
去年の六月の話です。
私が働いているのは、市の南のはずれにある小学校の給食室です。
全校で二百人ほどの、小さな学校です。
調理員は四人。
朝の七時に入って、十一時半までに配缶を終える。
それを毎日、繰り返しています。
その給食室では、六月の第三金曜だけ、献立表に載っていないものが一品つきます。
緑がかった、小さな団子です。
この土地では、あそび団子と呼ばれています。
私は四年勤めていますが、いまだに作り方を知りません。
教わったことが、一度もないのです。
私は隣の県の生まれで、結婚してこの町に移ってきました。
三十八になります。
前は総合病院の厨房で、委託の調理員をしていました。
病院の厨房は年じゅう同じ温度で、窓がありません。
学校の給食室に来ていちばん驚いたのは、季節が中まで入ってくることでした。
秋には落ち葉が、勝手口のたたきまで来ます。
冬は、大鍋の湯気が窓の高いところで凍りかけます。
そして六月は、雨の匂いと、蒸した野菜の匂いが混ざる。
換気扇を回しても、ガラスの内側に水滴が下りてきます。
六月の給食室は、朝から湯気で白いのです。
チーフは塩見さんという、六十を過ぎた女性です。
この学区で生まれて、この学校を出て、二十四のときから同じ場所で作っています。
背は私より低いのに、寸胴を持つ手つきが誰よりも静かでした。
もう一人の地元の人は、筒井さんといいます。
五十代のパートで、塩見さんとは幼なじみだそうです。
あとは私と、その前の年に入った二十代の子。
その子も、私と同じで、よその町から来た人でした。
仕事はきついけれど、私はこの給食室が好きでした。
配缶が終わったあと、廊下の向こうから足音が近づいてくる。
当番の子がワゴンを取りに来る音です。
その音を聞くと、朝の四時間がひとつの形になる気がしました。
私には癖があります。
受け渡しの窓から缶を出すとき、つい聞いてしまうのです。
おかわりは、足りとる。
子どもはたいてい、うんとしか言いません。
それでも聞いてしまう。
病院にいた頃は、聞いても返事が返ってこない仕事でした。
返事があるということが、私にはまだ物珍しかったのだと思います。
六月の第三金曜
その日の朝は、雨でした。
六月の第三金曜。
私が最初にその日を意識したのは、勤め始めた年の六月です。
前の日に、塩見さんが献立表を指でなぞりながら言いました。
明日はね、うちだけの日やけん。
献立表には、汁と、魚と、和え物と、牛乳しか書いてありません。
私は意味が分からないまま、はい、と答えました。
当日、七時に入ると、下処理室の戸が閉まっていました。
この給食室で戸が閉まっているのを、私はそれまで見たことがありませんでした。
中で、蒸し器の音がしていました。
戸の隙間から、湯気が細く出ていました。
その湯気に、匂いがついていました。
青い匂いです。
よもぎに似ていますが、よもぎではありません。
もっと下のほう、土に近いところの匂いでした。
雨に濡れた石をどけたときの、あの匂いに少し似ていました。
私は自分の持ち場に立って、玉ねぎを切りました。
一時間ほどして、戸が開きました。
塩見さんと筒井さんが、大きなバットを二枚ずつ持って出てきました。
バットの上に、緑がかった団子が並んでいました。
艶がありませんでした。
白い粉を吹いたようになっていて、表面が乾いて見えました。
私は近づいて、それを覗き込みました。
筒井さんが、私の前にバットを持ち替えました。
目の前から、ひょいと隠すような動きでした。
邪険ではありませんでした。
子どもの手から熱いものを遠ざけるときの、あの動きに近かったと思います。
私は、それは何ですかと聞きました。
塩見さんが答えました。
あそび団子。
それだけでした。
材料は何ですか、と聞き直しました。
塩見さんは、米の粉と、山のもの、と言いました。
山のものが何なのかは、教えてくれませんでした。
私は献立表を見返しました。
やはり載っていません。
アレルギーの一覧表も、その日の欄だけ空白でした。
栄養士の先生に聞くと、あれは町の行事の扱いですから、と言われました。
行事食なら献立表に載るはずです。
私はそう思いましたが、口には出しませんでした。
その日の作業は、あとはいつもどおりでした。
大鍋の泡が上がってきて、筒井さんが鼻歌をうたっていました。
塩見さんが、それ、去年も同じ時期にうたいよったね、と言いました。
筒井さんは、そうやったっけ、と笑いました。
私も笑いました。
ただ、下処理室の戸は、その日いちど閉められたきりでした。
艶のない緑の団子
その日の給食は、いつもどおりに配缶されました。
ただ、クラスごとの缶のわきに、小さなアルミの器が添えられました。
器の中に、あそび団子が入っています。
私は数を確かめる係でした。
一年生の器には、二十二個。
名簿の数と同じでした。
六年生の器には、三十一個。
これも同じです。
全部のクラスを足すと、その日の在籍数とぴったり一致しました。
職員室に運ぶワゴンには、器がありませんでした。
私は塩見さんに聞きました。
先生がたの分は、と。
塩見さんは、ないよ、と言いました。
それだけでした。
じゃあ私たちの分は、ともう一度聞きました。
塩見さんは寸胴の縁を布巾で拭きながら、余らんのよ、と言いました。
笑ってもいませんし、怒ってもいませんでした。
牛乳は月曜が少ない、という程度の口調でした。
私はそれ以上聞きませんでした。
四月から数えて三か月目の人間が、聞くことではない気がしたのです。
今から思えば、そこで聞いておくべきでした。
その日の午後、洗い場でアルミの器が戻ってきました。
どの器も、からになっていました。
ひとつも残っていません。
給食の残菜は、たいていどこかのクラスから出ます。
四年生の器の底に、緑の粉が薄くついていました。
私は指でこすって、匂いを嗅ぎました。
朝の、あの青い匂いでした。
みんな同じ庭の話
次の週の月曜日のことです。
配膳の窓のところが、いつもより騒がしいと思いました。
三年生の当番の子が二人、ワゴンの前で言い合いをしていました。
言い合いといっても、けんかではありません。
どちらが先に滑り台に行ったかを、譲らずにいるだけでした。
私は笑って、どこの滑り台なん、と聞きました。
女の子が答えました。
ゆめの、しろいとこ。
私はよく分からないまま、そう、と言いました。
すると、後ろに並んでいた別のクラスの子が、口をはさんできました。
わたしもおった。
ぼくもおった、とその後ろの子が言いました。
四人が四人とも、同じ場所の話をしていました。
白い砂利が一面に敷いてある、広いところ。
塀はなくて、遠くのほうが白くかすんでいる。
石でできた四角い灯りが、ぽつぽつ立っている。
そこで、みんなで遊んだ。
学年がばらばらの子たちが、同じ庭を細かいところまで揃えて話すのです。
私はワゴンを押す手を止めていました。
そこへ、三年生の担任の先生が通りかかりました。
若い男の先生です。
先生は、また夢の話しよるんか、と笑いました。
私が事情を聞くと、先生はこともなげに言いました。
毎年なんですよ。
あの団子が出た晩に、みんな同じ夢を見るって言うんです。
たぶん、よもぎか何かが入っとるんでしょうね。
先生自身も、この学校の卒業生でした。
僕も見ましたよ、と言って、先生は職員室のほうへ歩いていきました。
その言い方には、何の含みもありませんでした。
子どもたちは、こわい話をしているのではありませんでした。
楽しかった話をしているのです。
誰も、そのことを不思議がっていませんでした。
不思議がっているのは、私だけでした。
給食室に戻ると、塩見さんが椅子に浅く腰かけていました。
珍しく、まぶたが重そうでした。
寝不足ですか、と聞きました。
塩見さんは、この時季はいつもよ、と言いました。
筒井さんが横から、この人、毎年こうやけん、と言って笑いました。
塩見さんは笑いませんでした。
ただ、湯気の上がる大鍋のほうを、しばらく見ていました。
二年目の六月、私は一度だけ下処理室の戸に手をかけました。
中から筒井さんが、戸を半分だけ閉めました。
こっちはええから。
そう言った筒井さんの顔は、普通でした。
拒まれたという感じがまるでなくて、そのことのほうが私には残りました。
三年目の秋に、私は学校の図書室に入りました。
郷土資料の棚は、いちばん奥の窓際にあります。
この学区の古い地名を調べてみようと思ったのです。
今は送原団地という名前の一帯が、昔は送り原と呼ばれていました。
ガリ版刷りを製本しただけの、薄い冊子がありました。
そこに、一行だけ書いてありました。
送り原は山入り講の集まる場であった。
それだけです。
前後には、水路の話と、養蚕の話しかありませんでした。
翌日、塩見さんに、送り原って何ですか、と聞いてみました。
塩見さんは、ああ、と言いました。
山に入る前に、みんなで集まりよったとこよ。
少し間があってから、こう続けました。
うちの祖母の代までは、入る前に子どもに何か食べさせよったらしいよ。
何を、と聞きました。
塩見さんは、さあ、と言って、シンクの蛇口をひねりました。
水の音で、話は終わりました。
あそび団子の数
去年の六月の、第三金曜です。
朝から雨が降っていました。
戸が閉まり、青い匂いがして、いつもの時間に二人が出てきました。
その年、私は初めて、あそび団子が落ちるのを見ました。
筒井さんがバットを持ち上げたときに、端の一個が跳ねたのです。
床のタイルに落ちて、二回ほど転がりました。
私は反射で拾おうとしました。
筒井さんのほうが早かった。
素手でつまんで、そのままゴミ箱に落としました。
洗いもしませんし、代わりを作りもしませんでした。
数が合わなくなる、と私は言いかけました。
その前に、塩見さんが言いました。
合うとるよ。
私はもう一度、器の中を数えました。
合っていました。
落ちた一個を引いても、どのクラスも在籍数と同じでした。
私が数え間違えたのだと思うことにしました。
その日の配膳のとき、一年生の当番の男の子が、器を指さして言いました。
これ、きょうのやつ。
うん、きょうだけね、と私は答えました。
おいしいん、と聞いてみました。
男の子は少し考えて、こう答えました。
おいしくない。
でも、たのしい。
私は笑いました。
その子も笑って、走っていきました。
その言い方が、その日いちばん長く私の中に残りました。
午後、洗い場を片づけていると、下処理室の戸が開いたままになっていました。
塩見さんは職員室に伝票を持っていっていました。
筒井さんは早番で、もう帰っていました。
私は中に入りました。
四年勤めて、初めてでした。
広さは三畳ほどで、蒸し器と、古い木のせいろが置いてありました。
すり鉢が伏せてあり、洗ったばかりのようでした。
正面の壁に、紙が何枚も重ねて貼ってありました。
いちばん上の紙には、細い鉛筆の字で、短い行がいくつも並んでいました。
字はどれも違う人のものでした。
行の数を数えると、二十三ありました。
いちばん下の行だけが、空けてありました。
紙を持ち上げて、下の紙を見ようとしました。
糊が固くて、めくれませんでした。
そのとき、蒸し器の横のざるが目に入りました。
ざるの上に、団子がひとつだけ残っていました。
正確には、ひとつではありません。
蒸したときに割れたらしく、二つに分かれた片方でした。
私は、それを指でつまみました。
やわらかくもなく、固くもありませんでした。
もう冷めていました。
台所で四十年近く働いてきて、味の分からないものを配ったことはありません。
私は自分にそう言い聞かせました。
そして、口に入れました。
甘くはありませんでした。
苦くもありません。
草の味さえしませんでした。
舌の上で、何の味も出さないまま、ゆっくり溶けていきました。
飲み込んでから、私はもう一度、味を思い出そうとしました。
思い出せませんでした。
三十秒前に食べたものが、記憶のどこにも引っかかっていないのです。
戸の外で、足音がしました。
塩見さんでした。
私は、すみません、と言おうとしました。
塩見さんは私の顔を見て、それから、ざるを見ました。
何も言いませんでした。
怒られるより、そのほうが体にこたえました。
塩見さんはせいろを重ねて棚に上げ、電気を消して、先に出ていきました。
白い砂利の庭
その晩、私は夢を見ました。
眠りに落ちたという感じがありませんでした。
気がついたときには、もうそこに立っていました。
足の下が、じゃり、と鳴りました。
白い砂利が、見えるかぎり一面に敷いてありました。
踏むたびに、砂利が沈んで、そのぶん体が少し低くなります。
その感触が、はっきりしていました。
塀はありませんでした。
遠くのほうは白くかすんでいて、そこから先に何があるのか分かりません。
石でできた四角い灯りが、間をあけて並んでいました。
灯りの中には、火は入っていませんでした。
それなのに、庭は昼のように明るいのです。
空を見上げようとしましたが、首が上がりませんでした。
子どもの声がしました。
ふりむくと、大勢いました。
うちの学校の子が、たくさんいました。
朝、器を受け取りにきた一年生の当番の子もいました。
知らない子も、同じくらいいました。
その子たちは、服が少し違いました。
襟のところが黒くて、ボタンが上まで留まっている上着でした。
下は膝までのズボンで、足は裸足でした。
誰も、その違いを気にしていませんでした。
みんな、混ざって走っていました。
鬼ごっこのようでいて、鬼が決まっていませんでした。
誰かが誰かを追いかけて、追いつくと、今度は追いつかれたほうが笑って走り出します。
それがずっと続いていました。
私は、しばらく見ていました。
止めなければ、とは思いませんでした。
いい光景だと思いました。
雨の日に体育館へ入れる日の、あの音に似ていました。
手が重いことに気づいたのは、そのあとです。
両手で、大きなバットを持っていました。
給食室のものより、ひとまわり大きい木の器でした。
中に、あの緑の団子が山になっていました。
いつから持っていたのか、思い出せませんでした。
子どもが一人、走るのをやめて、私のほうを見ました。
それから、こちらへ歩いてきました。
見たことのない子でした。
私は、身をこわばらせるべきだったと思います。
けれど体は、ずっと前から知っている動きをしました。
器を少し傾けて、その子が取りやすい高さに下げたのです。
子どもは一つ取って、口に入れました。
そして、私を見上げました。
気がつくと、私は、おかわりは、と言っていました。
声は、いつもの給食室の声でした。
子どもは、うん、と言いました。
その返事が、庭じゅうに聞こえたようでした。
走っていた子たちが、いっせいにこちらを見ました。
子どもたちは、私に向かって、一列に並び直しました。
先頭から順に、手が伸びてきます。
私は配りました。
減らないのです。
何十人に渡しても、器の中の山は同じ高さのままでした。
列の途中に、うちの学校の子が混ざっていました。
その子は私の顔を見て、あ、と言いました。
給食のおばちゃんじゃ、と言いました。
周りの子が笑いました。
私も笑っていました。
笑いながら、指先だけが冷たくなっていくのが分かりました。
白くかすんだ奥のほうから、人が歩いてきました。
年上の女の人でした。
塩見さんではありません。
髪をうしろでひとつにまとめて、割烹着に似たものを着ていました。
その人は、私の横まで来ると、空の器を足もとに置きました。
それから、私に向かって、深く頭を下げました。
顔は見えませんでした。
頭を上げると、そのまま奥へ歩いていきました。
白いところに入って、見えなくなりました。
子どもたちは、誰もそちらを見ませんでした。
列は、まだ続いていました。
目が覚めたのは、四時十分でした。
寝間着の背中が濡れていました。
心臓は、静かでした。
怖かった、と思おうとしました。
思えませんでした。
私は、あの庭のことを、いい夜だったと思っていたのです。
空いている最後の行
その日は土曜で、給食はありませんでした。
私は一日、家の片づけをしていました。
手が空くと、庭のことを考えていました。
思い出すたびに、嫌な感じがしないのです。
そのことだけが、はっきりと嫌でした。
月曜の朝、七時に給食室へ入りました。
塩見さんが先に来て、寸胴に水を張っていました。
おはようございます、と言って、私は顔を上げました。
塩見さんは、眠そうではありませんでした。
この時季はいつもよ、と言っていた人の顔が、その朝はすっきりしていました。
私は自分の手が濡れているのに気づいて、拭きました。
塩見さんは水を止めて、こちらを見ました。
そして、奥、入っていいよ、と言いました。
私は下処理室に入りました。
塩見さんも入ってきて、戸を閉めました。
壁の紙の前に、二人で立ちました。
塩見さんが、鉛筆を一本、差し出しました。
短くなった、赤の入っていない鉛筆でした。
何を書くんですか、と私は聞きました。
塩見さんは、名前でも、日付でも、何でもええよ、と言いました。
ただ、と続けました。
書いたら、来年から、あんたが作るんよ。
私は、作り方を知りませんと言いました。
塩見さんは、私の顔をしばらく見てから、こう答えました。
もう、一回食べとるやろ。
私は、その空いた行に、自分の字で一行を書きました。
何を書いたかは、書かないでおきます。
鉛筆を返すと、塩見さんは紙をていねいに撫でて、糊のはがれかけた角を押さえました。
それから、いつもの声で、玉ねぎ頼むね、と言いました。
その日の給食は、鶏肉の照り焼きと、みそ汁でした。
配膳の窓のところで、三年生の子が私に言いました。
おばちゃん、こないだの夢、また見た。
私は、白いとこやろ、と答えました。
子どもは、そう、と言って、目を丸くしました。
おばちゃんも見よん。
見よるよ、と私は言いました。
子どもは、うれしそうな顔をしました。
その顔を見て、私はやっと、少し怖くなりました。
塩見さんは、その年の暮れに給食室を辞めました。
近所に住んでいて、ときどき校門のところで会います。
あの人はよく眠れているようです。
あれから、私は毎年六月の第三金曜に、奥の小部屋であそび団子を蒸します。
作り方を教わった覚えはありません。
それでも手が動きます。
できあがった数は、いつも在籍数とちょうど同じになります。
数えなくても、そうなります。
一つ落としても、そうなります。
職員の分は作りません。
その晩は、必ずあの庭に行きます。
子どもたちは、私を見つけると走ってきます。
列の中に、襟の黒い上着の子が、去年より少しだけ増えていました。
私は、その子たちにも配ります。
帰ってこない子はいません。
翌朝、みんな普通に登校してきます。
だから私は、誰にもこの話をしていません。
今年の六月も、給食室は朝から湯気で白いままです。