壺、三

壺、三

坑を出るとき、勘定方の宮下さんは、必ず指を折って何かを数えた。

声には出さない。

人の頭を数えているのだと、私は長いこと思っていた。

違った。

昭和五十一年、私は但馬の鉱山町にいた。

錫と銅を掘る山で、明治から続いていたが、そのころにはもう先が見えていた。

私は二十四歳で、分析室の助手だった。

試料の岩を砕いて、酸で溶かして、含有量を出す。

それだけの仕事である。

分析室は坑口から百メートルほど下がったところにある、平屋のプレハブだった。

夏は暑く、冬は指がかじかんで滴定のビュレットが握れない。

窓からは、選鉱場の屋根と、その向こうの谷が見えた。

谷には社宅が三十戸ほど並んでいて、夕方になると、どの家からも同じ時間に同じ匂いがした。

味噌汁と、洗い場の石鹸の匂いである。

町全体が、ひとつの家みたいなところだった。

坑口は、山の腹に四つあった。

本坑が二つ、通気用が一つ、そして使っていない旧坑が一つ。

旧坑の口は、明治三十九年に掘られて、大正の初めに止まっている。

止めた理由は、湧水が多かったからだと聞いていた。

入口には、朽ちた木の柵が渡してあって、その柵だけが、なぜか毎年掛け替えられていた。

誰が掛け替えるのか、訊いても要領を得ない。

「持ち回りよ」と、みんなそう言った。

持ち回りの順番を知っている者に、私は会ったことがない。

その年の六月、旧坑の整理をしていた組が、壺を掘り出した。

本坑ではなく、明治期に途中でやめた古い横穴のほうだ。

素焼きの、両手で抱えるくらいの壺だった。

口はアスファルトのようなもので塞がれていて、中に銅の筒と、細い鉄の棒が入っていた。

誰も見たことのないものだった。

それが三つ、並んで出た。

「東洋の学者に見せたら喜ぶで」と、坑長は笑った。

とりあえず分析室に運ばれてきたのは、置く場所が他になかったからである。

私は台帳に書いた。

壺、三。

その日の夕方、宮下さんが分析室へ来た。

勘定方といっても、坑内に入る人の数と時間を管理する係で、六十を過ぎていた。

宮下さんは、壺を見るなり、机の縁に手をついた。

「これ、どこから出た」

「旧坑の、二番の横穴だそうです」

宮下さんは、しばらく黙っていた。

それから、私の顔を見ずに言った。

「水を入れたらいかん」

「なんでですか」

「入れると、数える」

宮下さんは、それだけ言って帰った。

私は、老人の言うことだと思って、笑って忘れた。

翌日、同僚にその話をすると、彼は笑わなかった。

「宮下さん、あれ、冗談言う人と違うで」

「どういう意味ですか」

「わしがここへ来て十二年で、あの人が冗談言うたの、一回だけや」

「なんの冗談ですか」

同僚は、少し考えて、思い出せないと言った。

「思い出せんくらい、面白うなかった」

そう言って、彼は笑った。

私も笑った。

その日は、それで終わった。

異変というほどのことは、しばらく起きなかった。

最初に気づいたのは、指先の味である。

壺の縁を素手で触ったあと、指を舐めると、かすかに甘い。

砂糖の甘さではない。

金属を舐めたときの、あの薄い甘さである。

私は同僚にも触らせた。

「甘いか」

「甘いな」

「なんでや」

分からなかった。

壺は乾いていたし、中身も乾いていた。

次に気づいたのは、電位計である。

分析室には、古い電位差計が置いてあった。

使っていないときは、当然、針は動かない。

ところが、夜になると振れる。

私が居残りをした晩、目盛が〇・九のあたりで、ゆらりと止まった。

端子には、何も繋いでいない。

私は、その振れる時刻を、二週間記録した。

毎日、少しずつずれていく。

三十分ほどずつ、遅くなっていく。

三週目に、私は気がついた。

坑内の排水ポンプを止める時刻と、ぴったり同じだった。

私は念のため、ポンプ係に確かめに行った。

係の男は、記録簿を見せてくれた。

数字は、私の記録と一分と違わなかった。

「なんでそんなん調べとるんや」

「機械が、その時間に鳴るんです」

「機械って、なんの」

「電位差計です」

男は、記録簿を閉じた。

「あんた、旧坑のほうの水は、どこへ行くと思う」

私が答えられずにいると、男は続けた。

「どこにも行かんのよ」

「本坑は下へ抜けとる。旧坑は行き止まりや」

「溜まる一方や」

私は、そのとき初めて、背中が冷たくなった。

ポンプを止めると、坑の底に水が溜まりはじめる。

止める時刻は、その日の湧水量で決まるから、毎日ずれる。

そのずれと、針の振れが、一致していた。

私は、宮下さんの言葉を思い出した。

入れると、数える。

水を入れたのは、私ではない。

坑が、勝手に入れていたのだ。

七月に入って、坑口に、銀の板が落ちるようになった。

小指の先ほどの、薄い板である。

表面が、うっすらと金色に光っていた。

選鉱場の技師に見せると、鍍金だと言われた。

「これ、電気でやったやつやな」

「電気の鍍金、いつからあるんですか」

「戦前からある。けど、こんな下手なんは見たことない」

私は、その板を試料として分析にかけた。

下地は銀で、表面の金は、厚さが一定していなかった。

電気を流して鍍金すると、電極に近いところだけが厚くなる。

この板は、片側が厚く、反対側がほとんど乗っていない。

つまり、板の一端に電極を当てて、そのまま短時間だけ流した形である。

設備を使えば、こんな仕上がりにはならない。

「素人がやったみたいですね」と、私は技師に言った。

技師は、しばらく板を光に当てていた。

「素人がやったんやろ」

「誰がですか」

技師は、それには答えなかった。

板は、毎週月曜の朝、必ず一枚あった。

坑口の、右側の柱の根元。

いつも同じ場所だった。

板には、刻みがあった。

縁のところに、細い線が何本か入っている。

一枚目は、線が四本。

二枚目は、六本。

三枚目は、九本。

四枚目は、十三本。

私は、その数を分析室の壁に書いていった。

チョークで、日付と本数を並べて書いた。

掃除の人が消してしまうので、隅の目立たないところに書いた。

ある朝、その字が、一段ぶん増えていた。

私がまだ書いていない、その週の分である。

数字だけが、先に書いてあった。

字は、私の字によく似ていた。

その週の月曜、坑口の柱の根元にあった板の線は、書いてあった数と同じだった。

増え方に、規則がなかった。

四、六、九、十三、十四、十四、十八。

私は、この数字をどこかで見たことがあると思った。

思い当たるまで、二週間かかった。

坑務課の日報である。

その週に、旧坑側へ入った人間の数だった。

ただし、日報の数字とは、いつも一つだけ違っていた。

板の線のほうが、必ず一本多い。

四人入った週の板には、五本ではなく四本。

いや、違う。

私は書き写した紙を並べ直して、ようやく分かった。

板の線は、その週に旧坑へ入った人数と、同じだった。

日報のほうが、一つ少なかったのだ。

毎週、必ず、一人多く入っている。

私は、旧坑へ入る作業の名簿を借りて、名前を一人ずつ確かめた。

名前は全部、知っている人だった。

顔も浮かぶ。

誰かが余分に紛れ込んでいる、という感じではない。

数だけが、一つ多い。

名前を数えると、日報と同じ数になる。

板の線を数えると、一本多い。

何度やっても、そうなった。

私は、名前と線を、紙の上で向かい合わせに並べた。

線のほうが、いつも一本、余った。

その余った一本には、対応する名前がない。

私は宮下さんのところへ行った。

勘定方の詰所は、坑口の脇の、三畳ほどの小屋である。

宮下さんは、木札を並べていた。

入坑する者が自分の札を裏返し、出てきたらまた表に返す。

それだけの、古い仕組みだった。

「宮下さん、旧坑の人数、日報と合ってますか」

宮下さんは、札を並べる手を止めなかった。

「合わん」

「いつからですか」

「わしが来たときから」

「三十年前ですか」

「そうだ」

宮下さんは、そこで初めて手を止めた。

「わしは、日報のほうを書き換えとる」

私は、詰所の板の間に座り込んだ。

宮下さんは、茶を淹れてくれた。

そして、昭和二十八年の出水の話をした。

旧坑の二番で、水が噴いた。

そのとき、坑内には十九人いた。

三日かかって、全員が上がってきた。

「十九人、無事に出たんですね」

「出た」

「よかったじゃないですか」

「二十人、出た」

私は、湯呑みを持ったまま、宮下さんの顔を見た。

「札は十九枚しか裏返っとらん」

「けど、坑口で数えたら、二十人おった」

「顔も、みんな知っとる顔よ」

「そんで、次の日から、一人足りんようになった」

足りなくなったのは、頭数ではない。

宮下さんの説明では、こういうことだった。

あの日から、この山では、坑に入る人数がいつも一人多い。

そして、出てくる人数も、いつも一人多い。

差し引きは合っている。

合っているから、誰も困らない。

「困らんから、書き換えるだけよ」

宮下さんは、そう言って笑った。

笑ってから、真顔になった。

「けどな、あれは、数えとる」

「ずっと、数えとる」

「わしが指を折るのは、あっちが数えとる数と、こっちの数が、いつずれるか見とるんよ」

私は、ずれたことはあるのかと訊いた。

宮下さんは、湯呑みの底を見ていた。

「二回ある」

「どうなりました」

「一回目は、昭和三十六年」

「二回目は、四十四年」

「そのたんびに、旧坑の柵を掛け替えた者が、山を下りた」

持ち回り、という言葉が、そこで結びついた。

柵を掛け替えるのは、順番ではない。

ずれを埋めた者が、次の年まで掛け替える役になるのだ。

「今年は、誰が掛け替えたんですか」

宮下さんは、答えなかった。

そのかわり、自分の右手を、少し持ち上げて見せた。

八月の終わりに、閉山が正式に決まった。

片づけがはじまり、分析室の器具も運び出された。

壺は、県の博物館が引き取ることになった。

引き取りの日、業者が来て、木箱に詰めた。

私は台帳を見ながら、数を確かめた。

壺は、四つあった。

私は台帳を見返した。

私の字で、はっきり「壺、三」と書いてある。

六月の日付である。

四つ目は、他の三つと、少しだけ違っていた。

素焼きの色が、わずかに新しい。

口を塞いだアスファルトが、まだ柔らかかった。

指で押すと、指紋がついた。

そして、中の銅の筒には、うっすらと金色の鍍金がしてあった。

私は、その厚みを、指の腹で確かめた。

片側が厚く、反対側にはほとんど乗っていない。

坑口に落ちていた板と、同じ乗り方だった。

同じ手が、同じやり方で、これをやったのだ。

私は、筒を持つ手が震えているのに気がついた。

震えているのに、指先だけが、また甘かった。

下手な鍍金だった。

日誌の「壺、三」は、間違いではなかった。

四つ目は、その日、まだ無かったのだ。

私は業者に、四つで間違いないかと三度訊いた。

業者は、面倒くさそうに、四つだと言った。

木箱の伝票にも、四と書いてあった。

伝票を書いたのは、私ではない。

宮下さんの字だった。

日付は、六月になっていた。

壺が三つしかなかった、あの日の日付である。

私は業者を止めて、宮下さんを呼びに走った。

詰所に、宮下さんはいなかった。

札だけが、きれいに全部、表になって並んでいた。

その隣に、木札がもう一枚、机の上に置いてあった。

名前の書いていない札だった。

裏返っていた。

宮下さんは、その日から出勤しなかった。

社宅にもいなかった。

荷物はそのままで、鍋に湯が張ってあったという。

閉山のごたごたで、探す人手もなかった。

誰も、慌てなかった。

それがいちばん、私にはこたえた。

坑長も、坑務課の人間も、「そうか」としか言わない。

まるで、そういう年があるのを知っているような顔だった。

私が食い下がると、坑務課の主任が、こう言った。

「数は、合うとるやろ」

「合うとるなら、ええやないか」

私は、その言い方を、いまでも忘れない。

年が明けて、坑口はコンクリートで塞がれた。

私は町を出て、姫路の工場へ移った。

壺は、四つとも博物館に納まった。

用途不明の出土品として、いまも収蔵庫にあるはずだ。

それから四十年になる。

私は七十を過ぎ、いまは播州の海に近い町に住んでいる。

去年の秋、鉱山町の同窓のような集まりがあった。

十人ほどが公民館に集まって、写真を回した。

閉山の年の、坑口の前で撮った集合写真である。

誰かが「宮下さん写っとるな」と言った。

私は覗き込んだ。

宮下さんは、いた。

前の列の端で、両手を前で組んでいた。

指が、四本折れていた。

写真の裏に、撮影の日付と、人数が書いてある。

誰かが几帳面に書いたものだ。

二十二名、とある。

その場で、みんなで数えた。

三度数えた。

三度とも、二十三人だった。

誰も、そのことを口に出さなかった。

回ってきた写真を、みんな、少し早く次へ渡した。

その夜、私は写真を撮った人のことを思い出そうとした。

閉山の日、写真屋は町から来て、三脚を立てた。

並べ方を指図していたのは、宮下さんだった。

「前の列は、詰めんでええ」と、宮下さんは言った。

写真屋が「もう少し詰めてください」と頼んでも、宮下さんは首を振った。

「一人ぶん、空けとくんや」

そのときは、誰も意味を訊かなかった。

いま思えば、あの人は、写る場所を用意していたのだと思う。

用意しておけば、他の誰かの場所を取られずに済むからだ。

家に帰ってから、私は物置を開けた。

引っ越しのときに持ってきた、分析室の古い道具が入っている。

電位差計も、まだある。

電池も入れていない、四十年動かしていない機械である。

その針が、〇・九のあたりで止まっていた。

私は箱を閉じて、ガムテープを二重に貼った。

貼ってから、指を舐めた。

甘かった。

宮下さんが指を折って数えていたものが、いまなら分かる。

あの人は、人を数えていたのではない。

壺を数えていたのだ。

三つのうちは、まだいい。

四つ目が出たときが、その人の番なのだと思う。

私は、物置を開けないようにしている。

開けて、三つだったら安心してしまうからだ。

安心したときに、四つ目ができる。

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