2才児の直感

うちの双子は、二つになるまで、家の中の何もない場所に向かって手を振る子だった。

嫁いだ先は、奥美濃の川沿いにある古い町だった。

家は築八十年で、土間と、黒光りする上がり框がある。

冬は川からの風が戸の隙間を鳴らし、夏は水の音が一日じゅう家の裏で続いていた。

双子が生まれたのは、その家に移って二年目のことだ。

姉が結衣で、弟が悠真という。

双子というだけで、町の人はよく声をかけてくれた。

買い物に出れば、知らないお年寄りに手を握られ、頬をつつかれる。

だからうちの子たちは、人見知りというものをまるでしなかった。

誰に抱かれても笑うし、初めての人にも自分から手を伸ばす。

「天使やねえ」と、近所のおばさんによく言われた。

ただ、悠真だけは、少し違う笑い方をした。

抱いてくれた人の顔を見ずに笑うのだ。

顔ではなく、その人の頭ひとつ分ほど上を見て、そこへ向かって笑う。

弟のほうは、人の顔ではなく、いつも頭ひとつ分上を見て笑う子だった。

最初は目の焦点が合っていないだけかと思った。

三か月健診でも、半年健診でも、何も言われなかった。

廊下の突き当たりに向かって手を振ることもあった。

そこには何もない。

障子と、祖父の代からの箪笥があるだけだ。

それでも悠真は、何度も手を振り、そのたびに満足したように手を下ろした。

双子の世話は、想像していたより淡々としたものだった。

泣くのも交代で、眠るのも交代だから、私はいつも半分だけ眠っていた。

夜中、家の裏を流れる川の音が、ふっと大きくなる時間がある。

川霧が立つと音が近くなるのだと、義母が教えてくれた。

その時間に限って、悠真は目を開けていた。

泣きはしない。

ただ、天井のほうを見て、口を小さく開けている。

「川の音、聞いとるんやわ」

義母はそう言って笑った。

私も、そう思うことにしていた。

隣の隣に、キヨ婆さんという人が住んでいた。

若いころは町の産婆で、この谷筋の子はみんな取り上げたのだと言っていた。

うちに来ると、必ず双子の足の裏を触る。

「三つまではな、この子らは、こっちとあっちに片足ずつ置いとるんよ」

「あっちって、どこですか」

「そら、あんたに見えるとこと違うわ」

婆さんはそう言って、笑いながら茶を飲んだ。

「せやから、この子らが泣いたら、その人の顔を見たらあかん」

「じゃあ、どこを」

「頭ひとつ上を見るんよ」

当時の私は、それを昔ながらの言い伝えとして聞いていた。

手を振る癖のことも、婆さんに言えばよかったのだが、言わなかった。

言えば本当になってしまいそうで、なんとなく避けていたのだと思う。

三崎さんのことを思い出すと、真っ先に浮かぶのは中学の修学旅行だ。

班の会計を任された私は、集めた金を三崎さんに預けられて、足りない分を自分の小遣いで埋めた。

「あんた、細かいの得意やろ」

そう言われて、断らなかった。

高校の入学祝いに親から買ってもらった腕時計も、貸したまま返ってこなかった。

返して、と言えないのが私の性分だった。

そういう相手を、あの人はよく見ていたのだと思う。

三崎さんから連絡が来たのは、双子が二歳になった春だった。

中学の同級生で、二十年会っていなかった。

昔から要領のいい人で、人のものを自分のもののように使うところがあった。

高校に上がるころには、私のほうから距離を取っていた。

それが、どこで調べたのか、私の実家に何度も電話をかけてきていたらしい。

母が困り果てて、私に連絡先を渡してしまった。

「昔の友達やろ。感じよう喋ってはったよ」

母はそう言った。

実家を知られている以上、逃げようがなかった。

人は変わるものだと、私は自分に言い聞かせた。

約束の日が近づくにつれ、私は妙に眠りが浅くなった。

断ろうと何度も思った。

けれど断る理由を考えているうちに、日が来てしまった。

断れないというのは、私の一番古い癖だ。

来訪の前の日、家じゅうの時計が遅れた。

台所の壁掛けも、寝室の目覚ましも、居間の柱時計も、そろって十二分遅れていた。

電池を替えたばかりだった。

夫は「そういうこともある」と言って、順に直していった。

直した翌朝、また同じだけ遅れていた。

十二分。

きっちり同じ数字だったのが、いま思えば気持ちの悪いところだ。

当日は、朝から雨だった。

約束は二時で、私は一時半から双子を風呂場に入れていた。

おむつを替え、おしりを洗い、順番に体を拭く。

双子だから、ひとりを終えないと次に移れない。

結衣を拭き終えて、悠真を洗おうとしたとき、チャイムが鳴った。

「はーい、ちょっと待ってくださーい」

声を張ったが、雨の音でかき消された気がした。

結衣がタオルを引きずったまま、廊下を走っていった。

止める間がなかった。

次の瞬間、玄関のほうで、聞いたことのない声が上がった。

結衣の泣き声だった。

叫ぶような、喉の奥から絞り出すような泣き方だった。

私は濡れた手のまま、悠真を抱えて廊下へ出た。

玄関の戸は開いていた。

三崎さんが、勝手に土間へ入って、上がり框に片足をかけていた。

「久しぶり。ごめんね、雨やったから」

三崎さんは笑っていた。

その足元で、結衣が座り込んで泣いていた。

私は結衣を抱き上げて、懸命になだめた。

「ごめんなさい、この子、人見知りせん子なんですけど」

「疲れとるんちゃう。双子は大変やもんね」

三崎さんは気にする様子もなく、靴を脱いで上がってきた。

そのとき、腕の中の悠真が、静かになった。

泣きもせず、暴れもせず、じっと一点を見ていた。

三崎さんの顔ではなかった。

あの子が見上げたのは、三崎さんの顔ではなかった。

視線は、三崎さんの頭より、ひとつ分ほど上で止まっていた。

そこには、天井の木目しかない。

悠真はまばたきもせず、そこを見ていた。

それから、私の首に顔を押しつけて、動かなくなった。

話しているあいだ、三崎さんの目は、一度も私の目を見なかった。

部屋の隅や、仏壇や、私の背後を順に見ていた。

「ええ家やねえ。何年」

「八十年くらいって聞いてます」

「土地も広いんやろ」

「わかりません。義父の名義なので」

三崎さんは「そう」と言って、湯呑みを置いた。

置いた場所が、ちょうど日の当たらないところだった。

雨なのだから当たり前なのに、私はそのとき、この人の周りだけ光が減っている気がした。

結衣は、二時間ずっと私の膝から離れなかった。

あんなに人懐こい子が、顔を上げようともしなかった。

三崎さんは二時間いた。

話の半分は昔話で、半分は保険と土地の話だった。

途中から、私は相槌だけを打っていた。

茶を出そうと台所へ立ったとき、居間の柱時計を見た。

止まっていた。

二時十二分だった。

帰ったあと、私は玄関を掃除した。

雨だったから、三和土が濡れていた。

濡れた足跡が、二人分あった。

三崎さんの、細いヒールの跡がひとつ。

その後ろに、もう一組。

素足の形をしていた。

雨の日に、素足で来る人はいない。

大きさは、大人の女の足ほどだった。

指の跡までは残っていない。

土踏まずのくぼみだけが、白く抜けていた。

跡は上がり框の手前で消えていた。

框より奥は、乾いた廊下が続いている。

私は雑巾を持ったまま、しばらくその跡を見ていた。

拭いてしまうのが、なぜか怖かった。

結衣は、その日から三日ほど夜泣きをした。

抱いても反らずに、私の襟をきつく握って離さない。

熱もなく、耳も異常なし。

小児科の先生は「双子はよくあります」と言った。

けれど、泣き方が違った。

怖がって泣く子の声を、私はそのとき初めて知った。

その晩から、上がり框が鳴るようになった。

人が座ったときの、あの、木がゆっくり沈む音だ。

夜中の二時ごろ、決まって一度だけ鳴る。

夫は「家が古いからな」と言って寝返りを打った。

三日目の夜、私は起きて廊下を見にいった。

何もいなかった。

ただ、上がり框の埃が、人ひとり分だけ払われていた。

三日目の昼、悠真が上がり框に向かって手を振った。

廊下ではなく、框の、誰も座っていない場所に向かってだ。

振り終えると、いつものように満足そうに手を下ろした。

私はそのとき初めて、この子の癖の意味を考えた。

手を振るというのは、そこに誰かがいると思っているということだ。

四日目に、キヨ婆さんが来た。

呼んでいないのに、朝いちばんに戸を叩いた。

婆さんは土間に立ったまま、家の奥を見て言った。

「あんた、こないだ、誰か連れて来たね」

「連れてって、お客さんが来ただけです」

「ひとりで来はったか」

「ひとりです」

婆さんは、それには答えなかった。

上がり框をひと撫でして、指の腹を見た。

「そのお客さん、あんたに何か持ちかけへんかった」

私は言葉に詰まった。

確かに、三崎さんは帰りぎわに「ええ話があるんよ」と言っていた。

婆さんは、それから静かに言った。

「あの子はな、あの人を見て泣いたんやない。あの人の後ろにおる人と、目が合うたんよ」

私は、婆さんの顔を見た。

「後ろに、何かいるんですか」

「おる人はな、その人が誰かを騙すたんびに、ひとりずつ増えるんよ」

「増える」

「背中は、自分では見えんやろ。せやから、みんな平気で連れて歩くんや」

婆さんはそれだけ言って、帰っていった。

帰りぎわ、上がり框に塩を置いていった。

翌朝、その塩は、片側だけ湿っていた。

婆さんは、帰る前にひとつだけ話をしていった。

戦後すぐ、川向こうの家で、同じことがあったのだという。

よその土地から来た人が親戚だと名乗って上がり込み、家の判を持っていった。

その家の赤ん坊は、その人が来るたびに泣いた。

「泣かん日もあったんよ」

「どういう日ですか」

「その人が、何も企んどらん日や」

婆さんはそう言って、湯呑みの底を見た。

「子はな、人を見とるんとちゃう。人が連れとるもんを見とるんよ」

三崎さんの用件が何だったのかは、その月のうちにわかった。

実家に、また電話がかかっていた。

私の名前を出して、母に判を押させようとしていたらしい。

土地の権利がどうの、名義がどうのという話だった。

母は途中で怖くなって、私に電話をよこした。

「あんた、あの子と何か約束したん」

していない、と私は言った。

それから、私は二度目の絶縁をした。

母は、私に判を押させようとしていたことを最後まで信じなかった。

「あんたの思い過ごしやろ」

何度説明しても、母の中の三崎さんは「感じのええ子」のままだった。

その頑固さのほうが、私にはこたえた。

人を騙す人は、まず、その人をいちばん信じる人から入ってくる。

それで終わりではなかった。

三崎さんは、しばらく粘着した。

実家の前に車を停めたり、私の携帯に非通知でかけてきたり。

警察に相談する寸前まで行って、ある日ぱたりとやんだ。

共通の知人によると、遠くへ引っ越したらしい。

その知人は、電話の最後にこう言った。

「あの人な、最近すごい痩せてはるわ。後ろから押されるみたいに歩くんやって」

その年の秋、私は近所の写真館に古い写真の整理を頼んだ。

預けた中に、あの日の前後に撮った家族写真もあった。

仕上がりを受け取りに行くと、店主が一枚だけ抜き出して見せた。

「奥さん、これ、ガラスに何か写っとりますね」

居間で撮った双子の写真だった。

背後の障子の紙に、うっすらと縦の影がある。

人の形かと言われれば、そう見えなくもない程度のものだ。

「雨の日でしたか」

「雨でした」

店主は「湿気ですわ」と言って、それ以上は何も言わなかった。

けれど、写真をこちらに渡す手つきが、少し早かった。

双子が三つになる少し前、悠真がはっきりと言葉を話すようになった。

ある晩、風呂上がりに廊下を指さして、こう言った。

「うしろのひと、かえった」

「誰の後ろ」

「おきゃくさんの」

私は、タオルを持つ手が止まった。

「どんな人やった」

悠真は少し考えて、こう答えた。

「かおが、なかった」

それきり、その話はしなくなった。

三つの誕生日を過ぎてから、悠真は上を見なくなった。

廊下に手を振ることも、人の頭の上を見て笑うこともなくなった。

ほっとして、キヨ婆さんに報告した。

婆さんは、湯呑みを両手で包んだまま言った。

「見えんようになったんとちゃうよ」

「え」

「向こうが、この子を見るのをやめただけや」

婆さんは、その年の冬に亡くなった。

塩の置き方を教わっておけばよかったと、いまでも思う。

数年前、家を建て替える話が出た。

見積もりを取り、図面まで引いた。

けれど義父が最後に、上がり框だけは残したいと言い出した。

理由は聞かなかった。

結局、建て替えの話そのものが流れた。

いまも、あの黒い框は同じ場所にある。

夜中に鳴ることは、もうない。

双子は今年、小学四年になった。

去年の正月、古い写真の箱を出して、家族で眺めていた。

町内の集合写真が何枚もある。

昭和の終わりごろの、川べりで撮ったものだ。

悠真がそのうちの一枚を持ち上げて、こう言った。

「このひと、うちに来たことある」

指さした先には、後列の端に立つ、白っぽい着物の女性がいた。

私の知らない人だった。

夫も、義母も、誰も名前がわからないと言った。

写真の裏には、参加者の名前が十七人分書いてある。

写っている人の数は、十八人だった。

写真の裏の名前を、私は一晩かけて義母と照らし合わせた。

十七人の名は、全員が町内の人だった。

写っている十八人目だけが、どの名にも当てはまらない。

義母は最後に、写真を裏返して置いた。

「この人、後列やのに、なんで前の人より大きく写っとるんやろね」

言われて見直すと、確かにその人だけ、身の丈が半分ほど高かった。

あれから、私は人の後ろを見る癖がついた。

見えたことは一度もない。

それでいいのだと思う。

ただ、あの雨の日の三和土に残っていた素足の跡が、いまでもときどき目に浮かぶ。

あの跡は、玄関から家の奥に向かって、一組だけ続いていた。

外へ出ていった跡は、私が拭くまで、どこにもなかった。

あの跡がどこへ行ったのかを、私はいまも考える。

家の奥へ入ったものは、どこかで出ていったはずだ。

出ていった跡がないということは、そういうことなのだと思う。

それでも、この家はもう鳴らない。

婆さんの塩の置き方だけは、湿った側を覚えている。

年に一度、雨の日に、私はそこへ塩を置く。

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