眼鏡をはずしても見える人
視力〇・〇六の私には、十五メートル先の人の顔なんて見えません。それなのに梅田の泉の広場では、赤い服のあの人だけが、写真のようにはっきり見えました。袖ごと腕をつか…
視力〇・〇六の私には、十五メートル先の人の顔なんて見えません。それなのに梅田の泉の広場では、赤い服のあの人だけが、写真のようにはっきり見えました。袖ごと腕をつか…
深夜の峠を運転していると、同じ道端の地蔵が三度もライトに浮かびました。助手席の山根は俯いたまま、自分の家の庭に埋まっているというものの話を続けます。彼が低い声で…
奄美大島で測量の仕事をする私は、山で一晩明かすことになり、祖父から伝わる作法どおり地面に円を描きました。翌朝、円の外側だけが乾いていた理由と、祖父の野帳に残る丸…
盆地の独身寮に転勤してきた同僚は、窓から煙突が見えると言って四週間ごとに部屋を替えていました。彼の郷里に残る煉瓦の煙突と、その根元に縦に彫られていた名前の列。二…
下関の坂の駄菓子屋の二階から、古い笑い袋が出てきました。中の機械には電池が一本も入っていないのに、階段の下から低い笑い声が聞こえてきたのです。必ず笑い返さねばな…
大阪の小さな製本所で夜業をしていた十九の秋、誰もいない裁ち場から紙を揉む音が聞こえるようになりました。丸めた紙を放っておいてはいけないという親方の決まりごと。そ…
那須野が原の写真館を継いだ年、疏水の改修を撮ったフィルムのコマ番号がひとつだけ飛んでいました。景色がつながるように並べ直した晩、庭の外にあったのは石積みの水路と…
霧の晩、島へ帰る最終の連絡船が、灯の入らない桟橋に着きました。乗客は全員そこで降り、私の腕時計だけが止まっていました。舫い綱をめぐる島の古い作法と、それから三十…
商店街の奥の椅子に座る年寄りは、通る人を見て食べ物の名を一言だけ呟きました。直前に食べたものを当てているのだと思っていた私は、呟かれた人の記録を追ううちに、この…
雨の晩、堤防の道で前を行く車は追い越すな、鳴らすな。祖母の言いつけを破った夜勤明けの朝、前の軽自動車のワイパーだけが一度も動いていませんでした。その意味を知った…
昭和六十年の夏、川原に建つ見世物小屋で木戸番をしました。祖父に言われたのは、釣りを先に渡せという一言だけです。幕の内から響く拍手、濡れる地面、減っていく矢印、十…
昭和五十四年の秋、人形の町の川沿いで、乳母車を数珠つなぎに引く男とすれ違いました。布の下にあったのは、雛壇には決して飾られない顔。拾ったものに名をつけてはいけな…
四万八千円の白いクーペは、売れるたびに十日ほどで店へ戻ってきました。走行距離は戻るたび減り、助手席のベルトだけが人ひとりぶん伸びている。前の持ち主は全員、土砂に…
図面を見ずに時計を直してしまう祖父は、締める順序だけを帳面に書き残しませんでした。順は手に訊け、というその一行の本当の意味を知ったとき、盛岡の塔時計をめぐる四十…
琵琶湖のほとりの古い秤屋には、秤は必ず二本で一組という決まりがありました。控え帳は百年ぶん一本だけ多く、梁の奥には目盛りのない竿が掛かっています。対岸にあったと…
宮崎の山奥の集落で炭を焼く祖父は、窯の口を塗る土に必ず唾を落としました。木が一本も生えない丸い場所、鍬が入らないのに指では崩れる黒い層、叩くと鐘のように鳴るのに…
但馬の鉱山の旧坑から出た、用途の分からない素焼きの壺。夜だけ振れる電位計、毎週坑口に落ちている金色の板、そして日報といつも一つだけ合わない人数。台帳に残した三と…
昭和五十八年の秋、八溝の山あいの集落で、数の合わない彫刻石が見つかりました。誰も見ていない日にだけ増え、絵はしだいに新しくなり、やがて建ったばかりの建物が現れま…
紀伊の山あいの集落では家の戸をみな同じ形に作り、閉めるたびに数える習わしがありました。中学二年の朝、私は開けたはずの引き戸から玄関へ出てしまい、怖くなって一度閉…
霧ヶ沼の人は、ものを渡すとき決して「あげる」と言いません。期限を言わない贈り物は沼のものになるからです。図書室で仲良くなったあの子が遺した三行のノートを、私は期…
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