霧ヶ沼の人は、ものを人に渡すとき、決して「あげる」と言わない。
飴玉ひとつでも「貸しとくね」と言う。
私がそれを不思議に思わなくなったのは、あの町に越して三年目のことだった。
いま思えば、慣れてしまったのが間違いだった。
※
父の転勤で、私が霧ヶ沼へ移ったのは中学一年の春だ。
盆地の底に沼があって、町はその縁に沿って細長く伸びている。
冬になると沼が凍る。
凍った氷が夜中に鳴く。
ぎい、と低く、遠くで木が裂けるような音がする。
町の人はその音を「沼が数えとる」と言った。
何を数えているのかは、誰も説明しなかった。
私は本ばかり読む子どもで、友達はいなかった。
いじめられはしなかった。
勉強だけはできたので、誰も私に関わらなかった、というほうが正しい。
図書委員になったのは、休み時間に行く場所が必要だったからだ。
※
霧ヶ沼の冬は長い。
十一月の末に初雪が来て、四月まで根雪が残る。
沼が完全に凍るのは一月の半ばだ。
凍ると、町の人は沼を渡らなくなる。
氷が厚いから渡れるはずなのに、渡らない。
「渡ったら、数え直しになるけん」と、豆腐屋のおばさんが言った。
「数え直しって、何をですか」
「そんなん、わたしに聞かれても」
おばさんは笑って、揚げをおまけに一枚くれた。
そのときも、こう言った。
「これ、今日じゅうに食べる分だけ貸しとくね」
私の母は、その言い方を最後まで気味悪がっていた。
「ものをやるのに、いちいち期限つけんでもねえ」
母は霧ヶ沼で四年暮らして、一度もその言い方を覚えなかった。
覚えなかった母が、この話のあいだ、何ひとつ起きなかった人だ。
※
二年生の秋に、転校生が来た。
朋(とも)ちゃんという子で、体が弱くて、空気のいい土地で暮らすために親戚の家へ来たのだと聞いた。
色が白くて、笑うと目が細くなる子だった。
体育はほとんど見学だったから、その時間はいつも図書室にいた。
私は図書委員で、その時間は図書当番だった。
それだけの理由で、私たちはよく話すようになった。
朋ちゃんは、本を読むのが遅かった。
一冊を三週間かけて読む。
返却日を過ぎることがしょっちゅうあった。
「延長するね」
「またあ?」
「またです」
私が貸出カードに新しい期限を書き足すと、朋ちゃんは必ずそれを覗き込んだ。
「日にちが書いてあると、安心する」
「なんで」
「返す日が決まっとるから」
そのときの私は、その言葉の意味を、ただの生真面目さだと思っていた。
朋ちゃんと私は、図書室で本の話ばかりしていたわけではない。
体育の時間、ほかの生徒がグラウンドにいるあいだ、窓から沼が見えた。
その日は、沼の氷の上に、鳥が一羽降りていた。
「あの鳥、落ちんのかな」
「氷、厚いけん」
「厚いのに、なんで町の人は渡らんの」
私は答えられなかった。
朋ちゃんは、しばらく窓に額をつけて沼を見ていた。
それから、こう言った。
「わたし、この町のそういうところ、好き」
「どういうところ」
「返す日を、ちゃんと決めるところ」
その子は、返す日が決まっているものだけを信じていたのだと思う。
いま思えば、体の弱い子が、そう考えるようになった理由はいくつも想像がつく。
当時の私は、何も想像しなかった。
※
朋ちゃんは、町の言い方をすぐに覚えた。
消しゴムを貸すときも「貸しとくね」と言う。
私が「それ、返さんでええやつでしょ」と笑うと、真顔で首を振った。
「おばちゃんに言われたの」
「なんて」
「この町でものをあげるときは、いつまで、って言いなさいって」
「期限を決めるってこと?」
「うん。決めんかったら、沼のものになるって」
私はそのとき、はじめてその作法の理由らしきものを聞いた。
朋ちゃんの親戚のおばさんは、こう説明したのだそうだ。
期限を言わずに渡したものは、渡した人のものでも、もらった人のものでもなくなる。
持ち主のいなくなったものは、沼が預かる。
そして沼は、預かったものを、いつでも取りに来られる。
「へんな町だよね」と朋ちゃんは笑った。
「へんだね」と私も笑った。
笑ったのは、たぶんあれが最後だった。
※
入院した朋ちゃんを、私は一度だけ見舞った。
盆地を出て、峠を越えた先の病院だった。
バスを二本乗り継いで、片道二時間かかった。
病室は四人部屋で、朋ちゃんは窓際にいた。
思っていたより元気そうで、私は少し拍子抜けした。
「本、持ってきた」
「読むの遅いけん、二週間じゃ無理かも」
「延長したげる」
「図書委員の権限じゃ」
そう言って、その子は笑った。
笑うと目が細くなるのは、そのときも同じだった。
帰りぎわ、朋ちゃんが私を呼び止めた。
「ねえ」
「なに」
「わたし、○○ちゃんに、いっぱい借りとるよね」
私は、何のことかわからなかった。
「本のこと?」
「ううん」
その子は、それ以上言わなかった。
私は「返さんでええよ」と言って、病室を出た。
いま思えば、あれが最初の間違いだった。
返さんでええ、というのは、この町では言ってはいけない言葉だった。
※
三年生の冬、朋ちゃんは学校へ来なくなった。
入院したと聞いた。
年が明けて、二月のはじめに、担任が朝の会でそのことを話した。
眠るように、静かだったそうだ。
私は泣かなかった。
泣けなかった、というほうが近い。
数日後、朋ちゃんの親戚のおばさんが学校へ来て、私を呼んだ。
「あの子が、あんたに」
ノートを一冊、渡された。
図書室でよく使っていた、うすい水色のノートだった。
おばさんは、それを渡すとき、はっきりこう言った。
「これは、あんたにあげます」
おばさんが帰ったあと、私は職員室の前の廊下で、その一言をもう一度思い返した。
これは、あんたにあげます。
霧ヶ沼の人は、そういう言い方をしない。
おばさんは、この町で生まれてこの町で育った人だった。
言い間違えるはずがない。
だから、あれは間違いではなかった。
期限を言わずに渡すと決めていたのだ。
おばさんが自分で決めたのか、朋ちゃんに頼まれていたのか。
私は結局、それを聞かないままになった。
おばさんは、その春に町を出て行った。
私はそのとき、何も思わなかった。
いまでも、あの一言が全部だったと思っている。
※
ノートの最後のページに、朋ちゃんの字があった。
細くて、少し右上がりの字だった。
長い文章ではない。
読書のメモが十数ページ続いたあと、最後に三行だけ。
わたしの運と、のこりのぶんを、ぜんぶ○○ちゃんにあげます。
いっぱい使ってね。
ありがとう。
○○のところには、私の名前が書いてあった。
日付は、なかった。
期限も、書いていなかった。
私はそのページを何度も読んで、それからノートを閉じた。
閉じるとき、私は口の中で何も言わなかった。
この町の作法では、貰いものにはその場で「いつまで」と口に出す。
私は、言わなかった。
言えばよかったのだ。
あの子の親戚のおばさんについて、ひとつだけ後から知ったことがある。
おばさんは、朋ちゃんが来る前の年に、自分の子どもを町の外へ出していた。
進学のためだと聞いた。
出すとき、沼の岸の杭に紐を結んで、その先に子どもの履いていた靴の片方を結んだのだそうだ。
「いつまで」と口に出すためではない。
結んでおけば、いつか取りに戻る理由になるからだと、豆腐屋のおばさんが教えてくれた。
この町の人は、そうやって、いろいろなものを預けたり、預かったりして暮らしている。
私はそれを、風変わりな習慣として眺めていた。
眺めていられるのは、預けたことも預かったこともない人間だけだ。
※
それからの私は、少しだけ運がよくなった。
宝くじが当たるような話ではない。
本当に、ささやかなことだ。
バス停に着くと、必ず一分以内にバスが来る。
傘を持たずに出た日は降らない。
試験に出るところが、前の晩に読んだページと重なる。
最初の一年は、うれしかった。
二年目に、少し様子が変わった。
私がバスに間に合った日、次のバス停で急いでいた人が乗り遅れる。
私が席替えでいい席になると、隣の子が黒板の見えない席になる。
体育館の上から金具が落ちてきた日、私は前の日から風邪で休んでいた。
金具は、私の場所に落ちたのだそうだ。
誰も怪我はしなかった。
誰も怪我をしなかったことに、私は妙な引っかかりを覚えた。
私の幸運は、誰かの不運と釣り合っているように見えた。
釣り合わせている何かが、そこにいるように思えた。
幸運の質が変わりはじめた頃のことを、もう少し書いておく。
二年目の夏、私は学校のくじ引きで旅行券を当てた。
くじを引く直前、後ろに並んでいた子が「先に引いていいよ」と言った。
その子は私の一つ後ろで、はずれを引いた。
三年目の春、私は自転車のブレーキが利かなくなって、坂の途中で止まれなくなった。
止まれないまま、交差点に入った。
そこへ来るはずの車が、その日に限って、二つ手前の信号で止まっていた。
運転していたのは、同じ学年の子のお父さんだった。
あとで聞いたら、その日、車の調子が急に悪くなったのだという。
私は無事だった。
無事だったことを、家では言わなかった。
言えば、母がその車の話をするに決まっていたからだ。
私の幸運のうしろには、いつも誰かの小さな不都合がある。
それを口に出した瞬間、何かがはっきりしてしまう気がした。
※
高校を出るとき、私は一度だけ図書室に寄った。
司書の先生は、私が中学の頃から同じ人だった。
朋ちゃんが最後に借りた本の話をした。
先生は書庫から、古い貸出カードの束を出してきた。
朋ちゃんのカードは、まだ残っていた。
最後の行の返却欄が、空白のままだった。
「返ってこんかった本があるんですか」
「本は、ちゃんとおばさんが返しに来られた」
「じゃあ、なんで空白なんですか」
先生は少し黙ってから、こう言った。
「霧ヶ沼ではね、期限を書かん貸出は、昔から禁じられとるんよ」
「学校の決まりですか」
「町の決まり」
先生は束を書庫に戻しながら、続けた。
「期限のない貸出は、返却の日も書かんことになっとる」
「書いたら、どうなるんですか」
「終わってしまうけん」
司書の先生には、もうひとつ聞いた。
「先生は、この町の人ですか」
「わたしは隣の郡から嫁に来たんよ」
「じゃあ、この決まりも、来てから覚えたんですか」
先生は、書庫の扉に手をかけたまま、少し考えてから答えた。
「覚えたというよりね」
「はい」
「守っとかんと、落ち着かんようになるんよ」
その言い方に、私はぞっとした。
怖いことを言われたからではない。
私自身が、その頃にはもう、同じようになっていたからだ。
誰かに何かを渡すとき、私は必ず「いつまで」と口に出していた。
町を出て何年経っても、それだけは抜けなかった。
その言い方が、私にはよくわからなかった。
終わってしまうのが、なぜいけないのか。
いまはわかる。
終わらせないでおけば、まだ貸したままでいられる。
返してもらう日を、こちらから決められる。
二十代の終わりに、一度だけ霧ヶ沼へ行った。
実家はもうない。
沼の周りの道だけが、記憶のとおりだった。
冬ではなかったので、氷は張っていなかった。
水面は、思っていたよりずっと黒かった。
岸に、木の杭が等間隔で並んでいた。
数えると、十七本あった。
何のための杭かはわからない。
ただ、その一本一本に、細い紐が結ばれていた。
紐の先には何もついていなかった。
結んだ人が、何かを結びつけて、あとで持って帰ったのだと思う。
私はそのとき、自分の鞄の中にノートが入っていることを思い出した。
持ってきたつもりはなかった。
入れた記憶もなかった。
私は鞄を開けずに、そのまま駅へ戻った。
※
私は町を出て、就職して、結婚した。
霧ヶ沼のことは、年に何度も思い出さなくなった。
思い出すのは、冬の夜に、遠くで木が裂けるような音を聞いたときくらいだ。
そういう日には、ノートを出して最後のページを読んだ。
読んで、閉じて、また引き出しに戻す。
三十四のとき、子どもが生まれた。
予定日より二週間早い、二月のはじめだった。
分娩が長引いて、生まれたのは明け方だった。
病室に移されて、私は眠りかけていた。
横のコットで、赤ん坊が小さく息をしていた。
そのとき、耳のすぐそばで、声がした。
細くて、少し高くて、笑うと目が細くなる子の声だった。
「返してもらうね」
私は目を開けた。
部屋には、赤ん坊と私しかいなかった。
※
その日が何月何日だったのか、私はカレンダーで確かめた。
二月の、朋ちゃんが最後に登校した日と同じ日だった。
私はそのとき、はじめて全部を思い出した。
この町では、貰いものにはその場で期限を言う。
期限を言わない貰いものは、いつ取りに来られても文句が言えない。
「返してもらうね」と、あの子は言った。
私は一度も、いつまで、と言っていなかった。
子どもが生まれた年の冬、私は久しぶりに氷の鳴る音を聞いた。
住んでいるのは盆地ではない。
近くに沼も湖もない、平らな住宅地だ。
それでも、夜中に、遠くで木が裂けるような音がした。
私は起き上がって、しばらく窓の外を見ていた。
音は、二度した。
二度めのあと、コットの赤ん坊が短く笑った。
目は閉じたままだった。
※
子どもは、健康に育っている。
言葉も遅くなかったし、よく笑う。
ただ、時々、私の顔をじっと見る。
目を合わせて笑いかけても、笑い返さない。
私の顔を見ているのではないような気がすることがある。
私の、少し後ろのあたりを見ている。
去年、その子が四歳になったとき、公園で見知らぬ子から風船をもらった。
私が何か言うより先に、その子ははっきりこう言った。
「あしたまで、かりとくね」
私は、その言葉をどこでも教えていない。
霧ヶ沼には、一度も連れて行っていない。
※
あれから、私は運のいい日が減った。
バスは行ってしまうし、傘は忘れた日に限って降る。
それでいいと思っている。
返すものは、返さなければいけない。
ただ、ひとつだけわからないことがある。
朋ちゃんがくれたのは、運と、のこりのぶん、の二つだった。
運は、返ったのだと思う。
もう一つのほうを、あの子がいつ取りに来るのか、私は知らない。
ノートの最後のページには、いまも日付が入っていない。
私は、これからも書かないでおくつもりだ。