同じ道端の地蔵を三度過ぎた

yomichi

峠の道端の地蔵を、俺は三度通り過ぎた。

道は一本道だった。

分岐も、ロータリーもない。

それでも、同じ道端の地蔵が三度ライトに浮かんだ。

大学三年の秋の話だ。

サークルの友人と二人で、深夜のドライブに出ていた。

思いつきで隣の市のラーメン屋まで遠出して、その帰りだった。

選んだのは、くねくねと蛇のようにうねる山道だ。

昼間なら何度か通ったことがある。

夜になると、まるで別の道に見えた。

ハンドルを握っていたのは俺だった。

俺は割とびびりのほうで、本当は代わってほしかった。

だが助手席の山根は、店で勝手に一杯ひっかけていた。

運転は無理だ。

軽口ばかり叩いて、シートを倒して座っていた。

そのときは、ただの面倒な同乗者だと思っていた。

いま思い返すと、山根の様子は最初からおかしかった。

車に乗り込むときのことだ。

山根は、車に乗るとき、必ず助手席の足元を一度覗いてから腰を下ろした。

ドアを開けて、身を屈めて、シートの下を見る。

それから座る。

「なに落とした」

「いや」

それだけだった。

学食で会うときも、ゼミの部屋でも、そういう癖は見たことがない。

車のときだけだ。

俺は、財布でも落としたのかと思っていた。

山根は、サークルでは目立たない男だった。

背が高くて、猫背で、声が小さい。

冗談を言うときだけ、声が少し大きくなる。

実家の話は、ほとんどしなかった。

古い家らしい、とだけ聞いていた。

一度、夏合宿の帰りに泊めてもらったことがある。

町の中心に近いのに、敷地だけが妙に広い家だった。

門から玄関まで、砂利を踏んで二十歩ほど歩く。

その途中で、山根が一度だけ立ち止まった。

庭の隅のほうを見ていた。

「なに」

「いや、草」

そう言って、また歩き出した。

翌朝、俺はその庭の隅を見に行った。

平たい石が、地面に半分埋まっていた。

石の周りだけ、丸く土が出ている。

草が、きれいに抜かれていた。

ラーメン屋の駐車場

その店は、国道沿いのプレハブのような建物だった。

駐車場に砂利が敷いてあって、車が三台で満車になる。

着いたのが十時半頃で、客は俺たちだけだった。

山根は、券売機の前でしばらく迷っていた。

「どれがうまいんだ」

「知らん。初めて来たんだから」

「お前が来たいって言ったんだろ」

「雑誌に載ってたんだよ」

結局、二人とも同じものを頼んだ。

出てきたのは、思ったより薄い味だった。

山根は、カウンターの端にあった瓶ビールに目をつけた。

「一本だけ」

「おい、帰り」

「お前が運転するだろ」

そういう男だった。

悪気はない。

ただ、自分の都合を先に言う。

店を出たのは十一時半だった。

外は、思っていたより冷えていた。

車のフロントガラスが、うっすら曇っている。

俺がワイパーを動かすと、山根が助手席のドアを開けた。

そして、また足元を覗いた。

今度は、少し長かった。

「なんなんだよ、それ」

「癖だよ」

「変な癖だな」

山根は答えずに座って、シートベルトを締めた。

国道を戻るのが面倒で、俺は峠越えの道を選んだ。

時間は変わらないが、信号がない。

それだけの理由だった。

ナビはつけていなかった。

当時の学生の車には、そんなものはない。

道は頭に入っていた。

峠の入口に、閉まったドライブインがある。

その先で一度だけ大きく右へ曲がって、あとはひたすら登る。

登りきったところに小さな展望台があって、そこから下りになる。

下りきれば、市内だ。

十五分の道のりだった。

その十五分が、あの晩は一時間以上かかった。

山根は、その話をしても驚かなかった。

「そうか」

それだけだった。

時計を見たわけではない。

ただ、ファミリーレストランに入ったときに、日付が変わっていた。

店を出たのが十一時半で、峠は十五分の道だ。

計算が合わない。

そのことに気づいたのは、山根と別れたあとだった。

道端の地蔵の台座

峠に入ると、対向車が一台も来なくなった。

二車線あるのに、道幅が狭く感じる。

申し訳程度の電灯が、疎らに立っているだけだ。

木が両側から覆いかぶさっていて、空が見えない。

ライトの届く範囲だけが、世界の全部になる。

「ここの峠って、色々変な話があるよな」

急に山根が声をひそめて言った。

俺は聞いたことがなかった。

「何なに。どんな話」

そう聞きたかったが、それでは山根のペースだ。

「ああ」

とだけ返した。

山根は、なぜか俯いてしばらく黙った。

カーブを二つ抜けたところで、前方に大きな人影が見えた。

一瞬、心臓が跳ねた。

道端の地蔵だった。

このあたりに、異様に大きな地蔵があるのは覚えている。

背丈は、大人の胸くらいある。

赤い前掛けが、色褪せて茶色になっていた。

通り過ぎるとき、俺は台座を見た。

道端の地蔵の台座には、小さな窪みが四つ、等間隔に彫られていた。

何かを差し込むための穴のようにも見える。

供え物を置く場所だろうと、そのときは思った。

窪みは、指の先が入るくらいの大きさだった。

四つとも、同じ深さに見えた。

台座の角は丸くなっていて、字は彫られていない。

地蔵そのものには、目鼻がほとんど残っていなかった。

顔の部分だけが、ずいぶん摩耗している。

雨風のせいにしては、そこだけが不自然だった。

手で撫でられ続けた石は、そういう減り方をする。

そのときは、通りかかった人が拝んでいくのだろうと思った。

「なあ、怖い話してやろうか」

山根が、そこで口を開いた。

この野郎、黙っていると思ったら怪談を考えていたな。

そう思ったが、やめろと言うのはしゃくだった。

「おう、いいぞ」

山根は、俯いたまま話し始めた。

庭の隅の平たい石

「俺の実家の庭にな、小人が埋まってるらしいんだよ」

最初の一文が、それだった。

「じいさんが言ってた。俺の家、古いじゃん」

「いつからあるのか分からない、変な石が庭の隅にあってな」

「その下に埋まってるんだと」

山根の家は、県境の町にある古い商家だ。

一度だけ、夏に泊まりに行ったことがある。

広い土間と、暗い廊下を覚えている。

庭の隅に、平たい石があったのも覚えていた。

苔がついていて、周りだけ草が刈ってあった。

「じいさんが言うには、その小人がうちを代々守ってくれている」

「その代わり、いつも怒っていらっしゃるんだと」

「だから毎日、水を遣って、石の周りを綺麗にしていなきゃならない」

たしかに、山根の祖父母は毎朝その石を拝んでいた。

俺が泊まった朝も、二人で並んで手を合わせていた。

「そんな話があるのかなと思って、曽祖父さんに聞いてみた」

「小学生の頃だ。病院で寝たきりだったから、見舞いのついでに」

「曽祖父さんも、ちゃんと小人が埋まってると教えてくれた」

「それも、自分のじいさんから聞いたって言うんだ」

子どもにとっては、気が遠くなるほど昔の話だ。

だから山根は、単純に信じた。

そういう話だった。

山根の祖母のことも、少しだけ聞いた。

嫁いできた年に、あの石のことを教わったのだという。

教わったというより、当番を引き継いだという言い方だった。

朝いちばんに、水を三度かける。

ひしゃくは、その石専用のものが決まっている。

使い終わったら、伏せて縁側に置く。

「洗うな、とも言われたらしい」

「洗うなって」

「水しか使ってないから、汚れないだろって」

そういう理屈ではない気がした。

俺は、泊まった朝に見た縁側を思い出した。

たしかに、ひしゃくが一本だけ伏せてあった。

柄のところが、黒く光っていた。

こんな場所でする怪談にしては、随分と変な話だ。

俺は、話を聞きながら道の先を見ていた。

カーブの数を、無意識に数えていたと思う。

五つ目を過ぎたあたりから、景色が繰り返している気がした。

同じ形の倒木が、二度出てきた。

根元が持ち上がって、土がむき出しになっている木だ。

一本だけなら見間違いだろう。

二本目のとき、俺はスピードを落とした。

落としても、景色は変わらなかった。

ラジオをつけようとして、やめた。

音が入らなかったら、それこそ落ち着かない。

メーターの数字だけを見ていた。

時速は三十キロを少し超えたあたりだ。

燃料計は、半分より少し上にある。

その針が、まったく動かないことに気づいた。

三十分走って、一目盛りも減っていない。

俺は、それを気のせいにした。

気のせいにしないと、運転ができなかった。

オチもなければ、盛り上がりもない。

山根は、淡々と話し続けた。

「小人って、座敷わらしとかさ、家の守り神のイメージあるよな」

「でも、埋まってるってのが変だよな」

「俺、曽祖父さんに聞いてみたんだよ。なんで埋まってるのって」

そこまで聞いたときだった。

前方に、また人影が見えた。

俺は思わずハンドルを切りかけた。

ライトに一瞬だけ照らされたそれは、人ではなかった。

地蔵だ。

背丈も、赤茶けた前掛けも、さっきと同じだった。

背筋が冷たくなった。

一度通った道。

ありえない。

俺は、窓を少し開けた。

外の空気は、思っていたより冷たくなかった。

というより、においがしなかった。

山の夜は、土と落ち葉のにおいがするものだ。

何もしないというのは、おかしい。

俺は窓を閉めた。

閉めるとき、山根が一瞬こちらを見た気がした。

だが、振り返ると山根はまだ俯いていた。

道は一本道で、Uターンなどしていない。

ホーイホーイの唄

頭がくらくらしていた。

道が分からない。

木が両側から生い茂る景色は変わらないが、いつまでも峠から抜けない。

さっきの地蔵はなんだ。

二つあるなんて、記憶にない。

車線のセンターラインが、ライトから避けるように身をよじって見えた。

山根は、時々思い返すように俯きながら喋り続けている。

「曽祖父さんはベッドの上で両手を合わせて、目を瞑ったまま囁いた」

「昔、我が家の当主が福をもたらす童を家に迎え、大層栄えたそうな」

「しかし酒や女でもてなすも、童は帰ると言う」

「そこで当主は、童を帰さぬために、その身を分けて、家のいずこかへ納めてしまった」

俺は、ハンドルを握る手に汗をかいていた。

「それ以来、うちは商家として栄え続けた」

「けど、若くして還らぬ人が出ることも多かったらしい」

「曽祖父さん曰く、童は福をもたらすと同時に、うちをこんこんと祟る神様なんだと」

「だから、お怒りを鎮めるためにあの石は大事にしなければならん、と」

よせ。

「おい、よせよ」

帰れなくなるぞ、と言ったつもりだった。

だが、同じ道をぐるぐる回っている感覚と、山根の話は噛み合わない。

最初に言っていた、この峠の色々変な話とは何だったのか。

ふと、そう思った。

山根は、続けようとした。

「これはうちに伝わる秘密の話でな、本来は門外不出のはずなんだけど」

「オイ、山根」

我慢できずに、声を荒げてしまった。

山根は顔を上げない。

悪ふざけをしているようだったが、よく見ると肩が小刻みに震えていた。

「この話には変なところがあって、俺、それを聞いてみたんだ」

「そしたら曽祖父さんが、おまじないを一つ教えてくれた」

「山根。なんなんだよ。なんでそんな話するんだよ」

「だから」

「山根ェ。車の外が変なんだよ。気が付かないのか」

そのとき、三度目の地蔵がライトに入った。

前掛けの色も、台座の四つの窪みも、同じだった。

山根が、低い声で唱え始めた。

「だから、こういう時にはこう言いなさいって」

ホーイホーイ

おまえのうではどこじゃいな

おまえのあしはどこじゃいな

はしらささえてどっこいしょ

えんをささえてどっこいしょ

ホーイホーイ

心臓に、冷たい水が入った気がした。

全身の毛が立って、指先までびりびりした。

ホーイホーイという残響が、頭の中で繰り返された。

ホーイホーイ。

呟きながら、俺は無心にハンドルを握った。

見えない霧のようなものが、頭から抜けていく感じがあった。

「頼む」

山根はそう言って、両手を合わせたきり黙った。

気がつくと、見覚えのある広い道に出ていた。

市内に入って、ファミリーレストランに寄るまで、俺たちは無言だった。

山根の家の四つの窪み

店に入って、山根はまずコップの水を二杯飲んだ。

それから、ようやく話し始めた。

あの峠で、助手席のドアの下の隙間から、顔が覗いていたのだという。

軽口が急に止まったあたりだ。

青白い顔が、にゅうっと平べったく這い出てきて、ニタニタ笑った。

これはやばい、と感じたそうだ。

つまり山根は、俺に話していたのではなかった。

山根が話していた相手は、俺ではなかった。

自分の足元の顔と睨み合いながら、あの話を聞かせていたのだ。

家の人間が危機に陥ったときの、おまじない。

そういうものが、あの家にはあるのだろう。

「車に乗るとき、いつも足元見てただろ」

俺が言うと、山根は頷いた。

「前にも一回あった。高校のときだ」

「早く言えよ」

「言ったら、乗せてくれないだろ」

それは、たしかにそうだった。

「家に帰ったら、小人によーくお礼言っとけよ」

俺は、冗談めかして言った。

「しかしお前が、そういうの信じてたなんて意外だな」

素直な感想だった。

山根は、神妙な顔をして、テーブルの一点を見ていた。

店のBGMが、そのとき一度途切れた。

厨房の音も、客の声も聞こえない数秒があった。

窓の外を、タクシーが一台通り過ぎた。

音は、しなかった。

俺は、手元のコップの水面を見ていた。

揺れていなかった。

山根が口を開いたのは、そのあとだ。

それから、こう言った。

「あの石、俺、掘ったんだよ」

俺は、返す言葉を持たなかった。

山根は、コップの水をもう一杯飲んだ。

手が震えているのかと思ったが、そうではなかった。

指先で、テーブルを四回叩いていた。

等間隔だった。

四回叩いて、止める。

また四回叩いて、止める。

本人は、気づいていない様子だった。

俺は、その指を見ていた。

会計のとき、山根が財布を出した。

小銭入れの中に、平たい石のかけらが一つ入っていた。

爪の先ほどの大きさだ。

「なんだそれ」

「お守り」

「どこの」

山根は、答えなかった。

レシートを畳んで、財布に戻した。

そのとき、石のかけらも一緒に押し込んでいた。

俺は、それきりその話をしていない。

山根は、それ以上は何も話さなかった。

何が出てきたのかも、いつのことなのかも、聞いていない。

翌年の春、俺は昼間にあの峠を車で通った。

地蔵は、一体しかなかった。

台座を見ると、小さな窪みが四つ、等間隔に彫られていた。

図書館で郷土資料を調べたら、一行だけ記述があった。

峠の地蔵は、もとは四体あったという。

いつ、どこへ行ったのかは書かれていない。

郷土資料には、峠の名前の由来も載っていた。

四つの辻、と書いて四辻峠と読むらしい。

いまは一本道だが、昔は分かれ道があったのだという。

地図は載っていなかった。

俺が三度通った場所に、辻はない。

少なくとも、いまは。

それから何年か経って、山根の家に法事で呼ばれた。

庭の隅の石を、遠くから見た。

苔が剥がされていて、表面が乾いていた。

その石の上面に、小さな窪みが四つ、等間隔にあった。

アガリビトという話を読んだとき、土地と家に同じ印が残る例を知った。

偶然かもしれない。

赤い橋のように、数だけが合っている話も世の中にはある。

俺は、それ以来あの峠を夜に通っていない。

通るときは、必ず昼に、そして助手席を空けずに走る。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。