
その年の八月の終わり、うちの蜂の一群だけが、山とは逆の方へ飛び立った。
私は二十四で、父の下で転飼の養蜂をしていた。
昭和四十三年のことである。
転飼というのは、花の咲く土地を追って巣箱を移して歩く商いをいう。
春は南の菜の花、初夏は藤と栗、夏の盛りは蕎麦。
花期を一つ取り逃がせば、その年の蜜は半分に減る。
だから私たちは、暦よりも花を、花よりも蜂の飛び方を見て動いた。
蜂は蜜のある方へ真っ直ぐに飛ぶ。
巣箱の前に立ち、群れの立ち上がる角度を見れば、花の在処はおおよそ知れる。
父はそれを蜂道と呼んでいた。
蜂道を読むのは朝の仕事で、日が斜めのうちに巣門の前へしゃがみ、出て行く角度を三度測る。
角度が三度とも揃えば、その方角に花がある。
揃わない朝は、その日は動かさない。
それだけの商いである。
父の帳面には、群れごとに一行ずつ、機嫌と産卵の具合と王台の数が書いてあった。
字は細く、余白に無駄がなかった。
私たちは巣箱と一緒にトラックの荷台で寝て、土地の駐在に挨拶をし、畑の持ち主に蜜を一升ずつ置いて回った。
燻煙器には杉の枯葉を詰める。
松では煙が荒くなり、蜂が怒る。
そういうことばかりを覚えて、私は二十四になっていた。
盆を過ぎれば南の畑の花は乏しくなり、蜂はおとなしくなるものである。
その年もそうであったが、十八箱のうち一箱だけが、いつまでも盛んに出入りしていた。
「うちには一群だけ、盆を過ぎても出て行く蜂がいる。」
父は帳面に日付を入れながら、事のついでのように言った。
祖父の代からそうなのだという。
血が濃いのだろう、と父は言い、それより先は言わなかった。
私はその箱の蓋に赤い墨で印をつけ、荷台の一番奥に積んだ。
北の蕎麦の花に間に合わせるため、私たちは分水嶺を越えることにした。
峠道は前の週の雨で荒れていた。
石の転がった路肩に車の腹を擦りながら、二時間かけて上がった。
峠の茶屋で湯を貰い、主人に花の様子を尋ねた。
「あっちは今年は遅い。まだ咲き出しもせん」
主人はそう言い、それから少し間を置いて、谷筋には入らぬがよいと付け足した。
理由は言わなかった。
峠の頂で、私は風の向きが逆であることに気づいた。
この季節、風は南から吹き上げて分水嶺を越える。
それが、山向こうから下りてきていた。
谷の湿った匂いを含んだ、生温い風であった。
気圧の具合であろうと思い、面布の紐を締め直した。
峠を下って三里ほど行った所で、林道が崩れていた。
沢の水が路を横切り、砂が薄く波を打って流れていた。
車を回すには、来た道を戻って里を大回りせねばならない。
それでも花の様子だけは、先に見ておきたかった。
私は父に車を任せ、背負い箱を一つ担いで沢を上がることにした。
背負い箱というのは、巣枠を三枚だけ入れて背に負える小さな箱である。
新しい土地に着いたとき、蜂の食いつき方を見るための、試しの群れを入れておく。
私は荷台の一番奥から、赤い墨の印の箱を引き出した。
盆を過ぎても働く群れなら、乏しい花でもよく働くと思ったからである。
沢沿いの道は、思ったより歩きやすかった。
ただ、沢の水に手を入れると、湯のようにぬるかった。
背の箱からは、羽音がしなかった。
揺れれば必ず騒ぐ群れが、押し黙っていた。
半刻ほど登った所で、霧が出た。
それは下から上がってくるのでも、上から下りてくるのでもなく、ただ道の上に湧いた。
霧の中を二十歩ばかり歩いたら、抜けた。
※
目の前が、一面の花であった。
谷は南に開けていて、斜面の上から下まで、黄と薄紫と白が段になって咲いていた。
私はしばらく、荷を下ろすことも忘れて立っていた。
一番下の段に咲いていたのは、蕎麦であった。
その上の段には、藤が房を垂らしていた。
さらに上には、菜の花が黄色く続いていた。
菜の花は四月、藤は五月、蕎麦は九月の花である。
三つが同じ斜面で、同じ盛りにあった。
私は面布を上げて、匂いを確かめた。
花の匂いは、それぞれ正しかった。
段のあいだに、丸太を組んだ巣箱が並んでいた。
数えて三十ほどあった。
どれも古い形で、板の合わせに蜜蝋が黒く溜まっていた。
谷底には家が十軒ばかり見えた。
藁屋根で、どれも同じ向きに棟を伏せていた。
電柱はなかった。
私は背負い箱を下ろし、蓋を細く開けた。
蜂が出た。
出たとたんに、羽音が四方から聞こえた。
箱から出たのは十数匹である。
それなのに、音は谷全体から同じ大きさで返ってきた。
私は蓋を閉め、羽音の来る方に体を向けてみた。
どちらに向いても、正面から聞こえた。
「その蜂、どこの蜂」
声がして振り向くと、子どもが立っていた。
十二、三の娘で、藍の前掛けをして、片手に煙筒を持っていた。
煙筒は使い込まれて、口金が飴色になっていた。
南の畑から来た、と私は答えた。
娘は少し考えて、「南は、どっち」と言った。
私は峠の方を指した。
娘はそちらを見ずに、私の背の箱を見ていた。
「開けたか」
「少し開けた」
娘は口を結んで、それから、花に触らせるなと言った。
なぜかと聞いたが、答えなかった。
娘はスミと名乗った。
谷では蜂を飼うのは子どもの役なのだという。
大人は蜜を絞るだけで、蜂の世話には手を出さないのだと。
スミは私を谷底へ連れて行った。
道は花のあいだを縫っていて、両側から匂いが押してきた。
蜂は多いのに、刺されなかった。
谷底の家の前で、老いた男が蜜蝋を煮ていた。
鍋の湯の上に、蝋が薄く膜を張っていた。
男は勘助と名を言い、隣で麻を裂いていた老女を、妹のトメだと言った。
二人は私の服を見て、しばらく黙っていた。
私は面布のついた作業着を着ていた。
「巡りの蜂飼いか」
勘助はそう言い、それなら長く歩いたろう、と土間に上げてくれた。
出されたのは、蜜を溶いた湯と、麦を炒ったものだった。
蜜は薄く灰色をしていた。
私は口に入れて、手が止まった。
甘かったが、匂いが花ではなかった。
雨の匂いであった。
埃の立った道に、降りはじめの雨が落ちたときの、あの匂いである。
私は谷の花を思い出して、もう一度匂いを取った。
やはり、雨だった。
勘助は私の手元を見ていたが、何も言わなかった。
土間の奥に、太い柱が一本立っていた。
どこの家でも、柱には子の背丈を刻んだ傷が並んでいる。
その柱には、傷が一つもなかった。
削り直した跡もなかった。
壁に暦は掛かっていなかった。
日を数える必要のない家なのだと、そのときは思った。
※
その日は勘助の家に泊まることになった。
父には夕方までに戻ると言ってあったが、峠の方を見ると、もう日が傾いていた。
私は歩いた時間を数えてみた。
沢を上がったのは午前で、霧を抜けてからは、まだ二刻も経っていない。
それで日が傾くのは早すぎた。
懐中時計を出すと、針は動いていた。
日付の窓だけが、朝に見たままだった。
井戸端に女が三人いて、私を見て手を止めた。
私は今年が何の年かを聞いてみた。
一人は戌の年だと言い、一人は亥だと言い、もう一人は指を折って数えかけて、やめた。
三人の答えは合わなかった。
ただ、今が何時分かと聞くと、三人とも同じことを言った。
「夏の終わり」
谷の寄合所を兼ねた家の主人にも聞いた。
同じ答えであった。
「ここはいつも、夏の終わりだ」
主人は笑って言い、笑いながら、いつからそうなのかは言わなかった。
主人は蜜の桶を洗いながら、こんなことを付け足した。
昔、この谷は三年続けて花が咲かなかった。
蕎麦も藤も菜も、いっせいに咲かなくなった年があったのだという。
「それで、寄合で決めた」
何を決めたのかは言わなかった。
別の日に、井戸端の女の一人が同じ話をした。
女の言い方はこうであった。
「花のかわりに、こっちの暦を納めた」
納めた先は山だという。
山のどこかとは言わなかった。
以来、谷の花は終わらないのだと。
私は、花が終わらなければ蜜は絶えないと考えた。
それは確かに、飢えない。
ただ、暦を納めたのなら、この谷には次の季節が来ないことになる。
私はそこまで考えて、考えるのをやめた。
スミにも聞いてみた。
スミは煙筒の口を布で拭きながら、逆に外の花のことを聞き返してきた。
南の菜の花はいつ咲くのか、蕎麦はいつ終わるのか。
私が答えるたびに、スミは同じことを言った。
「じゃあ、その匂いを、蜂が持ってくるんだ」
谷の蜂は谷の花にしか降りない。
外の暦は、外から来た蜂が運ぶのだという。
私は背負い箱の方を見た。
蓋は、閉じていた。
二日目の昼、谷の蜜絞りを見せてもらった。
遠心の機械はなく、巣を潰して麻の布で絞る古い法であった。
絞り台の下に桶を置き、四人がかりで棒を回す。
落ちてくる蜜は、やはり灰色をしていた。
蜂を扱っていたのは、スミと、同じ年頃の子が五人であった。
六人とも面布をつけず、素手で巣枠を持ち上げていた。
それだけ蜂が穏やかなのだろうと思った。
ただ、谷には赤子も、私と同じ年頃の者もいなかった。
いたのは、子どもが六人と、老いた者が十人ばかりである。
あいだの年が、抜けていた。
トメに、外の町の名を挙げてみた。
隣県の市の名も、峠の下の里の名も、一つも知らなかった。
それでも、南の菜の花のことは知っていた。
「黄色いのが、いっぺんに咲くんだろう」
見たことはないのだという。
匂いだけ知っている、と言った。
※
夜、勘助の家の前に人が集まった。
蜜を寄せて分ける晩なのだという。
桶が三つ出され、女たちが順に蜜を注いだ。
灰色の蜜が、灯の下で鈍く光った。
岩魚を串に刺して焼き、蜜の湯を回し飲みした。
誰かが下手な小唄を出して、皆で笑った。
私も笑った。
その晩は、月がほとんど丸かった。
空は、町では見たことのない量の星で埋まっていた。
トメが私の隣に来て、涙が出そうになったら蜂を見なさいと言った。
「蜂は上へ上がる。見ていれば、顔が上を向く」
私は素直に、飛んでもいない夜の空を見上げた。
上を向くと、確かに涙は落ちなかった。
三晩、私は谷にいた。
三晩とも、朝だと言われて起きると、外は真っ暗だった。
囲炉裏の火と月の明かりで飯を食い、空が白くなる頃には、もう昼近くの日が出ていた。
その三日のあいだに、指の刺し跡が消えた。
谷に入る前の日、私は右の人差し指を刺されていた。
腫れは引き、赤みも薄れ、三日目には跡がなくなっていた。
いつもなら十日は残るものであった。
背負い箱も見た。
巣枠は三枚のままで、蜂は減っていなかった。
ただ、真ん中の一枚の下の隅に、蜜が溜まっていた。
灰色の、雨の匂いのする蜜だった。
私はその枠を出して、光にすかした。
巣房の並びは、私の家の蜂のものであった。
蜜だけが、この谷のものであった。
私は蓋を細く開けただけである。
花に触らせた覚えはなかった。
三日目の夕方、私は谷の外れの段まで登ってみた。
そこに、巣箱が一つだけ、他と違う形で置かれていた。
板を釘で打った、角い箱であった。
谷の箱は、みな丸太を組んだものである。
釘は錆びて、板は反っていた。
蓋には、赤い墨で印がついていた。
私が自分の箱につけるのと、同じ形の印であった。
私はしばらく、その前に立っていた。
スミは、あれは古い箱だと言った。
誰の箱かは、言わなかった。
※
四日目の朝、まだ暗いうちに、スミが土間に来た。
「帰るか」
私は帰ると言った。
スミは煙筒を置いて、指を三本立てた。
「花に一度でも触った蜂は、外の暦を忘れる」
「忘れた蜂は、谷の花しか道にしない」
「だから、まだ忘れていない群れを連れて出る」
私は背負い箱の枠を思い出した。
蜜は溜まっていたが、蜂は谷の花に降りてはいないはずだった。
スミは、日の出前に蓋を開けろと言った。
谷の花は、日が差してから開く。
開かないうちに出た蜂は、外の花の匂いを覚えたまま立ち上がるのだと。
「立ち上がった方へ歩く」
「谷を出るまで、後ろの羽音を聞かない」
「聞いたら、羽音の数が増える」
私は、増えるとはどういうことかと聞いた。
スミは答えず、前掛けの紐を結び直した。
それから、勘助とトメを起こさぬように出ろと言った。
私は迷って、紙を借りた。
寄合所の主人から半紙と墨を借り、礼を書いた。
暗いので、字が揃っているかは分からなかった。
土間に置いて出ようとしたら、勘助が起きていた。
私は紙を渡した。
兄は紙を裏返し、字のない側をしばらく胸に当てていた。
それから、丁寧に畳んで懐に入れた。
「気をつけて上がれ」
勘助はそう言い、蜜蝋を丸めたものを一つ、私の手に握らせた。
トメは奥で寝ていた。
起こさなかったことを、今でも少し悔いている。
外はまだ暗く、花は閉じていた。
私は背負い箱を担いで斜面を登り、蓋を細く開けた。
蜂が出た。
出た蜂は、迷わずに一つの方へ立ち上がった。
峠の方であった。
私は歩き出した。
十歩ほど行った所で、スミが後ろから言った。
「あんたの蜂は、いっぺんここに来た蜂だ」
私は足を止めた。
「祖父さんの代に、ここの花を覚えて、それから外へ出た」
「だから盆を過ぎても働く」
「あれは、こっちの暦で働いてるんだ」
私は振り返りかけて、羽音を思い出した。
後ろの羽音を聞くなと言われていた。
私は前を向いたまま、聞かなかった。
それでも、耳のすぐ後ろで羽音がしていた。
前を行く蜂は、十数匹である。
背の箱には、三枚の枠しかない。
その数では、あの音にはならなかった。
私は歩いた。
上るほど、花の段が足の下へ沈んでいった。
一度だけ、足の下で花が閉じる音がした。
紙を擦るような音であった。
日の出前なのに、花が閉じるはずはない。
閉じたのなら、それは一度開いたということになる。
私はその意味を考えないようにして、歩幅だけを数えた。
霧が出た。
霧の中で、羽音が止まった。
二十歩ばかり歩いて、抜けた。
※
沢の道であった。
水は冷たく、脛に当たると痛いほどであった。
半刻下ると、崩れた林道の手前に父の車が止まっていた。
父は荷台に腰かけて煙草を吸っていた。
「早かったな」
父はそう言った。
私が沢を上がったのは、その日の午前である。
父の暦では、半日も経っていなかった。
私は三晩寝たと言おうとして、やめた。
背負い箱を下ろすと、父が枠を抜いて光にすかした。
灰色の蜜の枠であった。
父はしばらく見て、それを箱に戻した。
「これは絞らんでおけ」
それだけ言って、あとは北の花の話をした。
蕎麦は、その年、間に合った。
家に帰ってから、私は祖父の帳面を出した。
古い帳面で、綴じ糸が切れていた。
群れごとの来歴が、一行ずつ書いてある。
赤い墨の印の群れの欄には、祖父の字で、峠より、と三字だけあった。
年月は入っていなかった。
買ったとも、分けたとも、書いていない。
私はその三字を、長く見ていた。
それから、勘助が紙を裏返したことを思い出した。
谷の者は、外の文字を先に忘れるのだと、あとになって思い当たった。
礼を書いたあの半紙は、勘助には白い紙だったのだろう。
それでも胸に当てたのは、書いてあることが分かっていたからだと思う。
あの兄妹も、外から入った者だったのだと思う。
だから、私の作業着を見て黙ったのだと思う。
谷の外れにあった角い箱のことも、それで少し分かった気がした。
父はその後も、赤い墨の印の箱だけは、他から少し離して置いた。
理由は聞かなかった。
聞かないのが、うちの家の作法のようなものであった。
六年ほど経って、私は一度、あの谷を探しに行った。
林道はその頃には舖装され、崩れていた所も直っていた。
沢はあった。
半刻ほど登ると、道は尾根に出て、向こうは一面の杉の植林であった。
谷はなかった。
地形図にも、そこに谷は描かれていない。
峠の茶屋は畳んでいて、主人の行き先を知る者はいなかった。
蜜蝋の玉は、いまも仕事場の棚にある。
五十年経っても、まだ雨の匂いがする。
あの谷の暦で動く一群は、私が連れ帰る前から、うちの蜂だった。
私は、忘れていない群れを選んで連れ出したつもりだった。
選んだのは、いちばん古く谷を覚えている群れであった。
その一群は、いまも八月の終わりに、いちばんよく働く。
分蜂させ、代を継がせ、箱を新しくしても、その癖だけは移った。
毎年その頃になると、巣箱の底板に、灰色の蜜が一枚だけ溜まる。
匂いを取ると、雨である。
峠の向こうの花が、まだ終わっていないのだろうと思う。
一度、蜂道を見に、その一群の前に立ってみた。
群れは、山とは逆の方へ立ち上がった。
その先には、私の家がある。