
あの家にいたのは、二年半だけだ。
それでも私は、いまだに携帯の受信音を、初期設定から変えられない。
変えると、あの音と区別がつかなくなるからだ。
※
平成九年の春、私は二十六で、佐渡の相川に近い海辺の借家に住んでいた。
夫は貨物船の機関員で、家にいるのは年に三ヶ月ほど。
あとは、私と、一歳半の息子の二人だった。
借家は、旧道から浜へ下りる坂の途中にあった。
平屋で、玄関を開けるとすぐ土間になっている。
土間は夏でも冷たくて、息子はそこを這うのが好きだった。
佐渡の冬は、雪よりも風が先に来る。
海から吹き上がってくる風は、坂の途中で音の高さが変わる。
低いところでは唸り、上のほうでは笛のようになる。
それを聞き分けられるようになったのは、住んで半年ほどしてからだ。
日中、話す相手はいない。
息子はまだ言葉が出ないから、私はずっと自分の声だけを聞いていた。
洗濯物を干しながら、天気の話を独りで言う。
「よう乾くわね」
言ってしまってから、返事のないことに気づいて、少し笑う。
寂しくはなかった、と書くと嘘になる。
ただ、寂しさに名前を付けないようにしていた。
家賃が安いのには理由があった。
風の強い日は、雨戸が一晩鳴りやまない。
それと、南側の壁の外に、太い黒い管が一本、地面から出ていた。
「あれは、線が入ってた管やと」
隣のトメさんは、そう教えてくれた。
トメさんは八十過ぎの一人暮らしで、毎朝、私の家の前を通って浜へ下りる。
「線?」
「海の底の、電話の線」
聞けば、その坂の下には昔、海底ケーブルを陸へ上げる小屋があったのだという。
戦前からのもので、いまは基礎だけが残っている。
「使わんようになって、もう三十年よ」
トメさんはそう言って、管の口を指でつついた。
管の中は、砂で埋まっていた。
トメさんは毎朝、腰に小さな籠を下げて浜へ下りる。
籠の中は、季節によって変わった。
春はわかめ、秋は流れ着いた木の枝。
「燃やすと、よう匂うんよ」
「木の枝?」
「船の木は、匂いがちがうんや」
そういう話を、私は毎朝、五分ほど聞いた。
その五分が、あの二年半でいちばん人間らしい時間だった。
公民館に置いてあった郷土の冊子に、その小屋のことが二行だけ載っていた。
陸揚室、と書かれていた。
対岸の町と繋がっていて、戦の前は、そこで通信を扱っていたらしい。
写真も一枚あった。
白い小さな建物の前に、人が四人立っている。
顔は潰れていて、誰なのかわからない。
その写真の隅に、坂の途中の家が写っていた。
屋根の形が、私の借家と同じだった。
※
当時、私の携帯には、家族のほかに二人しか登録がなかった。
高校からの友人と、公民館の集まりで一緒になったお母さんだけだ。
だから息子に触らせても平気だった。
通話のところだけ暗証を掛けて、あとは自由にさせていた。
液晶が光るのが面白いらしく、息子は両手で持って、ずっと押している。
押しては、耳に当てる。
当てて、私の顔を見る。
「もしもし、するの」
「もしもし」
息子は、そのころ言える言葉が十もなかった。
そのうちの一つが「もしもし」だった。
夫は、月に一度、寄港先から電話をくれた。
衛星の電話は高いので、話すのはいつも三分ほどだ。
「元気か」
「元気やよ」
「あいつは」
「もしもし、しか言わん」
「そら、お前に似たな」
三分で切れる電話のあと、私はいつも受話器を少し長く握っていた。
あの家では、電話が切れたあとの静けさが、やたらに深かった。
※
あの日は、風のない、静かな昼だった。
テレビは正午のニュースをやっていて、私は洗濯物を畳んでいた。
息子は土間の上がりぎわで、携帯を握って転がっていた。
受信音が鳴ったのは、そのときだ。
いつもの音とは違った。
短い。
一度きりで、途中で切れたような鳴り方だった。
取り上げて見ると、覚えのない差出人だった。
数字と英字が混じっただけの、意味の読めない並びだ。
迷惑なものだろうと思って開いた。
本文は、一行だけだった。
「あなたはだあれ」
それだけだ。
句点もない。
私は、しばらく液晶を見ていた。
背中のあたりが、すっと冷えた。
息子が適当に押して空のものを送ってしまい、たまたま相手がいた。
そう考えれば、筋は通る。
そう考えることにした。
だから私は、丁寧に返した。
一歳半の息子が勝手に操作して、誤って送ってしまったこと。
ご迷惑をおかけして申し訳ないこと。
送信して、私は洗濯物に戻った。
それきり、返事は来なかった。
念のため、その差出人へもう一度、短く送ってみた。
「先ほどの件、失礼しました」
それだけだ。
送信ボタンを押すと、画面が一度、白く飛んだ。
飛んで、すぐ戻った。
送れたのかどうかも、わからなかった。
※
おかしいと思ったのは、その日の夕方だ。
息子の操作したものが残っていないか、送信の記録を開いた。
空だった。
一件もない。
下書きにもない。
念のため、受信の箱も端から見た。
あの一行だけが、日付の並びから外れた位置に入っていた。
上下の受信よりも、二日ぶん古い場所に挟まっていた。
消したつもりはなかったし、一歳半に消せるものでもない。
それでも、記録がないだけなら、まだ言い訳ができた。
言い訳ができなくなったのは、受信の時刻を見たときだ。
十二時三十八分。
私はその数字を、二度見た。
あの日、正午のニュースは、天気予報まで通しで見ていた。
息子に携帯を渡したのは、ニュースが終わってからだ。
番組の終わりは、一時五分。
息子が触りはじめたのは、そのあとだった。
つまり、あの一行が届いたのは、息子が携帯に触るより、二十五分前だった。
※
私は、その晩、夫に電話をしなかった。
洋上の夫に話しても、笑われるだけだと思った。
かわりに、翌朝トメさんを待って、坂で捕まえた。
「トメさん、変なことを訊きますけど」
「なによ」
「返事が、先に来ることって、あります?」
トメさんは、それだけで足を止めた。
手に持っていた小さな籠を、地面に置いた。
「あんた、なんか出したんか」
「出しました」
「なんて」
「うちの子が間違えて送ってしまいました、と」
トメさんは、しばらく私の顔を見ていた。
それから、坂の下の基礎のほうへ顎を向けた。
「あの小屋がまだ生きとったころ、局の人がよう言うとった」
「はい」
「相川の谷では、返事が先に来ることがあるけん」
「先に」
「訊かれとるんやのうて、確かめられとるんよ。だから、こっちから何も足さんことよ」
足さない。
つまり、答えてはいけないということだった。
私は、答えた上に、家のことまで足していた。
「トメさんは、返したことあるんですか」
「わしは返さん」
「来たことは、あるんですか」
トメさんは籠を持ち上げて、坂の下を見た。
「若いころに、一回な」
「なんて」
「言わんでええやろ」
それきり、トメさんはその話をしなかった。
次の朝も、その次の朝も、いつもの天気の話に戻っていた。
戻ってくれたことが、私にはありがたかった。
※
それからのことは、順番に書く。
順番に書かないと、私の頭の中で混ざってしまうからだ。
一つめは、匂いだった。
土間の隅が、潮ではない匂いになった。
濡れた紙のような、埃と鉄が混じったような匂いだ。
雨の日だけではなく、晴れた日も同じ匂いがした。
拭いても、床下から上がってくるので消えない。
二つめは、液晶の手だった。
朝、携帯を開けると、画面に薄く手の形が付いている。
小さな手だ。
息子の手だと思って、拭いた。
翌朝も、同じ位置に付いていた。
三日目に気づいた。
それは、内側から押したような向きだった。
指の腹が液晶のこちら側を向いていない。
向こうから、こちらへ押している形だった。
私はその手形の大きさを、紙に写して息子の手と合わせた。
息子の手より、二回りほど小さかった。
生まれたばかりの子の手くらいだ。
合わせたあと、私はその紙を焼いた。
焼いてから、焼いてよかったのかがわからなくなった。
三つめは、時刻だった。
うちの携帯の時計だけが、日に十二分ずつ遅れた。
合わせても、翌日には同じだけ遅れている。
公民館の集まりで話したら、笑われた。
「電池が古いんよ」
それで済む話にしたかったので、私も笑った。
その帰りに、同じ集まりのお母さんが、坂の下まで送ってくれた。
「あんたの家、風の音がすごいって評判やよ」
「よく言われます」
「前に住んどった人も、それで出たって」
「前の人、いたんですか」
「三月ほどでね」
聞いておいてよかったのか、悪かったのか、いまでもわからない。
その晩、私は雨戸の桟に手を当てて、風の音を聞いていた。
風は、その日も低いところで唸っていた。
四つめは、記録だった。
月末に届いた明細を、私は端から確かめた。
あの日の欄には、一件だけ通信があった。
時刻は、十二時三十八分。
私が返信した一時二十分の分は、載っていなかった。
つまり明細の上では、私は返していない。
届いただけだ。
明細をもう一度めくって、私は前の月の分も確かめた。
前の月の同じ日にも、一件だけ、通信があった。
時刻は、十二時三十八分。
その日は、息子はまだ携帯を触っていない。
私は明細を封筒に戻して、押し入れの奥へ入れた。
それから、六月まで、明細を開かなかった。
※
五つめが、いちばんこわかった。
六月の、雨の続いた週だった。
その週に、息子の言葉が一つ増えた。
「もしもし」のほかに、もう一つ言うようになった。
「だあれ」
抑揚が、私の言い方ではなかった。
少し上げてから下げる、聞いたことのない調子だった。
「だあれ、って誰に習ったん」
「だあれ」
「お母さん、そんな言い方せんよ」
「だあれ」
息子はそれを、鏡に向かって言うことが多かった。
それから、土間の暗いほうに向かって言うようになった。
夕方、私が台所にいると、息子が土間で声を上げた。
「はい」
はっきり、そう言った。
見に行くと、息子は上がりぎわに座って、携帯を土間の暗いほうへ差し出していた。
渡す形だった。
そこには誰もいない。
土間の三和土に、外から入った跡もない。
「だれもおらんよ」
「もしもし」
「もしもし、しとったん」
「もしもし」
息子は差し出したまま、土間の奥を見ていた。
私は息子を抱き上げて、携帯を取り上げた。
そのとき、土間の奥から、あの短い受信音が鳴った。
私の手の中の携帯からではない。
私の手の中のものは、静かだった。
音は、床下の、管のある側から鳴った。
一度きりで、途中で切れた。
私は息子を抱いたまま、玄関の戸を開けて外へ出た。
外は、雨がやんだばかりだった。
南側の壁の外に回って、私はあの黒い管を見た。
管の口の砂が、湿っていた。
雨のせいだと思いたかったが、その日、雨は北から降っていた。
管の口は南を向いている。
それに、砂の表面に、細い筋が何本か走っていた。
内側から掻いたような、浅い筋だった。
私はそれ以上、近寄らなかった。
部屋に戻ってから、私は押し入れの明細を出した。
前の月、前の前の月。
三ヶ月分すべてに、同じ時刻の一件があった。
十二時三十八分。
引っ越してきた月の分だけ、なかった。
あの家に来て二ヶ月めから、毎月一件ずつ届いていたことになる。
私が気づいたのは、三度目に届いたときだった。
気づくまでの二回、私は何も返していない。
返していないあいだ、何も起きていなかった。
起きはじめたのは、私が返した月からだ。
一度きりで、途中で切れた。
※
翌週、私たちはその家を出た。
夫が下船するのを待たずに、実家へ荷物を運んだ。
引き払う日、トメさんが浜からの帰りに寄ってくれた。
「出るんか」
「はい」
「そのほうがええわ」
トメさんはそう言ってから、一つだけ訊いた。
「あんた、返事の文の中に、子のこと書いたか」
「……書きました」
「歳も?」
「一歳半と、書きました」
トメさんは、それには何も言わなかった。
うんとも、あかんとも言わなかった。
ただ、帰りぎわに、こう言った。
「線はな、こっちが要らんようになっても、あっちは繋いだままにしとくもんよ」
実家に落ち着いてから、私は一度だけ、その番号あてに何も書かずに送ろうとした。
宛先を打ち込んで、本文を空にして、指を止めた。
足さない。
トメさんの言葉が、そのとき初めて、体でわかった。
私は宛先を消して、携帯を閉じた。
それから二度と、あの並びを打ち込んでいない。
覚えているのに、打ち込まない。
覚えていることが、いちばん厄介だ。
実家の母には、風の音がこわいから出た、と説明した。
それで通ったので、それ以上は言わなかった。
夫が下船して事情を聞いたときも、同じ説明をした。
夫は一度だけ、こう言った。
「船でもな、たまに誰も出ん通信が入るんや」
「出るんですか」
「出んよ。出たら、位置を教えることになる」
海の上の人は、そういうことを当たり前の顔で言う。
※
あれから二十九年になる。
携帯は四度買い替えた。
番号も、一度変えた。
それでも、年に一度か二度、あの短い音が鳴る。
一度きりで、途中で切れる音だ。
鳴ったときに開くと、着信の記録には何もない。
だから、もう開かないことにしている。
あの借家は、平成の終わりに取り壊されたと聞いた。
更地になって、いまは草だけらしい。
トメさんは、そのだいぶ前に施設へ移った。
私は一度、見舞いに行った。
名前は思い出してもらえなかったが、坂の話をすると顔が動いた。
「管、抜いたか」
「抜いてないと思います」
「ほうか」
トメさんはそれだけ言って、窓の外を見た。
窓の外は、海の見えない山側だった。
息子は三十を過ぎて、いまは新潟で働いている。
去年の盆に帰ってきたとき、酒を飲みながら、思い出話になった。
あの家のことは覚えていないだろうと思って、私は坂の話をした。
息子は、少し黙ってから言った。
「土間、覚えとるよ」
「覚えとるの?」
「冷たかった。あと、奥に、おった」
私は、湯呑みを持つ手を止めた。
「だあれ、って訊かれるんや。ずっと」
それだけ言って、息子は台所へ立った。
台所で、息子は水を飲んでいた。
背中が、夫と同じ形になっていた。
「怖い夢やったんやろ」
私はそう言った。
言ってから、これも足したことになるのだと思った。
訊き返さなかった。
訊けば、私はまた何かを足してしまう。