置いていった音

私の生まれた谷では、鳴るはずのない鐘の音で、皆が目を覚ましていた。

丹波の、山あいの話である。

昭和三十八年、私は十歳だった。

谷には三十戸ほどの集落があり、いちばん奥の高台に、古い寺があった。

うちは寺のすぐ下の建具屋で、父と祖父が、朝から鉋を引いていた。

谷の朝は、六時の鐘で始まった。

ごおん、と低く、腹に響く音である。

あの音で牛が立ち上がり、竈に火が入り、バスの運転手が帽子をかぶった。

誰もが、当たり前の音だと思っていた。

時計のある家は、まだ少なかった。

あっても、谷の時計は家ごとにてんでばらばらで、合わせる相手は結局、鐘だった。

畑に出る刻限も、風呂を焚く刻限も、鐘から数えて決まっていた。

谷の一日は、あの音を杭にして、ぐるりと結わえてあったのである。

寺の鐘楼に、鐘がないことを、皆知っていたのに、である。

鐘は、昭和十九年に供出された。

金物という金物が谷から集められた年に、鐘も荷車に載せられて、峠を下りて行った。

そのはずだった。

けれど鐘の音は、その後も毎朝、六時に鳴った。

撞いていたのは、先代の住職である。

小柄な、眉の白いお爺さんだった。

先代は毎朝六時、誰もいない鐘楼に上がり、空の宙に向かって、撞木を振った。

撞木の先が、何もない場所で、ふっと止まる。

その途端、ごおん、と鳴るのである。

子供の時分、私は寺の石段からそれを何度も見た。

何度見ても、撞木は、何にも当たっていなかった。

「なんで鳴るん」と、一度だけ先代に訊いたことがある。

先代は、撞木の手を止めずに言った。

「鐘はのうても、刻は撞く。刻を撞かんことには、刻のほうが、撞きに来るでな」

「刻が、撞きに来る……?」

「ぼんには、まだ分からんでええ」

先代は笑って、私の頭を、撞木を持つのと同じ手で、ぽんと叩いた。

乾いた、木の匂いのする手だった。

先代の撞き方には、決まりがあった。

撞く前に、いっぺん大きく息を吸い、吐き切ってから、振る。

雨の日も、雪の日も、休まなかった。

台風で石段の木が倒れた朝も、六時の音は鳴った。

「住職さんも難儀なこっちゃなあ」と大人たちは言ったが、その口ぶりには、どこか手を合わせるような響きがあった。

谷の者は皆、薄々分かっていたのだと思う。

あれはお勤めというより、約束の類なのだと。

一度、悪童どもと、いたずらを企てたことがある。

六時より先に、俺らが撞いたろ、という話になったのだ。

夜明け前、五人で忍び込んで、いちばん度胸のある年長が、撞木を振った。

何度振っても、鳴らなかった。

撞木の先は、何にも触れず、すかすかと宙を切るだけだった。

「なんや、やっぱりただの棒やんけ」

皆で笑って石段を下りる途中、背中で、ごおん、と鳴った。

六時には、まだ間があった。

振り向くと、鐘楼には誰もいなかった。

私たちは、悲鳴も上げずに、ただ黙って走った。

あの朝の音だけは、いつもの音より、ほんの少し、低かったように思う。

叱られた、のだと今でも思っている。

よその者は、この谷の朝を知らない。

中学に上がる年、隣町から叔母が嫁いできた。

初めての朝、叔母は台所で、うっとりと言ったそうだ。

「ええ鐘の音やねえ。お寺、近いんやね」

「鐘楼はあるけどな、鐘は、ないんやで」

祖母がこともなげに答えると、叔母は笑った。

冗談だと思ったのである。

その日の夕方、散歩がてら寺に上がった叔母は、鐘楼を見上げたまま、しばらく動かなかった。

屋根の下には、太い梁と、鐘を吊るしていた鉄の環だけが、ぽつんと残っていた。

「ほんなら、うちが今朝聞いたんは、なんの音ぉ」

誰も、答えられなかった。

叔母はそれから半年ほど、六時の音が鳴るたび、小さく肩をすくめていたが、やがて谷の者と同じ顔で、あの音で起きるようになった。

人は、慣れるのである。

慣れなかったのは、学校の理科の先生だけだった。

よそから赴任してきた若い先生で、鐘の話を聞くと、大きな録音の機械を担いで谷へ来た。

「音があるなら、録れるはずです」

先生は鐘楼の下に機械を据え、朝の六時を待った。

ごおん、と、その朝もいつもどおり鳴った。

巻き戻したテープには、風の音と、鳥の声だけが入っていた。

先生は三度やって、三度とも同じだった。

四度目の朝、機械は据えた場所から、一尺ほど、ずれていた。

柔らかい土の上を、引きずった跡もなしに、である。

先生はそれきり機械を持って来なくなり、翌年の春、山を下りて行った。

冬の朝には、おかしなものを見た。

鐘楼の床に霜が降りると、真ん中だけ、丸く融けているのだ。

ちょうど、鐘の裾の形である。

吊るした鐘の真下だけ、霜が避けたように、黒い床板が丸く覗いていた。

私は登校の道すがら、それを毎朝見た。

丸は、いつも同じ大きさだった。

一度、勇気を出して、丸の中に手をかざしたことがある。

そこだけ、空気が、ほんのわずかに重かった。

上から、何かに、そっと押さえられているような重さだった。

私は手を引っ込めて、石段を駆け下りた。

中学の夏休み、役場で郷土誌の手伝いをした時、供出の台帳を見せてもらったことがある。

鍋、釜、火鉢、手すり。谷から出た金物の一つ一つに、受け取りの印が押してあった。

鐘の欄だけ、印がなかった。

品名に「梵鐘 一口」とあり、その先が、空白なのである。

「ほんまやなあ。受領印、ないなあ」

役場の老吏員も、首をかしげた。

「峠を下りたとこまでは、皆が見とるんやけどな。向こうの記録には、着いとらんのやわ」

鐘は、供出の列から、どこかで消えていた。

溶かされた記録も、残された記録も、どこにもなかった。

老吏員は、台帳を仕舞いながら、独り言のように言った。

「形は行方知れずで、音だけ谷に残っとる。帳簿の上では、あべこべやなあ」

「あべこべ、ですか」

「普通はな、物が残って、音が消えるもんや」

私はその言い方を、家に帰る峠道で、何度も反芻した。

物が残って、音が消える。

あの谷では、確かに、逆のことが起きていた。

妙な客が来たこともある。

峠向こうの集落の年寄りが、わざわざ菓子折りを提げて、寺に礼を言いに来たのだ。

「おたくの鐘でな、うちの谷まで、六時が届くんですわ」

「ありがたいことで、うちらもあれで起きとります」

先代は、当たり前の顔で礼を受けていた。

峠向こうまでは、山を二つ挟む。

鐘のあった時分でさえ、届くはずのない距離である。

帰り道、年寄りは石段の下で振り返り、鐘楼を見上げて、深々と頭を下げた。

そこに何も吊るされていないことに、気づいた様子はなかった。

撞木の先には、白い布が巻いてあった。

先代は月の朔日に、必ずその布を替えた。

新しい晒を、幅を揃えて、幾重にも巻くのである。

「当たりが硬いと、音が荒れるでな」

何にも当たらぬ撞木の、当たりの話である。

ある朔日、私は解いた古布を、燃やす前の焚き付けの籠で見た。

解いた布の裏に、青い錆の色が、鐘の形に移っていた。

緑青である。

青銅の鐘を撞き続けた撞木だけに付く、あの色だった。

三十年近く、何にも触れていないはずの布に、である。

私は籠の前にしゃがんだまま、しばらく立てなかった。

大晦日には、除夜の鐘があった。

鐘のない鐘楼に、谷の者が列を作るのである。

一人ずつ順に上がり、空の宙へ、撞木を振る。

百八つを、皆で分けて撞いた。

私も十二の年に、初めて振らせてもらった。

撞木は見た目より重く、振り出すと、先がすうっと引かれるように伸びた。

何もない場所で、とん、と柔らかく止まる。

掌に、確かに手応えがあった。

分厚い、冷たい、大きなものに触れた手応えだった。

ごおん、と鳴った。

腹の底から震えが上がってきて、それが怖さなのか有難さなのか、十二の私には分けられなかった。

順番を待つ列の誰も、それを不思議とは呼ばなかった。

雪の石段に並んで、白い息を吐きながら、谷の衆は静かに順番を待っていた。

先代が風邪で寝込んだ朝が、一度だけあった。

その朝、鐘は鳴らなかった。

なのに谷の者は、皆、六時きっかりに目が覚めた。

「鳴らんかった音で、目が覚めたんや」

祖父は、そう言った。

変な言い方だが、それ以外に言いようがなかった。

鳴るはずの音が、鳴らない。

その欠け落ちた分だけが、谷いっぱいに、輪郭のように響いたのである。

あの朝の静けさを、私はまだ覚えている。

耳の奥が、しんと痛いような静けさだった。

私が町の高校に出た年の冬、先代は亡くなった。

九十に近かったと聞く。

葬儀の朝も、鐘は鳴ったそうだ。

誰も、鐘楼に上がっていないのにである。

それが、先代の撞いた最後の鐘だったのだと、谷の者は言い合った。

跡を継いだのは、町の大学を出た息子さんだった。

生真面目な人で、寺のことを、一つずつ整えようとした。

古びた撞木も、その一つだった。

「先代の形見やで、塗り直して、大事にしますわ」

撞木は、町の塗師のところへ運ばれた。

その週から、鐘は鳴らなくなった。

谷の朝は、目に見えて狂った。

牛は立たず、竈の火は遅れ、始発のバスに乗り遅れる者が続いた。

うちの祖父は、六時を過ぎても鉋を持たず、仕事場の柱にもたれて、じっと耳を澄ませていた。

「音がのうなった谷いうんは、こんなに広いんやなあ」

誰もが、あの音の上に朝を載せていたことを、失くしてから知った。

何より応えたのは、年寄りたちだった。

「今が何時か分からん」と言うのではない。

時計は、もうどの家にもあった。

「朝が、来た気がせん」と言うのである。

叔母は、あの半年だけ肩をすくめていた叔母は、誰より寂しがった。

「うちはよそ者やから、よう分かる。あれはな、音やのうて、挨拶やったんよ」

新住職は、毎朝の空撞きを、それでもやめなかった。

鳴らない鐘楼で、父親と同じ刻限に、同じ作法で撞木を振り続けた。

「音は戻らんでも、刻は撞かんと」

いつからか、その口ぶりは、先代のそれと同じになっていた。

谷の者も、少しずつ、六時に鐘楼を見上げる癖だけは残った。

音のない朝に、音のあった場所を見る。

それが、あの谷の新しい挨拶になった。

新住職は慌てて塗師から撞木を引き取りに行った。

塗師は、首をひねりながら言ったそうだ。

「持ち手は塗れたんですけどな。先の当たり面だけ、どうしても、刃ぁが入らなんだ」

「入らん、というと」

「硬いんやのうて、断られるんですわ。道具がな、すうっと逸れる。ワシも長いことこの商売しとるけど、初めてや」

撞木は元の鐘楼に戻された。

新住職は先代のとおり、六時に空を撞いた。

鳴らなかった。

何日撞いても、何年撞いても、二度と鳴らなかった。

納戸の整理で、先代の日誌が出てきたのは、その頃である。

小さな字で、天気と、檀家の名と、畑の出来が書いてあるだけの帳面だった。

昭和十九年の、鐘が谷を下りた日の欄だけ、様子が違った。

そこには、こうあった。

「鐘は出す。音は置いていく、と申し上げた」

それだけ、である。

誰に申し上げたのかは、書かれていなかった。

ただ、供出の日のことなら、覚えている年寄りが谷に一人だけいた。

荷車の綱を引いた、うちの大叔父である。

「峠のてっぺんでな、先代さんが、停めてくれ言わはってな」

「荷の鐘に、長いこと、額ぁ当てとりなさった」

「ほんで、何ぞ、ぼそぼそ言うてから、もうええ、行っとくれ、と」

大叔父は、その時の先代の顔を、うまく言えないと言った。

「別れの顔やのに、笑うとりなさったんや」

大叔父は、もうひとつだけ覚えていた。

峠を下り始めてすぐ、荷が急に軽うなった気がした、というのである。

「鐘の目方が変わるかいな、と皆で笑うたけどな」

「帰り道、綱を引いた肩がな、ほんまに、軽かったんや」

置いていったものの目方が、あの峠にはあったのかもしれない。

申し上げた相手は、役人ではなかったのだ。

先代は、鐘そのものに、断りを入れていた。

音は置いていけ、と頼んだのか。

置いていく、と鐘が応えたのか。

日誌の一行だけでは、どちらとも読めなかった。

供出の役人に、であろうか。

けれど役人に向かって、音は置いていく、という言い方があるだろうか。

新住職は、その頁を何度も読み返して、日誌をそっと閉じたという。

「親父は、誰に、断っとったんでしょうなあ」

うちの父にそう漏らしたきり、新住職は二度とその話をしなかった。

ずっと後年、私は外国の古い話を、雑誌で読んだ。

頭を失ったまま、一年半生きた鶏の話である。

農家の主人が毎日、小さな道具で餌と水をやり、鶏は元気に太り続けた。

見世物になるほど評判になったが、旅先のある晩、主人が餌やりの道具を宿に忘れ、それきりだったという。

読み終えて、私は膝の上の雑誌を、長いこと閉じられなかった。

世話をする者がいる限り、続くものが、この世にはあるのだ。

欠けたまま、失われたまま、それでも毎朝、続くもの。

そして世話の道具を手放した日に、それは終わる。

あの谷の音は、朔日の晒と、あの撞木で、三十年生かされていたのだと思う。

平成も終わりに近い年、谷に新しい鐘が懸かった。

出身者の寄進で、鋳物の町から、真新しい鐘が届いたのである。

初打ちの日、私は孫を連れて、五十年ぶりに石段を上がった。

新住職——といっても、もう七十を超えた、あの息子さんである——が、綱を引いた。

ごおん、と谷が鳴った。

孫が、その様子を電話の機械で撮っていた。

石段の下では、谷の年寄りたちが、目頭を押さえていた。

五十年ぶりの、形のある鐘である。

新住職は綱を引く前に、鐘楼の隅へ向かって、深くひとつ、頭を下げた。

誰もいない、隅へである。

それを咎める者も、訝しむ者も、あの谷には一人もいなかった。

帰りの車で見せてもらった映像に、私は耳を疑った。

音が、わずかに、二つ重なっているのである。

新しい鐘の澄んだ音の、半瞬あとを、低い、古い音がついてくる。

「録音の、癖やろか」と孫は言った。

そうかもしれない。

そうでないかもしれない。

ただ、谷の者は皆、口には出さずに気づいている。

朔日の朝だけ、うちの鐘の音は、いまも少しだけ長い。

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