祖母は米粒を七十年見なかった
日本のものを家に一つも置かなかった祖母の遺品から、色の抜けた日本のお守りが出てきました。中には皺だらけの紙が一枚と、米粒がひとつだけ。七十年のあいだ誰も触らなか…
日本のものを家に一つも置かなかった祖母の遺品から、色の抜けた日本のお守りが出てきました。中には皺だらけの紙が一枚と、米粒がひとつだけ。七十年のあいだ誰も触らなか…
広島の山あいの町の小さな公園で、サヨちゃんという子と砂のトンネルを掘った。真ん中で手が触れるはずの距離で、俺の手首を掴んだものがある。彼女はいつも滑り台の裏から…
大学三年の夏、フィンランドの港町のホテルで、午前二時半に広場の叫び声を聞いた親父の話。三十年後に見つかった一枚の写真の裏に、薄い鉛筆で書かれた英語の一行があった…
運送会社の空き家倉庫で、二階には上がるなと言われた忠告を破ってしまった夜。階段を後ろ向きに昇った友人は、奥の部屋で、さしあげますから、と繰り返し呟いていた。入院…
霊園の裏手の山道に、公衆電話が一台だけ立っていた。友人が見つけたのは電話機の下の金属板の正の字で、そのときはまだ三画だった。受話器から聞こえた「かあとみ」の意味…
小学生の頃に作った怖い話が学校中に広まり、泣きじゃくる私に祖父は、遠い山の村で起きた出来事を語ってくれた。その話に出てきた入ってはいけない場所とは何だったのか。…
小学校に上がる前の夏、祖母の家の山道で出会った着物の少女。三年間、毎日のように遊んだ彼女は、名前を一度だけ教えてくれた。高熱の五日間と消えた山、親戚の子が見せた…
カンザス南東部にある名前のない支流には、日が暮れたら糸を巻かずに切って帰るという古い決まりが残っていました。向こう岸に立っていた灰色の生き物が頭を左右にゆっくり…
会津の谷を走る夜の列車で目を覚ますと、駅名標のない板だけのホームに停まっていました。翌朝、定期券には、この線のどこにも存在しない形の鋏の痕がもう一つだけ増えてい…
煙が上がっとる三日のあいだは、はざまで人と口をきくな——父の言い付けを、小学生だった俺は何も知らずに破りました。昭和五十七年の常滑で五回だけ会った男と、母のカレ…
大隅の谷の社に、いつ行っても待っている坊主頭の子がいました。別れぎわは必ず「またね」で、たった一度だけ「さいなら」と言われた。十三年後に見た神社庁の名簿には、常…
那須野が原の写真館を継いだ年、疏水の改修を撮ったフィルムのコマ番号がひとつだけ飛んでいました。景色がつながるように並べ直した晩、庭の外にあったのは石積みの水路と…
谷で拾った字は声に出して読むな——祖母の言い付けを、俺は面倒くさがって妹に押し付けました。その晩から妹は声を失い、三十七日目に姿を消します。徳島の山あいの集落で…
霧の晩、島へ帰る最終の連絡船が、灯の入らない桟橋に着きました。乗客は全員そこで降り、私の腕時計だけが止まっていました。舫い綱をめぐる島の古い作法と、それから三十…
紀伊の山奥の集落へ向かう昼のバス。子どもがぐずったので途中の停留所で降り、定食屋に入った十分後、テレビはそのバスの事故を報じました。妻がこぼした一言の本当の意味…
昭和六十年の夏、川原に建つ見世物小屋で木戸番をしました。祖父に言われたのは、釣りを先に渡せという一言だけです。幕の内から響く拍手、濡れる地面、減っていく矢印、十…
取り壊し寸前の屋敷を実測した日、鋼の巻尺は必ず突き当たりの二尺手前で止まりました。翌朝に写された間取り図の廊下は、それから十四日ごとに二尺ずつ伸びていきます。平…
一歳半の息子が携帯を触った昼、見知らぬ差出人から一行だけ届きました。あなたはだあれ。送信の記録はどこにもなく、受信の時刻は息子が触る二十五分前でした。佐渡の海辺…
人見知りをしない双子の弟は、人の顔ではなく頭ひとつ上を見て笑う子でした。二十年ぶりに訪ねてきた同級生を見て、姉が初めて泣き叫んだ雨の日。三和土に残された素足の跡…
丹波の谷の朝は、鳴るはずのない六時の鐘で始まった。鐘楼の鐘は昭和19年に供出されたのに、先代住職が空を撞くと谷いっぱいに音が響く。霜の丸い融け跡、受領印のない台…
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