んで除雪に出ていた先輩の名前です。
宮下さん、といいました。
「宮下さん」
「宮下さん」
二回、同じ調子で呼ばれました。
私は返事をしませんでした。
怖かったからではありません。
そのとき、なぜか祖母の言っていたことを思い出したのです。
※
祖母が言っていたこと
祖母は、この谷の生まれではありません。
隣の谷から嫁いできた人です。
子どものころ、便所に長くいると、祖母は必ず戸の外から声をかけました。
そのときの言い方が、いつも決まっていました。
「おるか」とは訊かないのです。
戸を軽く二度叩いて、それだけで行ってしまう。
私が「おるよ」と返すと、あとで叱られました。
「便所の外から呼ばれたら、返さんでええ」
理由は教えてくれませんでした。
子どもには言わない決まりだったのだと思います。
あの晩、その言いつけだけが、体に残っていました。
※
雪の上
声は、三度目は来ませんでした。
しばらく待って、私は戸を開けました。
外には誰もいませんでした。
待合の電球が、いつも通りに点いています。
問題は、雪でした。
便所の前は、私が入るときに踏んだ跡だけです。
それ以外に、何もありません。
あれだけ光が欠けたのに、誰も通っていない。
私はその晩、除雪の残りをやらずに帰りました。
会社には、機械の調子が悪いと言いました。
※
宮下さんに訊く
翌朝、宮下さんに訊きました。
昨夜、柄沢へ来ませんでしたか、と。
宮下さんは、来ていないと言いました。
その晩は、小出のほうの現場に出ていたそうです。
時間も場所も、まったく合いません。
私は、目のことも声のことも話しませんでした。
話したら、自分のほうがおかしくなる気がしたのです。
ただ、宮下さんはこう言いました。
「柄沢の便所は、夜は使わんほうがええ」
理由は言いませんでした。
この谷の人は、そういう言い方をします。
※
翌朝の跡
その日の昼、私はもう一度、柄沢へ行きました。
明るいうちなら平気だろうと思ったのです。
便所の前の雪に、跡がついていました。
履物の跡です。
ただ、並び方が妙でした。
右足と左足が交互になっていません。
三つ、横に並んでいるのです。
間隔は、どれも同じでした。
戸のほうを向いて、三つ。
そこから先も、そこへ来るまでの跡も、ありません。
私は写真を撮りませんでした。
撮ろうという気に、まったくなりませんでした。
※
五寸の決まり
この話には、続きがあります。
十年ほど前、私は町の公民館の役をやりました。
古い書類を整理する係です。
その中に、駅の清掃の委託記録が残っていました。
昭和三十年代からのものです。
便所の項目に、但し書きが一行ありました。
「戸下、五寸を厳守のこと」
寸法を守れ、という指示です。
清掃の記録に、建具の寸法が書いてあるのは妙な話でした。
私は、その一行が気になりました。
※
四寸に詰めた年
もう少し古い綴りに、駅務日誌がありました。
昭和二十年代のものです。
その中に、こういう記述がありました。
「便所戸下、四寸に詰む。吹込多きため」
寸法を一寸だけ狭くした年があるのです。
理由は、雪の吹き込みでした。
もっともな理由です。
ところがその日誌は、その年の十二月の途中で終わっています。
翌年から、また新しい綴りが始まります。
そして、新しいほうの最初の頁に、こう書いてありました。
「戸下、五寸に戻す」
戻した理由は、どこにも書かれていません。
※
隣の谷
気になって、隣の羽根尾という谷にも行ってみました。
古い公民館の便所が、まだ残っていました。
戸の下を測ると、やはり五寸ありました。
ずいぶん新しい建具です。
平成に入ってから直したものだと、管理の方が言いました。
直したのに、寸法だけは変えていない。
理由を訊くと、その方は少し笑いました。
「そういう寸法やと聞いとるだけですわ」
もう、誰も理由を知りません。
知らないまま、寸法だけが残っています。
そのほうが、私にはこわく感じられました。
※
四寸の年の駅長
日誌に「四寸に詰む」と書いた駅長のことも、調べました。
名前は残っていました。
その方は、翌々年にこの谷を出て、長岡のほうへ移っています。
ご本人はもう長く前に引退されていましたが、息子さんに話を聞くことができました。
息子さんは、こう言いました。
「親父は柄沢の話を、一遍もせんかったです」
ただ、実家の便所の戸の下は、いつも板が一枚外してあったそうです。
「隙間、空けとかんと落ち着かんって言うとりました」
詰めた本人が、詰めなくなった。
それだけで、十分だと私は思いました。
※
大工の話
谷の下のほうに、田村さんという大工がいました。
もう九十近い方でした。
その方に、便所の戸の寸法を訊いてみました。
田村さんは、湯呑みを持ったまま、しばらく黙っていました。
それから、こう言いました。
「五寸あれば、履物が見えるろ」
雪のためではないのか、と私は訊きました。
田村さんは、首を横に振りました。
五寸空けてあるのは、雪のためではありませんでした。
中に人がいるかどうかを、外から履物で見るためだったのです。
※
履物を数える
田村さんの話は、こうでした。
この谷では、便所の外から声をかけないのが決まりでした。
代わりに、しゃがんで、隙間から中の履物を見る。
履物が一つなら、人がいる。
何もなければ、空いている。
それだけの、素朴な作法です。
ただし、田村さんはもうひとつ付け足しました。
「三つあったら、待たんで帰るがや」
私は意味が分からず、訊き返しました。
田村さんは答えませんでした。
代わりに、湯呑みを置いて、こう言いました。
「呼ばれても、返したらいかん」
祖母と、同じことを言いました。
※
数に入る
返事をすると、どうなるのか。
それだけは、田村さんが少し話してくれました。
返事をすると、数に入るのだそうです。
何の数なのかは、教えてくれませんでした。
「昔は、便所で人が座っとる時間だけ、村の勘定から外れとったがや」
そういう言い方をしました。
戸を閉めているあいだ、その人は村のどこにもいない。
いないことになっている人を、外から数えるのが五寸の隙間だった。
だから、履物の数と、人の数が合わない晩がある。
私は、あの三つの跡を思い出しました。
※
祖母の谷でも
祖母の生まれた谷にも、行ってみました。
柄沢から山をひとつ越えた、佐良という集落です。
祖母の実家は、いとこの代になっていました。
便所の戸の下は、やはり空いていました。
いとこに寸法の話をすると、面倒くさそうに手を振りました。
「知らんて、そんなもん」
ただ、その家では、便所へ行くときに必ず声を出すのだそうです。
「行ってくる」と言ってから立つ。
戻ってきたら「戻った」と言う。
誰に言うわけでもありません。
言わないと落ち着かないのだと、いとこは言いました。
数を合わせる作法が、形だけ残っているのだと思います。
※
記録に残らないこと
公民館の書類を、私は三日かけて全部見ました。
五寸という寸法は、何度も出てきます。
清掃の委託記録、建具の修繕伺い、備品の台帳。
どこにも、理由は書いてありません。
寸法だけが、律儀に引き継がれています。
書かれていないことのほうが、書かれていることより長く残る。
そういうことが、この谷にはあります。
田村さんも、詳しいところは最後まで言いませんでした。
言えば、聞いた側が数に入るのかもしれません。
※
気づいたこと
いちばん引っかかっていたのは、目のことです。
床から五寸の隙間から、人が中を見ようとしたら、どうするか。
顔を地面につけて、横に倒すしかありません。
そうすると、目は縦に並びます。
上下に、です。
横には、絶対に並びません。
あれが一つの顔の目なら、横には並びません。
私が見たのは、二つの目が横に並んだものでした。
それが何を意味するのか、しばらく考えました。
そして、考えるのをやめました。
※
並んでいたもの
ひとつだけ、思いつくことはあります。
二人が床に伏せて、それぞれ片方の目だけを隙間に寄せた場合です。
そうすれば、目は横に並びます。
けれど、そうだとすると、外にいたのは二人になります。
雪の上には、三つの跡がありました。
一人ぶん、足りません。
あるいは、多いのかもしれません。
そのことを考えると、いまでも指先が冷たくなります。
※
妻に一度だけ話した
この話を、私は妻に一度だけしました。
家を建てた年です。
戸の下を五寸空けると言ったら、理由を訊かれました。
ごまかしきれずに、柄沢のことを喋りました。
妻は、最後まで黙って聞いていました。
それから、ひとつだけ質問をしました。
「その、宮下さんって人は、どうなったの」
私は答えられませんでした。
宮下さんは、その年の春に会社を辞めています。
ご実家の都合だと聞きました。
連絡先も残っていません。
あの晩、外で呼ばれていたのは、私ではなく宮下さんの名前でした。
返事をしなかったのが私だったことに、意味があるのかどうか。
それも、分かりません。
※
駅がなくなってから
柄沢の駅は、十五年ほど前に廃止されました。
待合も便所も、いまはありません。
基礎のコンクリートだけが、藪の中に残っています。
去年の秋、久しぶりに寄ってみました。
便所のあったあたりに、ブロックが二段だけ残っていました。
その足元に、猫くらいの高さで、地面が横に細長くならされていました。
雪も草もない、乾いた土です。
幅は、ちょうど五寸ほどでした。
※
いまも五寸
私は、自分の家を建てるとき、便所の戸の下を五寸空けました。
妻には、雪国の建て方だと説明しました。
嘘ではありません。
ただ、本当のところは、外から見えるようにしておきたかったのです。
見えないほうが、こわい。
去年の冬、その隙間の光が、一度だけ欠けました。
廊下には誰もいませんでした。
私は返事をしませんでした。
これから先も、返すつもりはありません。
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