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十五年ほど前、ITバブルと呼ばれていた頃の話です。
私は学校を出て、自称IT関係という会社Aに新卒で入りました。
就職活動を適当にしていたので、三月まで職がありませんでした。
内定通知が来たときは、渡りに船だと大喜びしたのを覚えています。
喜んでいた自分を、今でも時々思い出します。
あのとき喜ばなければよかったとは思いません。
ただ、例の物件のことだけは、考えないようにしています。
会社Aは設立十年ほどの小さな会社でした。
大阪市内の雑居ビルに事務所を構えていて、社員は私を含めて二十人ほど。
新卒は五人で、設立以来初めての新卒採用だったそうです。
社長を含め、会社全体でずいぶん歓迎していただきました。
歓迎会の席で、社長は一人ずつの席を回って名前を呼びました。
名刺の裏に、それぞれの入社日を書いてくれました。
そういうことをする人でした。
事務所は四階で、エレベーターが一基しかありませんでした。
朝は必ず混むので、私はいつも階段を使っていました。
階段を上がるのが平気だった頃の話です。
今は、階段を見ると一度立ち止まる癖がつきました。
体が覚えていることは、なかなか抜けません。
雑居ビルの事務所
IT関係と一口に言っても、業種は幅広いものです。
会社Aがやっていたのは、PCのセットアップやソフトのインストールでした。
ある程度PCを知っている人間なら、誰でもできる仕事です。
当然、まともな売り上げが立つわけもありません。
大手も同じことをやっていましたから、状況はかなり厳しいものでした。
私が配属されたのはIT推進事業部です。
部といっても六人ほどで、新卒は全員そこで研修を受けました。
一か月ほど経って、配置転換がありました。
適性や希望を考慮して、再配属するというものです。
私はPC系の専門卒だったので、そのままIT事業部に残りました。
別の部署に移った人間から、そこで面白い話を聞かされました。
会社Aは今でこそIT関係をメインにしようとしているが、売り上げの柱は金融と不動産仲介なのだと。
もともとは金融会社だったというのです。
誤解のないように書いておきますが、怖い金融会社ではありませんでした。
社長はビジネスとしてのITのビジョンを持っていて、私たち新卒にその主力になってほしいと言っていました。
混沌としてはいましたが、悪い会社ではなかったのです。
忘年会では社長がカラオケで同じ曲を二度歌いました。
二度目は、誰も止めませんでした。
そういう空気の会社だったのです。
入社して一年ほど経った頃、その会社Aの命運を決める出来事が起きました。
不動産仲介の話です。
私はこちらの業務にはまったくの無知でした。
中堅のTWさんが、市内のとある物件を扱ったことが始まりでした。
結果から言えば、例の物件に関わった人間は、私を含めて全員が怪我か不幸に見舞われました。
私は左足がやや不自由になりました。
同期のYTは左半身が不自由になりました。
同期のMKは左手の指を三本切断し、身内に不幸がありました。
中堅のTWさんは行方が分からなくなりました。
中堅のSYさんは左足に大怪我を負い、やはり身内に不幸がありました。
中堅のWMさんは、事故で戻らぬ人になりました。
社長は莫大な借金と保証を抱えて、行方が分からなくなりました。
経理の方が左目に出来物を作り、別の人が左手を怪我しました。
並べてみると、片側に寄っていることに気づきます。
当時は、誰もそこに気づきませんでした。
気づいたのは、会社がなくなってからです。
順番に並べて初めて、片側だけが欠けていくことが分かりました。
門で飛んだ左手
事の流れはこうです。
世の中が二〇〇〇年問題で騒いでいた、夏の頃でした。
TWさんが、知り合いから不動産物件の委託を受けてきました。
社長とも顔見知りの相手で、よっしゃよっしゃで引き受けたそうです。
TWさんの部下のような形で、新入社員のYTが付くことになりました。
YTは営業志望でしたから、任されたと喜んでいたのを覚えています。
「この物件、俺に任せるって言ってくれた」
そう言って、図面のコピーを鞄に入れていました。
YTはそのコピーを、いつも二つ折りにして持ち歩いていました。
折り目が濃くついていたのを覚えています。
本人が几帳面だったからではありません。
何度も開いては、何度も畳んでいたからです。
ただ、その物件はなかなか売れませんでした。
初めて任された案件なので、YTはこまめに管理業務にも通っていたようです。
最初に事が起きたのは、秋口だったと思います。
YTが出社してこないのです。
家に電話しても、携帯にかけても連絡が取れず、社内は騒ぎになりました。
どういう経緯かは知りませんが、TWさんがその物件へ行きました。
そして、一軒家の中で倒れているYTを見つけました。
詳細は省きますが、チェックを終えて帰ろうとしたところで猛烈な眠気に襲われ、そのまま眠ってしまったそうです。
気がついたら病院だったと言っていました。
脳に出血があり、それが原因で倒れたとのことでした。
左半身に障害が残り、YTは会社を去ることになりました。
TWさんはひどく落ち込んでいました。
「俺が一緒にいれば」
それだけを、何度も言っていました。
管理業務はMKが引き継ぐことになりました。
しばらくして、そのMKが病院に担ぎ込まれたと社内で騒ぎになりました。
チェックを終えて帰ろうとしたときに、門で指を挟んだのです。
靴の汚れに気づいて拭こうとして、転ばないように左手で門を握った。
そこへ自分の体重がかかって、門が閉まった。
そういう事故でした。
手術ですぐに接合できたので、MKは左手が使いにくいと言いながら出社していました。
なんでもない事故に見えましたが、また例の物件です。
「あそこ、なんかいるんじゃね」
社内でそんな話が出るようになりました。
その頃はまだ、笑い話の範囲でした。
昼休みに誰かが、あの家は方角が悪いのではないかと言い出しました。
南向きの物件ですから、方角は悪くありません。
それで話は終わりました。
終わらせてしまったのだと、今は思います。
しばらくして、MKの田舎の両親に不幸がありました。
家業を継ぐからと、MKも会社Aを去りました。
後で聞いた話では、車の事故で、車も二人も元の形が分からなかったそうです。
その時点でも、例の物件を真剣に疑う者はいませんでした。
三か月ほどで社員が二人減り、社内には混乱だけが残りました。
採用の予定も止まりました。
社長は朝礼で、今年は守りの年だと言いました。
物件の管理は、TWさんに戻っていたようです。
八木アンテナの穴
新年を迎え、仕事始めに社員が集まりました。
TWさんの姿は、そこにありませんでした。
上司のSYさんに、最近見かけませんねと軽く聞いたことがあります。
「年末で退職した」
それが返事でした。
ずいぶん驚いたのを覚えています。
一月が終わる頃、経理や総務の人間が眼帯や包帯をしているのが目につきました。
眼帯は左目、包帯は左手。
三人が三人とも、左でした。
そのときは、誰も並べて考えませんでした。
並べて考えるという発想は、続けて何かが起きないと出てきません。
社長は「正月気分が抜けていないようだから気を引き締めるように」と通達を出しました。
その頃、SYさんから新しい案の話を聞かされました。
「IT住宅というのはどうだ」
会社Aの不動産物件にIT関連の設備を付けて売る、という話です。
「まだどこもやってない新しいビジネスやぞ」
「成功したら、うはうはやぞ」
私は貧乏人の子せがれで、一攫千金のささやかな野望がありました。
光通信や館内LANを調べて、SYさんと一緒に進めることになりました。
二月初旬に社長のGOが出て、モデル物件に足を運ぶようになりました。
新築では金がかかりすぎるので、既存の物件にLANを配線する計画です。
今ではどこにでもある話ですが、当時は新しいつもりでした。
そのモデル物件が、例の物件でした。
私はそれを、当初まったく知らされていませんでした。
今にして思えば、社長は薄々おかしいと気づいていたのでしょう。
早めに手放すために、この物件を候補に挙げたのだと思います。
普通の建売住宅でした。
白い壁の外観で二階建て、車が一台停められる駐車場がついています。
どこにでもある家です。
SYさんと歩きながら、どこに何を付けるかを話しました。
霊感などは、私には一ミリもありません。
日付はよく覚えています。
二月十三日。
二回目か三回目にその家へ行ったときのことです。
私は屋内配線のために、壁材や柱と柱の隙間を図面と突き合わせていました。
図面を壁に合わせると、階段の位置だけが左右逆でした。
最初は、自分が図面を裏返して持っているのだと思いました。
表裏を確かめても、やはり逆でした。
古い建売にはよくあることだと、そのときは片づけました。
建て売りの図面は使い回しが多いので、逆向きの棟を建てることもあると聞いたことがあります。
そう聞いた覚えがあるというだけで、確かめはしませんでした。
確かめていれば、何か変わったのかは分かりません。
しばらくして、外でSYさんが大声で叫んでいるのが聞こえました。
外へ出ると、SYさんを中心に血の海が広がっていました。
「医者、医者あああああ」
私は救急車を呼び、会社に連絡して病院に付き添いました。
後で聞いた話では、家の外回りを見ていると、私がSYさんを呼ぶ声がしたそうです。
表のほうへ行っても、私は見当たらない。
すると家の上のほうから「おーい」と聞こえた。
見上げると、アンテナが折れて落ちてきた。
八木アンテナというのでしょうか。
左の太ももに数か所の穴を開けて、貫通した状態でした。
アンテナの老朽化による事故として処理されました。
ただ、私はその日、一度もSYさんを呼んでいません。
屋内にいて、図面と壁を突き合わせていました。
声を出すような作業ではありませんでした。
そのことは、誰にも言いませんでした。
私はその二、三日、物件のことを忘れていました。
例の物件の図面
二月十八日ごろ、SYさんから連絡がありました。
「あの案件進めろ」
「俺はまだ動けんが、WMが協力してくれるから、見積もり上げてこい」
二月十九日、WMさんと一緒に例の物件へ行きました。
玄関には、まだ血の跡が残っていました。
「すげぇな。血が乾くとこんな色になるんやな」
「アンテナも修理やな」
「お前、これ一回きれいに掃除しとかんと、変な噂立つで」
私は笑って返しました。
「変な噂って、ただの事故ですよ」
「よっぽどYTとMKが関わってた物件のほうが怪しいですよ」
WMさんが手を止めました。
「なに言うてるん。それ、ここやで」
「お前、知らんかったんか」
頭が真っ白になりました。
私はSYさんから聞いていた話を、その場でWMさんに話しました。
WMさんは腕を組んで唸りました。
「おかしな話やなあ」
「そういやTW、覚えてるか」
年末に退職したとSYさんから聞いています、と答えました。
WMさんはにやにやしながら言いました。
「あれな、退職ちゃうねん」
「ほんまはな、行方不明や」
年末にTWさんから電話が一本あったそうです。
「ちょっと寄るところあるから遅れます」
それきり連絡がない。
奥さんが捜索願を出し、会社にも警察が来ている。
もちろん社内には伏せてある、ということでした。
「この物件が原因ですかね」
「そんな非科学的なことあらへんよ」
「ここ事故物件でもないし、全部偶然でしょ」
その日、私は各部屋にローゼットを設置する場所を決めていました。
LANを屋内に這わせるときに使う、電源タップに近い部品です。
二階の窓際に立ったとき、図面のことをもう一度思い出しました。
階段だけでなく、窓の位置も、水回りも、図面とは左右が入れ替わっていました。
公図にだけ残る裏の町の話を読んだとき、紙と現物が食い違う気味悪さを久しぶりに思い出しました。
そろそろ終わろうかと思った矢先です。
二階からWMさんが「おーい、おーい」と呼ぶ声が聞こえました。
階段をとんとんと駆け上がった瞬間でした。
突き飛ばされたというか、壁に当たったというか。
まったく予期していない方向に、バランスを崩したのです。
手は、左に出ました。
階段から後ろへ転げ落ち、首をごりっとやりました。
バク転を失敗したような格好で落ちて、そのあとに腹を階段の角にぶつけました。
大根おろしを擦るような、ごりごりという感触でした。
床まで落ちた後、背中にとんでもない痛みがビキッと走りました。
起きようとしましたが、頭と背中の激痛で声が出ません。
口をぱくぱくさせていると、一階の奥からWMさんが出てきました。
「なんの音や。どうしたんや」
その場で失神して、気がつくと病院でした。
頚椎の捻挫と、椎間板ヘルニアが診断結果です。
医者には、階段から落ちた程度では普通こうはならないと言われました。
一か月近く入院することになりました。
今はほぼ回復していますが、左足に痺れが残っています。
焼肉屋の最後の話
三月半ば、私は松葉杖をついて会社へ行きました。
看板がなくなっていました。
中に入ると、半ば片づけられた閑散とした景色が目に入りました。
すぐに専務のところへ呼ばれました。
応接室だった場所に、専務と経理の偉い人が待っていました。
「大変だったね。退院おめでとう」
「大変申し訳ないんだけど、会社を廃業することに決まったから」
「退職金はできるだけ出すから。本当に申し訳ない」
倒産ですか、と私は聞きました。
「倒産というか、今の会社の状態ではもう営業が続けられないのよ」
専務の話を要約すると、こうです。
私が入院したあと、SYさんとWMさんがIT住宅案を進め、工事は完了した。
二月後半には売りに出すところまでこぎつけた。
その直後にWMさんが単独事故を起こし、戻らぬ人になった。
運転中の心臓発作が原因だと聞いています。
SYさんは奥さんの病気を理由に、三月前半にいきなり退職した。
残ったメンバーが引き継いだものの、社内には噂が飛び交ってどうにもならなくなった。
新入社員を含む六人が、怖いので辞めさせてほしいと退職願を出した。
社長は夏から続くトラブルで精神的に追い詰められ、専務に全てを任せると言い残して連絡が取れなくなった。
残ったメンバーと話し合い、専務は自主廃業を決めた。
半年で、社員は半分以下になっていました。
最後の出勤日に、私と他の四人で焼肉に行きました。
そこで、例の物件の話を聞きました。
「やっぱりあの物件、何かあったんでしょうか」
「そうじゃないんじゃないかなあ」
「なんでです。あれを扱ってからおかしなことが続いて、会社もなくなったんですよ」
Bさんが箸を置きました。
「まあいいか。最後だし」
「実はね、あの手の話は、あの物件を扱う前からちょくちょくあったんだよ」
社長が独立する前に勤めていた金融会社は、俗に言うそちら関係だったそうです。
戻ってこない人が出るような、かなりきつい商売でした。
その会社でも、似たような事が起きていたといいます。
社長はそれが怖くなり、やり方にも納得できずに独立した。
社長を慕ってついてきたのが、専務とTWさんとSYさんと、創設時の何人かでした。
例の物件は、前の金融会社の時の知り合いから紹介されたものだったそうです。
物件自体は普通の代物で、別の会社に移ってからは何も起きていないといいます。
「あれで前の会社と接点を持ったのが原因やないかなあ」
「金融屋は、身に覚えのないところで恨まれることが山ほどあるからね」
はっきりした原因は、今も分かりません。
ただ、私は退職後に一度だけ、市役所で建築確認の副本を見に行きました。
素人でも、閲覧の手続きくらいはできます。
副本に綴じられていた図面は、私が持っていたものと同じでした。
つまり、階段も、水回りも、窓も、私が見た家とは左右が入れ替わっています。
図面のほうが正しくて、あの家だけが、左右を裏返して建っていました。
確認を出したときと、建てたときで、誰かが向きを変えたことになります。
理由を書いた書類は、どこにも綴じられていませんでした。
左ばかりを怪我したのは、それで説明がつくのかもしれません。
人は家の中で、無意識に手を出す側が決まっています。
手すりの側も、扉の開く向きも、逆であれば出す手は逆になります。
壁の内側を撮ってしまった話のように、家は外から見ただけでは分かりません。
説明がついたところで、行方の分からない二人は帰ってきません。
私は今、別の会社に勤めています。
その後のメンバーがどうなったかは知りません。
新しい家を借りるとき、私は必ず図面を持って内見に行きます。
階段の位置だけを、指でなぞって確かめます。