うちの双子は、二つになるまで、家の中の何もない場所に向かって手を振る子だった。
※
嫁いだ先は、奥美濃の川沿いにある古い町だった。
家は築八十年で、土間と、黒光りする上がり框がある。
冬は川からの風が戸の隙間を鳴らし、夏は水の音が一日じゅう家の裏で続いていた。
双子が生まれたのは、その家に移って二年目のことだ。
姉が結衣で、弟が悠真という。
双子というだけで、町の人はよく声をかけてくれた。
買い物に出れば、知らないお年寄りに手を握られ、頬をつつかれる。
だからうちの子たちは、人見知りというものをまるでしなかった。
誰に抱かれても笑うし、初めての人にも自分から手を伸ばす。
「天使やねえ」と、近所のおばさんによく言われた。
※
ただ、悠真だけは、少し違う笑い方をした。
抱いてくれた人の顔を見ずに笑うのだ。
顔ではなく、その人の頭ひとつ分ほど上を見て、そこへ向かって笑う。
弟のほうは、人の顔ではなく、いつも頭ひとつ分上を見て笑う子だった。
最初は目の焦点が合っていないだけかと思った。
三か月健診でも、半年健診でも、何も言われなかった。
廊下の突き当たりに向かって手を振ることもあった。
そこには何もない。
障子と、祖父の代からの箪笥があるだけだ。
それでも悠真は、何度も手を振り、そのたびに満足したように手を下ろした。
※
双子の世話は、想像していたより淡々としたものだった。
泣くのも交代で、眠るのも交代だから、私はいつも半分だけ眠っていた。
夜中、家の裏を流れる川の音が、ふっと大きくなる時間がある。
川霧が立つと音が近くなるのだと、義母が教えてくれた。
その時間に限って、悠真は目を開けていた。
泣きはしない。
ただ、天井のほうを見て、口を小さく開けている。
「川の音、聞いとるんやわ」
義母はそう言って笑った。
私も、そう思うことにしていた。
隣の隣に、キヨ婆さんという人が住んでいた。
若いころは町の産婆で、この谷筋の子はみんな取り上げたのだと言っていた。
うちに来ると、必ず双子の足の裏を触る。
「三つまではな、この子らは、こっちとあっちに片足ずつ置いとるんよ」
「あっちって、どこですか」
「そら、あんたに見えるとこと違うわ」
婆さんはそう言って、笑いながら茶を飲んだ。
「せやから、この子らが泣いたら、その人の顔を見たらあかん」
「じゃあ、どこを」
「頭ひとつ上を見るんよ」
当時の私は、それを昔ながらの言い伝えとして聞いていた。
手を振る癖のことも、婆さんに言えばよかったのだが、言わなかった。
言えば本当になってしまいそうで、なんとなく避けていたのだと思う。
※
三崎さんのことを思い出すと、真っ先に浮かぶのは中学の修学旅行だ。
班の会計を任された私は、集めた金を三崎さんに預けられて、足りない分を自分の小遣いで埋めた。
「あんた、細かいの得意やろ」
そう言われて、断らなかった。
高校の入学祝いに親から買ってもらった腕時計も、貸したまま返ってこなかった。
返して、と言えないのが私の性分だった。
そういう相手を、あの人はよく見ていたのだと思う。
三崎さんから連絡が来たのは、双子が二歳になった春だった。
中学の同級生で、二十年会っていなかった。
昔から要領のいい人で、人のものを自分のもののように使うところがあった。
高校に上がるころには、私のほうから距離を取っていた。
それが、どこで調べたのか、私の実家に何度も電話をかけてきていたらしい。
母が困り果てて、私に連絡先を渡してしまった。
「昔の友達やろ。感じよう喋ってはったよ」
母はそう言った。
実家を知られている以上、逃げようがなかった。
人は変わるものだと、私は自分に言い聞かせた。
※
約束の日が近づくにつれ、私は妙に眠りが浅くなった。
断ろうと何度も思った。
けれど断る理由を考えているうちに、日が来てしまった。
断れないというのは、私の一番古い癖だ。
来訪の前の日、家じゅうの時計が遅れた。
台所の壁掛けも、寝室の目覚ましも、居間の柱時計も、そろって十二分遅れていた。
電池を替えたばかりだった。
夫は「そういうこともある」と言って、順に直していった。
直した翌朝、また同じだけ遅れていた。
十二分。
きっちり同じ数字だったのが、いま思えば気持ちの悪いところだ。
※
当日は、朝から雨だった。
約束は二時で、私は一時半から双子を風呂場に入れていた。
おむつを替え、おしりを洗い、順番に体を拭く。
双子だから、ひとりを終えないと次に移れない。
結衣を拭き終えて、悠真を洗おうとしたとき、チャイムが鳴った。
「はーい、ちょっと待ってくださーい」
声を張ったが、雨の音でかき消された気がした。
結衣がタオルを引きずったまま、廊下を走っていった。
止める間がなかった。
※
次の瞬間、玄関のほうで、聞いたことのない声が上がった。
結衣の泣き声だった。
叫ぶような、喉の奥から絞り出すような泣き方だった。
私は濡れた手のまま、悠真を抱えて廊下へ出た。
玄関の戸は開いていた。
三崎さんが、勝手に土間へ入って、上がり框に片足をかけていた。
「久しぶり。ごめんね、雨やったから」
三崎さんは笑っていた。
その足元で、結衣が座り込んで泣いていた。
私は結衣を抱き上げて、懸命になだめた。
「ごめんなさい、この子、人見知りせん子なんですけど」
「疲れとるんちゃう。双子は大変やもんね」
三崎さんは気にする様子もなく、靴を脱いで上がってきた。
※
そのとき、腕の中の悠真が、静かになった。
泣きもせず、暴れもせず、じっと一点を見ていた。
三崎さんの顔ではなかった。
あの子が見上げたのは、三崎さんの顔ではなかった。
視線は、三崎さんの頭より、ひとつ分ほど上で止まっていた。
そこには、天井の木目しかない。
悠真はまばたきもせず、そこを見ていた。
それから、私の首に顔を押しつけて、動かなくなった。
※
話しているあいだ、三崎さんの目は、一度も私の目を見なかった。
部屋の隅や、仏壇や、私の背後を順に見ていた。
「ええ家やねえ。何年」
「八十年くらいって聞いてます」
「土地も広いんやろ」
「わかりません。義父の名義なので」
三崎さんは「そう」と言って、湯呑みを置いた。
置いた場所が、ちょうど日の当たらないところだった。
雨なのだから当たり前なのに、私はそのとき、この人の周りだけ光が減っている気がした。
結衣は、二時間ずっと私の膝から離れなかった。
あんなに人懐こい子が、顔を上げようともしなかった。
三崎さんは二時間いた。
話の半分は昔話で、半分は保険と土地の話だった。
途中から、私は相槌だけを打っていた。
茶を出そうと台所へ立ったとき、居間の柱時計を見た。
止まっていた。
二時十二分だった。
※
帰ったあと、私は玄関を掃除した。
雨だったから、三和土が濡れていた。
濡れた足跡が、二人分あった。
三崎さんの、細いヒールの跡がひとつ。
その後ろに、もう一組。
素足の形をしていた。
雨の日に、素足で来る人はいない。
大きさは、大人の女の足ほどだった。
指の跡までは残っていない。
土踏まずのくぼみだけが、白く抜けていた。
跡は上がり框の手前で消えていた。
框より奥は、乾いた廊下が続いている。
私は雑巾を持ったまま、しばらくその跡を見ていた。
拭いてしまうのが、なぜか怖かった。
※
結衣は、その日から三日ほど夜泣きをした。
抱いても反らずに、私の襟をきつく握って離さない。
熱もなく、耳も異常なし。
小児科の先生は「双子はよくあります」と言った。
けれど、泣き方が違った。
怖がって泣く子の声を、私はそのとき初めて知った。
その晩から、上がり框が鳴るようになった。
人が座ったときの、あの、木がゆっくり沈む音だ。
夜中の二時ごろ、決まって一度だけ鳴る。
夫は「家が古いからな」と言って寝返りを打った。
三日目の夜、私は起きて廊下を見にいった。
何もいなかった。
ただ、上がり框の埃が、人ひとり分だけ払われていた。
※
三日目の昼、悠真が上がり框に向かって手を振った。
廊下ではなく、框の、誰も座っていない場所に向かってだ。
振り終えると、いつものように満足そうに手を下ろした。
私はそのとき初めて、この子の癖の意味を考えた。
手を振るというのは、そこに誰かがいると思っているということだ。
四日目に、キヨ婆さんが来た。
呼んでいないのに、朝いちばんに戸を叩いた。
婆さんは土間に立ったまま、家の奥を見て言った。
「あんた、こないだ、誰か連れて来たね」
「連れてって、お客さんが来ただけです」
「ひとりで来はったか」
「ひとりです」
婆さんは、それには答えなかった。
上がり框をひと撫でして、指の腹を見た。
「そのお客さん、あんたに何か持ちかけへんかった」
私は言葉に詰まった。
確かに、三崎さんは帰りぎわに「ええ話があるんよ」と言っていた。
※
婆さんは、それから静かに言った。
「あの子はな、あの人を見て泣いたんやない。あの人の後ろにおる人と、目が合うたんよ」
私は、婆さんの顔を見た。
「後ろに、何かいるんですか」
「おる人はな、その人が誰かを騙すたんびに、ひとりずつ増えるんよ」
「増える」
「背中は、自分では見えんやろ。せやから、みんな平気で連れて歩くんや」
婆さんはそれだけ言って、帰っていった。
帰りぎわ、上がり框に塩を置いていった。
翌朝、その塩は、片側だけ湿っていた。
※
婆さんは、帰る前にひとつだけ話をしていった。
戦後すぐ、川向こうの家で、同じことがあったのだという。
よその土地から来た人が親戚だと名乗って上がり込み、家の判を持っていった。
その家の赤ん坊は、その人が来るたびに泣いた。
「泣かん日もあったんよ」
「どういう日ですか」
「その人が、何も企んどらん日や」
婆さんはそう言って、湯呑みの底を見た。
「子はな、人を見とるんとちゃう。人が連れとるもんを見とるんよ」
三崎さんの用件が何だったのかは、その月のうちにわかった。
実家に、また電話がかかっていた。
私の名前を出して、母に判を押させようとしていたらしい。
土地の権利がどうの、名義がどうのという話だった。
母は途中で怖くなって、私に電話をよこした。
「あんた、あの子と何か約束したん」
していない、と私は言った。
それから、私は二度目の絶縁をした。
※
母は、私に判を押させようとしていたことを最後まで信じなかった。
「あんたの思い過ごしやろ」
何度説明しても、母の中の三崎さんは「感じのええ子」のままだった。
その頑固さのほうが、私にはこたえた。
人を騙す人は、まず、その人をいちばん信じる人から入ってくる。
それで終わりではなかった。
三崎さんは、しばらく粘着した。
実家の前に車を停めたり、私の携帯に非通知でかけてきたり。
警察に相談する寸前まで行って、ある日ぱたりとやんだ。
共通の知人によると、遠くへ引っ越したらしい。
その知人は、電話の最後にこう言った。
「あの人な、最近すごい痩せてはるわ。後ろから押されるみたいに歩くんやって」
※
その年の秋、私は近所の写真館に古い写真の整理を頼んだ。
預けた中に、あの日の前後に撮った家族写真もあった。
仕上がりを受け取りに行くと、店主が一枚だけ抜き出して見せた。
「奥さん、これ、ガラスに何か写っとりますね」
居間で撮った双子の写真だった。
背後の障子の紙に、うっすらと縦の影がある。
人の形かと言われれば、そう見えなくもない程度のものだ。
「雨の日でしたか」
「雨でした」
店主は「湿気ですわ」と言って、それ以上は何も言わなかった。
けれど、写真をこちらに渡す手つきが、少し早かった。
双子が三つになる少し前、悠真がはっきりと言葉を話すようになった。
ある晩、風呂上がりに廊下を指さして、こう言った。
「うしろのひと、かえった」
「誰の後ろ」
「おきゃくさんの」
私は、タオルを持つ手が止まった。
「どんな人やった」
悠真は少し考えて、こう答えた。
「かおが、なかった」
それきり、その話はしなくなった。
※
三つの誕生日を過ぎてから、悠真は上を見なくなった。
廊下に手を振ることも、人の頭の上を見て笑うこともなくなった。
ほっとして、キヨ婆さんに報告した。
婆さんは、湯呑みを両手で包んだまま言った。
「見えんようになったんとちゃうよ」
「え」
「向こうが、この子を見るのをやめただけや」
婆さんは、その年の冬に亡くなった。
塩の置き方を教わっておけばよかったと、いまでも思う。
※
数年前、家を建て替える話が出た。
見積もりを取り、図面まで引いた。
けれど義父が最後に、上がり框だけは残したいと言い出した。
理由は聞かなかった。
結局、建て替えの話そのものが流れた。
いまも、あの黒い框は同じ場所にある。
夜中に鳴ることは、もうない。
双子は今年、小学四年になった。
去年の正月、古い写真の箱を出して、家族で眺めていた。
町内の集合写真が何枚もある。
昭和の終わりごろの、川べりで撮ったものだ。
悠真がそのうちの一枚を持ち上げて、こう言った。
「このひと、うちに来たことある」
指さした先には、後列の端に立つ、白っぽい着物の女性がいた。
私の知らない人だった。
夫も、義母も、誰も名前がわからないと言った。
写真の裏には、参加者の名前が十七人分書いてある。
写っている人の数は、十八人だった。
※
写真の裏の名前を、私は一晩かけて義母と照らし合わせた。
十七人の名は、全員が町内の人だった。
写っている十八人目だけが、どの名にも当てはまらない。
義母は最後に、写真を裏返して置いた。
「この人、後列やのに、なんで前の人より大きく写っとるんやろね」
言われて見直すと、確かにその人だけ、身の丈が半分ほど高かった。
※
あれから、私は人の後ろを見る癖がついた。
見えたことは一度もない。
それでいいのだと思う。
ただ、あの雨の日の三和土に残っていた素足の跡が、いまでもときどき目に浮かぶ。
あの跡は、玄関から家の奥に向かって、一組だけ続いていた。
外へ出ていった跡は、私が拭くまで、どこにもなかった。
あの跡がどこへ行ったのかを、私はいまも考える。
家の奥へ入ったものは、どこかで出ていったはずだ。
出ていった跡がないということは、そういうことなのだと思う。
それでも、この家はもう鳴らない。
婆さんの塩の置き方だけは、湿った側を覚えている。
年に一度、雨の日に、私はそこへ塩を置く。