沈んだ村の渡し場

枯れ湖を望む白装束の旅人

今でも、渇水の年の秋にだけは、あの湖へ行かない。

竿も鞄も、車には積んだままにしてある。

ただ、雨の少ない夏を越すと、私はその湖の名を予定表から静かに外す。

六年前の秋の話をする。

当時、私は三十三歳だった。

釣具の会社で、試作の竿を曲げて壊す仕事をしていた。

年に何度か、地方の釣り雑誌に紀行めいた記事も書いた。

ひとりで山へ入ることに、何の抵抗も持たない年齢だった。

湖は紀伊の山地の奥にある。

昭和三十年代に谷を堰き止めてできた、細長い人工の湖だ。

底には、村がひとつ沈んでいる。

湖の名は、その沈んだ村の名をそのまま引き継いでいた。

私はその湖に、四年ほど通っていた。

大きな魚が出るわけではない。

人が少なく、風が読みやすく、水の色が季節ごとにはっきり変わる。

試作の竿を試すには、ちょうどよかった。

その年は、空梅雨だった。

八月に来るはずの台風が、二つとも東へ逸れた。

九月の終わりには、貯水率が三割を切ったと新聞に出ていた。

私が湖に着いたのは、十月の第二週の平日の朝である。

車を降りて、まず息を止めた。

水がない。

正確には、私の知っている水位より二十メートルほど下に、水があった。

対岸の斜面に、水面と平行な白い帯が三本あった。

過去の水位が、木の生えない裸の岩肌として横に走っている。

いちばん上が満水線。

その下の二本は、過去に大きく渇いた年の線だ。

そしてその日の水面は、三本目よりもさらに下にあった。

湖岸だった斜面が、そっくり陸になっていた。

泥は乾いて、亀の甲羅のように割れている。

踏むと、乾いた煎餅を割るような音がした。

足の裏から、音が上がってくる。

その朝の湖には、その音しかなかった。

管理小屋には、いつもの老人がいた。

ダムの管理者ではない。

釣り券を売り、ボートを貸す、地元の組合の人だ。

七十をいくつか越えていたと思う。

「今日は誰も来とらんよ」

老人は湯呑を置いて、外を顎で示した。

「これだけ引くと、船が出せんからね」

「歩いて降りてもいいですか」

「かまわんよ」

老人は少し間を置いた。

「かまわんが、四時半には上がっといで」

「放流ですか」

「そう。サイレンが鳴る」

「水、すぐ来ますか」

「来るときは、思うより早い」

老人はそう言って、私の顔を見た。

見た、というより、確かめた、という目つきだった。

「あんた、去年も来とったね」

「はい」

「去年は、水があったな」

返事のしようがなくて、私は笑って会釈をした。

湖底へ降りる道は、すぐに見つかった。

旧道である。

水没する前に村へ通じていた道が、そのまま出てきていた。

舗装ではない。

締まった土と、拳ほどの石を並べた側溝の名残。

五十年ぶりに空気に触れた道は、思いのほか道の形をしていた。

その道の脇に、石の標柱が立っていた。

高さは私の腰ほど。

正面に湖の名と、竣工の年が彫ってある。

問題は側面だった。

標柱には、渇いた年の数字が下へ下へと彫り継がれていた。

昭和四十二年。

昭和五十三年。

平成六年。

いちばん下は、私が生まれる前の年だった。

誰が彫ったものかは、どこにも書かれていない。

水が引くたびに誰かが降りてきて、その年を刻んだということだ。

私は指で溝をなぞった。

どの数字も、同じ深さで、同じ角度で切ってあった。

同じ人の手だ、と思った。

五十年のあいだ、同じ人の手が彫るはずはないのに。

小屋へ戻って、私は老人に標柱のことを訊いた。

「あの石、誰が彫っとるんですか」

老人は湯呑の中を見ていた。

「昔からや」

「昔から、というのは」

「村があった頃からや」

「村があった頃は、湖じゃないですよね」

「川や」

老人は指先で、机の上に一本の線を引いた。

「川も、渇く」

「渇いたら、彫るんですか」

「渡し場が要らんようになった年を、書いとくんや」

「歩いて渡れるから」

「そう」

老人は湯呑を置いた。

「歩いて渡れる年は、向こうからも歩いて来られる」

私は笑わなかった。

笑うところではない、と思ったからだ。

老人も笑わなかった。

「まあ、四時半に上がっといで」

標柱から少し行くと、桟橋があった。

湖の桟橋ではない。

湖ができる前の、川の渡し場の桟橋だ。

木ではなく、低いコンクリートの台と、鉄の欄干。

五十年沈んでいたにしては、形がよく残っていた。

欄干には、色の褪せた手拭いが一本、二重の固結びで結わえてあった。

白かったはずの布は薄茶に変わり、端が房のようにほつれている。

沈んでいた年月を思えば、残っているほうがおかしい。

私は結び目に触れた。

固かった。

指では、とてもほどけない結び方だった。

渡し場の先に、石段があった。

湖底から、対岸の斜面へ向かって上がっていく。

幅は、二人がすれ違える程度。

角は丸く摩耗して、苔の跡が白く残っている。

私は竿を担いだまま、その石段を下りた。

下りた、と書くのは、渡し場が段の途中にあるからだ。

段は水際からさらに下へ続き、その日の水面のところで消えていた。

数えながら下りた。

癖のようなものである。

川で足場を移るとき、私はいつも段や石を数える。

三十七段。

いちばん下の段に右足を置いて、私は止まった。

その先は水だった。

顔を上げると、湖底だったところが一面に広がっている。

村の跡だ。

家はもちろん残っていない。

残っているのは石垣。

田の畦の輪郭。

井戸の円い口。

そして、道。

道だけが、異様にはっきりしていた。

石垣に沿って曲がり、井戸の脇で二つに分かれ、また合わさる。

人がそこを何百年も歩いたという事実が、泥の上に線として残っていた。

私は以前、この湖の移転記録を読んだことがある。

県が出した、素っ気ない冊子だ。

移転した戸数は、三十七戸。

移転先は三つの町に分かれた。

神社は高台へ移され、墓所も移された。

記録には、移せなかったものが一行だけ書いてある。

渡し場の石段。

重すぎて、費用が合わなかったのだという。

三十七戸と、三十七段。

偶然だと、そのときは思った。

冊子には、渡し場の風習も一行だけ載っていた。

渡し賃は、銭ではなかったという。

渡してもらった者は、欄干に布を一本結んで帰る。

次に渡る者が、その布をほどいて持っていく。

布が一本もなくなった日は、渡し場を閉じた。

渡す相手が、もういないという意味である。

私は、その一行を読んだときのことを覚えている。

面白い風習だと思った。

そのときは、それだけだった。

湖底には匂いがあった。

泥の匂いではない。

長く水に浸かっていた木の匂いだ。

桶を放っておいた物置に近い。

甘くはない。

湿った紙と、金気を混ぜたような匂い。

それが、風もないのに、時々濃くなった。

濃くなるのは、決まって私が井戸の口に近づいたときだった。

音がないことに気づいたのは、昼前である。

鳥がいない。

虫の音もない。

水面を叩く魚の音もない。

聞こえるのは、自分の靴が乾いた泥を割る音だけ。

その音が、思ったより遅れて返ってくる。

斜面のどこかに、音を返すものがあるのだろうと思った。

思ったが、確かめには行かなかった。

竿を出した。

水は濁っていなかった。

渇いた年の水は、なぜか澄む。

底の泥が動かないからだ。

沈んだ道の延長線上に、浮子を投げた。

風はなかった。

湖面は一枚の板のようで、対岸の杉山がそっくり逆さに映っていた。

その板の上を、浮子がゆっくり動きはじめた。

右から、左へ。

私は糸を張り直した。

ダム湖に流れがないわけではない。

放流の前には、取水口へ向かって水がわずかに動く。

ただ、取水口は私の右手にあった。

浮子は、そちらとは逆へ動いていた。

三十分ほどで、私は場所を変えた。

石段を七段だけ上がり、脇の平らな岩に立った。

そこで気づいた。

石段が濡れている。

私が下りたときは、乾いていた。

濡れているのは段の中央だけ。

幅は、人の足ほど。

それが、下から上へ、点々と続いていた。

湖の水は、私の足元から一メートル以上下にある。

誰かが上がっていったのだとすれば、その人は水の中から来たことになる。

私は上を見た。

石段は斜面の途中で折れ、木立に入って見えなくなる。

濡れた跡は、その木立まで続いていた。

引き返して、跡の一つに指を当てた。

冷たかった。

水温より、はっきり冷たかった。

午後になって、私は村の跡を少し歩いた。

井戸の口を覗き、石垣の角を触り、道を辿った。

帰りは、自分の足跡を辿って戻ればいい。

乾いた泥は、靴の型をきれいに残す。

戻りながら、私は足跡を目で追った。

井戸のあたりで、足跡が二人分になっていた。

片方は、私の靴底。

もう片方は、裸足だった。

指の跡まで、はっきりしている。

二つの足跡は、井戸から渡し場まで、ぴたりと並んで続いていた。

行きは、一人分しかなかった。

私は自分の靴を見た。

泥はついていた。

つま先の向きも、記憶と合っていた。

合っていないのは、隣だけだった。

四時を少し回った頃、サイレンが鳴った。

長く、二度。

山に反響して、四度に聞こえた。

私は竿を畳んだ。

畳みながら、水を見た。

まだ動いていない。

老人の言った「思うより早い」が、頭の中で繰り返された。

荷物をまとめ、石段に足をかけた。

そのとき、渡し場に人がいた。

いつからいたのか分からない。

欄干のところに、こちらへ背を向けて立っている。

白い上っ張りのようなもの。

髪は短く刈ってある。

背丈は、私と変わらない。

足は、裸足だった。

泥の上に、指の跡が残っていた。

私はその場で止まった。

声を出すべきかどうか、しばらく考えた。

その人は、欄干の手拭いに手をかけていた。

結び目を、ゆっくりほどこうとしている。

「すみません」

私は言った。

その人は手を止めた。

振り向かないまま、こちらへ声を出した。

「そっちは、まだ乾いとるか」

年配の、しかし性別の分からない声だった。

「乾いています」

私はそう答えた。

答えてから、自分の返事の奇妙さに気づいた。

「そうか」

その人は、手拭いの結び目に戻った。

「ほな、今年で四つ目や」

「四つ目、とは」

「線が」

それだけだった。

私は、欄干を見た。

布は、一本もなくなっていた。

サイレンが、もう一度鳴った。

水の音がした。

音は足元からではなく、湖の奥から来た。

湖面が、一枚の板から布のようなものに変わっていく。

私は石段を駆け上がった。

数えるつもりはなかった。

それでも、体が勝手に数えた。

三十八。

下りたときに数えた段数と、上がったときの段数が、一段だけ違っていた。

上まで出て、振り返った。

渡し場は、もう水の下だった。

欄干の上のあたりまで、茶色い水が来ている。

人の姿はなかった。

白いものも、裸足も、どこにもなかった。

私は車まで走った。

管理小屋の前を通ったが、老人はいなかった。

戸に鍵がかかり、湯呑だけが窓際に残っていた。

駐車場を出るとき、ミラーに湖が映った。

水は、上がりきっていた。

三本の白い帯は、いちばん下の一本だけを残して、水の中に消えていた。

翌年の春、その湖の組合から封書が届いた。

年券を買っていたので、更新の案内である。

同封の一枚に、短い記事が刷ってあった。

渇水で湖底が現れたこと。

沈んだ村の遺構が確認されたこと。

調査のために県の人が入ったこと。

最後に、一行だけ。

石の標柱に、新たな刻字が確認された、と書いてあった。

私は、その年の秋に一度だけ湖へ行った。

水は戻っていた。

満水ではないが、渡し場も石段も、すっかり底である。

管理小屋には、知らない中年の男性がいた。

前の方は、と私は尋ねた。

「去年の冬に辞めました」

「お元気ですか」

「さあ。私は引き継いだだけなんで」

男性は少し困った顔をした。

「あの人、名簿になかったんですよ」

「名簿」

「組合の。誰が雇ったのか、記録がなくて」

私は礼を言って、小屋を出た。

標柱のあった場所へ行った。

水位が下がりきっていないので、標柱の頭だけが水から出ている。

膝まで浸かって、側面を覗いた。

標柱の一番下に、まだ彫り口の白い数字が一つ増えていた。

私が湖底に降りた、あの年の数字だった。

誰が彫ったのかは、今も分からない。

その帰り、私は双眼鏡で渡し場のあたりを見た。

水は澄んでいて、欄干が透けて見えた。

手拭いはほどけて、結び目のあった皺だけが残っていた。

布は、水の中で真っ直ぐに垂れている。

流れがあれば、なびくはずだった。

あの日、欄干に結ばれていた布は、一本だけだった。

渡し場を閉じるのは、渡す相手がもういない日である。

閉じられなかった、ということになる。

それから、対岸を見た。

杉山の斜面に、木の生えていない裸の岩肌が横に走っている。

対岸の斜面に、白い帯が四本あった。

いちばん下の一本は、まだ新しかった。

私は双眼鏡を下ろした。

今でも、渇水の年の秋にだけは、あの湖へ行かない。

行かない理由を、人に説明したことはない。

あの日、私は三十七段を下りて、三十八段を上がった。

足りない一段が、まだ水の下にある。

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